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行願寺(京都市中京区)、ウインブルドンはマレーが優勝 [西国三十三]

7月12日(火)   7月2日に細見美術館で「伊藤若冲展」を観てから、西国三十三所第19番札所である「行願寺」へ向かいました。

◎行願寺 (ぎょうがんじ)
住所:京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17
電話:075-211-2770
http://www.y-morimoto.com/saigoku/saigoku19a.html
http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/966/

山号:霊麀山(れいゆうざん)。宗派:天台宗。本尊:千手観音
創建:寛弘元年(1004)。開基:行円上人
通称:革堂(こうどう)。西国三十三箇所霊場第19番札所。

【歴史】Wikiより
『百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。当初の寺地は現在の京都市上京区、京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。
 行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。行円の生没年は未詳だが、比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。藤原道長の息の藤原顕信は寛弘9年(1012年)、行円のもとで剃髪出家している。
 寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。

平成8年(1996)尼僧・中島湛海が入寺して再興、天台宗で女性として初めて大僧正となった。
西国三十三観音霊場で唯一の尼寺です。

↓山門
行願寺1・山門.JPG

↓駒札
行願寺2・駒札.JPG

↓本堂 (文化12年(1815)再建、京都市指定有形文化財)
行願寺3・本堂.JPG
↑行願寺は、江戸時代の宝永5年(1708)の大火で焼失した後、この地に移されたといいます。さらに天明の大火(1788年)で焼失しますが、後に再興されました。

↓本堂外陣
行願寺4・本堂外陣.JPG

↓納経所
行願寺5・納経所.JPG

↓本堂前の灯篭
行願寺6・本堂前灯篭.JPG

↓宝物館
行願寺7・宝物館.JPG
↑「幽霊絵馬」が展示されています。江戸時代の末頃、行願寺の近くにあった質屋に奉公していたお文という子守女は、聞き慣れた御詠歌を子守歌がわりに口ずさみ、子供まで御詠歌を覚えてしまった。熱心な法華信者であった質屋の主人はこれを見とがめ、お文を折檻し、死なせてしまう。あわてた主人はお文の遺体を土蔵に隠し、知らぬふりをしていた。お文の両親が行願寺で通夜を営んでいたところ、彼女の幽霊が現れ、事の次第を語ったので、真相が明らかになり、質屋の主人は捕らえられたというものである。絵馬にはお文の遺愛の手鏡がはめこまれている。(Wikiより)
「幽霊絵馬」は毎年8月に公開される。また行円上人が着ていたとされる「鹿革の衣」は正月に公開されます。

↓延命地蔵菩薩と天道大日如来を祀る社
行願寺8・延命、天道.JPG

↓手水舎
行願寺9・手水舎.JPG

↓愛染堂
行願寺10・愛染堂.JPG

↓庫裏
行願寺11・庫裏.JPG
行願寺12・庫裏.JPG

↓寿老人神堂 (安土桃山時代に建立)
行願寺13・寿老人神堂.JPG
↑京都七福神の一つで、秀吉が万人快楽のため行願寺に奉納したと伝えられるている寿老人像(桃山時代作)を祀っています。

↓鎮宅霊符神堂
行願寺14・鎮宅霊符神堂.JPG

↓七福神
行願寺15・七福神.JPG

↓百体地蔵尊
行願寺16・百体地蔵尊.JPG

↓加茂大明神五輪塔 (室町時代の作)
行願寺17・加茂大明神五輪塔.JPG
↑五輪塔の水輪がくり抜かれていて、その中に「加茂大明神」が祀られています。

↓鐘楼 (文化元年(1804)建立、京都市指定有形文化財)
行願寺18・鐘楼.JPG

↓ご朱印
行願寺19・朱印.jpg

※西国三十三所のご朱印は、あと1ヶ寺だけとなりました。信仰心が深い方ではないですが、嬉しいような寂しいような感じです。
※続いて、近接している「下御霊神社」に参りました。

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◎ウインブルドンはマレーが制する
http://www.afpbb.com/articles/-/3092382

大会最終日は男子シングルス決勝が行われ、第2シードで地元イギリス出身のアンディ・マレーが、第6シードのミロシュ・ラオニッチをストレートで下し、ウィンブルドンでは3年ぶり2度目、グランドスラム通算3度目の優勝を飾った。優勝賞金は男女同額の200万ポンド(約2億6千万円)。

アンディ・マレー(GBR) 6-4、7-6、7-6 ●ミロシュ・ラオニッチ(CAN)

ウインブルドン2・マレー.jpg
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◎サッカー欧州選手権・ポルトガルが初優勝
http://www.afpbb.com/articles/-/3093532

10日に行われたサッカー欧州選手権2016(UEFA Euro 2016)決勝でフランスを下し、主要国際大会で初優勝を飾ったポルトガルのクリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo)は、この勝利を「ポルトガルのすべての国民とすべての移民」にささげると語った。

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法起院(奈良県桜井市)、門前通り、SMAP解散騒動 [西国三十三]

1月14日(木)     年末年始を挟んだため、間が空きましたが、12月6日に「長谷寺」を訪問した後の記事を遅ればせながらアップさせていただきます。

「長谷寺」を拝観後、門前通りを「法起院」に向かいました。
↓門前通りの様子
法起院1・門前通り.jpg
↑左右に、土産店等が並んでいます。

↓中之橋天満神社と中之橋詰御旅所
法起院2・中之橋天満神社と中之橋詰御旅所.jpg

門前通りの中程の駐車場の前で、主人が草餅を焼いていて、奥の店のテラスならペットOKというので、ここで、ランチすることにしました。
★あんず
法起院3・あんず.jpg
↓メニュー
法起院4・メニュー.jpg
↓天ぷらそば
法起院6・天ぷらそば.jpg
↓天ぷらうどん
法起院5・天ぷらうどん.jpg


◎法起院(ほうきいん)
住所:奈良県桜井市初瀬776
電話:0744-47-8032
宗派:真言宗豊山派。寺格:長谷寺塔頭。本尊:徳道上人
創建:(伝)天平7年(735)。開基:徳道。中興年:元禄8年(1695)。中興:英岳
正式名:長谷寺 開山坊 法起院。札所等:西国三十三所番外
http://www.houkiin.or.jp/origin.html

寺伝によれば奈良時代の天平7年(735年)に西国三十三所を創始したと伝えられている徳道がこの地で隠棲した事に始まるとされる。徳道は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したと言われる。当院の名称はそれに由来する。境内には徳道の廟と伝えられる十三重石塔がある。
江戸時代前期の元禄8年(1695年)長谷寺化主の英岳僧正が寺院を再建し、長谷寺開山堂とした。

