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円通寺Ⅱ(丹波もみじ)、 ファイナルSP羽生と浅田が首位 [兵庫県丹波市]

12月6日(金)       昨日に続き、「円通寺」の後編です。

◎円通寺(丹波紅葉三山の一つ)

↓鐘楼
円通寺15・鐘楼.jpg

↓明治忠魂碑
円通寺16・明治忠魂碑.jpg

↓不動明王立像
円通寺17・不動明王立像.jpg

↓納経所、三如来
円通寺18・納経所、三如来.jpg

↓本堂前の手水と地蔵
円通寺19・本堂前の手水と地蔵.jpg

↓塀の五本線と二つの家紋
円通寺20・塀の五本線と二つの家紋.jpg
↑本堂の屋根やお寺のあちこちに足利家の家紋「円に二引きの紋」と近衛家の家紋「近衛牡丹紋」が多く見られます。開山が足利尊氏の第四子英仲法俊、第二代が関白近衛道嗣の第三子牧翁性欽であることに拠ります。当時の武門と公家の最高位者の子弟を送り込んだことは創建当時の尋常ならざる事情が伺えます。
五本線は、天皇の勅願寺である印です。

↓「源融と賀茂大明神」の説明板


↓山門
円通寺22・山門.jpg
↓四天王の広目天像(西)                     ↓持国天像(東)
円通寺24・広目天.jpg円通寺23・持国天.jpg

↓山門の遠景(下から)
円通寺25・山門.jpg

↓境内の紅葉
円通寺26.jpg

↓指月庵
円通寺27・指月庵.jpg

↓西山小鼓子の米寿記念句碑「室町の 堂宇の跡や 紅葉寺」
円通寺28・西山小鼓子句碑.jpg

↓駐車場横では、売店で賑わっていました。
円通寺29・売店.jpg

【明智光秀と円通寺】
織田信長の中国攻略に伴う明智光秀の丹波攻めにより、この地方の寺社仏閣は悉く焼払われました。この寺にも軍勢が近づいた時、豪士・荻野喜右衛門が光秀の本陣に赴き必死の説得の結果兵火を免れたと寺伝は記しています。この寺の貫禄に暴挙を慎んだ光秀自筆の下馬札や禁制が保管されています。

↓当寺のスタンプ帳
円通寺33・スタンプ.jpg

↓10年前のご朱印                          ↓入山料を払うと貰えるパンフレット
円通寺30・御朱印.jpg円通寺1・パンフ.jpg

※円通寺を11時に出発して、次の「岩瀧寺」へ向いました。

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◎グランプリ・ファイナル(福岡)

今大会は、男子はパトリック・チャンと日本選手、女子は浅田真央とロシア選手といった構図です。
昨日の男子SPでは、羽生結弦が世界最高得点でトップ。女子は最年長の浅田真央がトップです。

ファイナルSP羽生2.jpg
ファイナルSP羽生.jpg
ファイナルSP男子3.jpg
ファイナルSP浅田1.jpg
ファイナルSP浅田2.jpg

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円通寺Ⅰ(丹波もみじめぐり) [兵庫県丹波市]

12月5日(木)       11月23日に訪れた「丹波もみじめぐり」に戻ります。
丹波市観光協会では、「秋を恋う丹波もみじめぐり~10ヶ寺を染めるもみじの美に心酔~」というスタンプ帳を発行して、観光客の誘致を図っています。
円通寺32・丹波もみじめぐりスタンプ帳.jpg
この10ヶ寺とは、高源寺・円通寺・石龕寺・岩瀧寺・小新屋観音・百毫寺・神池寺・高山寺・達身寺・慧日寺です。今回はこのうちの6ヶ寺をめぐりました。
円通寺31・丹波もみじめぐり地図.jpg

