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若山神社(大阪府島本町) [寺社]

5月17日(金)   4月6日の大山崎町散策記事の続きで、今回で最終です。
「水無瀬神宮」を参拝後、車で「若山神社」へ向かいました。若山神社は、若山台住宅地を抜けた西天王山の山麓にあります。

◎若山神社
住所:大阪府三島郡島本町広瀬1497
電話:075-962-1651
主祭神:素戔嗚尊(牛頭天王)
社格等:旧村社
創建:(伝)701年(大宝元年)
本殿様式:三間社流造
http://oyamazaki.info/archives/1887
http://oyamazaki.info/archives/2247
【歴史】
若山神社は素盞鳴命(すさのおのみこと)を祀り、大宝元年(701年)行基が、二十二社の一つとして創建したと伝えられています。1074年(延久6年)官幣社に列せられ、宮寺として勝幡寺が創建されています。かつては、 西八王子社、牛頭天王社とも呼ばれていましたが、明治時代に入って神仏分離令により、若山神社に改められました。
社伝によれば、後鳥羽上皇も勅旨を遣わされ、南北朝時代には、桜井の里にて楠木正成が子の正行との訣別の際に重臣を代わりに参拝させたとたと伝わります。
 神社は千年以上の森の中にあるとされ、自然環境保全地域となっています。この森は大阪みどりの百選に選ばれ、秋は紅葉、春は桜の名所として知られています。なお、境内西側に自生する42本のツブラジイの巨樹は大阪府の天然記念物指定です。社地は山林約4万坪を有しています。

↓参道入口
若山1・参道入口.jpg

車は参道右横の細い山道を上がっていきます。
↓歩いての参拝は、この厳しい石段を上がります。
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↓神社境内近くの駐車場
若山3・駐車場.jpg

↓小さな鳥居が並ぶ不思議なスポット
若山4・不思議なスポット.jpg

↓境内
若山5・境内.jpg

↓境内から三川合流点が見え、素晴らしい景色を堪能することができます。
若山6・三川合流.jpg
若山7・眺望.jpg

↓拝殿前の狛犬
若山8・拝殿前の狛犬.jpg

↓拝殿
若山9・拝殿.jpg
若山10・拝殿.jpg
↓拝殿内部
若山11・拝殿.jpg

↓本殿
若山12・本殿.jpg
若山13・本殿.jpg

↓百山稲荷神社
若山14・百山稲荷神社.jpg
若山15・百山本殿.jpg

↓左から、峯好大明神、三好大明神
若山16・峯好大明神、三好大明神.jpg

↓恵比須社
若山17・恵比須社.jpg

↓天満宮
若山18・天満宮.jpg

↓左から、八幡宮、春日社、加茂社、松尾神社、蔵上社
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↓皇太神宮
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若山21・皇太神宮.jpg

↓交通社
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↓手水舎
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↓神像碑
若山24・神像碑.jpg
若山25・神像.jpg

※この日は、背割堤の花見が主目的で、早朝出発したので、今回はこれで帰途につきました。

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◎テニス、イタリア国際、錦織・大坂ともにダブルヘッダー

https://www.nikkansports.com/sports/news/201905160000137.html
ローマで行われているテニスのイタリア国際は、15日に雨天順延となった影響で、シングルスで男子の錦織圭(29)と女子の大坂なおみ(21=ともに日清食品)は16日に異例の“ダブルヘッダー”の日程が組まれた。

★大坂なおみ快勝で初戦突破
大坂 なおみ   6-3、6-3   ●D.チブルコバ
世界ランキング1位の大坂なおみ(21=日清食品)が同32位のドニミカ・チブルコバ(30=スロバキア)と対戦し、6-3、6-3で勝利した。
ダブルヘッダーの3回戦では同29位ミハエラ・ブザルネスク(ルーマニア)と対戦する。

★錦織圭も初戦突破
錦織 圭   6-2、6-4   ●T.フリッツ
男子の第6シードで2回戦から登場の錦織は世界52位のテーラー・フリッツ(米国)と日本時間午後5時開始の4番コート第2試合に登場。6-2、6-4で勝利した。
ダブルヘッダーの3回戦では、同10位のマリン・チリッチ(クロアチア)を破った同51位のヤン・レナード・ストルフ(ドイツ)と戦う。

テニス1・錦織.jpg

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水無瀬神宮(大阪府島本町) [寺社]

