義仲寺Ⅱ(滋賀県大津市) [寺社]
7月17日(金) 昨日に続き、義仲寺の記事です。このお寺は、見所がたっぷりです。
今回は、墓所や句碑を中心にアップします。
義仲寺の境内には、芭蕉の句碑3個ほか、17個の句碑があります。
◎義仲寺(ぎちゅうじ)
http://www.livedo.net/tabi/103.html
↓木曽義仲公の墓
↑自らを朝日将軍と名乗り、1184年に宇治川の戦いにて頼朝軍に敗れ、1月20日にこの地で果てた木曽義仲の墓。芭蕉は「木曽塚」と唱えた。
↓芭蕉翁の墓
↑芭蕉は元禄7年(1694)10月12日、大阪の花屋仁右衛門宅で病で倒れた、享年51歳。遺言により遺骸は義仲寺に葬られた。
↓巴塚
↑木曽義仲公の側室・巴御前の塚。武勇すぐれた美女で、武将として義仲公を助けたという。
↓佐渡の赤石
↑日本三大名石のひとつで、非常に硬く磨くと光沢とともに不思議な赤い色彩を放つ。
↓山吹塚
↑義仲公の側女・山吹御前の塚。もとはJR大津駅前にあったが、駅の拡張工事にともない、昭和48年12月に当寺内に移された。
↓曲翠墓
↑膳所藩士菅沼曲翠(初め曲水)は、芭蕉の最も信頼した門人の一人。幻住庵は曲翠が芭蕉に提供したもの。享保2年(1717)7月20日、曲翠は藩の悪家老曽我権太夫を槍で刺殺し、自らも責任をとって切腹した。当初曲翠の墓は作られなかったが、昭和48年当時内に初めて「曲翠墓」を建立した。
↓芭蕉翁真蹟句碑⑦「行春を おうみの人と おしみける」
↓芭蕉翁の句碑⑬「古池や 蛙飛こむ 水の音」
↓芭蕉翁の句碑⑮「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」
↓羽州の句碑⑤「身のほどを かへり見る日ぞ 初しぐれ」
↓三浦義一翁歌碑(A)「かくのごとき をみなのありと かってまた おもひしことは われになかりき」
↓三浦義一翁歌碑(B)「としつきは 過ぎにしとおもふ 近江ぬの みづうみのうへを わたりゆく月」
↓露城の句碑⑰「さまざまの 露ひとむらの さかり哉」(右下)
↑芭蕉翁200回忌・300回忌の供養塔が建っています。
↓朝日将軍木曽源公遺跡の碑
↓又玄の句碑⑫「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」
↓朴因居士の句碑⑪「いく夜寝ぬ 身のおろかさよ ほととぎす」
↑背後の建物は「無名庵」。無名庵に芭蕉はたびたび宿泊した。
↓魯人の句碑⑩「月の湖 鳰は浮いたり しづみたり」、左は蝶夢玄阿佛の句碑⑧「初雪や 日枝より南 さり気なき」
↑背後の建物は「粟津文庫」。寛政3年(1791)蝶夢法師の創設。昭和51年11月改築。
↓露城の句碑⑥「粟津野に 深田も見えず 月の秋」
↓不祥な墓所
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今回は、墓所や句碑を中心にアップします。
義仲寺の境内には、芭蕉の句碑3個ほか、17個の句碑があります。
◎義仲寺(ぎちゅうじ)
http://www.livedo.net/tabi/103.html
↓木曽義仲公の墓
↑自らを朝日将軍と名乗り、1184年に宇治川の戦いにて頼朝軍に敗れ、1月20日にこの地で果てた木曽義仲の墓。芭蕉は「木曽塚」と唱えた。
↓芭蕉翁の墓
↑芭蕉は元禄7年(1694)10月12日、大阪の花屋仁右衛門宅で病で倒れた、享年51歳。遺言により遺骸は義仲寺に葬られた。
↓巴塚
↑木曽義仲公の側室・巴御前の塚。武勇すぐれた美女で、武将として義仲公を助けたという。
↓佐渡の赤石
↑日本三大名石のひとつで、非常に硬く磨くと光沢とともに不思議な赤い色彩を放つ。
↓山吹塚
↑義仲公の側女・山吹御前の塚。もとはJR大津駅前にあったが、駅の拡張工事にともない、昭和48年12月に当寺内に移された。
↓曲翠墓
↑膳所藩士菅沼曲翠(初め曲水)は、芭蕉の最も信頼した門人の一人。幻住庵は曲翠が芭蕉に提供したもの。享保2年(1717)7月20日、曲翠は藩の悪家老曽我権太夫を槍で刺殺し、自らも責任をとって切腹した。当初曲翠の墓は作られなかったが、昭和48年当時内に初めて「曲翠墓」を建立した。
↓芭蕉翁真蹟句碑⑦「行春を おうみの人と おしみける」
↓芭蕉翁の句碑⑬「古池や 蛙飛こむ 水の音」
↓芭蕉翁の句碑⑮「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」
↓羽州の句碑⑤「身のほどを かへり見る日ぞ 初しぐれ」
↓三浦義一翁歌碑(A)「かくのごとき をみなのありと かってまた おもひしことは われになかりき」
↓三浦義一翁歌碑(B)「としつきは 過ぎにしとおもふ 近江ぬの みづうみのうへを わたりゆく月」
↓露城の句碑⑰「さまざまの 露ひとむらの さかり哉」(右下)
↑芭蕉翁200回忌・300回忌の供養塔が建っています。
↓朝日将軍木曽源公遺跡の碑
↓又玄の句碑⑫「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」
↓朴因居士の句碑⑪「いく夜寝ぬ 身のおろかさよ ほととぎす」
↑背後の建物は「無名庵」。無名庵に芭蕉はたびたび宿泊した。
↓魯人の句碑⑩「月の湖 鳰は浮いたり しづみたり」、左は蝶夢玄阿佛の句碑⑧「初雪や 日枝より南 さり気なき」
↑背後の建物は「粟津文庫」。寛政3年(1791)蝶夢法師の創設。昭和51年11月改築。
↓露城の句碑⑥「粟津野に 深田も見えず 月の秋」
↓不祥な墓所
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★simousayama-unamiさん、nice有難うございます。
★いっぷくさん、nice有難うございます。
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by たいちさん (2015-07-17 12:11)
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by たいちさん (2015-07-17 15:55)
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by たいちさん (2015-07-17 22:07)
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by たいちさん (2015-07-18 10:42)
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by たいちさん (2015-07-18 19:28)
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by たいちさん (2015-07-23 22:13)