◎円通寺(えんつうじ)
住所:兵庫県丹波市氷上町御油983
電話:0795-82-1992
山号:永谷山。宗派:曹洞宗。本尊:如意輪観音
開山:英仲芳俊。開基:足利義満。開創:永徳2年(1382)
別名:紅葉寺
札所等:氷上郡西国三十三観音霊場第19番、氷上郡四国八十八所霊場第19番
【由来】
円通寺の創建は永徳2年(1382)、後円融天皇の勅命により英仲芳俊が開いたのが始まりとされています。芳俊は足利尊氏の子息だったと伝わる人物で、室町三代将軍足利義満の庇護により境内が整備されました。天皇の勅願寺で足利将軍家の庇護によって寺運が隆盛し最盛期には200余寺の末寺を擁し周囲の国々にも大きな影響力を持ち、天正年間(1573~92)に行われた明智光秀の丹波侵攻でも焼失を免れました。その後一時衰退しましたが江戸時代に再興され、幕府の庇護により触頭となり朱印地も安堵されました。寺宝が多く絹本著色釈迦十六善神像、絹本墨画地蔵瀧山水図、絹本墨画龍図が丹波市指定文化財に、大スギ、タブノキ、イトザクラが丹波市指定天然記念物に指定されています。また、境内は紅葉の名所とされ高源寺、石龕寺と共に丹波紅葉三山に数えられています。

↓紅葉のトンネルようになっている入口の参道。参道沿いに西国三十三所観音石仏が並んでいます。
円通寺2.jpg

↓清水地蔵
円通寺3・清水地蔵.jpg

↓放生池
円通寺4・放生池.jpg
円通寺4・放生池全景.jpg
↑池の真中に参道の石橋があり、池に映る紅葉が美しい。右の池には、昔源融が建立した賀茂大明神がありました。円通寺建立の際、現在の賀茂神社(町内賀茂)と神野神社(町内北御油)に分祀されました。
源融(みなもとのとおる)は、源氏物語の光源氏のモデルとされています。

↓大スギ
円通寺5・大杉.jpg
↑この大杉は樹齢700年といわれ、かってこの場所に「光源氏」のモデルとされる「源融」が建てた「賀茂大明神」の御神木でした。

↓右側の参道を上りました。
円通寺6・右.jpg

↓赤い鳥居につられて脇道を登りました。誰も登っていません。
円通寺7・赤い鳥居.jpg

↓しばらく登ると社がありました。「突立稲荷」?と判読。
円通寺8・突立稲荷?.jpg

↓隣の合祀社には、「祇園社、鎮護祠、鎮守」という文字を確認。ここから戻りました。
円通寺9・祇園社、鎮護祠、鎮守.jpg

↓途中、境内を見渡せました。
円通寺10・境内を見下ろす.jpg

↓本堂
円通寺11・本堂.jpg
円通寺12・本堂.jpg
↑現在の本堂や庫裏は、天保年間(1840)に焼失後再建されたもの。本堂は二層屋根、幅12間(約40m)、奥行き7尺(約20m)あり、木造建築としては当地方最大規模。
扁額の「施無畏殿」の施無畏とは、この寺の本尊でもある観音様の異名です。お参りする人々の悩みや畏れを和らげ、幸せに導いてくれる霊験があると云われています。

↓庫裏(方丈)
円通寺13・庫裏.jpg

↓日置黙仙禅師と山岡鉄舟
円通寺14・日置黙仙禅師と山岡鉄舟.jpg
↑「躍年遠挙の碑」本堂の前に立つこの碑は、幕末の剣客として、また墨客としても名高い明治維新の功労者・山岡鉄舟(鉄太郎)の筆に成る物です。親交のあった黙仙禅師の功績を称えて揮毫したものです。今では苔生していますが、寺には原本が残されています。
【日置黙仙禅師】円通寺第40世の日置黙仙禅師は、後に曹洞宗管長にまでなられた高僧です。数々の海外布教の内、印度から持帰られた仏舎利も当寺にあります。

※この記事は、次回に続きます。

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◎阪神の新守護神・呉昇桓
呉.png
呉昇桓(オ・スンファン)投手(31歳)との契約調印式が4日ソウル市内のホテルで行われた。
2年契約で総額8億5千万円(推定)、背番号は藤川球児がつけていた「22」に決まりました。