5月16日(木)   4月6日の大山崎散策記事の続きです。「離宮八幡宮」のえごまフェスタを見学後、駐車場に戻り「水無瀬神宮」に向かいました。

◎水無瀬神宮
住所:大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24
電話:075-961-0078
主祭神:後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
社格等:旧官幣大社、別表神社。旧称:水無瀬宮
創建:仁治元年(1240)
札所等:神仏霊場巡拝の道62番(大阪21番)。環境庁認定の「名水百選」の「離宮の水」あり
http://oyamazaki.info/archives/423

【由来・歴史】
水無瀬神宮では、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)・土御門天皇(つちみかどてんのう)・順徳天皇(じゅんとくてんのう)が祭られています。後鳥羽上皇がこの地に水無瀬殿を造営し、水無瀬離宮と称されていたものを、承久の乱で隠岐に流されそこで崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年(仁治元年)、藤原信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇を祀ったことに始まります。最初は「法華堂」と称されていたが、室町中期1494年(明応3年)、後土御門天皇から、水無瀬宮の神号を賜ったそうです。
 後鳥羽天皇と同じく承久の乱により配流されてそこで崩御した土御門天皇・順徳天皇の神霊を配流地から迎えて合祀した。
 さらに、1873年(明治6年)に官幣中社に、1939年(昭和14年)に官幣大社に列格し、現在の水無瀬神宮と改称されました。

↓境内図
水無瀬・境内図.jpg

↓鳥居
水無瀬1・鳥居.jpg
↑右側に無料の大きな駐車場があります。

↓水無瀬駒(町指定文化財)
水無瀬2・水無瀬駒.jpg
水無瀬3.jpg

↓由緒板
水無瀬5・由緒板.jpg

↓神門(国の登録有形文化財)
水無瀬6・神門.jpg水無瀬7・神門の右側.jpg
↑桃山時代に作られた薬医門造。

向かって右側の柱に、盗賊・石川五右衛門の手形が金網に守られていますが、よく見えません。
水無瀬8・石川五右衛門の手形.jpg

↓手水舎
水無瀬9・手水舎.jpg
水無瀬10・名水.jpg
↑【離宮の水】昭和60年に大阪府内で唯一、環境庁(現・環境省)選定の「全国名水百選」に選ばれた水です。水無瀬神宮の境内にある水汲み場には、連日早朝から多くのかたたちが取水に訪れています。
「取水時のお願い」 決められた量(1回最大20リットルまで)を汲まれたら、もう一度列の最後尾に並び直してください。お手水(竹筒から出ている水)は参拝前のお清めの場所です。取水や容器の洗浄はご遠慮ください。水を入れる容器は家で洗って持参してください。(島本町HPより)

↓拝殿の遠景(国の登録有形文化財)
水無瀬11・拝殿遠景.jpg
水無瀬12・拝殿.jpg
↓拝殿から幣殿を望む
水無瀬13・拝殿から幣殿を望む.jpg
【本殿】京都御所の旧内侍所の旧材を用いて寛永年間に移築したもの。国の登録有形文化財。

↓都忘れの菊
水無瀬14・都忘れの菊.jpg

↓客殿の遠景(国の重要文化財)
水無瀬15・客殿の遠景.jpg
↓左:社務所、右:客殿
水無瀬16・社務所と客殿.jpg
↑客殿:一重、入母屋造、桟瓦葺。

↓神庫(国の登録有形文化財)、左は稲荷神社
水無瀬17・神庫.jpg

↓末社:右から星阪神社、柿本神社
水無瀬18・右から星阪・柿本.jpg

↓末社:春日神社
水無瀬19・春日.jpg

茶室(燈心亭)http://sekkeikoubo.com/blog/2014/09/post-32.html
(国の重要文化財) 後水尾天皇より下賜されたと伝えられる江戸初期の数奇屋風書院。桁行7.6m、梁間5.2m、一重、寄棟造、茅葺、東面庇付、こけら葺。内部は三畳台目の席と、同面積の勝手とを並べた構成になっている。松、竹、梅をはじめとする様々な材種を用いた繊細な意匠が随所に見られ、江戸初期における貴族(公家)好みの代表的な茶室として知られる。
茶室燈心亭の拝観には事前予約が必要。

↓2019年4月4日読売新聞夕刊の記事
水無瀬・2019年4月4日読売新聞夕刊.jpg

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)東京ドーム、18:00、
阪神:320・014・120・・・13・・・・(18)
巨人:011・200・310・・・・8・・・・(13)

