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豊中と四人の画家展(豊中市立文化芸術センター)、ダイソンの掃除機 [美術館]

7月15日(金)    一昨日、新しい掃除機が届きました。ダイソンのサイクロン式掃除機です。ダイソンの掃除機を買うのは今回初めてですが、評判通りの吸引力の良さに満足です。また吸引したゴミや埃が目に見えて溜まっていくのが嬉しくなり、掃除するのが楽しくなりました。

↓購入した掃除機の梱包箱
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↓内容
ダイソン2.jpg

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 豊中市は、市ゆかりの四人の画家(野村廣太郎、青野馬左奈、平通武男、小出三郎)を紹介する特別展を開催しています。昭和期に活躍した四人の画家は、それぞれ独自の視点で時代を捉え、昔懐かしい田園風景やモダンな都市、そこに暮らす人々の姿などを作品に描き出しました。本展では、豊中市所蔵作品を中心に約100点を展示しています。

◎豊中と四人の画家展豊中市特別展2022
期間:2022年6月22日(水)~7月18日(月・祝)
会場:豊中市立文化芸術センター 特別展示室
入場無料
https://www.jiji.com/jc/article?k=000000239.000078420&g=prt
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunka/event/ev_art/syozouten2022.html
 昭和期、豊中で活躍した四人の画家たち。戦中・戦後と同じ時代を過ごした四人の画家が、この時代に何をみて、どう感じ、どのように描いたのか。それぞれの視点で表現した作品を、豊中市所蔵作品を中心に約100点ご紹介。

★野村廣太郎
1904年、4月5日大阪市東区に生まれる
1916年、南大江小学校卒業後、印刷界に入り画協館(今中治吉系の版画スタジオ)で石版術を習う
    同年、大阪精版印刷に入社し印刷技術者としての道を進んだ
1942年、豊中に居住
1966年、このころから戦前期、特に明治・大正期の大阪風俗を集中的に描くようになる
1978年、11月大阪市立美術館で個展を開催
    野村廣太郎画・宮本又次文「明治・大正大阪百景」(保育社)を出版
1991年、7月豊中市立中央公民館において豊中市教育委員会主催のもと個展を開催
1992年、豊中市に54点を寄贈
1990年、野村廣太郎「明治大正大阪府景風俗画集」を発行
1992年、野村廣太郎編著「日本石板版画の思い出」を発行
1997年、朝日新聞社編「おおさか百景いまむかし」を発行
2000年、曽根東町で没した

↓「阪急蛍ヶ池駅付近(秋)」制作年不詳
豊中画家1・野村.jpg
↓「庄内田地の灌漑用水車(夏)」制作年不詳
豊中画家5・野村.jpg


★平通武男
1907年、11月18日豊能郡能勢町平通村に生まれる
1926年、天理中学校を卒業とともに画家になることを決意し、大阪の青木大乗、京都の鹿子木孟郎、
    東京の川端画学校(藤島武二)、本郷研究所(岡田三郎助)などに学んだ
1930年、公募展として初めて光風会に入選
1932年、東光会の熊岡絵画研究所に学ぶ
1933年、第1回東光会展で「椅子の上の花束」K氏奨励賞を受賞。第14回帝展に初入選。
    その後、帝展、新文展、日展、新日展、改組日展でも活躍。東光会展には終始出品。
1952年、豊中市立第五中学校美術家講師として着任、同37年まで勤める。
1955年、豊中市美術協会の設立委員となり豊中市美術展洋画審査員を初回から36回まで務めた。
1957年、日展審査員となる。同42年、50年、56年も審査員となる。
1958年、日展会員となる。
1963年、日展評議員となる。
1980年、東光会副理事に就任。
1984年、日展参与に就任。
1988年、豊中市に作品を寄贈。
1991年、カトリック教徒として帰天。

