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初詣(池田市の猪名津彦神社、八坂神社)、箱根駅伝往路青学大優勝、ナダルや大坂なおみが実戦復帰 [雑記]

1月3日(水)    元旦の朝、犬との散歩時に、自宅と同じ町内の氏神(猪名津彦神社)にお参りし、昼から家族そろって(妻と柴犬)地元の八坂神社へ初詣に行きました。
 まず最初に、「初詣」の歴史について紹介します。

★「初詣」の歴史(Wikiより抜粋)
 初詣・初詣で(はつもうで)とは、年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。初参・初参り(はつまいり)ともいう。参拝者数はメッカの大巡礼を越す世界最大級の宗教行事。
 
 元々は「年籠り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神神社に籠る習慣であった。やがて年籠りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今の初詣の原形となった。治承5年に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したことが初詣が広まるきっかけになったとの指摘もある。
 江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神神社に参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われた。
 「年籠り」形式を踏まず、単に社寺に「元日詣」を行うだけの初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく明治中期のことで当時の鉄道会社が神社とキャンペーンをして遠方の有名神社へ初詣する風習を作り出したとされている。また、氏神や恵方とは関係なく、有名な社寺に参詣することが一般的になった。俳句で「初詣」が季語として歳時記に採用されたのは明治末期であり、実際に「初詣」を詠んだ俳句が登場するのは大正時代以降であるという。
 また現在でも、除夜に一度氏神に参拝して一旦家に帰り、元旦になって再び参拝するという地方がある。これを二年参りという。
 江戸時代までは元日の恵方詣りのほか、正月月末にかけて信仰対象の初縁日(初卯・初巳・初大師など)に参詣することも盛んであった。研究者の平山昇は、恵方・縁日にこだわらない新しい正月参詣の形である「初詣」が、鉄道の発展と関わりながら明治時代中期に成立したとしている。
 関東では、1872年(明治5年)の東海道線開通により、従来から信仰のあった川崎大師などへのアクセスが容易になった。それまでの東京(江戸)市民の正月参詣は市内に限られていたが、郊外の有名社寺が正月の恵方詣りの対象とみなされるようになった。また、郊外への正月参詣は行楽も兼ねて行われた。平山によれば「初詣」という言葉は、それまでの恵方詣りとも縁日(21日の初大師)とも関係のない川崎大師への正月参詣を指すのに登場したといい、1885年(明治18年)の『万朝報』記事を初出と紹介している。鉄道網の発達に伴い、郊外・遠方の社寺にもアクセスは容易となり、また、京成電気軌道や成田鉄道(成田山新勝寺)、京浜電気鉄道(川崎大師・穴守稲荷神社)など、参拝客輸送を目的として開業された鉄道会社も登場した。競合する鉄道会社間(国鉄を含む)では正月の参詣客を誘引するために宣伝合戦とサービス競争が行われた。当初は鉄道による有名社寺への「恵方詣り」の利便性が押し出されたが、年ごとに変わる恵方に対して「初詣」という言葉がよく使われるようになり、大正時代以後は「初詣」が主に使用されるようになった。
 関西では、もともと恵方詣りは元日よりも節分に盛んに行われていた。鉄道会社の集客競争の中で正月参詣にも恵方が持ち込まれるようになり、関西の人々は節分のほかに元日にも恵方詣りを行うようになった。しかしながら、鉄道会社が熾烈な競争の中で自社沿線の神社仏閣をめいめいに恵方であると宣伝し始めたため、やがて恵方の意味は埋没した[13]。大正末期以降、関西では方角にこだわらない「初詣」が正月行事の代表として定着した。

 社寺へ参拝を行って、社務所でお守り、破魔矢、風車、熊手などを受けたり、絵馬に願い事や目標を書いたりして、今年一年がよい年であるよう祈る。昨年のお守りや破魔矢などは、このときに社寺に納めて焼いてもらう。また神社によっては境内で甘酒や神酒などが振るまわれる。
 各地の初詣の模様は、12月31日より1月1日早朝にかけてNHK総合テレビの長寿番組『ゆく年くる年』などで毎年中継されている。


