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35番 清瀧寺2(高知県土佐市)、甲子園での連敗ストップ [四国八十八]

7月26日(木)   35番札所「清瀧寺」の続きの記事です。

◎清瀧寺(きよたきじ)
住所:高知県土佐市高岡町丁568-1
電話:088-852-0316
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/35kiyotakiji/index.html
山号:醫王山。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来
創建:養老7年(723)。開基:行基
正式名:醫王山 鏡池院 清瀧寺
札所:四国八十八個所35番

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:澄む水を 汲むは心の清滝寺 波の花散る 岩の羽衣

清瀧寺35・境内図.jpg

寺伝によれば養老7年(723年)行基が本尊薬師如来を刻み、寺を開創し、景山密院繹木寺(けいさんみついんたくもくじ)と称したという。その後空海(弘法大師)が巡錫、五穀豊穣を祈願して山中で一七日(7日間)の修法を行い、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になったことから醫王山鏡池院清瀧寺と改めたという。
平城天皇の第3皇子である高岳親王は薬子の変に連座したことから仏門に入り空海の弟子となり真如と名乗った。貞観3年(861年)に本寺に来錫し逆修塔(生前墓)を建てた。

↓この石段を上がれば、「本堂」等が配置されています
清瀧寺17・石段の上が本堂.jpg

↓本堂
清瀧寺18・本堂.jpg
清瀧寺19・本堂の彫刻.jpg

↓子安地蔵堂
清瀧寺20・子安地蔵堂.jpg

↓瀧と水子地蔵
清瀧寺21・瀧.jpg
↑本堂の右斜面に流れる、奥之院の閼伽井を水源として流れていると言われている。

↓護摩堂
清瀧寺22・護摩堂.jpg
↑本堂と大師堂は元は別々の建物であったが、その間に、先代住職(平成8年遷化)が護摩堂を設置し繋がった状態になった。

↓大師堂
清瀧寺23・大師堂.jpg
清瀧寺24・大師堂.jpg

↓観音堂
清瀧寺25・観音堂.jpg

↓地蔵堂
清瀧寺26・地蔵堂.jpg

↓高岳親王逆修塔がある「入らずの山」
清瀧寺27・高岳親王逆修塔.jpg
↑県指定史跡です。逆修塔とは、生前に自分を追善供養する塔。
高岳親王(たかおかしんのう、延暦18年(799年) - 貞観7年(865年)?)は、平安時代初期の皇族・僧侶。法名は真如。平城天皇の第三皇子。異母兄に阿保親王、甥に在原業平がいる。品位は四品。出家し真如と名乗った。奈良の宗叡・修円、また空海(弘法大師)の弟子として修行した。弘法大師の十大弟子の1人となり、高野山に親王院を開いた。阿闍梨の位をうけ、また『胎蔵次第』を著した。承和2年(835年)に空海が入定すると、高弟の1人として遺骸の埋葬に立ち会っている。

駐車場の周辺に記念碑等があります。

↓傷痍之碑
清瀧寺28・傷痍之碑.jpg

↓第57回選抜高校野球で優勝した高知県立伊野商業高校の記念碑
清瀧寺29・伊野商.jpg
渡辺智男投手は、3年春に選抜高校野球大会に出場し、これが同校初の全国大会となった。渡辺自身を含めチームは1回戦突破を目標としていたが、抽選の結果、初戦の相手はチーム打率が4割を超す東海大浦安となった。しかし1回表に渡辺の本塁打で先制して流れをつかみ、5対1で勝利。これによってチームの緊張が解け、落ち着いてプレーできたという。準決勝では清原和博、桑田真澄らを擁するPL学園と対戦。伊野商が初出場だった事もあり、下馬評では圧倒的有利だったPL側は投手対策を特に立てておらず、渡辺が清原を3三振に封じ込めるなどわずか1失点の好投で勝利した。決勝の対帝京戦では自ら本塁打を放ち、小林昭則との投げ合いを13奪三振の完封で制して優勝した。

車で来たので、分からなかった、「仁王門」へ降りて見て来ました。

↓仁王門
清瀧寺30・仁王門.jpg

↓金剛力士
清瀧寺32.jpg清瀧寺31・金剛力士.jpg

↓天井画
清瀧寺33・天井.jpg
清瀧寺34・天井画.jpg
↑仁王門の天井には、明治33年(1900)久保南窓による八方にらみの龍が描かれています。これは土佐市の有形文化財に指定されています。

※35番清瀧寺を11時13分出発に、37番岩本寺に向かいました。長距離ドライブですので、高知自動車道の土佐I.C.から入りました。(このため36番を先にしたのです)。
途中、道の駅へ立ち寄り昼食しました。これらは次回アップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、46,752人
広島:100・011・000・・・・3・・・・(5)
阪神:004・101・00×・・・・6・・・・(11)

【本塁打】バティスタ15号ソロ(6回、才木)
【マルチ安打】糸原2、北條3、陽川2
【打点】北條2、伊藤隼1、ナバーロ2、原口1
【失策】糸原(5回)
【投手】
○ 才木 5回3分の0、24人:4安打、5三振、4四球、3失点(自責2)(3勝3敗)
H 能見   1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
H 藤川   1回、3人:無安打、無三振、無四球、無失点
H 桑原   1回、5人:1安打、3三振、1四球、無失点
S ドリス  1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点(1勝3敗21S)
● 九里   4回、21人:8安打、3三振、2四球、5失点(4勝3敗)

※甲子園での連敗を5で、広島との連敗を6で、ストップさせました。
これで、借金は5の、4位です。首位広島とは10ゲーム差です。
※甲子園で久しぶりの勝利でしたので、ヒーローは3人と、大盤振る舞いでした。
阪神3・北條.jpg
阪神4・ナバーロ.jpg
阪神5・原口.jpg
↑原口選手の代打打率は0.517と驚異の数字です。現在、代打安打は15です。桧山が保持している球団代打シーズン最多安打は23ですので、これを超える勢いですね。

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35番 清瀧寺1(高知県土佐市) [四国八十八]

