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秦神社(高知県高知市)、日本W杯決勝トーナメント進出 [四国八十八]

6月30日(土)   只今【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
33番札所「雪蹊寺」を参詣後、雪蹊寺の北東に隣接している「秦神社」を参拝してきました。

秦神社13.jpg

◎秦神社(はたじんじゃ)
住所:高知県高知市長浜857-1
http://www.komainu.org/kouchi/koutisi/hata/hata.html

主祭神:長宗我部元親公之霊。配神:秦家累代の霊、家臣忠死者
神体:長宗我部元親木像
社格:旧県社
創建:明治4年(1871)4月7日
本殿様式:流造

長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺が廃仏毀釈により明治3年(1870年)に一時廃寺となった。このため雪蹊寺跡に隣接して明治4年(1871年)4月7日(新暦5月25日)に建立された。
社名は、長宗我部氏が中国秦王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称したことによる。長宗我部氏の子孫にあたる島弥九郎などが中心となり、雪蹊寺にあった衣冠束帯姿の長宗我部元親木像を神体として安置した。また、戸次川の戦いで戦死した長宗我部兵の霊璽板(大位牌)も祀った。
昭和18年(1943年)8月に県社に列した。社格廃止後の昭和27年(1952年)宗教法人となった。

↓雪蹊寺から秦神社へ向かう参道
秦神社1.jpg

↓鳥居と狛犬
秦神社2・鳥居と狛犬.jpg

↓長宗我部氏彰徳碑
秦神社3・長宗我部親先生彰徳碑.jpg

↓説明板
秦神社4.jpg

↓入口
秦神社5・入口.jpg

↓手水舎
秦神社6・手水舎.jpg

↓境内社の「西宮神社」
秦神社7・西宮神社.jpg

↓「長浜城址」説明板
秦神社8・長浜城址.jpg

↓拝殿
秦神社9・拝殿.jpg

↓本殿
秦神社11・本殿.jpg

↓社務所
秦神社12・社務所.jpg

↓長宗我部盛親公慰霊之碑
秦神社10・長宗我部盛親公慰霊之碑.jpg

↓長宗我部元親画像(国の重要文化財)
秦神社.jpg

★長宗我部元親とは:(Wikiより)
戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名。長宗我部氏第21代当主。位階は従五位下で死後に正五位、昭和3年(1928年)には正三位が贈られた。
長宗我部国親の長男で、母は美濃斎藤氏の娘。正室は石谷光政の娘で斎藤利三の異父妹。
土佐国の守護職を兼ねる細川京兆家当主で管領の細川晴元より、京兆家の通字である「元」の一字を受けたため、かつて同じく細川氏より「元」の字を受けた15代当主(長宗我部元親 (南北朝時代))と同名を名乗ることとなった。
土佐の国人から戦国大名に成長し、阿波・讃岐の三好氏、伊予の西園寺氏・河野氏らと戦い四国に勢力を広げる。しかし、その後に織田信長の手が差し迫り、信長の後継となった豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となった。豊臣政権時、戸次川の戦いで愛息・信親を亡くすと生活は荒れ、家中を混乱させたままこの世を去った。
(詳細は、Wikiをご覧ください

※33番雪蹊寺の駐車場に戻り、15時59分出発し、桂浜観光に行きました。こちらの様子は次回アップします。

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◎日本はサッカーW杯決勝トーナメント進出

↓(朝日新聞デジタルより抜粋)
28日に日本がポーランドに0―1で敗れ、セネガルもコロンビアに0―1で敗れた結果、日本とセネガルは勝ち点4、得失点差0、総得点4で全て並んだ。大会の規定では、次に順位決定の基準になるのは直接対決の結果だが、日本とセネガルは第2戦で2―2で引き分け。その次の基準となるFPPが初適用された。
 FPPは①イエローカード(警告)がマイナス1点②警告2回によるレッドカード(退場)がマイナス3点③一発退場がマイナス4点④警告を受けた上で一発退場がマイナス5点、と定められている。1次リーグ3試合での日本は警告4、セネガルが警告6で、減点が2点少ない日本が2位に入った。
サッカー2.jpg

【サッカーW杯特集】以下の記事は、朝日新聞デジタルの記事にリンクしています
負けを認めて勝つ「他力」采配 西野監督、究極の賭け
「許せない」「欧州なら当たり前」 現地サポ、どう見た
「あぜん」「ギリギリの判断」日本の戦いぶりに各国
セネガル監督「消極的プレー指示せず」 コロンビア戦
先発6人変更、リズム崩す コロンビア勝利に救われる

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)神宮、18:00、
阪神:023・102・001・・・・9・・・・(10)
ヤクルト:101・141・20×・・・・10・・・・(15)

【本塁打】俊介1号2ラン(2回、山田)、陽川3号3ラン(3回、山田)
     原口1号ソロ(4回、大下)、坂口2号ソロ(4回、秋山)
【マルチ安打】北條2
【打点】俊介2、陽川3、原口1、伊藤隼2、ナバーロ
【盗塁】植田(1回)
【投手】
・秋山 4回3分の1、22人:8安打、3三振、1四球、6失点
・岩崎  3分の1、4人:3安打、無三振、無四球、1失点
・才木  3分の1、1人:無安打、無三振、無四球、無失点
● 伊藤 1回3分の1、9人:1安打、1三振、3四球、3失点(1敗)
・桑原  3分の2、3人:1安打、無三振、無四球、無失点
能見   1回、5人:2安打、無三振、無四球、無失点
・山田   3回、15人:4安打、1三振、2四球、5失点
○ 中尾   1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点(6勝2敗)
S 石山   1回、6人:2安打、無三振、1四球、1失点(2勝13S)

※今年の秋山は不調ですね。最大4点のリードを守れずKOされた。そして継投策の失敗です。
リリーフの岩崎・伊藤・桑原がタイムリーを打たれた。

★判定に泣き…虎3連勝でストップ 新助っ人・ナバーロが適時打も一歩及ばず

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33番雪蹊寺(高知県高知市) [四国八十八]

6月29日(金)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)32番禅師峰寺を15時03分に出発し、途中にスーパーマルナカに立ち寄り、遅い昼食としてパンを買って車中で食べました。そして33番雪蹊寺に15時37分到着しました。

◎33番 雪蹊寺(せっけいじ)
住所:高知県高知市長浜857-3
電話:088-837-2233
駐車場:100円
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/33sekeiji/
山号:高福山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:薬師如来
創建:(伝)弘仁6年(815)。開基:空海(弘法大師)
中興年:天正年間(1573-1593年)。中興:月峰
正式名:高福山 高福院 雪蹊寺。札所:四国八十八個所33番

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月

【歴史・由来】
土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。
1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。
2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。 
3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。
雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。