↓山門
法起院7・山門.jpg
法起院8.jpg

↓説明板
法起院9・説明板.jpg

↓境内図
法起院10・境内図.jpg

↓本堂(開山堂)
法起院11・本堂.jpg
↑総本山長谷寺塔頭開山堂。

↓納経所
法起院12・納経所.jpg
↑右は、慈抱観音像。この寺院は、ペット同行OKです。

↓御朱印
法起院13・朱印.jpg

↓弁財天堂
法起院14・弁財天堂.jpg
↑弁天は金運、福知、延寿のご利益があると信仰されている。

↓馬頭観音
法起院15・馬頭観音.jpg

↓稲荷大明神
法起院16・稲荷大明神.jpg

↓地蔵尊
法起院17・地蔵尊.jpg

↓仏足石
法起院18・仏足石.jpg

↓庚申堂
法起院20・庚申堂.jpg
↑青面金剛像を祀る御堂。青面金剛とは中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰のなかで独自に発展した尊像である。病魔を退け、健康長寿のご利益があると信仰されている。

↓徳道上人御廟
法起院19・徳道上人御廟.jpg

↓多羅葉樹(ハガキの木)
法起院21・多羅葉樹(ハガキの木).jpg
↑モチノキ科の常緑高木。

↓徳道上人御廟の十三重石塔
法起院22・御廟十三重石塔.jpg
↑周辺に西国三十三霊場のお砂踏み場があります。

※この後は、周辺の神社に行きました。この記事は次回アップします。

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◎SMAP解散騒動報道

私の家族は、SMAPファンですので、これからの動向を静観します。
http://www.asahi.com/articles/ASJ1F5KG7J1FUTIL02L.html
http://www.asahi.com/articles/ASJ1F4CXHJ1FUCLV00P.html?iref=com_rnavi_arank_nr01


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長谷寺Ⅴ(奥の院~本坊)、ミスユニバースはフィリッピン [西国三十三]

12月23日(水)      いよいよ長谷寺の記事の最終回です。

◎長谷寺

↓奥の院へ行く道
長谷寺63・奥の院へ.jpg

↓歴代能化墓所
長谷寺64・歴代能化墓所.jpg
↓説明板
長谷寺65・歴代能化墓所説明板.jpg

↓興教大師祖師堂
長谷寺66・興教大師祖師堂.jpg
興教大師】Wikiより
生誕の藤津庄が京都仁和寺領であったため、13歳で仁和寺成就院へ入り、寛助のもとで学び、16歳で得度・出家。20歳で東大寺戒壇院で受戒し、名を覚鑁と改める。その後、高野山へ入り、青蓮・明寂のもとで学ぶ。古式な真言宗の伝法の悉くを35歳の若さで灌頂し、空海(弘法大師)以来の才と称された。
36歳の覚鑁は、真言宗総本山である高野山の現状に眼を止める。当時の高野山には、僧侶は食べる手段と割り切った信心の薄い下僧と、権力に眼を眩ませる上僧が跋扈する有り様であり、真言宗が腐敗衰退した現状を嘆いた覚鑁は自ら宗派の建て直しに打って出る。
高野山金剛峯寺に大伝法院を建立し座主に就任したのを皮切りに、金剛峯寺座主にも兼ねて就任し事実上同山の主導権を制し、真言宗の建て直しを図るが、当然この強硬策に反発した上下の僧派閥は覚鑁と激しく対立、遂に保延6年(1140年)に、覚鑁の自所であった金剛峯寺境内の密厳院を急襲してこれを焼き払い、さらに金剛峯寺追放を行った。
この時覚鑁の命を狙った刺客が、密厳院本尊の不動明王像の背後に覚鑁が潜んでいると判断し同像を切りつけたところ、像から血が流れたのを見て驚愕して引き上げ、覚鑁は辛くも一命を取り留めたという、有名な「きりもみ不動」伝説が生まれた。
この凶行に至る前に、覚鑁は権力の亡者と化した真言宗門徒の有り様を嘆き、密厳院において長期に渡る無言行を修し、直後に『密厳院発露懺悔文』を一気に書き上げる。堕落した僧界の現状を恥じる赤裸々な内容が壮絶な同経文は、「我皆相代わって悉く懺悔したてまつる、更にまたその報いを受けしめたまわざれ」という贖罪の決意を明らかにした末文も相まって、現在も真言宗各派において宗教家の自覚を促し自戒する経文として広く唱えられる。
高野山を追われた覚鑁は、弟子一派と共に根来山(ねごろさん)に移り、根来寺を建立、大伝法院や密厳院を移し、真言宗の正しい有り方を説き独自の教義を展開する。
康治2年(1143年)の覚鑁の入滅後、根来寺奥之院の霊廟に埋葬され、弟子たちは高野山へ戻るも既に金剛峯寺との確執は深く、再び根来山に戻り頼瑜を中心として覚鑁の教学・解釈を基礎とした「新義真言宗」を発展させていく。
後に根来山は豊臣秀吉との確執の末に討伐を受け壊滅、生き延びた一部の僧たちは奈良や京都へ逃れ長谷寺(豊山)や智積院において新義真言宗の教義を根付かせ、現在の新義真言宗(根来寺派)、真言宗豊山派、智山派の基礎となった。


↓陀羅尼堂(菩提院)
長谷寺67・陀羅尼堂.jpg
↑長谷寺の塔頭。正堂(興教大師堂)、礼堂(陀羅尼堂)を併せ菩提院と称する。

↓奥の院付近の紅葉
長谷寺68・奥の院付近の紅葉.jpg

↓本願院(開山坊)
長谷寺69・本願院.jpg
長谷寺72・本願院.jpg
↑奈良時代の神亀年間の創建にして聖武天皇の勅願時で、観音堂別当であった本願徳道上人が隠栖された場所です。室町時代後期の1533年(天文2年)に秀海上人が再建しました。

↓御守授与所
長谷寺70・御守授与所.jpg

↓開山堂
長谷寺71・開山堂.jpg
↑長谷寺開山・徳道上人を祀る。併せて西国三十三所各霊場の御本尊様をお祀りしています。

↓香港居士林(研修道場)
長谷寺73・香港居士林.jpg

↓六角堂(写経殿)
長谷寺74・六角堂.jpg
長谷寺75・六角堂.jpg

↓本坊へ通じる道
長谷寺76・本坊へ.jpg

↓閼伽井
長谷寺77・閼伽井.jpg
↑閼伽井(あかい)は、灌頂(かんじょう)などの真言宗での重要な儀式法要に用いる清浄な水(閼伽)を汲むための井戸です。

↓本坊の表門(中雀門)より望む
長谷寺78・本坊.jpg

★本坊 (重文)
事相・教相の根本道場である大講堂や書院などがある。寛文7年(1667)徳川将軍の寄進で建立されたが、明治44年(1911)炎上。現在の堂宇は大正13年(1924)に再建されました。総檜造りの大殿堂で、平成26年12月10日重要文化財に登録された。