↓「鯉」1931年
豊中画家2・平通.jpg
↓「砂丘」1953年
豊中画家7・平通.jpg


★青野馬左奈
1907年、3月20日愛媛県新居浜市に生まれる。まもなく三重県に移り住む。
1926年、三重県師範学校を卒業後、三重、大阪の小学校に勤務。水彩画を石井柏亭に師事。
1930年、二科展に初入選。翌年も入選。
1932年、同志とともに関西水彩画会を結成。
1936年、文展初入選。以後、日展を含めて8回入選。
1947年、関西総合美術展受賞、以後招待出品。
1950年、南桜塚に居住。昭和46年に長岡京市泉ヶ丘に移るまで旭丘、緑ヶ丘に居住。
    この年に岡町の瑞輪寺で豊中児童美術研究所を開所。
1951年、一水会展初入選、以後連続入選。
1955年、第1回豊中市美術展洋画審査員になる。以後、44回まで務める。
1961年、豊中市教育委員会指導主事になる。昭和42年まで務める。
1993年、豊中市に作品を寄贈。
1998年、長岡京市で没した。

↓「水辺木立(緑地公園)」1971年
豊中画家3・青野.jpg
↓「心斎橋夜景」1950年
豊中画家6・青野.jpg


★小出三郎
1908年、大阪市東区に生まれる。
1926年、天王寺中学校を卒業し大阪美術学校に入学するが、すぐに信濃橋洋画研究所に移った。
1932年、第2回独立展で「裸婦」「曇り日」、第6回全関西洋画展で「裸婦」「コスチウム」が入選
1938年、大阪新洋画協会を結成。このころに結婚、豊中に居住。
1940年、第10回独立展で「漁村」「艪とたらひ」が入選、独立賞を受賞。
1947年、独立美術協会の会員になる一方、個展を開催したり、関西総合美術展、美術団体連合美術展
    美術団体連合展、汎美術家展など様々な展覧会に出品。
1954年、豊中市美術協会の設立委員となり、豊中市美術展を初回から12回まで審査員を務めた。
1967年、自宅で没した。葬儀は独立美術協会葬として営まれた。

↓「人・横」1964年
豊中画家4・小出.jpg
↓「卓上の静物」制作年不詳
豊中画家8・小出.jpg

↓会場風景
豊中画家10.jpg
豊中画家9.jpg

※私は期間中、2回訪問し、堪能するまで鑑賞しました。

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◎阪神 G戦2試合連続完封の伊藤将 お立ち台で「最高です!」虎左腕53年ぶりの快挙
https://www.daily.co.jp/tigers/2022/07/14/0015470286.shtml
 阪神先発の伊藤将司投手(26)が巨人打線を4安打無失点に抑え、今季6勝目を5月22日・同戦(甲子園)に続くプロ2度目の完封勝利で飾った。
 巨人相手に登板2試合連続完封は、阪神投手では小山正明(58年)、江夏豊(68、69年)、伊藤幸男(71年)、小林繁(79年)、ゲイル(85年)に続き6人目。左投手では江夏以来、53年ぶり2人目の快挙となった。
 伊藤将は5勝目を挙げた2日・中日戦(バンテリン)から中11日でのマウンドだったが、テンポのいい投球で凡打の山を築き、113球でスコアボードに九つの「0」を並べた。9奪三振は自己最多。巨人戦では3番手で登板した21年10月13日(東京ドーム)から、21イニング連続無失点となった。
 お立ち台では開口一番、「最高です」と喜びを表現し、「自分自身も連勝勝利できるように頑張ります。応援よろしくお願いします」と声を弾ませた。

タイガース26.jpg
【本塁打】梅野2号ソロ(4)、ロハス4号ソロ(7) 【打点】近本1,梅野1,ロハス1
【マルチ安打】中野2 【マルチ三振】佐藤2 【併殺】伊藤(7)
タイガース27.jpg
↓ヒーローの伊藤投手、梅野選手、ロハス選手
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※巨人に2試合完封勝利とは、夏の珍事ですね。この勢いを継続して欲しい。

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