雪渓寺1.jpg雪渓寺2.jpg
雪渓寺3.jpg
            雪渓寺4.jpg

↓山門はなく、石柱のみ
雪渓寺7・石柱.jpg

↓太玄塔、山本玄峰老師胸像、鈴木宗忠老師胸像、土居楠五郎墓碑(画面右下)
雪渓寺8・太玄塔ほか.jpg
太玄塔:廃仏毀釈で廃寺となった寺を復興させた17代、山本太玄住職の供養塔。次の18代・玄峰和尚の師でもある。
山本玄峰:のちに臨済宗妙心寺派の管長となり昭和の傑僧と呼ばれる山本玄峰老師が青年のころの遍路の途中、雪蹊寺の前で行き倒れになっていたところを太玄和尚(山本太玄)に救われたという逸話が残っている。(失明に近い眼病ながら、裸足で7回目の遍路をしているところ太玄和尚に救われる。96歳の生涯)。なお、当寺で出家し、住職も務めている。大正4年(1915年)、山本玄峰が廃寺同然の龍沢寺(静岡県三島市)に入り、修行道場として復興した。
鈴木宗忠:山本玄峰の孫弟子。龍沢寺の住職も務める。
土居楠五郎:坂本龍馬の剣の師、長岡郡十市村字糸木の郷士(現南国市十市)高知築屋敷の日根野弁治道場の師範代として、龍馬が十四歳の時から指導し、人間形成にも深い影響を与えたようです。慶応三年九月二十三日、龍馬最後の帰郷の時、種崎中城家に上陸、小島家にて二人は劇的対面をしています。十市の土居家墓所を移転の時一族の墓石と共に当寺へ移したようです。

↓説明板
雪渓寺9・説明板.jpg

↓鐘楼
雪渓寺10・鐘楼.jpg
↑昭和52年改築。

↓手水舎
雪渓寺11・手水舎.jpg

↓記念碑
雪渓寺12・記念碑.jpg

★大師堂
雪渓寺13・大師堂.jpg
雪渓寺14・大師堂.jpg
↑明治43年建立。

★本堂
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雪渓寺16・本堂.jpg
↑平成16年改築。

↓カッパの遍路置物
雪渓寺17・木彫.jpg

↓賓頭盧さん
雪渓寺18・賓頭盧さん.jpg

↓納経所、客殿
雪渓寺19・納経所、客殿.jpg

↓御朱印
雪渓寺20・朱印.jpg

↓馬頭観音堂
雪渓寺22・馬頭観音堂.jpg
雪渓寺21・馬頭観音堂.jpg
↑昭和6年改築。馬頭観音は旅の安全を守るとされ、遍路の信仰が厚い。天井には松洞庵・横井五仙の天女絵が描かれている。

※雪蹊寺を参詣後、隣接している「秦神社」を駆け足で参拝しました。次回アップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)横浜、18:00、28,195人
阪 神:000・200・001・・・・3・・・・(8)
DeNA:100・000・100・・・・2・・・・(5)

【本塁打】桑原3号ソロ(7回、藤川)
【マルチ安打】糸井2、北條3
【打点】俊介1、北條1
【失策】北條(1回)、ドリス(9回)
【投手】
・岩田 5回3分の2、22人:2安打、4三振、2四球、1失点(自責0)
・藤川 1回3分の1、5人:1安打、2三振、無四球、1失点
○ 能見   1回、4人:1安打、3三振、無四球、無失点(2勝2敗)
S ドリス  1回、5人:1安打、1三振、無四球、無失点(1勝3敗17S)
・今永   7回、29人:6安打、6三振、3四球、2失点
● 山崎   1回、5人:1安打、無三振、無四球、1失点(1勝2敗15S)

※今季初先発の岩田は、粘り強く好投しました。勝星がつかなかったのが残念ですね。
※相手のミスで勝った試合です、3連勝と上昇気運ですが、2度の満塁機に無得点はダメ。
※能見は、阪神生え抜き左腕では85年山本和行以来33年ぶりの大台到達です。
阪神6・能見.jpg

※日本野球機構(NPB)は28日、「マイナビオールスターゲーム2018」(第1戦=7月13日・京セラドーム大阪、第2戦=同14日・熊本)の「選手間投票」の結果を発表した。阪神からは、糸井嘉男外野手(36)が外野手部門で選出。10年連続の球宴出場を決めた。
25日に発表されたファン投票で阪神は、09年以来9年ぶりとなる選出者ゼロだった。選手間投票で糸井が選ばれ、史上初の球宴出場ゼロという危機は免れた。

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32番 禅師峰寺2(高知県南国市)、今季最多安打最多得点で爆勝 [四国八十八]

6月28日(木)   32番札所「禅師峰寺」の続きの記事です。

◎禅師峰寺(ぜんじぶじ)
住所:高知県南国市十市3084
電話:088-865-8430
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/32zenjibuji/index.html
山号:八葉山。宗派:真言宗豊山派。本尊:十一面観音(船魂観音)
創建:神亀年間(724-729)。開基:行基、聖武天皇(勅願)
正式名:八葉山 求聞持院 禅師峰寺。別称:峰寺(みねでら、みねんじ)
札所:四国八十八個所32番

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:静かなる 我がみなもとの 禅師峰寺 浮かぶ心は 法の早船

【歴史】
寺伝によれば、聖武天皇の勅命を受けた行基が海上安全を祈願して堂宇を建立したのを起源とし、空海(弘法大師)はここを霊地と感得し虚空蔵求聞持法の護摩を修法、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として祀り、現在の寺名を定めたという。
土佐藩主山内一豊以来、歴代藩主の信仰を受けており、参勤交代で浦戸湾を出航する際には航海の無事を祈願したという。

禅師峰寺35・境内図.jpg

↓(正面)本堂、(左奥)大師堂
禅師峰寺20・境内.jpg
↑境内のあちこちに奇岩・奇石があるのが特徴です。

本堂
禅師峰寺21・本堂.jpg
禅師峰寺22・本堂.jpg

↓鐘楼
禅師峰寺23・鐘楼.jpg
↑梵鐘は鎌倉後期・徳治3年(1308)建立のもので、県指定文化財になっている。

↓弘法大師像
禅師峰寺24・弘法大師像.jpg

★大師堂
禅師峰寺25・大師堂.jpg
↑大師像が拝顔できる。

↓大師堂と本堂
禅師峰寺26・大師堂と本堂.jpg

↓地蔵堂と阿弥陀堂
禅師峰寺27・地蔵堂、阿弥陀堂.jpg

↓諸仏の堂
禅師峰寺28.jpg

↓水掛観音
禅師峰寺29.jpg

↓奇岩(潮の満ち干岩)
禅師峰寺30・奇岩.jpg
↑鐘楼の右奥に、岩のくぼみに溜まった水が、潮の干満によって水位が変わるという「潮の満ち干岩」がある。海上祈願の寺らしいエピソードである。

↓展望所から土佐湾が一望
禅師峰寺31・土佐湾.jpg

↓本坊
禅師峰寺32・本坊.jpg

↓納経所
禅師峰寺33・納経所.jpg

↓御朱印
禅師峰寺34・朱印.jpg

※15時03分に禅師峰寺を出発し、次の33番雪渓寺に向かいました。次回に続く。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)横浜、18:00、28,787人
阪 神:300・300・127・・・16・・・・(17)
DeNA:005・000・010・・・・6・・・・(11)

