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教善寺・坂上邸(兵庫県伊丹市)、 錦織ベスト4へ [多田街道]

6月20日(土)     眼鏡市場で妻がメガネを注文している間、私は「はな」と周辺を散歩しました。
この辺りは北伊丹で、旧称では「北村」と呼ばれた地区です。伊丹市では平成9年に「多田街道都市景観形成道路」に指定し、昔の街道の面影を残しています。

【多田街道都市景観形成道路地区】(H9年指定・H15年延伸指定)
 旧西国街道と多田街道の交差点にある「辻の碑」は、摂津国の中心に位置するといわれ、伊丹郷町から北へ延びる多田街道は多田神社への参詣道として、長い歴史を有し、現在もなお道筋や水路に旧集落の面影を残しています。沿道にある水路と集落景観を継承し、地域景観形成の軸として、風土・歴史に根ざした景観を形成しています。建築物等の更新に当たっては、街道・集落・水路・緑の調和に配慮し、旧街道の落ち着いた風情の醸成を図ることが義務付けられています。

伊丹市共同利用施設「北伊丹センター」
住所:兵庫県伊丹市北伊丹7-29-1
多田1・北伊丹センター.jpg

↓このセンターの前に設置されいる説明板・案内板です。
多田2・多田街道都市景観形成道路.jpg
多田3・地図.jpg
多田4・案内図.jpg

北伊丹センターの南側の旧北村の中心にある「教善寺」に向かいました。
◎教善寺
住所:兵庫県伊丹市北伊丹3-67
山号:久遠山。宗派:浄土真宗興正寺派
創建:伝・明応5年(1643)。開基:釈正蓮

↓山門
多田5・教善寺山門.jpg
↑阪神淡路大震災で大損害を被ったので、平成9年(1997)新築された。

↓門前の説明板(阿弥陀如来立像)
多田6・阿弥陀如来立像.jpg
↑本尊(阿弥陀如来像)は、天正7年(1579)織田信長が有岡城主・荒木村重を攻めた時に鋳物師の良蓮寺(伊丹廃寺)が炎上したが、その時かろうじてレスキュー隊によって、この寺に移されたものと伝えられています。高さ98.8cmで、南北朝期から室町期の作と考えられており、伊丹市指定文化財となっている。

↓本堂
多田7・本堂.jpg
↑寛永20年(1643)に再建されたとの記録あるが、それ以降何度か大修理が行われた。
平成4年(1992)開基500年記念に修復されたが、阪神淡路大震災後、改めて修復された。

↓本堂の扁額
多田11・扁額.jpg

↓伊丹廃寺跡出土礎石
多田8・伊丹廃寺跡出土礎石.jpg

↓鐘楼
多田9・鐘楼.jpg
↑阪神淡路大震災で大損傷を被ったため、平成9年に新築された。

↓境内にある変わった形の「道標」
多田12・道標.jpg

↓境内の様子
多田13・境内.jpg

↓街道に面した水路の上には風情ある花壇が並んでいます。
多田10・外周.jpg

多田街道を南下すると、左側に都市景観形成建築物に指定されている「坂上邸」があります。
◎坂上邸
住所:兵庫県伊丹市北伊丹3-77

多田14・坂上邸.jpg
多田15.jpg
多田16.jpg
↑ 旧伊丹郷町から北上する多田街道に面して建つこの建物は、歴史的景観を構成する重要な要素を担っているとして昭和60年4月に景観形成建築物に指定されました。母屋は江戸時代に建てられたもので、蔵や塀、門、庭木などが伝統的な農家の屋敷構えを見せています。また、街道に面して建つ屋敷の姿はその歴史的道すじの景観をしのばせる要素でもあります。
現在の居住されていますので、建物の中へは入れませんでした。

※街道をさらに南下すると、旧西国街道と交差する地点があります。そこは「辻の碑」と呼ばれて、現在は美しく整備されています。その南側には復元された「水車」もあります。
これらは、以前にブログに掲載しましたので、今回は割愛します。
【以前の記事】http://iwasky.blog.so-net.ne.jp/archive/20140510

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◎ゲリー・ウェバーOP・錦織準決勝進出

錦織 圭   6-4、5-7、6-3   ●イェルジ・ヤノビッチ

錦織圭は調子が悪いながらも、なんとかフルセットで勝利し、準決勝へ進出しました。
(第2セットに2ゲームをブレイクされ、ファイナルセットでも1ゲームをブレイクされた)
試合中に腰を押さえていましたので、心配ですね。
錦織3.jpg

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