鑑真和人創建の唐招提寺(2) [行楽]
11月15日(日) 11月10日、金堂の大修理が終わり、一般公開された「唐招提寺」へ早速行ってきました。「金堂」については、前回書きましたので、今回はそれ以外をアップします。
「金堂」を参拝した後、左側へ回り込みました。
最初に、目に止まったのが「会津八一歌碑」です。
「鐘楼」の向こうに見えるのは「講堂」(国宝・天平時代)
講堂の本尊「弥勒如来坐像」(重文・鎌倉時代)を離れた外部より撮影。像高2.84m
「鼓楼」(国宝)と「東室」(重文・鎌倉時代)です。
「食堂」跡から本坊を望む。苔、緑、紅葉が美しい風景です。
北西隅に、「醍醐井戸」がありました。
そこから東へ歩き、北東にある「鑑真和上御廟」を参拝しました。お墓の前の灯篭にはロウソクが灯っています。これは中国の大明寺と同じ物で、胡錦涛主席も昨年5月お参りしています。
「新宝蔵」です。
「滄海」という美しい池があります。
校倉の建物が2棟並んでいます。「宝蔵」と「経蔵」です。写真は「経蔵」(国宝・天平時代)
【鑑真のプロフィール】
・688年、鑑真和上、揚洲江陽県に誕生
・701年、14歳の時、揚洲大雲寺の智満禅師のもとに出家
・708年、21歳の時、長安実際寺で弘景律師から具足戒を受ける
・742年、日本の栄叡・普照が揚洲大明寺で鑑真に会い、聖武天皇の願いとして来日要請
・743~749年、5度渡航を試みるが失敗、栄叡も失い、自身も失明する
・753年、第10次遣唐使の船に便乗し、12月薩摩に到着。鑑真66歳。
・754年、4月、東大寺大仏殿前で聖武上皇、孝謙天皇、光明皇太后ら440人に授戒
・755年、東大寺戒壇院建立
・759年、新田部親王の旧宅を賜り、8月、唐招提寺を開創
・763年、5月6日鑑真和上入寂(76歳)
・1042年、東大寺で初めて鑑真和上忌を修める
・1980年、4月、鑑真和上「中国へ里帰り」、揚洲、北京で鑑真和上像巡回展
・1981年、東山魁夷画伯の御影堂障壁画、鑑真和上厨子扉絵が完成
※鑑真和上像は非公開ですが、死亡した6月6日(5月6日は旧暦)の前後1週間公開されています。
「金堂」を参拝した後、左側へ回り込みました。
最初に、目に止まったのが「会津八一歌碑」です。
「鐘楼」の向こうに見えるのは「講堂」(国宝・天平時代)
講堂の本尊「弥勒如来坐像」(重文・鎌倉時代)を離れた外部より撮影。像高2.84m
「鼓楼」(国宝)と「東室」(重文・鎌倉時代)です。
「食堂」跡から本坊を望む。苔、緑、紅葉が美しい風景です。
北西隅に、「醍醐井戸」がありました。
そこから東へ歩き、北東にある「鑑真和上御廟」を参拝しました。お墓の前の灯篭にはロウソクが灯っています。これは中国の大明寺と同じ物で、胡錦涛主席も昨年5月お参りしています。
「新宝蔵」です。
「滄海」という美しい池があります。
校倉の建物が2棟並んでいます。「宝蔵」と「経蔵」です。写真は「経蔵」(国宝・天平時代)
【鑑真のプロフィール】
・688年、鑑真和上、揚洲江陽県に誕生
・701年、14歳の時、揚洲大雲寺の智満禅師のもとに出家
・708年、21歳の時、長安実際寺で弘景律師から具足戒を受ける
・742年、日本の栄叡・普照が揚洲大明寺で鑑真に会い、聖武天皇の願いとして来日要請
・743~749年、5度渡航を試みるが失敗、栄叡も失い、自身も失明する
・753年、第10次遣唐使の船に便乗し、12月薩摩に到着。鑑真66歳。
・754年、4月、東大寺大仏殿前で聖武上皇、孝謙天皇、光明皇太后ら440人に授戒
・755年、東大寺戒壇院建立
・759年、新田部親王の旧宅を賜り、8月、唐招提寺を開創
・763年、5月6日鑑真和上入寂(76歳)
・1042年、東大寺で初めて鑑真和上忌を修める
・1980年、4月、鑑真和上「中国へ里帰り」、揚洲、北京で鑑真和上像巡回展
・1981年、東山魁夷画伯の御影堂障壁画、鑑真和上厨子扉絵が完成
※鑑真和上像は非公開ですが、死亡した6月6日(5月6日は旧暦)の前後1週間公開されています。
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