【本塁打】福留7号3ラン(4回、飯塚)、梅野3号2ラン(9回、平田)、宮崎15号3ラン(3回、藤浪)
【マルチ安打】糸原4、福留2、陽川4、梅野2
【打点】陽川3、梅野3、福留4、伊藤隼1、鳥谷4、糸原1
【盗塁】陽川(4回)
【投手】
○ 藤浪   5回、25人:8安打、4三振、3四球、5失点(2勝2敗)
H 能見   1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
H 藤川   1回、3人:無安打、2三振、無四球、無失点
・桑原   1回、6人:3安打、無三振、無四球、1失点
伊藤   1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
●飯塚 3回3分の1、23人:6安打、4三振、6四球、6失点(1勝5敗)

※阪神は今季最多安打、最多得点で、借金を4とし、4位に浮上しました。3位とはゲーム差なしですが、首位広島には7.5ゲーム差と大きく離されています。
※藤浪に勝ち星がつきましたが、豹変するので、まだまだ信頼感・安心感がないですね。
※福留のコメントにもありましたが、他の試合に得点を分けたいですよね。
阪神5・福留.jpg

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32番 禅師峰寺1(高知県南国市) [四国八十八]

6月27日(水)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)31番竹林寺を14時22分に出発し、32番禅師峰寺に14時40分到着しました。

◎禅師峰寺(ぜんじぶじ)
住所:高知県南国市十市3084
電話:088-865-8430
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/32zenjibuji/index.html
山号:八葉山。宗派:真言宗豊山派。本尊:十一面観音(船魂観音)
創建:神亀年間(724-729)。開基:行基、聖武天皇(勅願)
正式名:八葉山 求聞持院 禅師峰寺。別称:峰寺(みねでら、みねんじ)
札所:四国八十八個所32番

【歴史・由来】
太平洋のうねりが轟く土佐湾の海岸に近い。小高い山、とはいっても標高82mほどの峰山の頂上にあることから、地元では「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と呼ばれ、親しまれている。また、海上の交通安全を祈願して建立されたということで、海の男たちは「船魂の観音」とも呼んでいる。漁師たちに限らず、藩政時代には参勤交代などで浦戸湾から出航する歴代の藩主たちは、みなこの寺に寄り航海の無事を祈った。
縁起によると、行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。のち、大同2年、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、ここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法された。このとき自ら十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とされ、「禅師峰寺」と名付け、また、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号した。
 以来、土佐初代藩主・山内一豊公はじめ歴代藩主の帰依をうけ、「船魂」の観音さんは今も一般の漁民たちの篤い信仰を集めている。仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、定明の作で国指定重要文化財。堂宇はこぢんまりと肩を寄せ合うように建っているが、境内は樹木におおわれ、奇怪な岩石が多く、幽寂な雰囲気を漂わせている。 
芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の間にある。

禅師峰寺1.jpg禅師峰寺2.jpg

↓駐車場(無料)
禅師峰寺3・駐車場.jpg
禅師峰寺4・十一面観音.jpg
↑十一面観音が迎えてくれます。

↓ここから石段を上ります
禅師峰寺5.jpg

↓石段の側面には、新しい子安観音様が並んでいます
禅師峰寺6・観音.jpg

↓急な石段でも、はなは元気です
禅師峰寺7・最後の石段.jpg

↓石段の上は左右の分かれ道です。納経所は後にして、左に進みます
禅師峰寺8・左へ.jpg

↓手水舎
禅師峰寺9・手水舎.jpg

↓不動明王と弁財天
禅師峰寺10・不動明王と弁財天.jpg

↓仁王門
禅師峰寺11・仁王門.jpg
禅師峰寺12・仁王門.jpg

↓金剛力士像
禅師峰寺13・金剛力士.jpg禅師峰寺14・金剛力士.jpg
禅師峰寺15.jpg禅師峰寺16.jpg
↑金剛力士像は鎌倉時代の仏師定明の作で国の重要文化財に指定され、収蔵庫に移されている。

↓最後の石段、右側には奇岩が見えます
禅師峰寺17・石段.jpg

↓途中の可愛い地蔵やタヌキさん
禅師峰寺18・地蔵.jpg禅師峰寺19.jpg

※この上が境内ですが、続きの記事は次回アップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)横浜、18:00、28,624人
阪 神:000・000・301・・・・4・・・・(5)
DeNA:000・000・000・・・・0・・・・(7)

【本塁打】陽川2号3ラン(7回、エスコバー)
【マルチ安打】陽川2
【打点】陽川4
【盗塁】糸井(9回)
【失策】鳥谷(4回)
【投手】
○ メッセンジャー 8回、32人:6安打、6三振、1四球、無失点(9勝4敗)
ドリス  1回、4人:1安打、1三振、無四球、無失点
●バリオス 6回3分の0、20人:2安打、6三振、無四球、1失点(2勝4敗)

※阪神は5回まで完全試合で貧打でしたが、陽川の一発で、連敗を5でストップ、5位に浮上。
阪神4・陽川.jpg

★投打とも低調で、球宴ファン投票選出9年ぶりゼロ 
↓(デイリースポーツ)
マイナビオールスターゲーム2018(7月13、14日・京セラドーム大阪、熊本藤崎台県営野球場)のファン投票結果が25日、発表され、単独最下位に沈む阪神は09年以来9年ぶりとなる選出者ゼロとなった。選手間投票、プラスワン投票、監督推薦を含めた全出場選手は後日、発表される。
 18日に最終の中間発表が行われたが、選出圏内に入っている選手は誰もいなかった阪神。得票数を伸ばすためにはチームの躍進が欠かせなかったが、24日の広島戦で今季初の5連敗(1分け挟む)を喫し、2年ぶりの単独最下位に転落した。
 開幕から打線が低調で、投手陣も勝ち星が伸び悩んだ。09年以来9年ぶりとなるファン投票選出者ゼロという結果に、揚塩球団社長は「非常に厳しいですね…残念です」と肩を落とす。この年は金本監督が選手間投票で選出されたが、仮にファン投票、選手間投票でも選出者が出なければ、史上初の球宴出場ゼロとなる可能性もある。

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31番竹林寺2(高知県高知市)、杉田ティームを破る金星 [四国八十八]

6月22日(金)   31番札所「竹林寺」の続きの記事です。

◎竹林寺(ちくりんじ)
住所:高知県高知市五台山3577
電話:088-882-3085

山号:五台山。宗派:真言宗智山派。本尊:文殊菩薩
創建:724年。開基:行基
正式名:五台山 金色院 竹林寺、別称:竹林密寺
札所:四国八十八個所31番

切戸文殊、安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられる。四国八十八箇所霊場第三十一番札所。当霊場のうち文殊菩薩を本尊とするのは本寺だけである。