本坊8棟≪大講堂、大玄関、庫裏、奥書院、小書院、護摩堂、唐門及び回廊(勅使門)、中雀門、土蔵(灌頂蔵)≫附 設計図面122枚
 大講堂「大正8年(1919)、設計天沼俊一」、大玄関及び庫裏「大正12年、設計岸熊吉」、奥書院「大正9年、設計阪谷良之進」、小書院「大正12年、設計阪谷良之進」、護摩堂「大正12年、設計岸熊吉」、唐門及び回廊「大正13年、設計岸熊吉」、中雀門「明和3年(1766)」、土蔵「明治時代」

 焼失前の構成や形式を部分的に継承しながらも、配置や平面の計画、空間構成の要所に近代らしい合理性が導入されています
 高度に完成された近代和風建築として高く価値されています。

↓大講堂、書院、大玄関
長谷寺79・大講堂、本坊.jpg

↓書院、事務所、庫裏
長谷寺80・事務所.jpg

↓皇室お手植えの松
長谷寺81・皇室お手植え松.jpg

↓本坊より本堂を望む
長谷寺82・本堂を望む.jpg

↓冬牡丹
長谷寺83・冬牡丹.jpg

【長谷寺のブログ記事一覧】
1.長谷寺Ⅰ(総受付~仁王門):2015年12月19日掲載
2.長谷寺Ⅱ(登廊、長谷六坊):2015年12月20日掲載
3.長谷寺Ⅲ(愛染堂、能満院、鐘楼):2015年12月21日掲載
4.長谷寺Ⅳ(本堂~納骨堂):2015年12月22日掲載
5.長谷寺Ⅴ(奥の院~本坊):2015年12月23日掲載

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◎ミスユニバースの発表ハプニング

米ラスベガスで20日開かれたミス・ユニバース世界大会で、司会者が優勝者の発表を間違えるハプニングがあった。本当の優勝者はフィリピン代表だったが、誤ってコロンビア代表と発表。コロンビア代表の頭に一度輝いた王冠が外され、フィリピン代表に贈られた。



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長谷寺Ⅳ(本堂~納骨堂)、Jリーグアウォーズ青山敏弘が4冠 [西国三十三]

12月22日(火)      今日は「冬至」です。一年で一番日(昼間)が短い時です。今年は暖冬で暖かい冬ですが、週末からは本格的な寒さが訪れるそうです。「冬至」には、「かぼちゃ」を食べて「柚子湯」に入ると昔から云われていますが、我家もそれを踏襲しています。
「冬至」についての詳述は、こちらのサイトをご覧ください。     

さて、長谷寺の記事の続きです。(12月6日撮影)

◎長谷寺 (奈良県桜井市)
長谷寺88・地図.jpg

★本堂 (Wikiより)
本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(かけづくり、舞台造とも)になっている。本堂は奈良時代の創建後、室町時代の天文5年(1536年)までに計7回焼失している。7回目の焼失後、本尊十一面観音像は天正7年(1538年)に再興(現存・8代目)。本堂は豊臣秀長の援助で再建に着手し、天正16年(1588年)に新しい堂が竣工した。ただし、現存する本堂はこの天正再興時のものではなく、その後さらに建て替えられたものである。

現存の本堂は、徳川家光の寄進を得て、正保2年(1645年)から工事に取り掛かり、5年後の慶安3年(1650年)に落慶したものである。同年6月に記された棟札によると、大工中井大和守を中心とする大工集団による施工であった。天正再興時の本堂は、元和4年(1618年)には雨漏りの生じていたことが記録されているが、わずか数十年後に修理ではなく全面再建とした理由は明らかでなく、背景に何らかの社会的意図があったとの指摘もある。高さ10メートル以上ある本尊・十一面観音像は、前述のとおり、天文7年に完成しており、慶安3年の新本堂建設工事は本尊を原位置から移動せずに行われた。そのため、本堂は内陣の中にさらに内々陣(本尊を安置)がある複雑な構成となっており、内々陣は巨大な厨子の役目をしている。

本堂は傾斜地に南を正面として建つ。平面構成・屋根構成とも複雑だが、おおまかには本尊を安置する正堂(奥)、参詣者のための空間である礼堂(手前)、これら両者をつなぐ相の間の3部分からなる。全体の平面規模は間口25.9メートル、奥行27.1メートル。正堂は一重裳階付き。構造的には間口7間、奥行4間、入母屋造平入りの身舎の前面と両側面に1間幅の裳階をめぐらせた形になり、全体としては9間×5間となる(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する。以下の文中においても同様)。礼堂部分は入母屋造妻入り、間口9間、奥行4間で、このうち奥の間口9間、奥行1間分を相の間とする。礼堂の棟と正堂の棟はT字形に直交し、礼堂正面側には入母屋屋根の妻を大きく見せる。礼堂の屋根は側面では正堂の裳階の屋根と一体化している。礼堂の左右側面にはそれぞれ千鳥破風を付し、屋根構成をさらに複雑にしている。礼堂の前半部分は床下に柱を組み、崖面に迫り出した懸造とし、前方に舞台を張り出す。屋根はすべて本瓦葺き。組物は正堂身舎が出組(一手先)、正堂裳階と礼堂は三斗とする。

礼堂は床は板敷き、天井は化粧屋根裏(天井板を張らず、構成材をそのまま見せる)とし、奥2間分は中央部分を高めた切妻屋根形の化粧屋根裏とする。相の間は一段低い石敷きで、化粧屋根裏とする。正堂の平面構成は複雑だが、おおむね手前の奥行1間分を外陣、その奥を内陣とする。外陣は板敷きで、天井は中央を化粧屋根裏、左右を格天井とする。その奥は中央の間口5間、奥行4間を内陣とし、その東西の各間口2間分は、東を宰堂室、西を集会所等とする。内陣は石敷き、格天井とし、その中央の二間四方を本尊を安置する内々陣とする。内々陣部分には切妻屋根が架かり、独立した構造となっている。

本堂は近世前半の大規模本堂の代表作として、2004年12月、国宝に指定された。棟札2枚、平瓦1枚(慶安元年銘)、造営文書・図面等3件が国宝の附(つけたり)指定となっている。