◎猪名津彦神社
住所:大阪府池田市宇保町6
 【呉服校区の歴史よもやま話】より抜粋
宇保町は13世紀の初め鎌倉時代にはすでに律令制による豊嶋北条宇保村19条として「勝尾寺文書」に記録されています。平安時代この一帯は河内国土師(はじ)氏の子孫・坂上氏が来て開墾した「呉庭の庄」と呼ばれた荘園でした。坂上氏の祖先は「猪名津彦神社」の祭神「阿智主使」「都加主使」の親子で中国後漢霊帝の曾孫に当たる渡来人です。池田の呉織・穴織伝説の織姫を呉の国から連れて来て仁徳天皇に奉った人物です。神格化され猪名津彦となられました。また源満仲が多田に勢力を持つようになり多田院を中央政所とし東政所を宇保に定めました。この様な由来で宇保は坂上氏の拠点となって来ました。そして宇保には坂上氏の菩提寺「禅城寺」が建てられ「池田の観音さん」として有名でした。猪名津彦神社は元猪名津彦を葬った横穴式円墳と小さな祠でした。今も境内には古墳に用いられた巨石や古木の切り株が残っています。文化2年(1805)石棺が開けられると朱に染まった遺物が発見され伊居太神社の神官がこれを持ち帰って境内に埋葬し直しました。長い年月が経過して伊居太神社に預けられていた古墳のご神体は昭和33年高床式本殿と拝殿が建てられて再び神体が勧請されて祀られたのが現在の社殿です。猪名津彦神社は伊居太神社のお旅所として夏越祭・秋例祭が行われます。秋10月17日の例祭(現在は直近の日曜日)には地車が出て賑います。

↓犬との散歩時に参拝
初詣1.jpg
※神社の関係者は誰も詰めておらず、参拝者もいなかった。近所の住民が参拝する程度。
この神社の周辺は、犬との散歩コースの一つです。

【過去の猪名津彦神社のブログ記事】
2015年10月19日掲載

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◎八坂神社
住所:大阪府池田市神田4-7-1
電話:072-751-3790
主祭神:素戔嗚尊。社格:旧村社
創建:天元元年(978)。別名:早苗の森・神田の森
本殿様式:一間社流造檜皮葺。例祭:10月22日(神田祭)

円融天皇の天元元年の創建。天正7年(1579)織田信長の伊丹城主・荒木村重討伐の兵火で焼失する。慶長15年(1610)池田備後守光重が再建。
牛頭天王社、素戔嗚尊神社、神田(こうだ)の宮と称した。
明治40年(1907)春日神社・九頭神社を合祀して境内に移し、翌41年神饌幣帛料供進社に指定された。同42年今在家の駒の森の十二神社を本殿に合祀したが、昭和21年(1946年)に現在地(豊島南1丁目2-9)に復祠している。

境内にはペット(犬)禁止の看板がでているので、鳥居の手前に柴犬「はな」を留置し、夫婦交代で参拝しました。初詣として有名な神社ではないので、あまり並ばずに参拝出来ました。

↓境内の様子
初詣2.jpg
初詣6.jpg

↓拝殿
初詣3.jpg
初詣4.jpg

↓破魔矢(小:1700円)と柴犬「はな」
初詣7.jpg

【過去の八坂神社のブログ記事】
2011年9月3日掲載
2015年1月31日掲載
2018年1月5日掲載

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◎箱根駅伝2024 青山学院大が往路優勝 復路は16校が一斉スタート
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240102/k10014284301000.html
 100回の記念大会となった「箱根駅伝」の往路が行われ、青山学院大学が3区でトップに立ってそのままリードを広げて逃げきり、2年ぶり6回目の往路優勝を果たしました。
 100回の記念大会となった箱根駅伝は、去年の大会で10位までに入ったシード校に予選会の上位13校の合わせて23校が出場し、往路は東京・大手町から神奈川県箱根町までの5区間、107.5キロのコースで争われました。
 今シーズンの出雲全日本大学選抜駅伝と全日本大学駅伝を制し史上初の2シーズン連続大学駅伝三冠を目指す駒沢大は1区で篠原倖太朗選手がトップでたすきをつなぎました。
 各チームのエースがそろう「花の2区」では2年ぶりの総合優勝を目指す青山学院大の黒田朝日選手が区間賞の走りで駒沢大との差を22秒に縮め、3区では太田蒼生選手がトップを走る駒沢大の佐藤圭汰選手に7キロすぎで追いつき、激しい競り合いを制して59分47秒の好タイムでトップに立ちました。
 雨の中のレースとなった4区でも佐藤一世選手が区間賞を獲得した青山学院大は5区の山登りでも若林宏樹選手がリードを広げてフィニッシュし、5時間18分13秒の往路新記録で2年ぶり6回目の往路優勝を果たしました。
 2位は、2分38秒差で箱根駅伝連覇を狙う駒沢大、3位は、5区で山本唯翔選手が区間新記録をマークした城西大でした。
 復路は3日に行われ、トップと10分以上タイム差がついた16チームが一斉スタートとなります。