7月25日(水)   只今、柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)を連載中です。
4月23日(月)36番青龍寺を10時17分出発し、35番清瀧寺に向かいました。清瀧寺に向かう道路は、車での遍路の一番の難所でした。清瀧寺までの1kmが急な狭いカーブの多い山道で車のすれ違いができません。大型車やマイクロバスは通行できません。私は対向車に出会わないことを祈って走りましたが、幸いにも対向車には出会いませんでした。10時44分清瀧寺に到着しました。

◎清瀧寺(きよたきじ)
住所:高知県土佐市高岡町丁568-1
電話:088-852-0316
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/35kiyotakiji/index.html
山号:醫王山。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来
創建:養老7年(723)。開基:行基
正式名:醫王山 鏡池院 清瀧寺
札所:四国八十八個所35番

【歴史・由来】
土佐市の北部。醫王山の中腹にあるが、ここは「土佐和紙」「手すき障子紙」で知られる高知県の紙どころ。その源をたどると弘法大師と因縁浅からぬ霊場であることがわかる。「みつまた」をさらし、和紙を漉く重要な水の源泉として、信仰の厚い札所である。
縁起によると、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・繹木寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。
 この水は、麓の田畑を潤すことはもとより、「みつまた」をさらし、紙を漉くうえで重宝され、やがては土佐和紙産業をおこすことにも貢献している。
寺伝では、平城天皇(在位806〜09)の第三皇子が弘法大師の夢のお告げで出家し、真如と名のった。真如はこの寺を訪ね、息災増益を祈願して、逆修の五輪塔を建立、後に入唐している。大師十大弟子の1人である。また、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、厄除け祈願のために寺領数百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍を備え、末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。
厄除け祈願の名刹で、そのシンボルが本堂の屋根より高い大きな薬師如来像である。

清瀧寺1.jpg清瀧寺2.jpg

↓境内の駐車場(志納金200円)
清瀧寺3・駐車場.jpg
↑バスで遍路している人を麓からマイクロバスで送迎しています。マイクロバスが、あの狭い急坂を走ってくるのは想像できませんでした。

↓駐車場から見た境内の様子。正面奥が本堂
清瀧寺4・駐車場より境内風景.jpg

↓琴平神社の鳥居
清瀧寺5・琴平神社鳥居.jpg

↓琴平神社の本殿
清瀧寺6・琴平神社本殿.jpg
↑高知県保護有形文化財。当寺の管理ではない。

↓消防車
清瀧寺7・消防車.jpg
↑万一の火災の時、消防車が上がってこれないので、消防車が常駐しているそうです。

↓遥拝門
清瀧寺8・遙拝門.jpg

↓鐘楼
清瀧寺9・鐘楼.jpg

↓本坊の庭
清瀧寺10・本坊の庭.jpg
清瀧寺11・本坊.jpg

↓納経所
清瀧寺12・納経所.jpg

↓御朱印
清瀧寺13・朱印.jpg

↓手水舎
清瀧寺14・手水舎.jpg

↓伊東象岳大和尚寿像
清瀧寺15・伊東象岳大和尚寿像.jpg
↑土佐名誉市民である塩見俊二が厚生大臣の時に建立。伊東象岳を検索したが経歴不詳。

↓厄除け薬師如来像
清瀧寺16・厄除け薬師如来像.jpg
↑像高15m、台座の中に入り88段の戒壇巡りをすると厄除けのご利益がある。昭和8年、製紙業者により寄贈。

※次回に続きます。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、46,508人
広島:200・001・000・・・・3・・・・(7)
阪神:000・000・100・・・・1・・・・(6)

【本塁打】菊池9号2ラン(1回、岩田)、鈴木14号ソロ(6回、望月)
【マルチ安打】糸原2
【打点】俊介1
【投手】
● 岩田   5回、20人:4安打、7三振、2四球、2失点(2敗)
・望月   2回、9人:2安打、4三振、1四球、1失点
・岩崎   1回、6人:1安打、2三振、2四球、無失点
岡本   1回、4人:無安打、無三振、1四球、無失点
○ ジョンソン6回3分の1、27人:5安打、6三振、4四球、1失点(7勝2敗)
S 中崎   1回、5人:1安打、2三振、1四球、無失点(24S)

※ホーム・甲子園で5連敗、借金9.
※広島には6連敗で、今日・明日連敗すれば、阪神の自力V消滅の危機です。

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36番 青龍寺2(高知県土佐市)、第159回芥川賞・直木賞選考 [四国八十八]

7月20日(金)   36番札所「青龍寺」の続きです。

◎青龍寺(しょうりゅうじ)
住所:高知県土佐市宇佐町竜163
電話:088-856-3010
山号:独鈷山。宗派:真言宗豊山派。本尊:波切不動明王
創建:弘仁6年(815)。開基:空海(弘法大師)。
中興年:正保年間(1644-1648)。中興:山内忠義
正式名:独鈷山 伊舎那院 青龍寺。別称:波切不動
札所:四国八十八ヶ所36番
http://www.ko-pri.com/88/kochi/36/36_syoryuji.htm
本尊真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌:わずかなる 泉に棲める 青龍は 仏法守護の 誓ひとぞきく

寺伝によれば弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。弘仁6年(815年)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。本尊の波切不動は、空海が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、不動明王が現れて剣で波を切って救ったといわれ、空海がその姿を刻んだものであると伝える。 江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩2代藩主山内忠義によって正保年間(1644年 - 1648年)に再興された。しかし、宝永4年(1707年)には地震と津波で大きな被害を受け、江戸末期に再建された。
なお、本堂のある上段が如意山で、客殿のあるところが摩尼山の麓で、奥の院のある所が独鈷山であり、薬師如来が本尊の寺があった如意山に、奥の院の本尊不動明王を移し、その薬師如来は横に置かれ、そのあと大師堂を造ってずらっと並んだ伽藍の一つの寺になったとみられる。

青龍寺34・境内図.png

↓水子地蔵堂
青龍寺19・水子地蔵堂.jpg

↓聖天堂
青龍寺20・聖天堂.jpg

↓慈母観音
青龍寺21・慈母観音.jpg

↓不動明王と行場
青龍寺21・不動明王と行場.jpg

↓177段の石段
青龍寺22・177段の石段.jpg
↑この石段のエピソードは、大相撲の元横綱「朝青龍」です。モンゴル人初の横綱として素晴らしい成績を残し2010年に引退した力士ですが、高校生のときにモンゴルから相撲留学していたのが、「青龍寺」近くの「明徳義塾高校」で、この石段を登って体を鍛えていたこともあるそうです。
四股名「朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)」は、「青龍寺」からとったとのこと。