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佐地神社(丹波市) [兵庫県丹波市]

12月2日(月)      11月23日の丹波市散策記事の続きです。「高源寺」を参拝後、「円通寺」へ向かう途中で、見付けた「佐地神社」に寄り道しました。

◎佐地神社(神楽大明神)
住所:兵庫県丹波市青垣町小倉575-2
電話:0795-87-0432
祭神:天宇受売命
社格:旧県社
由緒:和銅3年(710)7月坂上田村磨神勅を奉じ社殿造営。明和4年(1767)4月9日造営。
    明治5年2月郷社。明治45年3月31日神饌幣帛料共進社指定。大正11年11月県社。

延喜式に丹波市内の十七式内社に入る古代からの有名な神社。祭神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)。この神様は農業を守る神様で、暗闇の世界を舞踊で光明の世にしたように光・太陽の神様であったといわれています。全面湖沼であった佐沼の水を抜き、水を治め(佐治)乾いた地(佐地)にしようとして祈り場所をここに決めたといわれています。

↓遠景
佐地神社1・全景.jpg

↓一の鳥居
佐地神社2・一の鳥居.jpg

↓二の鳥居
佐地神社3・二の鳥居.jpg

↓説明板
佐地神社4・説明板.jpg

↓堀
佐地神社5・堀.jpg

↓拝殿
佐地神社6・拝殿.jpg

↓拝殿の彫刻
佐地神社7・彫刻.jpg

↓手水舎と社務所
佐地神社8・手水舎、社務所.jpg

↓本殿(流造銅板葺)
佐地神社9・本殿.jpg

↓境内の稲荷社
佐地神社10・稲荷.jpg

↓神輿庫
佐地神社11・神輿庫.jpg

↓天照皇大神(若宮大神、鹿野馬大神)
佐地神社12・天照皇大神.jpg

↓境内末社
佐地神社13・境内社.jpg
↑左から、皇大神社、八阪神社、胸腹神社、産霊神社、浄丸神社、八幡神社。

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◎甲子園ボウルは関学と日大

関学の、ここ2試合は不甲斐ないので、心配ですね。

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◎ジャパンカップダート

競馬の第14回ジャパンカップダートは1日、阪神競馬場のダート1800メートルに16頭が出走して行われ、単勝3番人気のベルシャザールが優勝した。2着はワンダーアキュート、3着はホッコータルマエだった。

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高源寺Ⅱ(丹波もみじ)、 赤ちゃんの名前ランキング [兵庫県丹波市]

12月1日(日)      昨日に続き、11月23日の「丹波もみじめぐり」の記事です。

今回は、「高源寺」の記事の後編です。
◎高源寺(西天目瑞巖山)
住所:兵庫県丹波市青垣町桧倉514

↓入山料を支払うと貰えるパンフレット類
高源寺21・パンフ.jpg高源寺22.jpg


↓「心字の池」
高源寺24・心字.jpg
高源寺27・心字の池.jpg
当寺庭園の中心をなす池で、造園後合戦の兵火に罹り荒廃しましたが、その後、天巖明啓禅師の代に領主織田信休公に請い造園を計画、弘厳禅師によって完成した。
高源寺25.jpg
高源寺26.jpg

↓幽霊水鏡の橋                        ↓松瀬青々の句碑
高源寺28・幽霊水鏡の橋.jpg高源寺29・青々句碑.jpg
                            青々「黄落に見る中峰の筆のもの」↑

↓庫裡・納経所・本堂・方丈
高源寺30・庫裏・本堂.jpg

↓10年前に訪れた時の御朱印
高源寺23・御朱印.jpg

↓客殿
高源寺31.jpg

↓方丈
高源寺32・方丈.jpg
住職の住まいですが、中には開山遠谿祖雄禅師や中国の中峰国師・天皇などをお祭りする開山堂もあります(非公開)。
高源寺33・方丈.jpg
高源寺34・方丈.jpg