本尊真言:おん あらはしゃのう
ご詠歌:南無文殊 三世の仏の 母と聞く 吾も子なれば 乳こそほしけれ

【歴史】Wikiより
寺伝によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したという。その後、大同年間(806 - 810年)に空海(弘法大師)が滞在、瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復したと伝えられる。
実際の創建年代等について不詳である。中世以降は武家の信仰も厚く寺運も隆盛し、1318年(文保2年)には臨済宗の僧夢窓疎石もこの寺に滞在している。その後、寛永年間(1624年 - 1644年)空鏡によって再興された。江戸時代には土佐国における真言宗の触頭を勤める寺院のひとつであった。また、本尊の文殊菩薩の出開帳を江戸や大坂で行っている。

竹林寺3.jpg

★本堂(国重文)(文殊堂)
竹林寺21・本堂.jpg

竹林寺22・本堂.jpg
↑入母屋造、杮(こけら)葺き。桁行・梁間とも5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。扉に桟唐戸を用い、垂木を扇垂木とし、組物は二手先の詰組とするなど、細部には禅宗様建築の意匠が用いられている。内部は中央の方三間を内陣、その前方を内陣、両脇を脇陣、後方を後陣とする。内陣には本尊文殊菩薩像を安置する厨子を置き、内外陣の境には蔀(しとみ)を入れる。建立年代は、同じ高知県内の土佐国分寺金堂との比較から、室町時代と推定されている。

↓五智如来
竹林寺23・五智如来.jpg

↓善財童子像
竹林寺24・善財童子像.jpg
↑平成26年本尊開帳を記念し造顕。

★大師堂
竹林寺25・大師堂.jpg

竹林寺26・大師堂.jpg
↑寛永21年(1644)山内忠義によって建立。大師像を拝顔できる。

↓手水舎
竹林寺27・手水舎.jpg

↓子安地蔵と淡島明神
竹林寺28・子安地蔵、淡島明神.jpg

↓稲荷社
竹林寺29・稲荷社.jpg

↓接待所
竹林寺30・接待所.jpg
↑文殊菩薩像あり。

↓五重塔
竹林寺31・五重塔.jpg竹林寺32・五重塔.jpg

竹林寺33・五重塔.jpg
↑昭和55年(1980)再建、高さ31.2m、間口4.8m、総檜造。

↓一言地蔵
竹林寺34・一言地蔵.jpg

↓めぐりのもり「水掛地蔵」
竹林寺35・めぐりのもり、水掛地蔵.jpg

↓めぐりのもり「仏陀像」
竹林寺36・めぐりのもり、仏陀像.jpg
↑めぐりのもり:最近整備されたもので、三つの池が点在した中に仏陀像や水掛地蔵石像があり、その中の小径を散策できる。

↓船岡堂(奥の院)
竹林寺37・船岡堂.jpg

↓虚空蔵菩薩堂
竹林寺38回・虚空蔵菩薩堂.jpg

↓宝物館
竹林寺39・宝物館.jpg

↓書院、納経所
竹林寺40・書院、納経所.jpg
↑書院は、江戸時代後期・文化13年(1816)建立、玄関は切妻造り、車寄せは唐破風造り、主屋は入母屋造り。藩主参詣の際の接待殿として造営。2017年国の重要文化財に指定。
庭園は、鎌倉時代後期、文保2年(1318)、夢窓疎石の作庭と伝わる池泉観賞式庭園。国の名勝に指定。今回は、見学を割愛しました。

↓御朱印
竹林寺41・朱印.jpg

↓鐘楼
竹林寺42・鐘楼.jpg

竹林寺43・鐘楼.jpg

※31番竹林寺を14時22分出発し、32番禅師峰寺に向かいました。次回に続きます。

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◎杉田「キャリアの中でベストマッチ」世界7位ティームに勝利。錦織は世界36位ハチャノフに敗れベスト8ならず。
↓(テニス・デイリーより)
6月20日、「男子テニスATPワールドツアー500 ハレ」(ドイツ・ハレ/6月18~24日/芝コート)大会3日目。シングルス1・2回戦、ダブルス1回戦が行われた。
男子シングルス2回戦で第7シードの錦織圭(日本/日清食品)が世界ランキング36位のカレン・ハチャノフ(ロシア)に2-6、2-6と残念ながらストレートで敗れた。
第1セットは錦織のサーブから。第1ゲームでいきなりハチャノフにブレークを喫してしまう。その後はお互いにキープの展開が続いたが、第7ゲームで再びハチャノフにブレークを許してしまう。その後も錦織はチャンスを作ることができず第1セットを落とす。続く第2セット、またしても錦織は第1ゲームでブレークを許してしまう。そして迎えた最終ゲーム。最後はネット際ギリギリの攻防でハチャノフが拾ったボールを錦織が返しきれず、錦織の2回戦敗退となった。
大会公式サイトによると、錦織は試合後「今日はアンフォーストエラーがあまりにも多かった。良いサービスが打てなかったし、もう少しベースラインに留まるべきだった。全部のミスが自分のせいだったと思う」と話した。また、芝コートでの調子について質問されると「もう少し練習をしなければならない。今大会最初の試合は良いテニスができていたが、まだ浮き沈みがある」と話した。
杉田祐一(日本/三菱電機)が第3シードのドミニク・ティーム(オーストリア)から金星をあげた。スコアは6-2、7-5とストレート勝利。杉田は今年の「全豪オープン」1回戦で当時9位だったジャック・ソック(アメリカ)を破って以来となる、トップ10からの勝利となった。
第1セットはティームのサービスから。第1ゲームから杉田は積極的に攻め、いきなりブレークに成功する。さらに第3ゲームでもデュースの末に杉田が粘り勝ち、3ゲームを連取して2ブレークアップとした。杉田のサービング・フォー・ザ・セットとなった第8ゲーム。杉田はここをラブゲームでキープし、第1セットを先取した。続く第2セットでは第11ゲームでラリーの末にティームのショットがわずかにロングとなってまたもブレークに成功。そして杉田のサービング・フォー・ザ・マッチとなった第12ゲーム。最後はティームのショットがアウトになり、杉田はストレートでベスト8進出を決めた。
ATP公式サイトによると、杉田は試合後「私のキャリアの中でベストマッチの一つとなった。今日はサービスにフォーカスしていた、勝てて嬉しい」 と話した。また、次の準々決勝について聞かれると「またベストを尽くす。芝は大好きなコートなので、次も楽しみたい」と話した。2回戦を突破した杉田は準々決勝で、予選から勝ち上がってきた世界109位デニス・クドラ(アメリカ)と対戦する。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・10・11・12・・・計・・(安打)甲子園、18:00、25187人
オリックス:010・000・020・0・0・0・・・3・・・(9)
阪 神:000・002・001・0・0・0・・・3・・・(7)