↓手水舎
青龍寺23・手水舎.jpg

↓弁天堂
青龍寺24・弁財天.jpg

↓本堂
青龍寺25・本堂.jpg
青龍寺26・本堂.jpg
↑恵果和尚と弘法大師の肖像画が並んで掲げられ、寄木造の愛染明王像(重文)も安置されている。毎月旧暦28日に本堂と大師堂が開扉され愛染明王像が拝顔できる。

↓波切不動明王
青龍寺27・不動明王.jpg

↓大師堂
青龍寺28・大師堂.jpg
青龍寺29・大師堂.jpg
↑寺号の青龍寺は恵果和尚が住した唐の青龍寺に倣ったといいます。またこの伽藍配置が大師堂・本堂・薬師堂と一直線に並ぶのも唐の青龍寺に倣っています。

↓薬師堂
青龍寺30・薬師堂.jpg

↓白山大権現
青龍寺31・白山大権現.jpg

↓西国三十三観音堂
青龍寺32・西国三十三観音堂.jpg

↓ミニ四国88個所
青龍寺33・ミニ四国88ヶ所.jpg

※10時17分青龍寺を出発し、35番清瀧寺へ向かいました。次回に続きます。

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◎第159回芥川賞に高橋弘希さん、直木賞は島本理生さん
https://www.asahi.com/articles/ASL7D5699L7DUCVL00T.html?iref=comtop_list_nat_n03
↓(朝日新聞デジタル)
第159回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が18日、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、芥川賞に高橋弘希さん(38)の「送り火」(文学界5月号)、直木賞に島本理生(りお)さん(35)の「ファーストラヴ」(文芸春秋)が選ばれた。副賞は各100万円。贈呈式は8月下旬、東京都内で開かれる。

高橋さんは1979年、青森県十和田市生まれ。大学卒業後、予備校講師やロックバンドの活動を経て2014年、「指の骨」で新潮新人賞を受けデビュー。17年「日曜日の人々(サンデーピープル)」で野間文芸新人賞。4度目の候補で芥川賞を射止めた。
 受賞作は、都会から青森に転校した中学3年の少年の視点で地方の閉塞(へいそく)感を描く。幻想を交えた繊細な描写で、時に暴力的な少年たちの関係の変化をとらえた。選考委員の作家、島田雅彦さんは「最初の投票で過半数の票を得た。現在に近い話なのに別の時代のようなタイムスリップ感があり、ただ事ではない。言葉で別世界を構築するフィクションの醍醐味(だいごみ)がある」と評した。
 高橋さんは受賞の気持ちを聞かれて「会見をしろということで引っ張り出されてきました。評価されることはうれしいけれど」と淡々と話した。選考委員から「言葉で別世界を構築する」と評価された文体について問われると、「あまり意識してはいないが、うそっぽくならないように書いている」と語った。

島本さんは1983年、東京都生まれ。高校在学中の2001年に「シルエット」で群像新人文学賞優秀作を受けデビューした。03年には「リトル・バイ・リトル」で野間文芸新人賞、15年には「Red」で島清(しませ)恋愛文学賞を受賞した。
 受賞作は、就職活動中の女子大生が逮捕され、面接の帰りに父親を殺害したとされる事件に材を取り、ノンフィクション執筆を依頼された臨床心理士が、家族像や人間模様の複雑さを浮かび上がらせる長編。選考委員の作家、北方謙三さんは「文章に抑制が利いていて、その中で闇をかきわけ、深いところに手が届く作品」と話した。
 島本さんは「(候補になったのは)芥川賞で4回、直木賞で2回。18年間、折に触れて待っていた。ほっとしました」「若い時は自分のために賞が欲しかったが、ここ数年は読者やお世話になった担当(編集者)のために、と思うようになりました」などと話した。
 夫も作家の佐藤友哉さん。小学生の子供がいるが、島本さんの執筆時には佐藤さんが育児や食事を担当しているという。「夫のおかげ。子供がいたことで視野も広がった」と笑顔で振り返った。

【過去の芥川賞・直木賞のブログ記事】
2015年1月16日掲載
2017年1月21日掲載
2017年7月20日掲載
2018年1月18日掲載

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36番 青龍寺1(高知県土佐市) [四国八十八]

7月19日(木)   只今、柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)を連載中です。
4月23日(月)34番「種間寺」を9時27分に出発し、9時50分36番「青龍寺」に到着しました。35番札所より先に36番に参拝したのは、以降の行程の都合上です。

◎青龍寺(しょうりゅうじ)
住所:高知県土佐市宇佐町竜163
電話:088-856-3010
駐車場:寺の無料駐車場の手前に広い駐車場があります(ここは有料ですが、間違って駐車する人が多いそうです。私も有料駐車場に入れました。料金箱だけあり100円です)
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/36shoryuji/index.html
山号:独鈷山。宗派:真言宗豊山派。本尊:波切不動明王
創建:弘仁6年(815)。開基:空海(弘法大師)。
中興年:正保年間(1644-1648)。中興:山内忠義
正式名:独鈷山 伊舎那院 青龍寺。別称:波切不動
札所:四国八十八ヶ所36番

【歴史・由来】
青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。
弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。
 帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。

青龍寺1.jpg青龍寺2.jpg

↓有料駐車場
青龍寺3・駐車場有料.jpg

↓ペット禁止の寺院なので「はな」は車の中で
青龍寺4・はな.jpg

↓無料駐車場よりの遠景。方丈と多宝塔(護摩堂)
青龍寺5・多宝塔、方丈.jpg

↓鐘楼門
青龍寺6・鐘楼門.jpg

↓ペット禁止の表示
青龍寺7・ペット禁止.jpg

↓左側に「恵果堂」
青龍寺8・恵果堂.jpg

↓左側に「納経所」
青龍寺9・納経所.jpg

↓御朱印
青龍寺10・朱印.jpg

↓177段の石段。途中に仁王門があります
青龍寺11・石段.jpg

↓弘法大師像
青龍寺12・弘法大師像.jpg

↓仁王門
青龍寺13・仁王門.jpg
青龍寺14・仁王門.jpg

↓金剛力士
青龍寺15.jpg青龍寺16・金剛力士.jpg

↓仁王門の左側に「三重塔」
青龍寺17・三重塔.jpg

↓仁王門の右側に「三界万霊」の地蔵
青龍寺18・三界万霊.jpg

※本堂まで続く真っ直ぐな石段が続いています。次回に続きます。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、45,807人
巨人:300・000・020・・・・5・・・・(11)
阪神:000・000・003・・・・3・・・・(9)