↓落葉した天目楓
高源寺35・落葉した天目楓.jpg
【高源寺の方位と天目楓の由来】
 当寺再興の折り、開山禅師の遺志を尊重し、中国の法祖・普応国師の西南の方位に向けて伽藍を再建し、更に辰巳の方位に二龍の瓦を上げると火災を免れるとの伝説により、それを屋根の上に上げています。
 また当寺の楓は、開山禅師が中国杭州の天目山より種を持ち帰り、この地に植えたと云われ、天目楓と呼ばれています。天目楓は葉が小さく切れ目が深く、枝が垂れ下がるのが特長です。秋の眺めは壮観で三丹随一の楓と称されます。

↓大痩嶺
高源寺36・大痩嶺.jpg
高源寺37・大痩嶺.jpg

↓鐘楼
高源寺38・鐘楼.jpg

↓三笑橋
高源寺39・三笑橋.jpg

↓多宝塔(三重塔)
高源寺40・多宝塔.jpg
高源寺41・.jpg
高源寺42・多宝塔.jpg
※紅葉のピークが過ぎていたのが、少し残念でしたね。
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◎2013赤ちゃんの名前ランキング

★明治安田生命保険
【男子】1位:悠真(ゆうま)      2位:陽翔(はると)       3位:蓮(れん)
【女子】1位:結菜(ゆいな)      2位:葵(あおい)        3位:結衣(ゆい)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131129/trd13112918040009-n1.htm

★㈱ベネッセコーポレーション
【男子】1位:大翔(ひろと)      2位:蓮(れん)          3位:悠真(ゆうま)
【女子】1位:結菜(ゆいな)      2位:陽菜(ひな)         3位:葵(あおい)
http://blogos.com/article/74817/

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高源寺Ⅰ [兵庫県丹波市]

11月30日(土)       11月23日の土曜日に兵庫県丹波市を散策しました。紅葉シーズンで渋滞が予想されていたので、自宅を7時に出発しました。予想通り、中国自動車道の宝塚や西宮で約10kmの渋滞でした。
今回は、「高源寺」「佐地神社」「円通寺」「岩瀧寺」「高山寺」「伊尼神社」「石龕寺」「小新屋観音」「「丹波竜化石工房」などを巡る、かなりハードな、欲張りな旅行でした。

「高源寺」「円通寺」「石龕寺」の3ヵ寺は、丹波三山と呼ばれ、紅葉の美しい場所で、観光バスツアーも出ています。私はこの3ヵ寺については、10年前に一度参詣しています。

舞鶴自動車道に入って、しばらく走ると、濃い霧に覆われ、50km制限の規制がかかりました。
↓途中、休憩した「西紀SA」です。濃霧の様子が見えますか?
高源寺1・西紀SAの霧.jpg
高源寺2.jpg

9時14分に青垣ICを出て、最初の訪問地である「高源寺」に向いました。

◎高源寺(こうげんじ)
住所:兵庫県丹波市青垣町桧倉514
電話:0795-87-5081
入山料:300円
山号:瑞巌山。宗派:臨済宗中峰派(幻住派)。本尊:釈迦如来
創建:正中2年(1325)。開山:遠谿祖雄。正式名:西天目瑞巌山高源寺
札所等:関西花の寺二十五霊場4番
http://kougenji-tanba.or.jp/
【歴史】
高源寺は、1325年(鎌倉時代)に遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師によって開創された、臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)(幻住派(げんじゅうは)とも)の本山です。甲斐(山梨)の栖雲寺(せいうんじ)が東天目と呼ぶのに対して、高源寺は西天目(にしてんもく)と呼ばれ、丹波屈指の名刹として知られています。
 開山の遠谿祖雄禅師は、当地青垣町の遠坂地区にあった山垣城(やまがいじょう)の城主足立遠政(あだちとおまさ)公の孫の光基(みつもと)の三男です。遠谿祖雄は、幼少の頃より出家し、1306年に中国に渡り、杭州天目山の中峰国師(ちゅうほうこくし)のもとで約10年修行をして悟りを開きます。そして、帰国後、霊夢で得た天目山に似た佐治郷小倉に堂宇を創建します。
1326年には後醍醐天皇より高源寺号を賜り、また後柏原天皇の代には、勅願所の礼遇を許され、住職は末代紫衣の宣旨を受けました。そして、全国に末寺を持つ大本山となりました。
 しかし、天正年間、織田信長の丹波攻略で建物をことごとく焼失しました。その後、享保の始めに天岩明啓(てんがんめいけい)禅師が再興し、1799年には、弘巌玄猊(こうがんげんげい)禅師が柏原藩の援助を得て再び再建し、現在に至っています。
 建物は現在、惣門・山門・仏殿・方丈・鐘堂・多宝塔などがあります。
 また、紅葉の名所としても知られています。