【本塁打】糸井10号ソロ(9回、増井)、ロメロ10号ソロ(2回、馬場)
【マルチ安打】糸井2、陽川2、山崎2
【打点】糸井3
【盗塁】熊谷(6回)
【投手】
・馬場   6回、23人:5安打、5三振、2四球、1失点
・能見 1回3分の1、5人:1安打、2三振、無四球、1失点
・桑原  3分の2、4人:2安打、無三振、無四球、1失点
・伊藤   1回、4人:無安打、2三振、1四球、無失点
H 藤川   2回、6人:1安打、1三振、無四球、無失点
岩崎   1回、3人:無安打、無三振、無四球、無失点
・山崎 5回3分の2、21人:1安打、5三振、1四球、2失点

※桑原はルーキー馬場の白星を消しました。今年の桑原はあまり調子良くありませんね。
イニングの頭から出すべきで、継投ミスですね。

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31番竹林寺1(高知県高知市) [四国八十八]

6月21日(木)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)30番札所善楽寺を13時7分に出発し、31番札所竹林寺に13時40分到着しました。

◎31番 竹林寺(ちくりんじ)
住所:高知県高知市五台山3577
電話:088-882-3085
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/31chikurinji/index.html
山号:五台山。宗派:真言宗智山派。本尊:文殊菩薩
創建:724年。開基:行基
正式名:五台山 金色院 竹林寺、別称:竹林密寺
札所:四国八十八個所31番

【歴史・由来】
♪土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台であるほか、学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めた。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。
縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。
 慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺運は隆盛した。「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財。この他、山門左手の宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されており、まさに県内きっての文化財の宝庫といえる。
眼下に高知の市街が眺められ、瓢箪形に食い込んだ浦戸湾が美しく広がって見える。

五台山は、中国では山西省にある標高3000mの霊山。文殊菩薩の霊場として仏教信仰の中心地として栄えた。高知の五台山は標高145m、
山全体が高知県立都市公園。

竹林寺1.jpg竹林寺2.jpg

↓駐車場(無料)は少し離れた所にあります
竹林寺4・駐車場.jpg

↓建て替え工事中の本坊の脇を下っていきます
竹林寺5・本坊建替工事.jpg

↓左側に県立牧野植物園があります
竹林寺6・県立牧野植物園.jpg

↓竹林寺の入口
竹林寺7・入口.jpg
竹林寺8・入口.jpg

↓仁王門の手前を右に行くと、納経所や宝物館があります。あとで行くことにしました。
竹林寺10・納経所・宝物館方面.jpg

↓仁王門
竹林寺9・仁王門.jpg

↓金剛力士像
竹林寺11・金剛力士.jpg竹林寺12・金剛力士.jpg

↓仁王門の裏側
竹林寺20・仁王門の裏側.jpg

↓仁王門から真っすぐに伸びる参道
竹林寺13・仁王門から正面の参道.jpg

↓左側に「根桜」
竹林寺14・根桜.jpg
竹林寺15・根桜.jpg

↓右側に「日吉神社」
竹林寺16・日吉神社.jpg

↓左側に「鹿の像」
竹林寺17・鹿の像.jpg
竹林寺18・鹿の像.jpg

↓この石段を上がると境内に出ます
竹林寺19・石段の上が境内.jpg

※続きは次回アップします。

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土佐神社(高知県高知市) [四国八十八]

6月17日(日)   30番札所「善楽寺」を参拝後、隣接している「土佐神社」にも駆け足で参拝してきました。
古代から祀られた古社で、中世・近世には土佐国の総鎮守として崇敬された高知県を代表する神社です。

◎土佐神社
住所:高知県高知市一宮しなね2丁目16-1
電話:088-845-1096
http://www.tosajinja.i-tosa.com/
主祭神:味鋤高彦根神、一言主神
社格:式内社(大)、土佐国一宮、旧国幣中社、別表神社
創建:第21代雄略天皇4年
本殿様式:入母屋造。別名:高賀茂大明神、都佐坐神社、土左大神
摂社:西御前社、大国主神社、事代主神社。末社:厳島神社、神明宮、瀧宮

【御祭神】
●味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ) ●一言主神(ひとことぬしのかみ)
『日本書紀』の天武天皇四(675)年三月二日の条に「土左大神、神刀一口を以て、天皇に進る」とあり、また朱鳥元(686)年の八月十三日の条に「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」とあり、祭神は土左大神とされていますが、『土佐国風土記』逸文には「‥土左の高賀茂の大社あり、其の神のみ名を一言主尊と為す。其のみ祖は詳かならず。一説に日へらく、大穴六道尊のみ子、味鋤高彦根尊なりといへり。」とあり、祭神の変化がみられ、祭神を一言主尊と味鋤高彦根尊としています。この二柱の祭神は、古来より賀茂氏により大和葛城の里にて厚く仰ぎ祀られる神であり、大和の賀茂氏または、その同族が土佐の国造に任ぜられたことなどより、当地に祀られたものと伝えられています。

【由緒】
土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。

土佐神社.jpg

↓表参道
土佐神社1.jpg

↓手水舎
土佐神社2・手水舎.jpg

↓鳥居
土佐神社3・鳥居.jpg
↑扁額の「土佐一ノ宮」は近衛文麿の筆。

↓拝殿(国重文)
土佐神社4・拝殿.jpg
↑現在の主要社殿は、室町時代後期の戦国大名長宗我部元親による造営。旧社殿が本山氏による岡豊城侵攻の兵火で焼失したため、元親が四国平定を祈念して永禄11年(1567年)に再建に着手し、元亀2年(1571年)に完成したとされる。主要社殿は本殿・幣殿・拝殿から成り、本殿前に建つ幣殿と拝殿は平面に「十」字形を成す。これらは本殿を頭としたトンボ(蜻蛉)が飛び込む形を表す「入蜻蛉(いりとんぼ)」形式といわれ、戦からの凱旋報告を意味するとされる土佐神社独特なものである。これらの本殿(1棟)と幣殿・拝殿(合わせて1棟)は、いずれも国の重要文化財に指定されている。なお若宮八幡宮(高知市長浜)では、出陣に際しての戦勝祈願を意味する「出蜻蛉」形式の社殿が、同じく元親によって造営されている。

↓鳥居の奥に、「事代主神社」「西御前社」「大国主神社」の三摂社
土佐神社6・三神社.jpg

↓社務所
土佐神社5・社務所.jpg

↓鼓楼(国重文)
土佐神社7・鼓楼.jpg
↑拝殿南東に立つ鼓楼は、江戸時代前期の慶安2年(1649年)、土佐藩第2代藩主山内忠義による造営。二重で、屋根は入母屋造で柿葺。初層は「袴腰」と呼ばれる形式で、黒色の板を張り、中央に出入り口を設ける。上層は桁行三間・梁間二間で、彫刻・柱が彩色で彩られており、内部には時を知らせるための太鼓を吊るす。