【マルチ安打】ナバーロ2
【打点】糸原1、原口2
【投手】
● 才木   5回、21人:5安打、7三振、2四球、3失点(2勝3敗)
・藤川   1回、4人:無安打、無三振、1四球、無失点
・岩崎   1回、4人:1安打、2三振、無四球、無失点
・桑原  3分の1、4人:3安打、無三振、無四球、2失点
・高橋  3分の2、4人:1安打、1三振、1四球、無失点
ドリス  1回、4人:1安打、1三振、無四球、無失点
○ メルセデス 7回、28人:6安打、4三振、1四球、無失点(2勝)
S マシソン 3分の1、1人:無安打、無三振、無四球、無失点(2敗8S)

※才木は初回、2死無走者から安打・四球・四球の満塁で走者一掃の長打を打たれた。悔やまれる投球でした。梅野ももっと上手くリードしていれば無失点だったでしょう。
※桑原が試合を壊しましたが、2・3塁で1塁が空いている場面で、ベンチからの指示がなく、勝負して打たれた。ここは満塁にするべきでしたね。
※阪神は又しても初対戦の外国人投手に抑え込まれました。
※今季4度目の4連敗の借金6で、後半戦3連敗スタートは2016年以来。対巨人戦は今季2度目の同一カード3連敗で、4位に転落した。

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34番種間寺2(高知県高知市)、全関西美術展 [四国八十八]

7月18日(水)   只今、柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)を連載中です。
34番札所・種間寺の続きの記事です。

◎種間寺
住所:高知県高知市春野町秋山72
電話:088-894-2234
駐車場無料
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/34tanemaji/
山号:本尾山。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来
創建:弘仁年間(810-824年)。開基:空海(弘法大師)
正式名:本尾山 朱雀院 種間寺。札所:四国八十八個所34番

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中に 蒔ける五穀の 種間寺 深き如来の 大悲なりけり

【歴史】
寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい、その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。土佐藩主からの信仰も得ていた。神仏分離令で廃寺となるが、明治13年(1880年)に再興される。

種間寺25.png

↓境内の様子
種間寺11・境内.jpg

↓★大師堂
種間寺14・大師堂.jpg
種間寺15・大師堂.jpg

↓手水舎
種間寺16・手水舎.jpg
↑延宝5年(1677)建立。町内最古で町の指定文化財。

↓★本堂
種間寺17・本堂.jpg
種間寺18・本堂.jpg
↑毎年3月8日に本尊薬師如来(重文)が開帳される。

↓さわり大黒天
種間寺19・さわり大黒天.jpg
↑ケヤキの寄木造、身丈100cm、全長150cmの大黒天像。2008年開眼。その時の住職の「お遍路さんや参拝の方々に触って頂き、色艶が出る方がよい」との想いから、彩色を施さず素地仕上げとした。

↓内陣
種間寺20・内陣.jpg

↓納経所
種間寺21・納経所.jpg

↓御朱印
種間寺22・朱印.jpg

↓弘法大師坐像とミニ八十八ヶ所整備碑
種間寺23・弘法大師坐像、ミニ八十八ヶ所整備碑.jpg

↓句碑
種間寺24・句碑.jpg
↑左から、徳光和夫「達観を 地で行く種間寺 ご住職」平成24年9月27日建立
「以信貫道」高野山大僧正信了の言葉。昭和38年5月21日弟子の信海が建立。
「道はるか なれど歩まじ 沙羅の花」「つゝじ燃ゆ 浮世の嘆き 知らぬ気に」共に平成15年5月21日、長谷寺化主聖定が建立。

※9時27分、34番・種間寺を出発し、36番・青龍寺に向かいました。35番清瀧寺を後にしたのは、その後の行程で都合が良かったからです。(次回に続きます)

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猛暑の中、アートナビさんより招待券をいただき大阪市立美術館に7月15日行ってきました。

◎第64回全関西美術展
期間:2018年7月6日~7月18日
会場:大阪市立美術館(天王寺公園内)
https://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/64-zenkan
全関西美術展(ぜんかんさいびじゅつてん)とは、大阪市立美術館主催で開催される美術展覧会。
大阪の芸術文化の振興を図るため、昭和15年(1940年)12月に「紀元2600年奉祝総合美術展」として開催され、翌年(1941年)から第1回「大阪市展」として開催された。戦後は「新日本美術展」、昭和25年(1950年)には、関西一円から作品を公募する「関西綜合美術展」となり、その後「全関西美術展」と改称された。
今年で64回目となる「全関西美術展」は、日本画、洋画・版画、彫刻、工芸、書というように美術のあらゆる部門が備わり、現代における関西の美術の流れを知るためには見逃すことのできない展覧会といえます。

↓大阪市立美術館の入口
全関西3.jpg

↓パンフレット
全関西1.jpg

↓出品明細
全関西2.jpg

※私は「日展」にはよく見に行きますが、「全関西美術展」は初めてでした。あらゆる美術分野があり、日展の関西版のようでした。実際に両方の展覧会に出品している作家さんも見かけました。
たまには、このような総合美術展を観るのもいいですね。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、45,617人
巨人:000・400・000・・・・4・・・・(9)
阪神:000・020・000・・・・2・・・・(5)

【マルチ安打】ナバーロ2
【打点】梅野2
【打点】
● 岩田   5回、24人:7安打、6三振、3四球、4失点(1敗)
・岩崎   2回、6人:無安打、1三振、無四球、無失点
・望月   1回、4人:1安打、1三振、無四球、無失点
能見   1回、3人:1安打、1三振、無四球、無失点
○ ヤングマン7回、26人:4安打、10三振、1四球、2失点(3勝)
S マシソン 1回、6人:1安打、2三振、2四球、無失点

※途中入団のヤングマンの投打にわたる活躍で、巨人は阪神に連勝。

※巨人先発のテイラー・ヤングマン投手が、7回4安打2失点。わずか1四球と安定した制球力で10三振を奪い、打っては2点タイムリー安打し、1日・中日戦での来日初登板から無傷の3連勝をマークした。
 巨人の外国人投手でデビューから3戦3勝は、1988年・ガリクソン(4戦4勝)以来、30年ぶり2人目となった。

※阪神は三振の山(12個)を築き、借金は5、首位広島とは9差と、!!!!!!!