【本塁打】糸井2号2ラン(1回、菅野)、福留4号ソロ(5回、菅野)、木浪2号ソロ(6回、菅野)
     大山7号2ラン(6回、菅野)、梅野2号ソロ(7回、田口)
     石川2号ソロ(3回、岩田)、丸7号3ラン(7回、能見)
【打点】糸井3、マルテ1、大山3、福留2、木浪3、梅野1
【マルチ安打】近本2、糸原2、糸井3、大山2、福留3、梅野2、木浪2
【盗塁】梅野(8回)
【マルチ三振】福留2、マルテ2、岩田2
【投手】
・岩田 3回3分の2、18人:8安打、無三振、1四球、4失点
○ 守屋 1回3分の1、4人:無安打、2三振、無四球、無失点(1勝)
・藤川   1回、4人:無安打、2三振、1四球、無失点
・能見   1回、6人:2安打、1三振、1四球、3失点
・ジョンソン  1回、6人:3安打、1三振、無四球、1失点
ドリス  1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
● 菅野 5回3分の2、31人:11安打、4三振、2四球、10失点(自責7)(5勝3敗)

阪神1・守屋.jpg

★阪神、5発13点で巨人に連勝 菅野KO 虎党が歓喜の六甲おろし大合唱
https://www.daily.co.jp/tigers/2019/05/15/0012333982.shtml
↓(デイリースポーツ)
阪神は打線が爆発し、巨人に連勝。先発野手全員の18安打13得点の猛攻で、貯金3となった。守屋がプロ初勝利を飾った。
 うっぷんを晴らすように、虎党が六甲おろしを熱唱した。六回までに巨人・菅野に4発を浴びせ、10得点の猛攻。七回にも梅野の一発が飛び出し、この時点で今季最多タイの5本塁打となった。
 先制は一回、1死一塁。糸井が甘く入った135キロのスライダーを仕留め、右翼席へ2号2ラン。その後も2死から福留、梅野、マルテが3連打を放ち、3点目を奪った。
 二回は大山、福留の適時打で2点追加。五回は福留が右翼席へ4号ソロ。六回はルーキー木浪が2号ソロを放ち、さらに大山の7号2ランなどで菅野をKOした。
 このカードを迎えるまで、今季の巨人戦は6戦6敗。屈辱を味わっていたが、逆転勝ちを飾った前夜に続き、打線の勢いが止まらず。
 2番手の守屋が巨人の勢いを止め、プロ初勝利。藤川、ジョンソン、能見、ドリスで逃げ切った。
 巨人は今季初の4連敗。打ち合いに敗れ、貯金5となった。(阪神の貯金3)

阪神2.jpg

※菅野を打ち破り、大勝したので、私もテレビの前で「六甲おろし」を熱唱しましたね。
5本塁打とは!よく打ちましたね。しかし、岩田は5点ももらいながら背信投球。能見も先頭打者に四球を出し、ドカンと一発とは?ベテランらしくないですね。
ともあれ、東京ドーム連勝! 万歳!バンザイ!

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離宮八幡宮(京都府大山崎町)、関大明神社(大阪府島本町)、百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に勧告 [寺社]

5月15日(水)   4月6日の大山崎町散策記事の続きです。アサヒビール大山崎山荘美術館を拝観後、JR山崎駅近くの「離宮八幡宮」に立ち寄りました。

◎離宮八幡宮
住所:京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
電話:075-956-0218
http://rikyuhachiman.org/
http://oyamazaki.info/archives/719
主祭神:応神天皇、神功皇后、酒解大神、比売三神
社格:府社。創建:貞観元年(859)
本殿の様式:流造(八幡造)。例祭:9月15日

【由来】(山崎観光案内所のサイトより)
離宮八幡宮は、石清水八幡宮の元社にあたり、八幡大神(応神天皇)を祭神とする神社です。
貞観元年(859年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立されたのが始まりとされています。
 その後、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったので社名を離宮八幡宮とし離宮八幡宮が成立しました。しかし、離宮八幡宮の創建については、諸説あり、石清水八幡宮と同時に成立したとは考えらないという説や、離宮八幡宮は南北朝時代から室町時代初め頃に成立したとみる説もあります。

