能勢街道Ⅰ(辻ヶ池公園~めんも坂) [能勢街道]
7月20日(月) 池田市は昔から交通の要所であり、西国街道や能勢街道など旧街道が沢山交差しています。今回から、我が町「池田市」を能勢街道に沿ってご紹介します。
◎能勢街道とは(Wikiよろ抜粋)
能勢街道(のせかいどう)は、大阪市北区中津から池田市を経て妙見山の能勢妙見堂に至る旧街道。 また、現在では旧街道に並行する、国道176号大阪~豊中~池田および国道173号池田~多田~能勢~篠山(但しバイパス等を除く)の通称・別称として使われることも多い。
近世には、池田街道、銀山街道とも呼ばれました。
池田や能勢で産する酒や衣類、木材が当街道によって大坂へ運ばれ、更には能勢から奥に続く丹波国の米、栗、炭、銀、銅などの搬出路でもあった。また終着地の能勢妙見をはじめ、沿道には服部天神宮、東光院(萩の寺)、原田神社、多田神社など社寺が並び、街道の途中から入った中山寺、勝尾寺などを含めての参拝路としても賑わいを見せた。明治9年(1876年)に太政官達60号で道路の種類及び等級が定められた際、能勢街道は大阪府下で3本のみの一等縦貫線に掲げられている。
ところで岡町から池田まで、古くは刀根山(現在の大阪大学豊中キャンパス南方)回りの山道を通っていた。この坂が急で物資運搬に支障をきたすため、明治27年(1894年)に現在の阪急豊中駅付近から石橋にかけ、比較的平坦な新道が開かれた。これを「新能勢街道」といい、現在の国道176号ルートとほぼ同じである。旧伊丹街道と交差する岡町付近では商店街となっています。
↓今回のコース
↓辻ヶ池公園
↓辻ヶ池公園の遊戯具
↓公園に隣接して南西角にある「あわんど池の辻地蔵」
街道は、一方通行の細い道を西に進みます。(表示がないので分かり難いです)
しばらく行くと、左側にお堂があります。
↓上池田薬師堂
↓薬師堂の駒札
↓薬師堂に掲げる額
池田城主池田氏の奥方が、阿波の三好一族から嫁いできたことから阿波の人々がこのあたりに多く住みつき御堂を「あわん堂」と呼ぶようになった。「上池田薬師堂」もしくは「極楽寺阿波堂」とも呼ばれ、桜の一木造りで高さ145cmの薬師如来像が小さい穴から拝観できる
↓薬師堂とは反対の右側の道を上がって行くと、我が母校「池田市立中学校」の正門です。
↓街道をなおも西へ進むと、左手に「星の宮」があります。
↓鳥居の下の道標
↓「星の宮」の説明板
↓星の宮の正門
↓本殿
↑織姫伝承の一つ。二人の織姫がこの場所で夜遅くまで機を織り、天から七つの星が降りてきて明るく照らしたという。これが星の宮の名前の由来。伊居太神社のお旅所で池田氏も代々支援していた。
毎年8月24日池田の「がんがら火祭り」に京都の愛宕神社から火をもらい受け、五月山に「大文字」を点火し、こどもたいまつ行列の火を収める場所となっている。
↓街道を進むと、「めんも坂」という下り坂があります。
↑左に見えるのは、「福助堂」という和菓子の老舗です。
↓坂の途中の右側の白い壁の建物は「池田文庫」です。
↑池田文庫は昔、「めん茂楼」があった所。ここを右側に上がって行けば、「逸翁美術館」や「小林一三記念館」があります。
↓池田文庫の向かい側、街道の左には「法園寺」があります。
↑昔の街道は、ここから急激な下り石段になっていたので、迂回して法園寺の横の道から荷物を運んだので、「牛追い坂」と呼ばれていました。
法園寺(ほうおんじ)は、浄土宗知恩院末寺。
天文7年(1537)に創立、永禄元年(1558)に再建。池田城主の勝正の後室の冥福を祈るための御堂も建てられるも、その後上池田に移転され「あわん堂」(薬師堂)として今も残る。
※めんも坂を下って行くと、池田の中心街である栄本町に通じています。
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◎能勢街道とは(Wikiよろ抜粋)
能勢街道(のせかいどう)は、大阪市北区中津から池田市を経て妙見山の能勢妙見堂に至る旧街道。 また、現在では旧街道に並行する、国道176号大阪~豊中~池田および国道173号池田~多田~能勢~篠山(但しバイパス等を除く)の通称・別称として使われることも多い。
近世には、池田街道、銀山街道とも呼ばれました。
池田や能勢で産する酒や衣類、木材が当街道によって大坂へ運ばれ、更には能勢から奥に続く丹波国の米、栗、炭、銀、銅などの搬出路でもあった。また終着地の能勢妙見をはじめ、沿道には服部天神宮、東光院(萩の寺)、原田神社、多田神社など社寺が並び、街道の途中から入った中山寺、勝尾寺などを含めての参拝路としても賑わいを見せた。明治9年(1876年)に太政官達60号で道路の種類及び等級が定められた際、能勢街道は大阪府下で3本のみの一等縦貫線に掲げられている。