↓駐車場に車を止めて進むと、拝観受付と特産品販売所があります。この時期は露店も出店。
高源寺4・受付、特産品販売所、屋台.jpg

↓入口。高源寺という寺標が建っている。
高源寺5・入口.jpg

↓「惣門」
高源寺6・惣門.jpg
↑この門は織田信長による丹波攻めで焼き討ちにあった後、弘巌玄猊禅師が当寺を再建する折に、柏原織田藩の援助で建立した。正面の額には弘巌玄猊禅師の筆による「丹丘勝処」の扁額がある。

↓参道
高源寺7・参道.jpg

↓丹丘荘
高源寺8・丹丘荘.jpg

↓句碑。野村泊月「涼しとも いさぎよしとも 額の花」
高源寺9・句碑.jpg

↓芭蕉句碑「何の木の 花とも知れぬ においかな」
高源寺9・芭蕉句碑.jpg
↑当寺中興・天巌明啓禅師が芭蕉翁の徳を慕い句碑を建立し菩提を弔う。

↓山門への石段
高源寺10・山門への石段.jpg
↑ビューポイント。カエデごしに山門の白い壁には、天皇の勅願寺院の印である五本線が入っている。

↓山門前の石標
高源寺11・山門前石標・紫鳳楼.jpg

↓山門
高源寺12・山門.jpg
↑一般的には「三門」とも書きますが、当山では「山門」と呼んでいる。別名「紫鳳楼」といい、階上には釈迦如来と十六羅漢を祭っています。また天井には弘巌玄猊禅師筆による極彩色の四天女図や梅花経文図などが描かれています。この建物も弘巌玄猊禅師の建立です。表の掲額は伏見宮貞義親王の真筆。

↓山門の彫刻など
高源寺13・山門彫刻.jpg

↓山門の裏
高源寺14・山門裏.jpg
↑裏側の掲額は朝鮮総督府の雪軒の真筆。

↓天満宮
高源寺15・天満宮.jpg

↓戦没者慰霊碑
高源寺16・戦没者慰霊碑.jpg

↓仏殿
高源寺17・仏殿.jpg
↑当山の中心をなす建物で、「灋王殿(ほうおうでん)」ともいいます。中には、高源寺の本尊「釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)がお祭してあります。
本尊「釈迦如来坐像」は、天台宗の僧・恵心僧都の作と伝えられ、平安末期から鎌倉時代の作とされています。また、本尊に向かって左側には、後醍醐天皇の法衣姿の像をお祭しています。
また、右側には、地方大名などの位牌が安置してあります。この建物は、中興の天岩明啓禅師による建立です。「納札」を収めるのは、この建物です。

↓扁額                            ↓釈迦如来坐像
高源寺18・扁額.jpg高源寺19・釈迦如来坐像.jpg

※明日に続きます。
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◎バナナが花粉症に効くらしい

私は毎年、花粉症で悩まされており、薬も服用しています。今回、バナナがくしゃみに効くとのことですので、来年2月~3月には試してみようと思います。一日2本は、ちょっとキツイですね。

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