【離宮八幡宮と油】(山崎観光案内所のサイトより)
離宮八幡宮は油の独占で栄えます。平安時代の後期(貞観年間)となり、津として栄えたこの地の人々の中に、荏胡麻(えごま)の油絞りの道具を考え出した者(離宮八幡宮の神官貞観年間、時の神官が神示を受けたとされる)「長木」という搾油器を発明し荏胡麻油の製油を始めました。
 当初はこの道具を使って作られた荏胡麻油は、対岸の石清水八幡宮の灯明用の油として神社仏閣の燈明用油として奉納されていましたが、次第に全国にこの業が広まり、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜りました。
 そうして、油座として離宮八幡宮は幕府・朝廷の保護の下、大山崎油座として油の専売特許を持ち栄えていきます。安土桃山~江戸時代には、「西の日光」と呼ばれるほどの壮大な社殿を構え栄華を極めたそうです。

【離宮八幡宮の衰退】(山崎観光案内所のサイトより)
しかし、応仁の乱の勃発により京都で大戦が起きると、離宮八幡宮のある山崎の地にも戦火が及びます。戦場となると製油に携わる神人たちは逃亡する事態となりました。乱の収束に伴って大山崎に戻りはじめ、製油・油商売も再開しましたが、従前とくらべ勢いを取り戻せませんでした。
 さらに、尾張・美濃の戦国大名であった織田信長が上洛を遂げ、室町幕府を崩壊させたことで、幕府の禁令に依存していた大山崎の優位が崩壊。大山崎油座の持っていた特権はなくなってしまいます。豊臣秀吉による保護もありましたが、荏胡麻から油を絞るという作業自体は特に難しい技術を必要とする産業ではなかったため、各地で大山崎から油を購入することなく、自ら生産販売する商人が続出し衰退していきました。
 さらに、江戸期には、荏胡麻油から菜種や綿実油など主流となり荏胡麻からの搾油も次第に行われなくなっていきます。それでも売買の守護神として全国の商人から崇敬されていたそうで、毎年12月には油商人が山崎に集まり「判紙の会」という儀式が行われていたといわれています。
 さらに、幕末の禁門の変で長州藩の屯所が山崎に置かれたことにより、幕府軍の攻撃を受けて、多くの民家と共に焼失しました。兵火を免れ現存する建築物は「惣門」「東門」のみ。明治9年(1876)東海道本線(現JR)の京都神戸間開通により社地の大半がその用地と化したため、神領の規模が大幅に縮小されました。
現在の社殿は昭和の初期に再建されています。その社殿には「崇敬発起人」として日本製油・カネダ・吉原製油・昭和産業・豊年製油・味の素・日本油脂など日本の製油大企業の名が連なっています。

境内案内図
離宮1・境内図.jpg

↓惣門(高麗門)大山崎町指定文化財
離宮2・惣門.jpg

↓東門(大山崎町指定文化財)、祇園枝垂桜が満開でした
離宮3・東門、祇園枝垂桜.jpg

↓東門(裏門)
離宮4・東門.jpg

↓旧社務所
離宮5・旧社務所.jpg

↓鳥居と奥に中門(四脚門・国の登録有形文化財)
離宮6・鳥居.jpg

↓手水舎(国の登録有形文化財)
離宮7・手水舎.jpg

↓中門から見る拝殿(国の登録有形文化財)
離宮8・中門から見る拝殿.jpg

↓本殿(国の登録有形文化財)
離宮9・本殿.jpg

↓後ろに見える複数の礎石は、多宝塔礎石(大山崎町指定文化財)
離宮10・後ろは多宝塔礎石.jpg

↓境末社
離宮11・境末社.jpg

↓高天宮神社(国の登録有形文化財)
離宮12・高天宮神社.jpg

↓左から、気比宮、鹿島神社、蛭子神社
離宮13・左から気比宮、鹿島神社、蛭子神社.jpg

↓右から、武内社、天照皇太神社、蛭子神社
離宮14・右から武内社、天照皇太神社、蛭子神社.jpg

↓若宮社
離宮15・若宮社.jpg

↓説明板
離宮16・説明版.jpg

↓社務所、右側は中門
離宮17・社務所、中門.jpg

後刻、再度この離宮八幡宮に立ち寄ると、「えごまフェスタ」をやっていました。
離宮18.jpg

離宮19・えごまフェスタ.jpg

西国街道の山崎宿に接しているので、しばらく西国街道を歩くことにしました。

★関大明神社(せきだいみょうじんしゃ)
住所:大阪府三島郡島本町山崎1-5-10
主祭神:大己貴命、天児屋根命(大智明神)
創建:不明。本殿様式:一間社流造
別名:関戸明神、関戸大明神
http://oyamazaki.info/archives/195