ところで岡町から池田まで、古くは刀根山(現在の大阪大学豊中キャンパス南方)回りの山道を通っていた。この坂が急で物資運搬に支障をきたすため、明治27年(1894年)に現在の阪急豊中駅付近から石橋にかけ、比較的平坦な新道が開かれた。これを「新能勢街道」といい、現在の国道176号ルートとほぼ同じである。旧伊丹街道と交差する岡町付近では商店街となっています。
↓今回のコース
↓辻ヶ池公園
↓辻ヶ池公園の遊戯具
↓公園に隣接して南西角にある「あわんど池の辻地蔵」
街道は、一方通行の細い道を西に進みます。(表示がないので分かり難いです)
しばらく行くと、左側にお堂があります。
↓上池田薬師堂
↓薬師堂の駒札
↓薬師堂に掲げる額
池田城主池田氏の奥方が、阿波の三好一族から嫁いできたことから阿波の人々がこのあたりに多く住みつき御堂を「あわん堂」と呼ぶようになった。「上池田薬師堂」もしくは「極楽寺阿波堂」とも呼ばれ、桜の一木造りで高さ145cmの薬師如来像が小さい穴から拝観できる
↓薬師堂とは反対の右側の道を上がって行くと、我が母校「池田市立中学校」の正門です。
↓街道をなおも西へ進むと、左手に「星の宮」があります。
↓鳥居の下の道標
↓「星の宮」の説明板
↓星の宮の正門
↓本殿
↑織姫伝承の一つ。二人の織姫がこの場所で夜遅くまで機を織り、天から七つの星が降りてきて明るく照らしたという。これが星の宮の名前の由来。伊居太神社のお旅所で池田氏も代々支援していた。
毎年8月24日池田の「がんがら火祭り」に京都の愛宕神社から火をもらい受け、五月山に「大文字」を点火し、こどもたいまつ行列の火を収める場所となっている。
↓街道を進むと、「めんも坂」という下り坂があります。
↑左に見えるのは、「福助堂」という和菓子の老舗です。
↓坂の途中の右側の白い壁の建物は「池田文庫」です。
↑池田文庫は昔、「めん茂楼」があった所。ここを右側に上がって行けば、「逸翁美術館」や「小林一三記念館」があります。
↓池田文庫の向かい側、街道の左には「法園寺」があります。
↑昔の街道は、ここから急激な下り石段になっていたので、迂回して法園寺の横の道から荷物を運んだので、「牛追い坂」と呼ばれていました。
法園寺(ほうおんじ)は、浄土宗知恩院末寺。
天文7年(1537)に創立、永禄元年(1558)に再建。池田城主の勝正の後室の冥福を祈るための御堂も建てられるも、その後上池田に移転され「あわん堂」(薬師堂)として今も残る。
※めんも坂を下って行くと、池田の中心街である栄本町に通じています。
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能勢街道記事期待しています。
今日からGIANTS戦
楽しみです。
by 匁 (2015-07-20 09:14)
匁さん、niceとコメント有難うございます。
能勢街道の記事は、ぼちぼち更新いく予定です。我が町のことを知らないと痛感しましたね。
by たいちさん (2015-07-20 15:53)
★simousayama-unamiさん、nice有難うございます。
★ryo1216さん、nice有難うございます。
★いっぷくさん、nice有難うございます。
★やってみよう♪さん、nice有難うございます。
★kawasemiさん、nice有難うございます。
★tarouさん、nice有難うございます。
★nikiさん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
★g-lifeさん、nice有難うございます。
★momoさん、nice有難うございます。
★Ujiki.oOさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-20 16:00)
★mwainfoさん、nice有難うございます。
★sarusanさん、nice有難うございます。
★しゅうちゃんさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-20 22:54)
takaさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-21 17:21)
かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-23 22:11)
non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-25 21:38)