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特別鑑賞会「小野竹喬展」 [美術館]

11月17日(火)   昨日、大阪市立美術館の休館日を利用しての毎日新聞による標記の特別鑑賞会がありましたので行ってきました。

約30分、大阪市立美術館の学芸員によるスライドを使っての小野竹喬展の解説がありました。その後、ゆっくり鑑賞出来ました。館内のショップのみ有効な500円の金券がプレゼントされましたので、私は小野竹喬の絵葉書を5枚購入しました。(1枚100円)

これは、特別鑑賞会の招待葉書です。
小野展1葉書jpg.jpg

●生誕120年 小野竹喬展(おのちっきょう)
会場:大阪市立美術館
期間:2009年11月3日~12月20日

「小野竹喬展」のパンフレットです。上部絵画は「奥の細道句抄絵 ”あかあかと日は難面もあきの風」です。
小野展パンフ.JPG

パンフレットの裏面はこちらです。
小野展2jpg.jpg
 小野竹喬の風景画は、明るい清澄な画面に、光の変化や季節のかすかなうつろいまでもが表されています。そして一年のうちのある季節、一日のうちのある時間という一端を描きながら、その作品が絶えず変化し、めぐるという普遍へと私達の思いを至らせます。
 「竹橋」の雅号を用いた初期には西洋絵画への関心が強く見られ、1921年(大正10)から翌年にかけての渡欧を機に、「線」による表現へと方向を変えます。やがて南画への憧れが強まる昭和前期を経て、戦後は「奥の細道句抄絵」に代表される象徴的な表現へと画風が変化しました。最晩年に至って、墨彩画への挑戦を試みました。(パンフレットより抜粋)

【展示区分等】展覧会の期間の前期と後期で一部作品の入替あります。
・第1章:写実画と日本画の問題
・第2章:自然と私との素直な対話
・素描
・特集展示Ⅰ:欧州旅行中の絵及び土田麦僊の絵
・特集展示Ⅱ:スケッチ
以上、小野竹喬の代表作約100点とスケッチを展示しています。

【小野竹喬のプロフィール】
・明治22年(1889)11月20日、岡山県笠岡市西本町に生誕、英吉と命名。
・明治36年(1903)京都に行き、竹内栖鳳に師事。
・明治38年(1905)栖鳳宅の寄宿生となり「竹橋」の雅号をもらう。
・明治42年(1909)京都市立絵画専門学校別科に入学。
・大正5年(1916)第10回文展に「島二作(しまにさく)」が特選。
 小野展島二作.JPG島二作
・大正7年(1918)土田麦僊(つちだばくせん)、榊原紫峰(さかきばらしほう)
         らと、国画創作協会を設立。
・大正10年(1921)10月、土田麦僊らとともに渡欧、翌年5月帰国。
・大正12年(1923)雅号を「竹喬」と改める。
・昭和3年(1928)第7回国展に「冬日帖」を出品。国画創作協会解散。
・昭和4年(1929)6月、帝国美術院推薦となる。
・昭和11年(1936)10月、新文展審査員に任命される。
・昭和22年(1947)3月、京都市美術専門学校教授に就任、7月日本芸術院会員。
・昭和25年(1950)4月、京都市立美術大学教授に就任
・昭和33年(1938)3月、社団法人日展の発足時、常任理事となる。
・昭和41年(1966)11月、笠岡市名誉市民となる。
・昭和51年(1976)東京・大阪・京都・岡山で「奥の細道句抄絵展」開催。
・昭和51年11月3日、文化勲章を受章。
・昭和54年(1979)5月10日、京都にて死去、享年89歳。


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