【歴史】Wikiより
島本町から京都府乙訓郡大山崎町にかけての土地は天王山と淀川(桂川)に挟まれ、古くは山崎橋も存在したことなどから交通の要衝として関所が設置されており、関大明神社の名前の由来となっている。また、この神社自身が関所「山崎関」(山城の関)跡地であるといわれ、関所または後に設けられた「関戸院」(関戸の院〈せきどのいん)の鎮守社であったともいわれる。
創建は不詳で、水無瀬の里に置かれていたが洪水によってこの地へ移されたとも、京都へ悪霊の侵入を防ぐためこの地に道祖神が建立されたのが起源ともされる。また、伯耆国大山の大智明神の神輿を収めたことにより始まるという伝承もある。
この地は西国街道の宿場町で山崎宿として知られ、周辺には古い建物が散見される。また、傍らには「従是東山城國」との石碑も存在する。古くはこの関大明神社の前に流れる小川が摂津国と山城国の境であったといわれており、現在でもこの川にほぼ沿った形で府境が引かれている。

境内には、覆屋の中ある流造(一間社流造)の本殿のほか、神輿庫、石灯籠、手水鉢などがある。門前、道を隔てた北側に山崎宗鑑の屋敷があったとされ、「宗鑑井」という井戸が伝わる。

関大明神1.jpg
関大明神2.jpg
↑本殿 - 室町時代中期建立。大阪府指定有形文化財。

関大明神3.jpg関大明神4.jpg

↓西国街道の街並み
西国街道.jpg

サントリー山崎蒸溜所
サントリー山崎蒸溜所.jpg

このまま歩いて「水無瀬神宮」へも近いですが、駐車場まで引き返して、車で行くことにしました。

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◎百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に登録へ イコモス勧告
https://mainichi.jp/articles/20190514/k00/00m/040/006000c?fm=mnm
↓(毎日新聞)
文化庁は14日、日本が世界文化遺産に推薦していた「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)について、登録の可否を事前に審査する国際記念物遺跡会議(イコモス、本部・パリ)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に対し「登録が適当」と勧告したと発表した。6月30日~7月10日にアゼルバイジャンで開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式決定し、世界文化遺産として登録される。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)東京ドーム、18:00、42,467人
阪神:010・000・300・・・・4・・・・(6)
巨人:200・000・000・・・・2・・・・(7)

【本塁打】マルテ3号ソロ(2回、高橋)
【打点】マルテ1、北條1、糸原2
【マルチ四球】マルテ2
【盗塁】糸井(1回)
【失策】大山(1回)
【併殺打】梅野1
【投手】
○ 青柳   6回、27人:7安打、5三振、1四球、2失点(3勝3敗)
H ジョンソン  1回、4人:無安打、2三振、1四球、無失点
H 藤川   1回、4人:無安打、2三振、1四球、無失点
S ドリス  1回、3人:無安打、2三振、無四球、無失点(1勝1敗8S)
・高橋優  6回、22人:3安打、4三振、1四球、1失点
● アダメス  3分の1、3人:1安打、無三振、1四球、2失点(1敗)

阪神6・糸原.jpg

★巨人戦の連敗9でストップ 令和初の伝統の一戦制した!坂本勇も止めた
https://www.daily.co.jp/tigers/2019/05/14/0012330406.shtml
↓(デイリースポーツ)
阪神が七回に猛攻を見せて逆転勝ち。令和最初の「伝統の一戦」を制し、今季巨人戦初勝利を飾った。今季就任した矢野燿大監督は巨人戦初勝利となった。
 今季ここまで巨人戦6戦全敗。昨季から見れば9連敗(1引き分けを挟む)と圧倒されていたが、この流れをようやく止めた。
 先発青柳が初回に2点を失いながらも、粘りの投球で追加点を許さない。二回にマルテの3号ソロで1点差に迫った打線は七回につながりを見せる。
 巨人は3安打1失点と好投した先発のドラフト1位左腕・高橋を6回で降板。継投策に出たが、救援陣に猛虎打線が襲いかかった。
 先頭の福留が中前打で出ると、犠打と四球で1死一、二塁として巨人2番手・アダメスを降板させる。3番手・戸根に対し、代打・上本は空振り三振に倒れたが、続く代打の北條がしぶとくレフト前に落として、まずは同点。
 さらに一気に畳みかける。近本の四球で満塁にすると、キャプテン・糸原が鮮やかにセンター前にはじき返して2点を追加。4-2と逆転に成功した。
 阪神は七回からジョンソン、藤川、ドリスと無失点リレー。首位チーム相手に、救援陣が安定感の違いを見せつけた。
 この勝利で阪神は東京ドーム通算150勝となった。東京ドームでの巨人戦戦績は389戦150勝230敗9分け。
 巨人は開幕から36試合連続出塁のセ・リーグ記録を更新中だった坂本勇が5打席凡退。記録がストップした。