《往路順位》 8位以下は16校が復路一斉スタートへ
1.青山学院大 5時間18分13秒 往路新記録
2.駒沢大   +2:38   往路新記録
3.城西大   +3:17
4.東洋大   +7:06
5.早稲田大  +7:52
6.国学院大  +8:54
7.創価大   +9:55
8.大東文化大 +10:41
9.法政大   +10:50
10.順天堂大  +12:04
↑↑(シード権圏内)↑↑
11.国士舘大 +12:07
12.帝京大  +12:10
13.中央大  +12:22
14.駿河台大 +12:38
15.山梨学院大+12:52
16.東海大  +13:20
17.立教大  +13:24
18.中央学院大+13:29
19.日大   +13:38
20.東京農業大+15:20
21.日体大  +17:22
22.神奈川大 +17:37
23.明治大  +19:08

★往路区間記録
1区 篠原倖太朗(駒澤大) 1:01:02
2区 黒田朝日(青山学院大) 1:06:07
3区 太田蒼生(青山学院大) 59:47
4区 佐藤一世(青山学院大) 1:01:10
5区 山本唯翔(城西大) 1:09:14(区間新)
※5区は青山学院大の若林宏樹も1時間9分32秒で区間新記録樹立も、直後に城西大・山本に記録を更新された。

★往路速報:青学大が2年ぶり往路優勝、3連続区間賞で駒澤大を逆転
https://www.sportingnews.com/jp/athletics/news/hakone-ekiden-schedule-tv-ott/da4317631d6643e5320d510a
 第100回東京箱根間往復大学駅伝競走の往路は、2024年1月2日、東京・大手町の読売新聞社前から神奈川県箱根町・芦ノ湖間の5区間・107.5Kmで争われ、青山学院大学が新記録となる5時間18分14秒で、98回大会以来2年ぶり6回目の往路優勝を飾った。
 青学大は、1区の荒巻が9位と出遅れたが、2区の黒田、3区の太田、4区の佐藤と3連続で区間賞を取って、4区で先頭の駒澤大に代わって先頭に立つと、5区でも若林が区間新(2位)の好走で優勝した。
 昨年の覇者・駒澤大は2位だった。3位は城西大学、4位は東洋大、5位は早稲田大が入った。
 往路を制した青学大・原監督は、「素直に嬉しい。駒澤一強と言われるなかで、『負けてたまるか大作戦』、学生が頑張ってくれました。その前に、昨日の能登震災で開催できるかわからないなか、また、多くの被災された方がいるなかで、こうして箱根駅伝ができることを本当に感謝申し上げたいと思います」と話した。