↓本殿(国重文)               ↓神光門(国重文)
土佐神社2・本殿.jpg土佐神社3・神光門.jpg
↑この2枚の写真は公式サイトより借用。楼門は「神光門」とも称され、江戸時代前期の寛永8年(1631年)、鼓楼同様に山内忠義による造営である。桁行三間、梁間二間の楼門(2階建て門で、初層・上層間に軒の出を造らないものをいう)で、屋根は入母屋造で銅板葺。初層は三間一戸(柱間三間で、中央の一間を通路とする意)で、左右間に随身を祀る。上層は初層に比して建ちが低く、勾欄を付した廻縁がめぐらされている。全体的に素木で、ほとんど装飾を付さない和様建築になる。

※後で分かったのですが、この神社は見所が多く、ゆっくり参拝すべきだったと後悔しています。

※「土佐神社」を駆け足で参拝した後、30番札所善楽寺の駐車場に戻り、13時7分に次の31番札所「竹林寺」に向けて出発しました。竹林寺の記事は次回アップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)楽天生命パーク、14:00、26,744人
阪神:000・000・002・・・・2・・・・(9)
楽天:000・000・010・・・・1・・・・(8)

【マルチ安打】糸原2、中谷2
【打点】中谷1、高山1
【投手】
・岩貞 7回3分の1、29人:6安打、6三振、2四球、1失点
○ 桑原  3分の2、3人:1安打、1三振、無四球、無失点(1勝1敗)
S 藤川   1回、5人:1安打、2三振、1四球、無失点(1勝1敗1S)
● 則本 8回3分の1、36人:9安打、11三振、2四球、2失点(4勝7敗)

※岩貞と則本の良い投手戦でした。阪神が9回に逆転で勝ちましたが、岩貞を無失点の状況で、桑原に継投しました。桑原は安打を許し先制されました。岩貞はさぞ続投したかったでしょうね。
※阪神は借金1の2位で、首位とは3.5差です。セリーグは混戦模様ですね。
※ドリス発熱のため、藤川が守護神として戻ってきました。約2年ぶりのセーブです。
※楽天の梨田監督は、借金が20となったので、責任をとり辞任しました。
阪神2・中谷.jpg
↑則本から起死回生の同点打をうった中谷選手。

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30番・善楽寺(高知県高知市) [四国八十八]

6月16日(土)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)、29番札所「国分寺」を12時27分出発し、30番札所「善楽寺」の駐車場に12時50分到着しました。

◎30番・善楽寺(ぜんらくじ)
住所:高知県高知市一宮しなね2-23-11
電話:088-846-4141
http://www.zenrakuji.sakura.ne.jp/
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/30zenrakuji/index.html
山号:百々山。宗派:真言宗豊山派。本尊:阿弥陀如来
創建:大同5年(810)。開基:空海(弘法大師)。中興年:昭和4年(1929)
正式名:百々山 東明院 善楽寺。札所:四国八十八個所30番

本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな

【歴史】(Wikiより)
寺伝によれば、大同5年(810年)空海(弘法大師)が高賀茂大明神(土佐国一宮で現在の土佐神社)の別当寺として、神宮寺とともに創建したといわれている。
応仁年間(1467 - 1469)に兵火で焼失したが、土佐藩2代藩主山内忠義の庇護を受けて栄えた。明治初期の神仏分離まで、納経は神宮寺(別当寺)で行っていたが塔頭寺院の善楽寺とともに廃寺となり、本尊の阿弥陀如来と弘法大師像が南国市にある29番札所国分寺に移された。両寺の廃寺により明治8年(1875年)に再興された安楽寺が30番札所となった。神宮寺は再興されず、善楽寺は昭和5年(1930年)に埼玉県与野町(現さいたま市中央区)にあった東明院をこの地に移転し、また国分寺に預けられていた弘法大師像を移して再興したが、30番札所の正統性について善楽寺と安楽寺の間で論争が起こり、しばらく30番札所が2箇所並立することになった。その後、善楽寺を「開創霊場」、安楽寺を「本尊奉安霊場」と称することになり、平成6年(1994年)1月1日、安楽寺を30番札所奥の院とすることで決着した。


善樂寺14・地図.jpg 善樂寺15・境内図.jpg

↓広い駐車場(無料)
善樂寺1・駐車場.jpg

↓ここには山門はなく、十一面観音菩薩像が迎えてくれます
善樂寺2・十一面観音菩薩石像.jpg

↓手水舎
善樂寺3・手水舎.jpg
善樂寺3・天邪鬼.jpg
↑納経所の手前にある手水場。ここで身口意を清めてお参りします。足下では邪鬼が重い手水鉢を一生懸命支えてくれています。
 また、隣にある小さな手水鉢は、善楽寺が廃寺となる以前の宝暦3年(1753年)神仏習合の時代、土佐の豪族長宗我部元親公が嫡男の哀悼の爲、一宮神社で千部経の大法会を厳修していた際に出仕僧が寄進したもので、歴史的史料としても重要な鉢です。

↓納経所
善樂寺4・納経所.jpg

↓御朱印
善樂寺5・朱印.jpg

↓本堂と大師堂(左)
善樂寺6・本堂.jpg
善樂寺12.大師堂と本堂.jpg

★本堂
善樂寺7・本堂.jpg
↑境内の一番奥にある大きなお堂が当山の本堂。昭和57年に改築され近代的な造りになった。
本尊様は金佛阿弥陀如来坐像。他にも本堂内には江戸時代末期の木造薬師如来坐像や観音菩薩等が座されておられます。本尊を拝顔できます。

↓不動明王石像
善樂寺8・不動明王石像.jpg

★大師堂と修行大師
善樂寺9・大師堂、修行大師.jpg
↑本堂左隣の御堂が大師堂。昭和9年(大正時代との記述も)に建立され、本堂とは対照的な木造建築物です。当山のお大師様は「厄除け大師」として知られ、災難厄除のご利益高く厄年のお参りや、交通安全等の祈願をすると霊験あらたかであると伝えられております。大師像は墨で黒く塗られ廃仏毀釈の難を逃れた。

↓梅見地蔵
善樂寺10・梅見地蔵.jpg
↑本堂の南、子安地蔵堂の左にいらっしゃるのが当山の有名な仏様の一人、梅見地蔵。文化13年(1816年)の建立で首から上の病や悩みにとてもご利益があるといわれている珍しいお地蔵様です。昔、大師堂の横の梅を仰いでいるように鎮座されていたことからその名がつけられたといわれております。脳の病気やノイローゼ、合格祈願や目、鼻、耳等の病気平癒等で祈願に訪れる参詣者が多く、信仰を集めております。

↓左「子安地蔵堂」、右「水子地蔵堂」
善樂寺11・子安・水子地蔵.jpg
↑本堂の南側に位置する子安地蔵堂。内にはやさしいお顔のお地蔵様が安座されております。この子安地蔵は、昔難産で苦しんでいる妊婦をお大師様が祈祷し安産させたという伝説のあるお地蔵様を勧請しており、安産や子宝祈願にご利益があるといわれております。
子安地蔵堂の右隣にあるのが地蔵堂。平成17年に改築された一番新しい御堂です。こちらには水子地蔵様が座され、供養や回向のため参られる方を迎え見護っておられます。
 御堂の入り口、右側にはお遍路の研究に関しての報告掲示板があり、左側にはお地蔵様の形をした絵馬をかける場所があります。