↓本堂(国宝)
長谷寺47.本堂.jpg
↑現在の本堂は8代目で、徳川家光の寄進を得て、慶安3年(1650)の竣工。

★本尊
長谷寺90・本尊十一面観音.jpg
↑長谷寺の本尊像については、神亀年間(720年代)、近隣の初瀬川に流れ着いた巨大な神木が大いなる祟りを呼び、恐怖した村人の懇願を受けて開祖徳道が祟りの根源である神木を観音菩薩像に作り替え、これを近くの初瀬山に祀ったという長谷寺開山の伝承がある。伝承の真偽はともかく、当初像は「神木」等、何らかのいわれのある木材を用いて刻まれたものと思われる。現在の本尊像は天文7年(1538年)の再興。仏像彫刻衰退期の室町時代の作品だが、10メートルを超える巨像を破綻なくまとめている。国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものである。本像は通常の十一面観音像と異なり、右手には数珠とともに、地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、方形の磐石の上に立つ姿である(左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持つ)。伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく、自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式である。この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称する。(以上Wikiより)

↓本堂の外陣
長谷寺52・本堂外陣.jpg

↓本堂から外部の眺望
長谷寺54・本堂から.jpg
長谷寺51・本堂から.jpg
↑本堂外舞台は本年8月3日から12月末日まで保存修理が行われていて、立ち入りできませんでした。

↓大黒堂(結縁財宝の大黒天)
長谷寺53・大黒堂.jpg
↑大和七福神八宝霊場の一所。尊像は弘法大師の御作と伝わる。

↓御供所
長谷寺55・御供所.jpg

↓弘法大師御影堂
長谷寺56・弘法大師御影堂.jpg
↑宗祖弘法大師御入定1150年御遠忌を記念して、その御徳を偲び昭和59年建立。

↓一切経蔵
長谷寺57・一切経蔵.jpg
↑永禄4年(1561)牧野備後守成貞が再建。納むる唐本一切経は寛文7年、水野石見守忠貞の寄進。

↓本長谷寺
長谷寺58・本長谷寺.jpg
↑天武天皇御悩平癒のため朱鳥元年(686)道明上人ここに精舎を建立し、千佛多宝塔銅盤(国宝)を鋳造して祀る。これ長谷寺の草創なるを以て本長谷寺と称す。(銅盤は宗宝蔵に安置)復元複製がここに安置されています。
↓千佛多宝塔銅盤の復元複製
長谷寺89・銅盤複製.jpg

↓五重塔
長谷寺59・五重塔.jpg
↑昭和29年戦争殉難者檀信徒慰霊及び世界平和を祈願して建立。平成元年秋、興教大師850年御遠忌記念に五重宝塔の大修理が行われた。桧皮葺の屋根と朱色が鮮やかで、高さは約27m。内陣には大日如来(通常非公開)が安置されています。

↓三重塔跡
長谷寺60・三重塔跡.jpg
↑慶長年間豊臣秀頼公により再建されたが、明治9年3月祝融の災にかかり現在は礎石のみを残す。

↓歴代能化墓所
長谷寺61・歴代能化墓所.jpg

↓納骨堂
長谷寺62・納骨堂.jpg
↑地蔵菩薩を本尊に有縁の御霊を祀り永代の供養を行うお堂。

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◎水球32年ぶり五輪出場

来年のリオデジャネイロ五輪予選を兼ねた水球のアジア選手権最終日は20日、中国の仏山で行われ、5カ国で争った男子は日本が中国との3戦全勝同士の対戦に16―10で勝ち、1984年のロサンゼルス大会以来、32年ぶりとなる五輪出場権を獲得した。

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◎2015年Jリーグアウォーズ

12月21日「Jリーグアウォーズ」が行われ、2015シーズンのJリーグ最優秀ゴール賞が発表され、サンフレッチェ広島の青山敏弘が選出された。
2015年6月27日の1stステージ第17節サガン鳥栖戦の60分に決めたシュートが選ばれた。

青山はベストイレブンおよび最優秀選手、チャンピオンシップのMVPにも選出されており、個人4冠達成となった。


GKは浦和レッズの西川周作が4年連続の受賞。

DFはFC東京の太田宏介と森重真人、優勝したサンフレッチェ広島の塩谷司と昨季と同じ3選手に加えて、浦和の槙野智章が選ばれた。

MFは広島の主将を務める青山敏弘や歴代最多12度目の受賞となるガンバ大阪の遠藤保仁、鹿島アントラーズの金崎夢生が選出された。

FWは、23ゴールで3年連続の得点王となった川崎フロンターレの大久保嘉人、G大阪の宇佐美貴史と広島のドウグラスの3選手が選ばれた。

今季のベストイレブンは、以下のとおり。

▼GK
西川周作(4年連続4度目)

▼DF
槙野智章(5年ぶり2度目)
太田宏介(2年連続2度目)
森重真人(3年連続3度目)
塩谷司(2年連続2度目)

▼MF
金崎夢生(初選出)
遠藤保仁(2年連続12度目)
青山敏弘(2年ぶり3度目)

▼FW
大久保嘉人(3年連続3度目)
宇佐美貴史(2年連続2度目)
ドウグラス(初選出)

▽最優秀選手賞(MVP) 青山敏弘(広島)

▽得点王 大久保嘉人(川崎)

▽ベストヤングプレーヤー賞 浅野拓磨(広島)

▽最優秀ゴール賞 青山敏弘(広島)

▽フェアプレー賞・高円宮杯 広島

▽フェアプレー賞 J1 甲府、横浜M、松本、G大阪、鳥栖、川崎、山形▽J2 金沢、北九州、徳島、愛媛、岡山▽J3 盛岡、秋田、長野

▽フェアプレー個人賞 谷口彰悟(川崎)中沢佑二(横浜M)

▽最優秀監督賞 森保一(広島)

▽最優秀主審賞 西村雄一

▽最優秀副審賞 相楽亨

▽Jリーグ・ベストピッチ賞 デンカビッグスワンスタジアム、豊田スタジアム、IAIスタジアム日本平、北九州市本城陸上競技場

▽功労選手賞 新井場徹、中田浩二、藤本主税、宮本恒靖、柳沢敦

▽最優秀育成クラブ賞 清水

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長谷寺Ⅲ(奈良県桜井市)、クラブW杯バルセロナ世界一・広島3位 [西国三十三]

12月21日(月)     昨日は、ドイツ駐在の弟が一時帰国して、所属しているコイノニア福音教会のクリスマスイベントの聖歌隊に参加しましたので、芦屋のルナホールまで出掛けました。この様子は、後日アップいたします。

 さて、長谷寺の記事の続きです。
◎長谷寺

↓登廊を登り切った所にある鐘楼(重文)と本堂(国宝)
長谷寺37・鐘楼、本堂.jpg
↑鐘楼は高所に梵鐘があることから「尾上の鐘」とも称されます。梵鐘には文亀元年(1501)の銘あり。