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34番 種間寺1(高知県高知市)、ウィンブルドンジョコ優勝、サッカーW杯フランス優勝 [四国八十八]

7月17日(火)   只今、柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)を連載中です。
4月23日(月)8時32分にホテルおおりやを出発し、9時09分に34番種間寺の駐車場に到着しました。

◎種間寺(たねまじ)
住所:高知県高知市春野町秋山72
電話:088-894-2234
駐車場無料
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/34tanemaji/
山号:本尾山。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来
創建:弘仁年間(810-824年)。開基:空海(弘法大師)
正式名:本尾山 朱雀院 種間寺。札所:四国八十八個所34番

【歴史・由来】
土佐湾の沿岸は、四国霊場のメッカのようである。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。
6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは、海上の安全を祈って約145cmの薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。
その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。
天暦年間(947〜57)には、ときの村上天皇(在位946〜67)が「種間」の勅額を下賜され、また、土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、堂舎の修築も行われている。ただ、やはり廃仏毀釈の難では、容赦がなかった。 
本尊は「安産の薬師さん」で、また、底の抜けた柄杓に人気があり、信者が多い。


種間寺1.jpg種間寺2.jpg

↓広い駐車場(無料)
種間寺3・駐車場.jpg

↓光明殿
種間寺8・光明殿.jpg

↓鐘楼
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↓石柱門(ここには山門はない)
種間寺5・石柱門.jpg

↓弘法大師像
種間寺6・弘法大師像.jpg

↓お地蔵さん
種間寺6・お地蔵さん.jpg

↓春日神社
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↑種間寺は廃仏毀釈で明治3年に一度廃寺となり、跡地に春日神社が創建されたそうです。

↓本坊
種間寺8・本坊.jpg

↓地蔵堂
種間寺9・地蔵堂.jpg

↓しだれ赤松
種間寺10・しだれ赤松.jpg
↑樹齢230年の天目松。元は鹿児島の庄屋にあり、その後福岡の老舗松専門業者の看板木となり、平成19年5月当山に移植された。

↓子安観音堂
種間寺12・子安観音堂.jpg
種間寺13・底抜け柄杓.jpg
↑妊婦が柄杓をもって詣ると、寺では底を抜いて二夜三日の安産祈祷をし、お札を添えてかえす。
それを妊婦は床の間に飾り、無事に安産すれば柄杓を寺に納める。
底の抜けた柄杓が子安観音を取り巻いています。

※次回に続きます。

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◎ウィンブルドン、ジョコ、3年ぶり4度目V

↓(朝日新聞デジタルより)
ウィンブルドン選手権最終日は15日、ロンドン郊外のオールイングランド・クラブで行われ、男子シングルス決勝で第12シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)が第8シードのケビン・アンダーソン(南アフリカ)を6―2、6―2、7―6で下し、3年ぶり4度目の優勝を果たした。
 準々決勝で錦織圭(日清食品)、準決勝で全仏オープン王者のラファエル・ナダル(スペイン)を下した元世界ランキング1位のジョコビッチは歴代単独4位の四大大会通算13勝目となり、優勝賞金225万ポンド(約3億3450万円)を獲得した。
ウィンブルドン2.jpg
ウィンブルドン3.jpg

女子ダブルス決勝で第1シードの上地結衣(エイベックス)ディーデ・デフロート(オランダ)組がサビーネ・エラーブロック(ドイツ)ルーシー・シュカー(英国)組に6―1、6―1で勝ち、上地は5度目の優勝となった。

※ウィンブルドンやサッカーW杯が終了し、やっと睡眠不足から解放されます。

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◎サッカーW杯、フランス2度目の世界一 クロアチアに4―2

↓(朝日新聞デジタルより)
サッカーの第21回ワールドカップ(W杯)ロシア大会は15日、モスクワのルジニキ競技場で決勝が行われ、フランスが4―2でクロアチアに快勝し、自国開催だった1998年大会以来、2度目の世界一に輝いた。
 国際サッカー連盟(FIFA)ランキング7位のフランスは前半にグリーズマンのPKなどで2―1とリードし、後半もエースのエムバペらが追加点を挙げた。5度目の出場で決勝初進出だった同20位のクロアチアは初優勝を逃したが、98年の3位を上回る最高成績となった。

【7月16日 AFP】サッカーW杯ロシア大会(2018 World Cup)の最優秀選手賞が15日に発表され、クロアチアの主将ルカ・モドリッチ(Luka Modric)が受賞した。同日に行われた決勝ではフランスに2-4で敗れたクロアチアだが、モドリッチは今大会7戦のうち3試合でマンオブザマッチに輝いていた。
 一方、最優秀若手選手賞にはフランスのキリアン・エムバペ(Kylian Mbappe)が選ばれた。同国リーグ1のパリ・サンジェルマン(Paris Saint-Germain、PSG)に所属する19歳は、この日の決勝でも今大会自身4得点目をマークした。
 最優秀選手賞では、ベルギーでキャプテンを務めたエデン・アザール(Eden Hazard)が2位、決勝で今大会4ゴール目を挙げたフランスのアントワーヌ・グリーズマン(Antoine Griezmann)が3位に続いた。
 また、最優秀GKにはベルギーのティボー・クルトワ(Thibaut Courtois)が選出され、今大会で計6得点を記録したイングランドのハリー・ケイン(Harry Kane)が得点王に輝いた。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、46,788人
巨人:000・020・020・・・・4・・・・(6)
阪神:100・000・020・・・・3・・・・(9)