↓平和之塔
善樂寺13・平和の塔.jpg
↑本堂前、境内の一番東側に建てられているのが平和の塔。昭和13年に旧満州に930部隊で出兵し、錦県 東安 虎林 一訓に 駐屯、ソ満国境の警備に当たった?重兵第11聯隊第1中隊の戦没者及び物故者の御霊を祭り、永久の平和を祈念し二度と戦争を起こさないことを誓い建立されました。
右隣には、嗚呼立町隊盡忠之地と彫られた石塔も建てられています。

※善楽寺を参詣後は、隣接している「土佐神社」にちょっと立ち寄り参拝しました。
「土佐神社」の記事は次回アップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)楽天生命パーク、18:00、24,906人
阪神:000・002・101・・・・4・・・・(8)
楽天:000・000・000・・・・0・・・・(5)

【本塁打】中谷3号2ラン(6回、辛島)
【マルチ安打】糸原2、俊介2
【打点】中谷2、糸原1、俊介1
【盗塁】糸井(2回、6回)、植田(3回、7回)
【投手】
○ 藤浪 6回3分の1、24人:4安打、9三振、3四球、無失点(1勝2敗)
H 岩崎  3分の1、1人:無安打、無三振、無四球、無失点
H 桑原  3分の1、2人:無安打、無三振、1四球、無失点
H 能見   1回、4人:1安打、1三振、無四球、無失点
藤川   1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
● 辛島 5回3分の1、22人:2安打、4三振、5四球、2失点(3勝6敗)

※交流戦11位の阪神と、12位の楽天との最下位決定戦シリーズの初戦に勝利し、
阪神は借金2で、3位に浮上、首位広島とは4.5差。
※この試合の継投策は、ぴったりハマっていましたね。ナイス采配でした。
※藤浪は今季初勝利です。
阪神1・藤浪.jpg

★阪神、ナバーロ内野手の獲得を発表(デイリースポーツより)
阪神は15日、エフレン・ナバーロ内野手(32)=カブス傘下3A=と契約が合意に達し、シカゴ・カブスから同選手の譲渡が決まったことを発表した。来日日や入団会見などは未定としている。
 ナバーロは今季、カブスとマイナー契約を結び、開幕直後の4月10日にメジャーへ昇格。6打数1安打と結果を残せず、同15日に3Aへ再合流した。その後、5月26日にメジャー40人枠を外れてカブスとマイナー契約を結び直していた。
 3Aでは48試合の出場で打率・310をマーク。一塁と外野を守れることから、ロサリオとの共存を考え、獲得に乗り出していた。

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29番国分寺2(高知県南国市)、全仏・穂積二宮組決勝進出 [四国八十八]

6月9日(土)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
今回は、29番札所「国分寺」の続きの記事です。

◎29番・国分寺(こくぶんじ)
住所:高知県南国市国分546
電話:088-862-0055
http://www.tosakokubunji.org/history.html
山号:摩尼山。宗派:真言宗智山派。本尊:千手観音
創建:天平勝宝8年(756)以前。開基:行基
正式名:摩尼山 宝蔵院 国分寺。別称:土佐国分寺、土佐の苔寺
札所:四国八十八個所29番

本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:国を分け 宝を積みて 建つ寺の 末の世までの 利益のこせり

【歴史】(Wikiより)
聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」により全国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)の一つである。当寺は寺伝によれば天平13年(741年)に行基が千手観世音菩薩を刻み本尊として安置し開創したとされる。その後弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が毘沙門天を刻んで奥の院に安置、また、星供の秘法を修めたことから、当寺は星供の根本道場となり、大師像は「星供大師」と呼ばれている。そして、その頃真言宗の寺院となったという。史実としては、『続日本紀』に天平勝宝8年(756年)、土佐を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜したことがみえるため、この年以前には創建されていたとみられる。
国分寺周辺は古代から中世まで土佐国の国府の所在地であり、「土佐日記」の作者紀貫之も国司として4年間当地に滞在した。国府の中心である国庁は国分寺から徒歩15分の位置にあり、かつてその近くにあった土佐国総社は現在当寺境内に移されている。
寺はたびたび兵火に遭ったが、永禄元年(1558年)には長宗我部国親、元親によって金堂が再建。明暦元年(1655年)に土佐藩2代藩主山内忠義が山門を寄進した。大正11年(1922年)に境内全域が国の史跡に指定されている。

国分寺3・境内図.gif

↓総社
国分寺15・総社.jpg
国分寺16・総社.jpg

↓瓦寄進
国分寺18・瓦寄進.jpg
国分寺17・瓦寄進.jpg

↓中門
国分寺19・中門.jpg

↓庭園
国分寺20・庭園.jpg
国分寺22・庭園.jpg
国分寺21・庭園.jpg
↑牡丹が美しかったです。古代国分寺の塔心礎を主石とする庭園。

↓庭園内の句碑・歌碑
国分寺23・庭園、句碑歌碑.jpg

↓朝吹いそ子歌碑「国分寺の 薬師如来は 千年の ゑまひゆたかに たくせまへり」
国分寺24・朝吹いそ子歌碑.jpg

↓高浜年尾(高浜虚子の長男)句碑「お遍路に 静かに去って 行く様」
国分寺25・高浜年尾句碑.jpg

↓稲畑汀子(高浜虚子の孫)句碑「晴れてゆく 早さに梅の 匂い立つ」
国分寺26・稲畑汀子句碑.jpg

↓高木晴子(高浜虚子の五女)句碑「来し方を 行く方を 草朧かな」
国分寺27・高木晴子句碑.jpg

↓光明殿
国分寺28・光明殿.jpg
国分寺29・光明殿.jpg
↑平成7年(1995)11月竣工。

↓客殿玄関
国分寺30・書院玄関.jpg
↑客殿は昭和53年(1978)2月竣工。慶安3年(1650)に山内忠義によって閣殿として建立された建物を取り壊して建立。

↓納経所
国分寺31・納経所.jpg

↓御朱印
国分寺32・朱印.jpg

※四国八十八個所霊場には、4か所の「国分寺」があります。
・15番札所 薬王山 金色院 国分寺:2008年6月5日掲載
・29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺:2018年6月8日と6月9日掲載
・59番札所 金光山 最勝院 国分寺:
・80番札所 白牛山 千手院 国分寺:2016年9月13日9月14日掲載

※29番国分寺を12時27分に出発、30番善樂寺へ向かいました。行程は約11kmです。
こちらは、次回アップします。

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◎全仏オープンテニス~準決勝~

【女子】
シモナ・ハレブ(ルーマニア) 6-1、6-4 ③カルピネ・ムグルサ(スペイン)

スローン・スティーブンス(アメリカ)6-4、6-4 ⑬マディソン・キーズ(アメリカ)