↓愛染堂
長谷寺38・愛染堂.jpg
↑本尊は愛染明王、天正16年(1588)観海上人が建立。

↓三社権現(滝蔵三社)
長谷寺39・三社権現.jpg
↑天平5年聖武帝の勅命により徳道上人が創建、慶安3年(1650)三代将軍家光公が再建。
東社:石蔵権現(地蔵菩薩)。中社:滝蔵権現(虚空蔵菩薩)。西社:新宮権現(薬師如来)。

↓休憩所から納経所・鐘楼・本堂を望む
長谷寺40・休憩所より納経所を.jpg

↓日限地蔵方面へ
長谷寺41・日限地蔵方面へ.jpg

↓能満院
長谷寺42・能満院.jpg
↑)「長谷寺」の塔頭。元は、総本山長谷寺の仏堂の一つでした。正徳3年(1713)に林諦房宥仲(りんたいぼうゆうちゅう)と全雅房寛海(ぜんがぼう かんかい)により創建、求聞持堂(ぐもんじどう)と称されていましたが、衰退、文化7年(1810)に長谷寺第38世能化・即同により再建、その後、能満院中興一世・海如により地蔵堂が建立されました。
本尊;日限地蔵尊

↓不動明王
長谷寺43・不動明王.jpg

↓日限地蔵尊
長谷寺44・日限地蔵尊.jpg

↓日限地蔵から本堂方面を望む
長谷寺45・日限地蔵から本堂方面.jpg

↓納経所
長谷寺46・納経所.jpg

↓御朱印
長谷寺84・御朱印.jpg

↓大伴坂上郎女歌碑(昭和47年建立)
長谷寺48・大伴坂上郎女歌碑.jpg
↑「こもりくの  泊はつ瀬せの山は 色付きぬ しぐれの雨は 降りにけらしも」

↓松尾芭蕉句碑
長谷寺49・松尾芭蕉句碑.jpg
↑「春の夜や 籠り人床し 堂のすみ」

↓本堂前の手水舎
長谷寺50・本堂前手水舎.jpg

※長谷寺には歌碑や句碑が多くあり、巡るのも一つの楽しみ方です。長谷寺の記事は、まだまだ次回以降に続きます。

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◎サッカー・クラブW杯、バルセロナ優勝、広島は3位

↓(朝日新聞デジタルより)
サッカーのクラブ世界一を決めるクラブワールドカップ最終日は20日、横浜・日産スタジアムで決勝などがあり、欧州代表のバルセロナ(スペイン)が南米代表のリバープレート(アルゼンチン)を3―0で下して4年ぶり3度目の優勝を遂げた。欧州代表は大会3連覇となる。
 バルセロナは準決勝を欠場したメッシが前半36分に先制点。後半も好機を作り続け、スアレスが2点を加えた。
↓メッシの得点シーン
サッカー・メッシ.jpg

 3位決定戦では、J1王者で開催国代表の広島が2―1でアジア代表の広州恒大(中国)に逆転勝ちし、初の3位に入った。途中出場のドウグラスが後半に2点を奪った。日本勢としては2007年の浦和、08年のガ大阪に並ぶ3チーム目の3位となる。



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長谷寺Ⅱ(奈良県桜井市)、オバマ大統領のベスト10 [西国三十三]

12月20日(日)     昨日は、「はな」のワクチン接種のため、かかりつけの動物病院へ行ってきました。動物病院の待合室には、犬や猫を連れたお客さん?が沢山待っていました。「はな」はワクチン注射だけですので、5分で済みましたが、病気のペット連れのお客様は、長時間かかっていました。
「はな」のワクチン注射には、ペット保険の適用外であり、人間のような健康保険制度もないので、7,560円支払いました。

さて、長谷寺の記事の続きです。仁王門をくぐって、登廊を上がりました。
◎長谷寺Ⅱ
長谷寺86・地図.jpg

↓登廊(のぼりろう)重文
長谷寺20・登廊.jpg
↑本堂とともに長谷寺の象徴。全長約200mの屋根付きの階段で399の石段が連なっています。上・中・下の三廊からなり、天井には「長谷式」といわれる風雅な丸い燈籠がつるされています。登廊は長谷寺創建時からあったのではなく、長暦3年(1039)に春日大社の社司・中臣信清が子供の病気平癒のお礼につくったといわれています。石段の左右には、約150種7000株の春のボタンをはじめとする四季折々の花が咲き誇ります。冬の時期はほとんど花は見られませんでしたね。明治27年再建。

↓道明上人御廟塔
長谷寺21・道明上人御廟塔.jpg
↑仁王門をくぐり登廊(下登廊)に入って直ぐ右側にある七重石塔です。道明上人は、寺伝によれば初瀬山の西の丘(現在の本長谷寺のある場所)に三重塔を建立し、長谷寺を開基したとされる人物。

↓歓喜院(かんぎいん)
長谷寺22・歓喜院.jpg
長谷寺23・歓喜院.jpg
↑当山六坊の一院、元禄14年(1701)当山第14世英岳僧正により再建、近年参籠所を併設して改装。

↓清浄院、宗宝蔵(じょうじょういん)
長谷寺24.清浄院、宗宝蔵.jpg
↑清浄院は当山六坊の一院、もと十輪院と呼び、天和2年(1682)真譽法印が慈心院として再興、明治に清浄院と改称、宗宝蔵はその跡地に建つ。

↓宗宝蔵
長谷寺25・宗宝蔵.jpg
↑春と秋に開扉して長谷寺に伝わる国宝・重要文化財等の宝物を公開している。

↓梅心院(ばいしんいん)
長谷寺26・梅心院.jpg
↑当山六坊の一院、慶長のはじめ(1603年頃)徳川家康公当山に参詣の砌り命じて建立。

↓慈眼院(じげんいん)
長谷寺27・慈眼院.jpg
↑当山六坊の一院、寛文5年(1665)当山第8世快壽僧正により建立。

↓月輪院(がちりんいん)
長谷寺28・月輪院.jpg
↑当山六坊の一院。

↓登廊を横から見下ろす
長谷寺29・登廊を横から.jpg

↓金蓮院(写真を撮るのを失念したので、サイトより借用)
長谷寺87・金蓮院.jpg
↑当山六坊の一院。

↓繫屋(重文)
長谷寺30・繋屋.jpg

↓手水舎
長谷寺31・手水舎.jpg

↓蔵王堂(ざおうどう)重文
長谷寺32・蔵王堂.jpg
↑天正5年(1577)創建、蔵王権現を祀る、慶安3年(1650)徳川家光公の命により再建。

↓紀貫之の故里の梅
長谷寺33・紀貫之の故里の梅.jpg
↑「人はいさ 心も知らず故里の 花ぞ昔の 香ににほひける」
右側にある社は、西行法師が妻となった尼僧との再会の場である「縁結びの社」。