【本塁打】亀井9号2ラン(8回、マテオ)
【マルチ安打】福留2、ナバーロ2
【打点】ナバーロ2、原口1
【失策】ナバーロ(5回)、糸原(7回)
【投手】
●メッセンジャー 6回、26人:4安打、6三振、4四球、2失点(自責1)(9勝6敗)
・望月   1回、4人:無安打、無三振、無四球、無失点
・マテオ  1回、5人:2安打、1三振、無四球、2失点
藤川   1回、3人:無安打、2三振、無四球、無失点
○ 内海   6回、25人:6安打、2三振、1四球、1失点(3勝1敗)
S マシソン 1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点(2敗6S)

※後半戦、阪神は黒星スタート。
※借金4、首位広島とは8ゲーム差の3位。
※メッセンジャーは制球が悪く四球で崩れた。マテオは試合を壊した。

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高知市内を柴犬「はな」と散歩 [四国八十八]

7月12日(木)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)高知市の中心部にある「ホテルおおりや」に宿泊しました。先日、ここの夕食と朝食をアップしましたが、今回は柴犬「はな」との散歩をアップします。

高知16.jpg

4月22日夕食後、20時15分より約45分間、夜の高知城へ「はな」と散歩しました。

↓県立追手前高等学校
高知1・県立高知追手前高等学校.jpg
↑1878年(明治11年)に開校した「高知中学校」を前身。校舎屋上の時計台がシンボル。

↓「山内容堂誕生之地」石碑
高知2・山内容堂誕生之地.jpg
↑山内容堂は、10代藩主山内豊策(とよかず)の五男豊著(とよあきら)を父とし、追手邸(お城のすぐ近くの追手筋のあたり)で生まれました。 容堂の生母は、下級武士であった下士平石氏の娘で、豊著の側室でした。
後に四賢侯の一人と称され、明察力に優れた人物として有名な容堂ですが、青年時代はあまり勉学に励まず、お酒ばかり飲んでいたそうです。
しかし、13、14代藩主があいついで急病死したのをうけ、嘉永1年(1848年)に15代藩主となってからは、それまでの自分を悔やみ、読書を好むようになりました。
因みに、容堂という名前は、隠居後の名前で、元服後から隠居までは豊信(とよしげ)と名乗っていました。
尊王意識の伝統がある山内家に生まれながら、徳川家にも強く恩義を感じていた容堂は、朝廷と幕府を一体化させる公武合体を実現する道を模索し続けました。
当時、日本は幕末の混沌とした時代でした。外国から開国するよう圧力を受け、国内で政治不安が起こり、幕府と討幕勢力が互いに権力争いをしていました。 双方が、事態の打開を図りましたが、両者共に決定打が出せず、政治均衡を生み出し、事態は膠着しました。
このような事態にあった1867年、容堂は、坂本龍馬発案「船中八策」を後藤象二郎から進言され、徳川慶喜に大政奉還を建白したと言われています。
その後、東京で余生を送った容堂は、酒と詩文の風雅を楽しみ、明治5年(1872年)、46歳でその生涯を閉じました。(土佐の人物伝より)

高知17・城.jpg
http://kochipark.jp/kochijyo/about-kochi-castle
↑江戸時代、土佐藩の藩庁が置かれた。江戸時代に建造された天守や本丸御殿(天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみ)、追手門等が現存し(天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所)、城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。別名鷹城(たかじょう)。江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成。

↓高知城と「はな」
高知3・高知城とはな.jpg

↓山内一豊公之像
高知4・山内一豊公之像.jpg
↑一豊15歳の時、織田信長による岩倉城攻めにより、父が討死(※3)。城を追われ、織田浪人として流浪の時を過ごします。後に身を寄せた牧村政倫が信長の家臣となった頃、信長に仕えるようになったようです。
一豊は金ヶ崎、姉川の戦において活躍。矢が顔面を貫通するという深手を負いながらも、敵将を討ち取ったという逸話もあります。この手柄によって、秀吉の領国の一部を信長から与えられ、戦国武将・山内一豊としてスタートを切ったのです。
信長が倒れた本能寺の変の後は、秀吉に従いました。
天下統一後は播磨に大名として配置され、掛川城に入城(一豊48歳)。
城郭、城下町づくりや治水などに取り組み、掛川を発展させていきました。
秀吉亡き後は、早くから家康に忠誠を見せ、妻の助けもあって家康の信頼を得ていきました。
そして慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後、一豊は土佐24万石へと大抜擢され、一国一城の主となったわけです。 (土佐の人物伝より)

↓追手門と天守閣
高知5・追手門と城.jpg

↓追手門
高知6・追手門.jpg
↑1801(享和元)年築、高知城にある15棟の国の重要文化財のひとつ。入母屋造本瓦葺で石垣を積み上げ、渡櫓をのせた櫓門で、侵入者に三方向から攻撃を加えることができる造り。追手門櫓の2階には石落としを設ける、塀の一部に武者隠しを配するなど実戦的な造りになっています。

↓板垣退助像と天守閣
高知7・板垣退助と城.jpg
高知8・板垣退助.jpg
↑1837年土佐藩の武士・乾正成の子として生まれました。 幼い頃は、母を困らせる程わんぱくでしたが、吉田東洋の影響を受け、文武の修業に励むようになりました。そして、それが実を結び、藩内で頭角を現すようになってきます。
戊辰戦争(維新政府軍と旧幕府側との間に一六か月余にわたって戦われた内戦)では、新政府軍の参謀として活躍。明治維新後、土佐藩の大参事となり、1871(明治4)年には参議となりました。しかし、西郷隆盛らと征韓論(武力を用い、朝鮮を開国させようとした考え)を唱え、やぶれたため政府から退きます。
その後、1874年後藤象二郎らと民撰議院設立建白書を政府に提出。愛国公党や立志社を設立しました。その後、自由民権運動が盛んになり、遂には自由党が結成され総理になりました。日本で初めての政党の誕生です。
1882年、岐阜での演説中襲われ負傷します。この時叫んだのが、「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉です。この言葉があまりにも印象的だったため、この時板垣退助が死んだと思っていた方もいるのではないでしょうか。この事件で板垣は、負傷はしましたが死んではいません。(土佐の人物伝より)

↓天守閣
高知9・天守閣.jpg

4月23日(月)朝食前の6時15分から約45分間、はりまや橋へ「はな」と散歩しました。

↓はりまやにし
高知10・はりまやにし.jpg

↓はりまやばし
高知11・はりまやばし.jpg
高知12・はりまやばし.jpg

↓からくり時計
高知13・からくり時計.jpg

↓ペギー葉山記念植樹
高知14・ペギー葉山記念植樹.jpg

↓南国土佐の歌碑
高知15・南国土佐の歌碑.jpg

※8時32分、ホテルを出発し、34番札所「種間寺」へ向かいました。次回に続きます。

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◎ウィンブルドン準々決勝(速報)