【男子】
ドミニク・ティーム(オーストリア)7-5、7-6、6-1 ●マルコ・チェッキナート(イタリア)

★女子ダブルス、穂積絵莉・二宮真琴組グランドスラム初の決勝進出
全仏6・女子ダブルス.jpg
全仏7.jpg
テニスの全仏オープンは8日、第13日がパリのローランギャロスであり、女子ダブルス準決勝で穂積絵莉、二宮真琴組(橋本総業)が日本人2人のペアとしては4大大会の同種目初の決勝進出を決めた。第8シードの詹皓晴(台湾)、楊釗(中国)組を6―2、6―2で下した。

車いす部門の男子シングルス準決勝では国枝慎吾(ユニクロ)がゴードン・リード(英)に6―2、6―0で快勝し、3年ぶりの決勝進出を決めた。
2連覇を狙う第1シードの上地結衣(エイベックス)がアニク・ファンクート(オランダ)を6―3、7―6で下し、決勝に進んだ。

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29番国分寺1(高知県南国市)、甲子園球場へ行ってきました [四国八十八]

6月8日(金)   只今、【柴犬「はな」と行く四国遍路の旅(高知編)】を連載中です。
4月22日(日)、28番札所・大日寺を11時35分に出発、29番札所・国分寺の駐車場に12時05分到着。

◎29番国分寺(こくぶんじ)
住所:高知県南国市国分546
電話:088-862-0055
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/29kokubunji/index.html
http://www.tosakokubunji.org/
山号:摩尼山。宗派:真言宗智山派。本尊:千手観音
創建:天平勝宝8年(756)以前。開基:行基
正式名:摩尼山 宝蔵院 国分寺。別称:土佐国分寺、土佐の苔寺
札所:四国八十八個所29番

【歴史・由来】
土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。

国分寺1.jpg 国分寺2.jpg

↓仁王門
国分寺4・仁王門.jpg
↑仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で豪壮な二層造り。入母屋造楼門、金剛力士(仁王)像を安置。

↓金剛力士像
国分寺5・仁王.jpg国分寺6・仁王.jpg

↓参道。正面奥に見えるのが本堂
国分寺7・参道.jpg

↓右側に「手水舎」
国分寺8・手水舎.jpg

↓その隣に「鐘楼」
国分寺9・鐘楼.jpg
↑建立年不明、鐘楼は楼門とは別に当初は門の東方にあったのを、寛永11年(西暦1634年)に忠義公の当時、修築にあたり改築が行われました。その後、明暦元年(西暦 1655年)12月、忠義公の手により再び楼門を改築するにあたり鐘楼をかねることに改められました。近年、腐朽して鐘を本堂に移したこともありましたが、昭和初年に根本的な改築が行われました。

↓左側に「開山堂」
国分寺10・開山堂.jpg
↑建立年不明、嘉永2年(1849)改築。

★本堂(金堂)
国分寺11・本堂.jpg
国分寺12・本堂.jpg
国分寺.jpg
↑本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部元親が、永禄元年に再建。柿葺き、寄棟造りで外観は天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られて国の重要文化財に指定されている。2014年屋根が葺き替えられた。

★大師堂
国分寺13・大師堂.jpg
↑寛永11年(1634)建立。屋根の銅板は平成23年(2011)に葺き替えられた。

↓酒断地蔵尊(ひとこと地蔵)
国分寺14・酒断地蔵尊.jpg
↑国分寺境内に戦後、吉野川支流・穴内川の天坪ダム建設で水没することになったお地蔵さんを移設している。初めはひとことだけお願いする一言地蔵であったものが、国分寺の近くにも酒を飲んで困る方が多く、酒断ちの願をかなえる地蔵になっていった。

※次回に続きます。

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◎全仏オープンテニス~ベスト4~

【女子】
シモナ・ハレブ(ルーマニア) 6-7、6-3、6-2 ⑫A・ケルパー(ドイツ)
カルピネ・ムグルッサ(スペイン) 6-2、6-1 ㉘マリア・シャラポワ(ロシア)

マディソン・キーズ(アメリカ) 7-6、6-4  ●ユリア・ブーティンセバ(カザフスタン)
スローン・スティーブンス(アメリカ) 6-3、6-1 ⑭ダリア・カサキナ(ロシア)

【男子】
マルコ・チェッキナート(イタリア)6-3、7-6、1-6、7-6 ⑳ノバク・ジョコビッチ(セルビア)
ドミニク・ティーム(オーストリア) 6-4、6-2、6-1 ②アレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)

ラファエル・ナダル(スペイン)4-6、6-3、6-2、6-2 ⑪D・シュワルツマン(アルゼンチン)
ファンマルティン・デルポトロ(アルゼンチン)7-6,5-7,6-3,7-5 ③マリン・チリッチ(クロアチア)

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◎昨日の阪神タイガース

甲子園球場へ行ってきました。座席はライト外野46段です。かなり上から見下ろしました。
↓この日は入場者全員に、「黄炎(おうえん)キャップ」のプレゼントがありました。
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↓試合開始前、応援団が鼓舞しています
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↓両チームのマスコットです
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↓今回は、「北條選手の中華三昧弁当」(1300円)を食べました
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↓7回攻撃の前の恒例のジェット風船飛ばし
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↓トラッキーのパフォーマンス
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↓9回、守護神ドリスの登場
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↓ゲームセット
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↓全員で観客に挨拶
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試合結果は、やっと交流戦で両目が開きました。
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★阪神・鳥谷 秋山から最大級の賛辞と感謝贈られる 攻守でベテランの技
↓(デイリースポーツ)
阪神が鳥谷の決勝打で連敗を2で止め、2位に浮上した。
 今季初のお立ち台に登場した鳥谷を大歓声と拍手が包んだ。攻守で存在感を発揮したベテランに最大級の賛辞と感謝を贈ったのは、一緒にお立ち台に上がった秋山だった。
 「攻撃でも守備でも助けられました。頼れる偉大な先輩です」
 その言葉が決してお世辞ではない活躍だった。
 同点で迎えた六回、2死一塁。金子のチェンジアップを右中間へ運んだ。一塁走者の糸井をホームにかえす貴重な勝ち越し二塁となった。
 通算803打点目。藤田平氏と並ぶ球団タイの5位から単独5位となる打点は試合を決める一打となった。
 この日は、今季初の三塁でスタメン出場、好守でも球場を沸かせた。先制直後の四回1死一塁の場面。三塁線を破りそうなマレーロの打球に反応。横っ飛びで捕球し、すぐさま二塁へ送球。5-4-3の併殺を決めて無失点で切り抜けた。
 「鳥谷さんの守備で何とかゲームを作れた」と秋山が絶賛したプレーだったが、鳥谷は「去年一年間、守ったポジションなので、守りやすかった。チーム事情でいろいろあったんですけど、これからも頑張りたい」。自信と誇りをうかがわせた。
 今季初のお立ち台。「久しぶり過ぎてよく分からないんですけど、これからも一回でも多く立てるようにしたい」と力強く宣言した。

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