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◎ナダルが復活 1年ぶりシングル実戦で快勝「僕にとって重要な日」 勝利数は歴代単独4位に<男子テニス>
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0048365854f3c977cbd9b5af7bac4eabb3c67b0
 男子テニスのブリスベン国際(オーストラリア/メルボルン、ハード、ATP250)は2日にシングルス1回戦が行われ、ワイルドカード(主催者推薦)で出場している元世界ランク1位のR・ナダル(スペイン)が予選勝者で元世界ランク3位のD・ティーム(オーストリア)に7-5, 6-1のストレートで快勝し初戦突破を果たすとともに、約1年ぶりのシングルス復帰戦を白星で飾った。試合後ナダルは「今日は僕にとって感情的で重要な日になった」と語った。また、この勝利でナダルはマッチ勝利数が1069勝となり、歴代単独4位となった。
 37歳のナダルは、昨年1月の全豪オープン(オーストラリア/メルボルン、ハード、グランドスラム)を最後にツアーを離脱。
 6月に左大腰筋の関節鏡手術を受けリハビリに励み、10月以降はコートで練習する様子を定期的に自身のSNSで公開してきた。そして12月に入り、ブリスベン国際で約1年ぶりにツアーに復帰することを発表した。
 ナダルは同大会にM・ロペス(スペイン)とのペアでダブルスにもエントリーし、12月31日に行われたダブルス1回戦ではM・パーセル(オーストラリア)/ J・トンプソン(オーストラリア)組に4-6,4-6のストレートで敗れたものの、公式戦復帰を果たした。
 そして迎えたこの日、ナダルは約1年ぶりにシングルスの公式戦に復帰し、元世界ランク3位のティームと顔を合わせた。
 復帰戦の第1セット、ナダルは序盤からストロークを強打していきポイントを重ねると、サービスゲームではファーストサービス時に89パーセントの確率でポイントを獲得。ティームにブレークを許さずキープを続ける。迎えた第12ゲームでナダルはセットポイントとなるブレークチャンスを掴むと、最後はティームのフォアハンドがアウトとなりナダルが先行する。
 続く第2セット、ナダルは第1セットに続き積極的なプレーを披露し、第2ゲームではバックハンドのパッシングショットを決め先にブレークを果たす。ナダルはその後もティームにブレークを許さず、自身はさらに第6ゲームでもブレークを奪い、復帰戦を白星で飾るとともに、2回戦進出を決めた。
 試合後のオンコートインタビューでナダルは「今日は僕にとって感情的で重要な日になった。僕のキャリアの中で最もタフな1年の後、1年ぶりに復帰して素晴らしい観衆の前でプレーするチャンスを得た。とてもポジティブなレベルだと思う。それは僕らに誇りを感じさせてくれるものだ。この1年、毎日そばにいてくれたチーム、家族みんなのおかげだよ」と語った。
 また、ナダルはこの勝利でツアーレベルでのマッチ勝利数が1069勝となり、元世界ランク1位のI・レンドル(アメリカ)を抜いて歴代単独4位の記録を打ち立てた。
 このことについて問われたナダルは「みんなの想像の通り、今日はその記録を意識するような日ではなかったよ。集中してコートに戻り、プロの試合でのプレーを思い出すだけで十分だった」と笑顔で答えた。
 なお、マッチ勝利数の歴代1位はJ・コナーズ(アメリカ)の1274勝、2位はR・フェデラー(スイス)の1251勝、3位はN・ジョコビッチ(セルビア)の1089勝となっている。
 勝利したナダルは2回戦で、第8シードのA・カラツェフとワイルドカードで出場する世界ランク102位のJ・クブラー(オーストラリア)の勝者と対戦する。

★大坂なおみが復帰初戦でストレート勝ち ブリスベン国際
https://news.yahoo.co.jp/articles/6f7bdafcc76506a4baa4f814c707e4e297531d55
 テニス、ブリスベン国際(Brisbane International 2024)は1日、女子シングルス1回戦が行われ、元世界ランク1位の大坂なおみ(Naomi Osaka)は6-3、7-6(11-9)でタマラ・コルパッチ(Tamara Korpatsch、ドイツ)を下し、出産後の復帰初戦を白星で飾った。
 2022年9月に精神衛生上の懸念を理由に戦列を離れていた大坂は、昨年7月に娘のシャイ(Shai)ちゃんを出産し、新シーズンに向けて復帰していた。
 それでもコートから離れていた様子はうかがわせず、この試合最初のゲームでブレークを奪った大坂は、もう一度ブレークを奪って比較的簡単に第1セットを奪った。
 しかし第2セットに入るとコルパッチが立て直し、双方がブレークを奪い合う展開に。大坂は1ブレークアップの第9ゲームでサービングフォーザマッチを迎えたが、またもコルパッチにブレークを許した。
 迎えたタイブレークでは両選手ともにチャンスを迎えたが、大坂は3度目のマッチポイントをものにした。
 大坂は試合後、「とても緊張したけれど、コートに出られて興奮した」と述べた。
 コートサイドインタビューではまた、母親になったことでテニスに対する見方が変わったこと、そして以前はファンや他の選手たちから孤立しすぎていたことを口にした。
 「娘が生まれる前にプレーしていたこの数年、私は与えられていたほどの愛を返せていなかった」と大坂は話し、「だから、それがこのチャプターで私がやりたいことだと心から思っている。ここにやってきて私を応援してくれることに本当に感謝している」と続けた。


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