錦織は、またしてもジョコビッチの厚い壁に跳ね返させられる

ノバク・ジョコビッチ 6-3、3-6、6-2、6-2 ●錦織 圭

ウィンブルドン6.jpg

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ホテルおおりや(高知県高知市)、ウィンブルドン錦織3回戦進出、大雨特別警報 [四国八十八]

7月7日(土)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)17時40分に高知市内の繁華街にある「ホテルおおりや」に到着しました。
入浴後、19時より夕食を食べましたので、紹介します。

◎ホテルおおりや
住所:高知県高知市追手筋1-6-21
電話:088-821-0100
一泊2食付き一人13,000円(税別)+ペット代1,100円(税別)
http://www.ooriya.co.jp/plan.html
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/14883/14883.html

↓ホテルの外観
ホテルおおりや1.jpg

↓室内の様子
ホテルおおりや16.jpg

↓夕食の品です
ホテルおおりや2.jpg

ホテルおおりや3.jpg

ホテルおおりや4.jpg

ホテルおおりや5.jpg
ホテルおおりや6.jpg

ホテルおおりや7.jpg

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ホテルおおりや9.jpg

↓うつぼ鍋
ホテルおおりや10.jpg
ホテルおおりや11.jpg
↑初めて「うつぼ」を賞味しました。高知と云えばカツオですが、これに並ぶ代表的な食材がウツボです。独特な風味がありましたね。

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ホテルおおりや13.jpg

↓朝食です
ホテルおおりや14.jpg

ホテルおおりや15.jpg

※割烹料理旅館だけあり、料理は美味しかったです。
※夕食後と朝食前の2回、「はな」と散歩しましたので、その様子は後日アップします。

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◎錦織が3年連続で3回戦進出 ウィンブルドン選手権
https://www.asahi.com/articles/ASL7624QXL76UTQP002.html
↓(朝日新聞デジタル)
テニスのウィンブルドン選手権第4日は5日、ロンドン郊外のオールイングランド・クラブで行われ、男子シングルス2回戦で第24シードの錦織圭(日清食品)は世界ランキング184位のバーナード・トミック(豪)を2―6、6―3、7―6、7―5で振り切り、3年連続で3回戦進出を決めた。次は第15シードのニック・キリオス(豪)と対戦する。先の全仏オープンを制した第2シードのラファエル・ナダル(スペイン)、元世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)も順当勝ち。
ウィンブルドン3・錦織.jpg

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◎6県に大雨特別警報…「重大な危険が差し迫る」
↓(読売新聞より)
本州付近に停滞する前線の影響で、6日も西日本を中心に記録的な大雨が降り続いた。気象庁は同日午後、福岡、佐賀、長崎、岡山、広島、鳥取の6県に対し、「生命に重大な危険が差し迫った異常事態にある」として大雨特別警報を発表した。特別警報は、昨年7月5日の九州北部豪雨以来1年ぶりで、2013年の運用開始から10回目となる。
 同庁によると、5〜6日の24時間雨量(6日午後6時40分現在)が最も多かったのは、高知県馬路村うまじの686ミリ。京都市右京区(290ミリ)、堺市堺区(216ミリ)など14地点では観測史上最大を記録した。7日午後6時までに予想される24時間雨量は、最大で四国400ミリ、九州300ミリ、関東甲信・東海・近畿・中国200ミリ、北陸150ミリ。
 読売新聞のまとめでは、6日午後8時までに3人が死亡、5人が行方不明になっている。京都府亀岡市の大路次川では6日未明、無人の車が見つかり、近くの女性(52)が下流の大阪府能勢町で遺体で見つかった。広島県安芸高田市では、川に流されて行方不明となっていた男性(59)が6日、心肺停止の状態で見つかり、死亡が確認された。

※私は帰宅時、阪急宝塚線が運転見合わせ中であったので、梅田駅で足止めされた。約50分後に運転再開されたが、徐行運転だったので、いつもの倍以上かかった。もう少しで「帰宅困難者(帰宅難民)」になるところでした。今日も一日中雨の予報ですので、警戒が必要です。

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民宿 室戸荘(高知県室戸市)、大坂なおみ3回戦進出 [四国八十八]

7月6日(金)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
桂浜の観光を終えて、17時40分に高知市内中心部の「ホテルおおりや」に到着しました。
旅の楽しみの一つは、食事ですので、宿泊所の食事内容を紹介します。
一泊目の4月21日の「民宿 室戸荘」の食事をアップするのを忘れていましたので、今回は、こちらを紹介させていただきます。

16時40分民宿・室戸荘に到着。共同風呂に入浴後、18時30分より待望の夕食です。

◎民宿 室戸荘
住所:高知県室戸市室戸岬町6939-1
電話:0887-22-0409
http://yado489.co.jp/m-39-kouchi/39-m0098.html

↓展望台より室戸荘を見る
室戸荘11.jpg

↓民宿・室戸荘の室内
室戸荘12.jpg

↓民宿・室戸荘の食堂
室戸荘1.jpg

↓夕食を紹介します
室戸荘2.jpg
↑チャンバラ貝は初めて賞味しました。

↓金目鯛の煮つけ
室戸荘3.jpg
↑この民宿の目玉料理です。

↓新鮮な刺身
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室戸荘5.jpg

室戸荘6.jpg

室戸荘7.jpg

室戸荘8.jpg

↓朝食です
室戸荘9・朝食.jpg

室戸荘10.jpg
↑久しぶりに玉子かけご飯を食べました。

※これで一泊二食付で、一人6,800円(税込)は大変良心的でお薦めできます。
ペットも泊まれる宿をネットでさがし、室戸岬の別の民宿に電話したところ、ちょうど改装工事で休業していました。その民宿より室戸荘を紹介してもらい、室戸荘に電話して予約をとりました。室戸荘はペット不可の民宿でしたが、こころよく承諾していただき感謝しています。