↓小林一茶句碑
長谷寺34・小林一茶句碑.jpg
↑「此裡に 春をむかへて 我もけさ 清僧の部也 梅の花」寛政10年(1798)元旦、詠まれた俳句。

↓左から、馬頭夫人社、八幡宮、住吉宮
長谷寺35・馬頭夫人社、八幡宮、住吉宮.jpg

↓三百余社(重文)
長谷寺36・三百余社.jpg
↑鐘楼の左手前に位置する祠です。江戸時代前期の1650年(慶安3年)に造られた一間社春日造、銅板葺きの建物となっています。

※やっと、399段の登廊を登り終えて、本堂前の境内に辿り着きました。次回に続きます。

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◎オバマ大統領が選ぶ10大ニュース

2015年オバマ米大統領のベスト10
1.米国人の団結
2.同性婚の合法化
3.2016会計年度予算法案の成立
4.環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)
5.イスラム国(IS)掃討作戦
6.イラン核合意
7.キューバとの国交回復
8.気候変動問題
9.医療保険制度改革(オバマケア)
10.経済成長、雇用創出



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長谷寺Ⅰ(奈良県桜井市)、日本スポーツ賞 [西国三十三]

12月19日(土)       12月6日、西国三十三箇所第8番札所で、「花の御寺」と呼ばれている、長谷寺へ行ってきました。見所が沢山ある寺院ですので、数回に分けてアップします。

この寺院へのペット(犬)の入山について事前に問い合わせました。ペット入山は出来ますが、終始抱っこすることが条件です。超小型犬以外は事実上ダメと一緒ですね。
したがって、「はな」ちゃんと妻は町並みを散歩して、私だけ入山してきました。(所要時間1時間10分)
(駐車場代500円:時間無制限)

◎長谷寺 (はせでら)
住所:奈良県桜井市初瀬731-1
電話:0744-47-7001
http://www.hasedera.or.jp
山号:豊山(ぶざん)。宗派:真言宗豊山派。寺格:総本山。本尊:十一面観音(重文)
創建:奈良時代、神亀4年(727)。開基:道明上人。開山:徳道上人
正式名:豊山 神楽院 長谷寺。別称:花の御寺
札所:西国三十三所8番、真言宗十八本山16番、神仏霊場巡拝の道第35番

【由緒・歴史】Wikiより
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したというが、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。承和14年(847年)12月21日に定額寺に列せられ、天安2年(858年)5月10日に三綱が置かれたことが記され、長谷寺もこの時期に官寺と認定されて別当が設置されたとみられている。なお、貞観12年(870年)に諸寺の別当・三綱は太政官の解由(審査)の対象になることが定められ、長谷寺も他の官寺とともに朝廷(太政官)の統制下に置かれた。それを裏付けるように10世紀以後の長谷寺再建に際しては諸国に対しては国宛を、諸寺に対しては落慶供養参加を命じられるなど、国家的事業として位置づけられている。

長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。

長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺 であったが、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり、16世紀以降は覚鑁(興教大師)によって興され僧正頼瑜により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。天正16年(1588年)、豊臣秀吉により根来山(根来寺)を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により現在の真言宗豊山派が大成された。近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており、学問寺としての性格を強めている。

長谷寺1・地図.jpg

↓参道入口
長谷寺2・参道入口.jpg

↓総受付
長谷寺3・総受付.jpg
↑参拝者の休憩所として使われ、山内の火事除けのための「秋葉権現」を祀っている。

↓普門院
長谷寺4・普門院表門.jpg
長谷寺5・普門院.jpg
↑長谷寺の塔頭の一つ。

↓普門院不動堂
長谷寺6・普門院不動堂.jpg
長谷寺8・普門院不動堂.jpg
↓説明板
長谷寺7・不動堂説明板.jpg

↓阿波野青畝の句碑「今日の月 長いすすきを 生けにけり」平成12年6月11日建立
長谷寺9・阿波野青畝の句碑.jpg

↓御詠歌碑
長谷寺10・御詠歌碑.jpg

↓手水所
長谷寺11・手水所.jpg

↓高浜虚子の句碑「花の寺 末寺一念 三千寺」
長谷寺12・高浜虚子句碑.jpg

↓和讃碑
長谷寺13・和讃碑.jpg

↓入山受付と仁王門
長谷寺14・仁王門と入山受付.jpg
↑長谷寺の総門。入母屋造。本瓦葺の三門一戸の楼門。平安時代に建立されたが、その後何度も焼失した。現在の仁王門は明治15年に焼失、明治18年(1885)に再建されたもの。明治22年に再建された登廊・繋屋とともに重要文化財に指定されている。
入山料500円払って、入山しました。

↓修復前の仁王門(サイトより借用)
長谷寺85・仁王門.jpg

↓工事中の仁王門の工事足場
長谷寺15・工事中の仁王門の足場.jpg
↑仁王門の保存修理工事期間は、平成27年11月から平成29年3月まで。

↓縁起板
長谷寺16・縁起.jpg

↓仁王門から登廊を望む
長谷寺17・仁王門から登廊を望む.jpg

↓仁王像
長谷寺18・仁王像.jpg長谷寺19・仁王像.jpg
↑楼上に釈迦三尊十六羅漢像(非公開)を安置、額字は後陽成天皇の御宸筆。

※ここから登廊を上がります。次回に続きます。

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◎第65回日本スポーツ賞、大賞は伊調馨
↓(読売新聞オンラインより)
今年のスポーツ界で最も活躍した選手、チームを表彰する第65回日本スポーツ賞(読売新聞社制定)の選考委員会が17日、東京・大手町の読売新聞東京本社で開かれ、グランプリ(大賞)に、レスリング世界選手権女子58キロ級で優勝し、五輪と合わせ通算13度目の世界一となった伊調馨かおり選手(31)(ALSOK)が選出された。
 伊調選手には奨励金として200万円、日本レスリング協会には300万円が贈られる。
 ラグビーワールドカップで強豪南アフリカを破った日本代表と、体操の世界選手権男子団体総合で37年ぶりに優勝した日本代表が特別賞に決まった。水泳の世界選手権女子200メートル平泳ぎで優勝した渡部わたなべ香生子かなこ選手(19)(JSS立石)が奨励賞。

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観音寺Ⅱ(京都市東山区)、 チャンピオンズカップ史上初牝馬制す [西国三十三]

