旧三上家住宅(京都府宮津市) [歴史館・博物館]
8月26日(水) 丹後地方周遊の旅の記事に戻ります。智源寺の次に訪れたのは、重要文化財に指定されている「旧三上家住宅」です。
ペットの入場不可ですので、私だけ見学しました。
◎旧三上家住宅 (重要文化財)
住所:京都府宮津市字河原1850
電話:0772-22-7529
観覧料:一般350円
http://www.amanohashidate.jp/mikamike/
旧三上家住宅は江戸時代に酒造業・廻船業・糸問屋等を営む、宮津城下有数の商家「元結屋(もっといや)三上家」の住宅でした。外見は美しい白壁の造りで、座敷等は非常に質の高い贅を尽くしたものとなっています。
三上家の出自は明らかではありませんが、一説によると但馬国(兵庫県北部)を支配した守護大名・山名氏に仕えていたと考えられています。その後、但馬・因幡(鳥取県東部)で起きた山名氏の内紛により三上一族は丹後に逃れ、一時、宮津藩主・永井信濃守(1674~80年在任)に召し抱えられたこともありましたが、のち町人になったと伝えられています。元結屋元祖の清兵衛が元禄2年(1689)に没しており、創業はその前後のことと考えられます。
宮津藩では町名主として町政に重きをなし、また藩財政にも深くかかわっていました。天保9年(1838)には幕府巡見使の本陣となり、慶応4年(1868)には、戊辰戦争の際の山陰道鎮撫使・西園寺公望の宿所ともなりました。
明治以降、蒸気船の登場で全国的に北前船が衰退し、三上家も酒造業を中心とした経営に転換しました。昭和初期には、三上勘兵衛が11代目の宮津町長を務めるなど、近代においても三上家は、宮津の政界・実業界で重要な位置を占めていました。
平成元年に京都府指定有形文化財となった三上家の住宅を、平成8年に宮津市が購入し、調査・整備を進め、平成12年春から一般公開しています。平成15年には主屋をはじめとする8棟が国の重要文化財に指定されました。その間、平成12年には庭園が京都府指定名勝となっています。
↓外観
↓拝観出入口
↓説明板
↓配置図
↓観覧券
↓酒造施設、手前は大釜
↓麹室
↓北前船コーナー
↓土間
ここからは、靴を脱いで座敷に上がります。
↓新座敷
↓玄関
↓表門
↑表門と武家屋敷の玄関は、1838年、幕府巡見使を迎える際、本陣としての形を整えるために造られた。
↓茶室
★三上家庭園 (京都府指定名勝)
庭園は敷地の南隅に位置し、ニワザシキ(庭座敷)から、南方向への座視鑑賞を主とする配置に築かれています。
池は縁先をめぐるかたちで蛇行し、庭園の中核となる低めの築山上部には、起伏に富んだひときわ背の高い石が豪快に据えられ、その周囲には上部が平らで安定感のある多数の立石を配置して、重畳とした石組の景観を形成しています。築山の裾は池のほぼ中央に突き出し、ニワザシキ側とは反りのある切石の橋で結ばれています。
家伝では、宮津藩御用庭師の江戸金の作庭と伝え、幕府巡見使や西園寺公望、有栖川宮熾仁親王をはじめ、当家を訪れたり宿泊した人々の目を楽しませたものと思われます。
石組の迫力が低下していく江戸時代中末期の民家庭園のなかで、一般的な傾向に反して、市中の限られた空間に池と築山を設け、特徴ある形の石を大胆に配置しており、座視鑑賞を強く意識した商家の庭園として価値の高いもので、平成12年に京都府指定名勝に指定されました。
↓茶室前より庭座敷を望む
↓庭座敷から茶室方面を望む
↓庭座敷から庭園を望む
↑一番の見所ですが、すべての障子が開けられていなかったのが残念です。
↓土の防火扉
※11時6分に旧三上住宅を出発し、「天橋立」へ向かいました。次回に続きます。
#################################
ペットの入場不可ですので、私だけ見学しました。
◎旧三上家住宅 (重要文化財)
住所:京都府宮津市字河原1850
電話:0772-22-7529
観覧料:一般350円
http://www.amanohashidate.jp/mikamike/
旧三上家住宅は江戸時代に酒造業・廻船業・糸問屋等を営む、宮津城下有数の商家「元結屋(もっといや)三上家」の住宅でした。外見は美しい白壁の造りで、座敷等は非常に質の高い贅を尽くしたものとなっています。
三上家の出自は明らかではありませんが、一説によると但馬国(兵庫県北部)を支配した守護大名・山名氏に仕えていたと考えられています。その後、但馬・因幡(鳥取県東部)で起きた山名氏の内紛により三上一族は丹後に逃れ、一時、宮津藩主・永井信濃守(1674~80年在任)に召し抱えられたこともありましたが、のち町人になったと伝えられています。元結屋元祖の清兵衛が元禄2年(1689)に没しており、創業はその前後のことと考えられます。
宮津藩では町名主として町政に重きをなし、また藩財政にも深くかかわっていました。天保9年(1838)には幕府巡見使の本陣となり、慶応4年(1868)には、戊辰戦争の際の山陰道鎮撫使・西園寺公望の宿所ともなりました。