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◎テニス、大坂が2年連続3回戦へ
↓(朝日新聞デジタル)
【ウィンブルドン共同】テニスのウィンブルドン選手権第4日は5日、ロンドン郊外のオールイングランド・クラブで行われ、女子シングルス2回戦で第18シードの大坂なおみ(日清食品)は世界ランキング122位のケイティ・ボールター(英国)を6―3、6―4で下し、2年連続で3回戦に進出した。
ウィンブルドン2・大坂.jpg

 男子ダブルス1回戦では全豪オープンで4強入りした第14シードのマクラクラン勉とヤンレナルト・シュトルフ(ドイツ)のペアがニコラス・モンロー(米国)ジョンパトリック・スミス(オーストラリア)に6―4、7―5、6―4で勝った。
女子ダブルス1回戦で青山修子(近藤乳業)ジェニファー・ブレイディ(米国)組はダリヤ・ユラク(クロアチア)王薔(中国)組に6―2、6―3で勝ち、2回戦に進んだ。
 男子ダブルス1回戦で内山靖崇(北日本物産)アンドレ・ベゲマン(ドイツ)組はパブロ・クエバス(ウルグアイ)マルセル・グラノリェルス(スペイン)組に、ダニエル太郎(エイブル)西岡良仁(ミキハウス)組はアントニオ・サンチッチ(クロアチア)アンドレイ・ワシレフスキー(ベラルーシ)組に敗れた。

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桂浜(高知県高知市)、大坂初戦突破 [四国八十八]

7月5日(木)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)予定していた7ヶ寺を巡拝しました(27番から33番)。まだ宿泊所へ行くには早いので、桂浜を観光することにしました。33番雪蹊寺を15時59分に出発し、桂浜公園駐車場に16時10分到着しました。

桂浜1.jpg

◎桂浜
住所:高知県高知市浦戸9
駐車料金:普通車400円
http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/39/katsurahama.html
https://www.attaka.or.jp/kanko/dtl.php?ID=702
高知県を代表する景勝地の一つ。浦戸湾口、龍頭[りゅうず]岬と龍王岬の間に弓状に広がる海岸で、背後に茂り合う松の緑と、海浜の五色の小砂利、紺碧の海が箱庭のように調和する見事な景勝地。古来より月の名所として知られ、“月の名所は桂浜・・・”と「よさこい節」にも唄われている。東端の龍頭岬では、幕末の志士坂本龍馬の銅像が太平洋を見下ろしている。

↓広い有料の桂浜公園駐車場
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↓駐車場から桂浜まで歩いていきます
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↓途中には、お土産屋さんが集中するエリアを通ります
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↓この石段を上ると、坂本龍馬銅像へ行きます
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↓旧制高知高等学校校歌「自由の空に」
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↑昭和37年に創立40周年記念として建立。

↓坂本龍馬銅像の裏側に出てきました
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↓銅像の前からの撮影は、逆光になりました
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↑龍馬像は、龍馬を慕う高知の若者たちの募金活動により、昭和3年に完成しました。期間限定の「龍馬に大接近」では、高さ約13.5mの龍馬と同じ目線で太平洋を見ることができます。

↓龍頭岬を見下ろす眺望
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↓大町桂月記念碑
桂浜11・大町桂月記念碑.jpg
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↓ふわふわした砂浜は歩き辛い「はな」
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↓打ち寄せる波は怖がっていました
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↓龍王岬を眺める展望
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↓桂浜水族館へ向かいました
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ホームページ:http://katurahama-aq.jp/
桂浜16.jpg
↑ペット同伴OKの水族館は珍しいですね。残念ながら閉店時間でした

↓水族館前のパネルで記念撮影
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↓桂浜の石碑からの眺望
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★坂本龍馬とは:(Wikiより
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈新暦・1836年1月3日〉 - 慶応3年11月15日〈新暦・1867年12月10日〉)は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。
諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。通称は龍馬。 他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう、さいだに うめたろう)などの変名がある 。
土佐郷士株を持つ裕福な商家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成した。薩長同盟の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に関与した。大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。1891年(明治24年)4月8日、正四位を追贈される。

※16時59分桂浜公園駐車場を出発し、宿泊する「ホテルおおりや」へ向かいました。

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◎ウィンブルドン(日本人選手の結果)

【一回戦】
F・フォニーニ 3-6,6-3,6-3,6-3 ●ダニエル太郎

S・ハレプ   6-2、6-4   ●奈良くるみ

大坂なおみ   6-4、6-1   ●M・ニクレスク

テニスのウィンブルドン選手権は3日、英ウィンブルドンのオールイングランド・クラブで第2日が行われ、女子シングルス1回戦で、大坂なおみ(日清食品)がモニカ・ニクレスク(ルーマニア)に6—4、6—1で快勝した。男子シングルス1回戦では錦織圭(日清食品)がクリスチャン・ハリソン(米)を破った。女子の奈良くるみ(安藤証券)、男子の杉田祐一(三菱電機)、ダニエル太郎(エイブル)はいずれも初戦で敗れた。

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◎昨日の阪神タイガース
回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、35,043人
中日:013・000・001・・・・5・・・・(7)
阪神:000・301・02×・・・・6・・・・(11)

【本塁打】梅野4号3ラン(4回、大野)
【マルチ安打】ナバーロ2、梅野2
【打点】梅野4、ナバーロ1、大山1
【盗塁】俊介(8回)
【失策】藤浪(6回)、陽川(9回)
【投手】
・藤浪 5回3分の1、26人:4安打、4三振、6四球、4失点
・能見  3分の2、2人:無安打、無三振、無四球、無失点
H 藤川   1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
○ 桑原   1回、4人:1安打、1四球、無四球、無失点(2勝1敗)
S ドリス  1回、6人:2安打、1三振、無四球、1失点(1勝3敗19S)
・大野 5回3分の1、24人:7安打、5三振、3四球、4失点(自責3)
● 祖父江  1回、7人:4安打、1三振、無四球、2失点(1勝1敗)

※阪神は借金2で、2位に浮上。しかし首位広島には7.0差と広げられています。
※藤浪の失点場面は、ともに四球からです。四球から崩れる病は、なかなか治りませんね。
↓この試合のヒーローは、4打点の梅野と、同点犠飛のナバーロと、決勝タイムリー安打の大山
阪神4・三人.jpg

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