12月7日(月)      観音寺(今熊野観音寺)の続きの記事です。

◎観音寺(今熊野観音寺)
観音寺5・境内図拡大.jpg

↓本堂の外陣
観音寺17・本堂外陣.jpg
観音寺18・本堂外陣.jpg

↓本堂の内陣
観音寺19・本堂内陣.jpg
↑本尊は、弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)。
体内仏として熊野権現より授かった、天照大神の御作の十一面観世音菩薩(身丈・一寸八分)が祀られています。
本尊は秘仏とされていて直接拝むことはできません。しかし代わりに同じお姿をされた御前立さまが立たれています。
脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天です。
そのほかこの本堂には、大聖歓喜天(聖天)、薬師如来、准胝観音、三面大黒天などのほか、京都七福神の祭祀として恵比須神をお祀りしています。

↓五智の井
観音寺21・五智の井.jpg
↑弘法大師が当山を開かれるときに錫杖をもって岩根をうがたれて湧き出した水が五智水です。その五智水が井戸水として湧き出しているのが、この「五智の井」です。今なお清涼なる清水が湧き出しています。

↓ぼけ封じ観音
観音寺22・ぼけ封じ観音.jpg
↑大師堂の前に立たれる観音さまが、「ぼけ封じ観音」です。私たちを取り巻く心や身体のぼけを取り除いてくださる観音さまです。台座付近には、お身代りの石仏が沢山奉納されています。

↓大師堂
観音寺23・大師堂.jpg
↑当山を開創された弘法大師をお祀りしているお堂です。東山大師と呼ばれ、大師信仰の方々のお詣りが絶えません。 不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像もお祀りされています。

↓今熊野西国霊場
観音寺24・西国霊場.jpg
観音寺25・西国霊場.jpg
↑鐘楼横から五智水を経て、山上の医聖堂に到るまでの参道(山道)に、西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として奉安し、皆様に巡拝して戴けるよう祭祀されたものが「今熊野西国霊場」です。第一番より、山上の第三十三番まで続いています。

↓金龍弁財天
観音寺26・金龍弁財天.jpg
↑当山の池の近くにて金色の巳(蛇の神)が姿を現され、そこでお祀りされたのがこの「金龍弁財天」です。

↓稲荷社
観音寺28・稲荷社.jpg
↑当山の鎮守社として二社あるうちの一つが「稲荷社」です。稲荷明神をお祀りしています。大師堂の南側に位置し、「熊野権現社」とならんで鎮座されています。
稲荷明神は、京都伏見に鎮座され、日本全国の各地に奉祀される穀稲食貨の神です。
稲荷明神と弘法大師との関係はきわめて密接です。大師は東寺の門前に於いて稲を負いたる老人に逢い、これを祀って東寺の鎮守とされました。稲をになっておられたところから稲荷と呼ばれるようになったと言われています。
このゆえに真言宗では稲荷明神を大切にし、また各寺院において鎮守として盛んに奉祀されています。

↓熊野権現社
観音寺27・熊野権現社.jpg
↑当山の鎮守社として「稲荷社」とならんで鎮座されますのが、「熊野権現社」です。
平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、山中の光明にひかれてこの地に来られ、そこで熊野権現と会われました。大師に一寸八分の観世音を授けられ、また永くこの地の守護神になると約されたと伝えられています。

↓鐘楼
観音寺29・鐘楼.jpg
↑鎮守社の南側に、この「鐘楼」があります。この梵鐘の鋳造は古いのですが、太平洋戦争のときに供出されました。しかし観音様のご加護によって元のままの姿で残されており、不思議なえにしにより現在の位置にもどりました。昭和21年10月13日の修理された日付が入っています。

↓霊光殿
観音寺30・霊光殿.jpg
↑「霊光殿(れいこうでん)」当山檀信徒のための納骨堂です。台座の上には阿弥陀如来が鎮座されています。

↓医聖堂
観音寺33・医聖堂.jpg
↑本堂東側の山上にひときわ高くそびえ立つ平安様式の多宝塔です。 医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立致しました。
この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。

↓三重石塔(当山創建時・平安様式)
観音寺31・三重石塔.jpg

↓茶所からの紅葉
観音寺32・茶所からの紅葉.jpg

↓大師堂の裏側の紅葉
観音寺34・大師堂裏の紅葉.jpg

※観音寺の参拝後、泉涌寺の塔頭等を少しだけ回りましたので、後日アップいたします。

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◎マカウ福岡国際マラソン2連覇

第69回福岡国際マラソン選手権大会(日本陸上競技連盟、朝日新聞社、テレビ朝日、九州朝日放送主催、マイナビ、NEC協賛)は6日、来年のリオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねて福岡・平和台陸上競技場発着のコースで開催され、元世界記録保持者のパトリック・マカウ(ケニア)が2時間8分18秒で2年連続2度目の優勝を果たした。2位はゲトゥ・フェレケ(エチオピア)。日本勢は一般参加の佐々木悟(旭化成)が2時間8分56秒で3位に食い込んだ。川内優輝は8位に終わった。

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◎チャンピオンズカップ、12番人気の牝馬サンビスタが制す

6日の中京11Rで行われた第16回チャンピオンズカップ(3歳上オープン、GI、ダート1800メートル、16頭立て、1着賞金=9400万円)は、ミルコ・デムーロ騎手騎乗の12番人気サンビスタ(牝6歳、栗東・角居勝彦厩舎)が直線鮮やかに抜け出してV。レース史上初めて牝馬による勝利となった。タイムは1分50秒4(良)。

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観音寺Ⅰ(京都市東山区)、広島J1制覇 [西国三十三]

12月6日(日)     本日は、西国三十三箇所第8番札所の長谷寺へ行く予定です。この様子は、後日アップいたします。

さて今回は、11月22日に参拝した西国三十三箇所第15番札所「観音寺」の記事です。

◎観音寺(今熊野観音寺)
住所:京都市東山区泉涌寺山内
電話:075-561-5511
山号:新那智山。宗派:真言宗泉涌寺派。
寺格:泉涌寺塔頭。本尊:十一面観音(秘仏)
創建:(伝)大同年間(806-810)。開基:(伝)弘法大師
別称:今熊野観音寺
札所等:西国三十三所第15番、神仏霊場会122番(京都42番)、近畿十楽観音1番
     洛陽三十三観音19番、泉山七福神巡り(えびす)
http://www.kannon.jp/enkaku/index.html

観音寺は、初め東山観音寺と称したが、後白河上皇が永暦元年(1160)、新熊野社を勧請創建された際、改めて新那智山の山号を寄せられ、今熊野観音寺と称することになったという。
 斉衡2年(855)創立の法輪寺のあとともいわれるが、後白河上皇以来の御尊祟は甚だ篤い。寺伝で弘法大師の作といわれる本尊十一面観音像は、脇士不動明王、毘沙門天像とともに篤い信仰をあつめ、参詣者は絶えることのない賑わいをみせている。
 正徳3年(1713)12月、当寺中興宗恕祖元律師によって本堂の再興がなり現在に至っている。

