義仲寺Ⅰ(滋賀県大津市)、阪神前半借金ターン [寺社]
7月16日(木) 6月13日に、びわ湖大津館(イングリッシュ・ガーデン)、三井寺(園城寺)、長等神社、三尾神社を巡る旅をし、この日最後に訪れたのは、源義仲の墓がある「義仲寺」です。境内は狭いが見所が沢山あるお寺です。
◎義仲寺 (ぎちゅうじ)
住所:滋賀県大津市馬場1-5-12
電話:077-523-2811
山号:朝日山。宗派:単立(天台宗系)。本尊:聖観音菩薩
創建:室町末期(1553年)佐々木六角(近江守護)。境内全域が国の史跡に指定
拝観料:大人300円。駐車場はないので、近くの有料パーキングに停めた
受付でペット同伴の許可を貰う(好意的で感謝)
【由来】
源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。戦国時代に荒廃したが、天文22年(1553年)頃、近江守・佐々木氏によって再興された。当初は石山寺の配下であったが、江戸時代には園城寺に属した。
俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉だが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志により義仲墓の横に葬られた。又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。その後、再び荒廃した同寺だが、京都の俳僧蝶夢が数十年の歳月をかけて中興する。1793年には盛大に芭蕉百回忌を主催した。だが昭和期、敗戦後にまた荒廃壊滅の危機に瀕する。1965年(昭和40年)に再興された折に園城寺・三井寺円満院より独立し、単立の寺院となった。再建資金は、篤志家の寄進による。(以上はWikiより)
境内には芭蕉の3つの句碑を含め、19個の句碑があるのも見どころの一つです。
【源 義仲】
源 義仲 (みなもと の よしなか )は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。
以仁王の令旨によって1180年挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と平氏の狼藉によって荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安維持の失敗と大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いでこの地で討たれた。享年31歳。
↓境内図
↓正面の道路は「旧東海道」
↓山門の横にある駒札
↓山門から境内を望む
↓巴地蔵堂
↑山門前右手の堂に、石彫地蔵尊を祀る。巴御前を追福するもの。
↓史料観
↑粟津文庫に収蔵の史料什宝を適時取り替え展観する。昭和51年秋、文庫改築のときに開設。
↓朝日堂(本堂)
↑義仲寺の本堂で、本尊は木彫・聖観世音菩薩。義仲公、義高公父子の木像を厨子に納める。義仲公、今井兼平、芭蕉翁、丈艸諸位ほか合わせて31柱の位牌を安置。現在の朝日堂は昭和54年(1979)に改築されたもの。
↓翁堂
↑正面祭壇に芭蕉翁座像、左右に丈艸居士、去来先生の木像、側面に蝶夢法師胸像を安置する。
正面壁上に「正風宗師」の額。左右の壁上には三十六俳人の画像を掲げる。天井の絵は、伊藤若冲筆四季花卉の図。翁堂は蝶夢法師が明和6年(1769)に再興。翌7年に画像完成。安政3年(1856)類焼、同5年再建。現在の画像は明治21年(1888)に穂積永機が、類焼したものに似た画像を制作し奉納したもの。
↓身余堂文庫
↓古井戸と大芭蕉
↓木曽八幡社
↑義仲寺の鎮守として、古図に見える。昭和51年(1976)社殿鳥居を併せ新造。
※今回は、建物を中心に紹介しましたが、次回は墓所や句碑などを紹介します。
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◎昨日の阪神タイガース(前半戦の最終試合)
回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 42,066人
広島:000・100・101・・・・・・・3・・・・・・・・(6)
阪神:000・000・000・・・・・・・0・・・・・・・・(6)
【マルチ安打】上本2
【投手】
●メッセンジャー 6回:4安打、7三振、2四球、1失点(5勝7敗)
・加藤 3分の1:無安打、無三振、1四球、1失点
・安藤 3分の2:1安打、1三振、無四球、1失点
・福原 1回:無安打、1三振、無四球、無失点
・ 呉 1回:1安打、無三振、1四球、1失点
・薮田 4回:2安打、2三振、6四死球、無失点
○戸田 2回:1安打、1三振、1四球、無失点(2勝)
S中崎 1回:2安打、無三振、無四球、無失点(5敗12S)
※タイムリー安打が出ず、いらいらが募る試合でした。阪神は3年ぶりの借金ターンです。
↓前半戦終了結果。DeNAが首位ターンしました。
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◎義仲寺 (ぎちゅうじ)
住所:滋賀県大津市馬場1-5-12
電話:077-523-2811
山号:朝日山。宗派:単立(天台宗系)。本尊:聖観音菩薩
創建:室町末期(1553年)佐々木六角(近江守護)。境内全域が国の史跡に指定
拝観料:大人300円。駐車場はないので、近くの有料パーキングに停めた
受付でペット同伴の許可を貰う(好意的で感謝)
【由来】
源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。戦国時代に荒廃したが、天文22年(1553年)頃、近江守・佐々木氏によって再興された。当初は石山寺の配下であったが、江戸時代には園城寺に属した。
俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉だが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志により義仲墓の横に葬られた。又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。その後、再び荒廃した同寺だが、京都の俳僧蝶夢が数十年の歳月をかけて中興する。1793年には盛大に芭蕉百回忌を主催した。だが昭和期、敗戦後にまた荒廃壊滅の危機に瀕する。1965年(昭和40年)に再興された折に園城寺・三井寺円満院より独立し、単立の寺院となった。再建資金は、篤志家の寄進による。(以上はWikiより)
境内には芭蕉の3つの句碑を含め、19個の句碑があるのも見どころの一つです。
【源 義仲】
源 義仲 (みなもと の よしなか )は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。
以仁王の令旨によって1180年挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と平氏の狼藉によって荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安維持の失敗と大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いでこの地で討たれた。享年31歳。
↓境内図
↓正面の道路は「旧東海道」
↓山門の横にある駒札
↓山門から境内を望む
↓巴地蔵堂
↑山門前右手の堂に、石彫地蔵尊を祀る。巴御前を追福するもの。
↓史料観
↑粟津文庫に収蔵の史料什宝を適時取り替え展観する。昭和51年秋、文庫改築のときに開設。
↓朝日堂(本堂)
↑義仲寺の本堂で、本尊は木彫・聖観世音菩薩。義仲公、義高公父子の木像を厨子に納める。義仲公、今井兼平、芭蕉翁、丈艸諸位ほか合わせて31柱の位牌を安置。現在の朝日堂は昭和54年(1979)に改築されたもの。
↓翁堂
↑正面祭壇に芭蕉翁座像、左右に丈艸居士、去来先生の木像、側面に蝶夢法師胸像を安置する。
正面壁上に「正風宗師」の額。左右の壁上には三十六俳人の画像を掲げる。天井の絵は、伊藤若冲筆四季花卉の図。翁堂は蝶夢法師が明和6年(1769)に再興。翌7年に画像完成。安政3年(1856)類焼、同5年再建。現在の画像は明治21年(1888)に穂積永機が、類焼したものに似た画像を制作し奉納したもの。
↓身余堂文庫
↓古井戸と大芭蕉
↓木曽八幡社
↑義仲寺の鎮守として、古図に見える。昭和51年(1976)社殿鳥居を併せ新造。
※今回は、建物を中心に紹介しましたが、次回は墓所や句碑などを紹介します。
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◎昨日の阪神タイガース(前半戦の最終試合)
回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 42,066人
広島:000・100・101・・・・・・・3・・・・・・・・(6)
阪神:000・000・000・・・・・・・0・・・・・・・・(6)
【マルチ安打】上本2
【投手】
●メッセンジャー 6回:4安打、7三振、2四球、1失点(5勝7敗)
・加藤 3分の1:無安打、無三振、1四球、1失点
・安藤 3分の2:1安打、1三振、無四球、1失点
・福原 1回:無安打、1三振、無四球、無失点
・ 呉 1回:1安打、無三振、1四球、1失点
・薮田 4回:2安打、2三振、6四死球、無失点
○戸田 2回:1安打、1三振、1四球、無失点(2勝)
S中崎 1回:2安打、無三振、無四球、無失点(5敗12S)
※タイムリー安打が出ず、いらいらが募る試合でした。阪神は3年ぶりの借金ターンです。
↓前半戦終了結果。DeNAが首位ターンしました。
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阪神、昨日勝てば広島との対戦成績がタイになったのに・・・
12残塁の完封負けとは。(>_<)
by 路渡カッパ (2015-07-16 12:34)
路渡カッパさん、niceとコメント有難うございます。
よくある拙い試合を見せつけられましたね。オールスター休暇で、リスタートですね。
by たいちさん (2015-07-16 19:50)
★simousayama-さん、nice有難うございます。
★ネオ・アッキーさん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
★やってみよう♪さん、nice有難うございます。
★シルフさん、nice有難うございます。
★ryo1216さん、nice有難うございます。
★makimakiさん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
★いっぷくさん、nice有難うございます。
★ぼんぼちぼちぼちさん、nice有難うございます。
★g-lifeさん、nice有難うございます。
★tarouさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-16 19:56)
★sarusanさん、nice有難うございます。
★momoさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-16 23:52)
匁さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-17 12:24)
non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-18 19:28)
かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2015-07-23 22:14)