明治以降、蒸気船の登場で全国的に北前船が衰退し、三上家も酒造業を中心とした経営に転換しました。昭和初期には、三上勘兵衛が11代目の宮津町長を務めるなど、近代においても三上家は、宮津の政界・実業界で重要な位置を占めていました。
平成元年に京都府指定有形文化財となった三上家の住宅を、平成8年に宮津市が購入し、調査・整備を進め、平成12年春から一般公開しています。平成15年には主屋をはじめとする8棟が国の重要文化財に指定されました。その間、平成12年には庭園が京都府指定名勝となっています。
↓外観
↓拝観出入口
↓説明板
↓配置図
↓観覧券
↓酒造施設、手前は大釜
↓麹室
↓北前船コーナー
↓土間
ここからは、靴を脱いで座敷に上がります。
↓新座敷
↓玄関
↓表門
↑表門と武家屋敷の玄関は、1838年、幕府巡見使を迎える際、本陣としての形を整えるために造られた。
↓茶室
★三上家庭園 (京都府指定名勝)
庭園は敷地の南隅に位置し、ニワザシキ(庭座敷)から、南方向への座視鑑賞を主とする配置に築かれています。
池は縁先をめぐるかたちで蛇行し、庭園の中核となる低めの築山上部には、起伏に富んだひときわ背の高い石が豪快に据えられ、その周囲には上部が平らで安定感のある多数の立石を配置して、重畳とした石組の景観を形成しています。築山の裾は池のほぼ中央に突き出し、ニワザシキ側とは反りのある切石の橋で結ばれています。
家伝では、宮津藩御用庭師の江戸金の作庭と伝え、幕府巡見使や西園寺公望、有栖川宮熾仁親王をはじめ、当家を訪れたり宿泊した人々の目を楽しませたものと思われます。
石組の迫力が低下していく江戸時代中末期の民家庭園のなかで、一般的な傾向に反して、市中の限られた空間に池と築山を設け、特徴ある形の石を大胆に配置しており、座視鑑賞を強く意識した商家の庭園として価値の高いもので、平成12年に京都府指定名勝に指定されました。
↓茶室前より庭座敷を望む
↓庭座敷から茶室方面を望む
↓庭座敷から庭園を望む
↑一番の見所ですが、すべての障子が開けられていなかったのが残念です。
↓土の防火扉
※11時6分に旧三上住宅を出発し、「天橋立」へ向かいました。次回に続きます。
#################################
ココまだ行ってないですわ。いかにも京都の旧家らしいイイ感じのお庭ですね。
by シルフ (2015-08-26 08:10)
面白いところを見つけられますね、天橋立は何度も行ってますが、
ノーマークなところが多いです。また訪ねてみたくなりました。(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2015-08-26 09:27)
シルフさん、niceとコメント有難うございます。
建物内部は、どこでも撮影OKという太っ腹でした。
by たいちさん (2015-08-26 11:08)
路渡カッパさん、niceとコメント有難うございます。
宮津市のこの周辺には、寺院も多くあるので、次回はゆっくり散策したいです。この旧三上家住宅は、観覧者は私だけで、穴場ですね。
by たいちさん (2015-08-26 11:12)
★simousayama-unamiさん、nice有難うございます。
★YaCoHaさん、nice有難うございます。
★やってみよう♪さん、nice有難うございます。
★匁さん、nice有難うございます。
★ryo1216さん、nice有難うございます。
★DONさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-08-26 11:17)
★さらまわしさん、nice有難うございます。
★momoさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-08-26 16:31)
★(。・_・。)2kさん、nice有難うございます。
★g-lifeさん、nice有難うございます。
★めぎさん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
★しゅうちゃんさん、nice有難うございます。
★sarusanさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-08-26 23:12)
★ネオ・アッキーさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-08-27 21:09)
non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-08-30 21:55)
かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-08-31 23:29)