観音寺36・泉涌寺境内図.gif

観音寺の駐車場は満車の表示であったので、泉涌寺の大門前の駐車場(無料)へ入れました。

↓泉涌寺の参道から、観音寺へ入る入口
観音寺1・入口.jpg

↓鳥居橋
観音寺2・鳥居橋.jpg
観音寺3・鳥居橋.jpg
↑観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川を今熊野川といい、その川を越えるのが鳥居橋です。古くからこの地には熊野権現社が鎮まっていたので、橋の名前の由来となったと云われています。

↓境内図
観音寺4・境内図.jpg

↓由来の駒札
観音寺6・由来の駒札.jpg

↓参道
観音寺7・参道.jpg

↓境内への入口
観音寺8.jpg

↓大講堂前の駐車場
観音寺9・大講堂前の駐車場.jpg

↓大講堂
観音寺10・大講堂.jpg
↑三階建の美しい建物。冷暖房やエレベーターを完備した近代的施設で、おもに当山で行われる法要・行事や、檀信徒の方々の法事などの際に使用されます。

↓大講堂に向って立つ「武見太郎之像」
観音寺11・武見太郎之像.jpg

↓茶所
観音寺35・茶所.jpg
↑当山の法要・行事の際に、しばしの間、休憩するための施設。

↓子護大師
観音寺12・子護大師.jpg
観音寺13・子護大師.jpg
↑大切な子供達を護り育んで下さるのが、このお大師さま「子護弘法大師」です。

↓石段を上がると、地蔵堂の前の広場に赤い毛氈の縁台が設けられております。
観音寺14・地蔵堂前.jpg

↓本堂
観音寺15・本堂.jpg
観音寺16・本堂.jpg
↑現在の観音寺本堂の位置は、かつての奥の院順礼堂にあたると伝えられています。弘法大師が熊野権現とお出会いになられた、最も神聖なる場所にあたります。
この建物は、正徳2年(1712)には、宗恕祖元律師によって建立されたもので、今なお多くの参詣者が集い、歴史と法灯を伝えています。
西国霊場の巡拝者にとっては、まずここに参拝して御納経(御朱印)をもらいます。

↓ご朱印
観音寺20・ご朱印.jpg

※明日に続きます。

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◎広島J1制覇

↓(朝日新聞デジタルより)
サッカーのJリーグ1部(J1)の年間王者を決める明治安田生命2015Jリーグチャンピオンシップ(CS)決勝第2戦が5日、エディオンスタジアム広島であり、サンフレッチェ広島がガンバ大阪と1―1で引き分けて通算1勝1分けとし、2季ぶり3度目のJ1王者に輝いた。広島は10日に横浜で開幕するクラブワールドカップに出場する。
 CS決勝はホーム・アンド・アウェー方式で、2日の第1戦は広島が3―2で勝利していた。広島の森保一(はじめ)監督はJリーグを3度制した初の日本出身監督となった。
 Jリーグは今季、11年ぶりに2ステージ(S)制を採用。年間勝ち点1位の広島(第2S優勝)、年間2位の浦和レッズ(第1S優勝)、年間3位のガ大阪の3チームによるトーナメントでCSを争った。

※応援している地元のガンバ大阪が敗れて残念ですね。

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観音正寺Ⅱ(滋賀県近江八幡市)、浅田真央・本郷理華ワンツーフィニッシュ [西国三十三]

11月8日(日)     少し間が空きましたが、観音正寺の続きの記事です。

◎観音正寺

↓境内図
観音正寺25・境内図.jpg

↓書院
観音正寺16・書院.jpg
観音正寺17・書院.jpg
観音正寺18・書院.jpg
↑立派な「龍」の絵が展示されていました。

↓北向き地蔵尊
観音正寺19・北向き地蔵尊.jpg
↑一願地蔵ともいわれ、内部に記された七遍の真言を唱えることで、人々の苦しみから救ってくださいます。

↓子授け地蔵尊
観音正寺20・子授け地蔵尊.jpg

↓釈迦如来坐像(濡佛)
観音正寺21・釈迦如来坐像.jpg
↑江戸時代より安置されたもので、第二次世界大戦の際に供出されました。昭和58年(1983)平和への願いを込めて再建し、胎内には信徒の書写した写経が納められています。

↓白蛇大明神
観音正寺22・白蛇大明神.jpg

↓手水舎
観音正寺23・手水舎.jpg

↓太子堂
観音正寺24・太子堂.jpg

↓護摩堂
観音正寺26・護摩堂.jpg

↓本堂
観音正寺27・本堂.jpg
観音正寺28・外陣.jpg
観音正寺2・リーフレット.jpg
↑本堂は平成5年に焼失(以前は彦根城欅御殿を移築)し、平成16年(2004)再建された。像高6.3m白檀で刻まれた本尊・千手千眼観世音菩薩坐像を祀っています。

↓インドの白檀原木
観音正寺29・白檀原木.jpg

↓ご朱印
観音正寺5・ご朱印.jpg

↓本堂横の「石組み」
観音正寺30・石積み.jpg
↓石組みを注意深く見ると、数体の仏像が発見できます
観音正寺31・石積みの中.jpg

↓縁結地蔵尊
観音正寺32・縁結地蔵尊.jpg

↓水かけ観音
観音正寺33・水かけ観音.jpg

↓縁結絵馬
観音正寺34・縁結絵馬.jpg

↓本堂の裏にある「納骨堂」(紫雲殿)
観音正寺36・納骨堂.jpg
↑平成20年に落慶した追善供養道場。

↓お茶子稲荷社
観音正寺37・お茶子稲荷.jpg

↓境内からの眺望
観音正寺35・境内からの眺望.jpg

※次に、観音正寺の坊舎として開かれた「教林坊」へ向かいました。

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◎GPシリーズ第3戦、中国杯:浅田「金」・本郷「銀」

 【最終結果】      (総合点数)     (SP)        (FS)
1位:浅田 真央     197.48点     ①71.73点     ③125.75点
2位:本郷 理華     195.76点     ②65.79点     ①129.97点
3位: ラジオノワ     184.28点     ⑥58.51点     ②125.77点

浅田真央は、大きなミスが3か所あり、フリーでは点数が伸びませんでしたが、ショートの大幅なリードで逃げ切って、復帰第1戦を金メダルで飾りました。
本郷理華は、フリーでも自己ベストを出し、堂々たる銀メダルでした。

中国杯5・本郷.jpg
中国杯6・浅田.jpg
↓日本人がワンツーフィニッシュ
中国杯7.jpg

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