※この試合は、矢野監督の采配がズバズバ当たりましたね。それに引き換え原監督の継投策は裏目にでました。この勢いで、今日も勝ってほしいですね。

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宝積寺(大山崎町)、マドリードOP錦織圭・大坂なおみ共に勝利 [寺社]

5月9日(木)   4月6日の大山崎町散策記事の続きです。大念寺を参拝して、しばらく上がると、大山崎町地域では最も古い、通称宝寺の「宝積寺」です。

◎宝積寺(ほうしゃくじ)
住所:京都府乙訓郡大山崎町銭原1
電話:072-956-0047
http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/seisakusomuka/kannkou/kanko/machinokankosupotto/943.html
山号:天王山、銭原山(旧・補陀洛山)。宗派:真言宗智山派。本尊:十一面観音(重文)
創建:神亀元年(724)。開基:行基、聖武天皇(勅願)。
中興年:長徳年間(995-999)。中興:寂昭。別称:宝寺、大黒天宝寺
重要文化財:三重塔、木造十一面観音立像、木造閻魔王坐像、木造金剛力士像ほか
https://www.travel.co.jp/guide/article/24556/

【歴史】Wikiより
聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺ともいう。
 宝積寺は、山城国(京都府)と摂津国(大阪府)の境に位置し、古くから交通・軍事上の要地であった天王山(270m)の南側山腹にあり、寺伝では神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝える。行基は奈良時代に架橋、灌漑などの社会事業を行い、多くの寺を建てた僧である。
行基は神亀2年(725年)、淀川に「山崎橋」(山崎-橋本間)を架けている。また、『行基年譜』によれば、行基は天平3年(731年)、乙訓郡山崎に「山崎院」を建立している。天王山の南側山麓に位置する大山崎町大山崎上ノ田の遺跡が「山崎院」跡に比定されており、ここからは日本でも最古級の壁画断片などが出土している。以上のことから、天王山周辺は行基にゆかりの深い地であることは確かで、宝積寺は「山崎院」の後身と考える説もある。
宝積寺は貞永元年(1232年)の火災で焼失しており、現存する仏像等はこれ以降のものである。それ以前の寺史はあまり明らかでないが、長徳年間(995年-999年)、寂昭が中興したという。寂昭は俗名を大江定基といい、『今昔物語集』所収の説話で知られる。それによれば、彼は三河守として任国に赴任していた時に最愛の女性を亡くし、世をはかなんで出家したという。
11世紀末から12世紀初めの成立と思われる『続本朝往生伝』(大江匡房著)には早くも当寺の通称である「宝寺」の名が見える。また、藤原定家の日記「明月記」には建仁2年(1202年)に彼が宝積寺を訪れたことが記されている。
天正10年(1582年)、天王山が羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの舞台となり、その際宝積寺には秀吉の本陣が置かれた。直後秀吉により天王山に建設された「山崎城」にも取り込まれ、このため城は「宝寺城」とも呼ばれた。元治元年(1864年)には禁門の変で尊皇攘夷派の真木保臣を始めとする十七烈士らの陣地が置かれた。
大正4年(1915年)には夏目漱石が当地を訪れた。漱石は、宝積寺の隣地に実業家・加賀正太郎が建設中であった山荘(現・アサヒビール大山崎山荘美術館)を訪れ、「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を詠んだ。

↓仁王門に向かう参道
宝積寺1.jpg

↓仁王門
宝積寺2・仁王門.jpg

↓仁王門から一直線に伸びる参道
宝積寺3・仁王門から.jpg

↓金剛力士像(重文)
宝積寺4・金剛力士像.jpg宝積寺5.jpg

↓鐘楼(待宵の鐘)
宝積寺6・待宵の鐘.jpg

↓不動堂
宝積寺7・不動堂.jpg

↓三重塔(重文)
宝積寺8・三重塔.jpg
↑桃山時代に秀吉が一夜で建てたと伝えられている「一夜の塔」と呼ばれている。

↓本堂への参道
宝積寺9・本堂への参道.jpg

↓手水舎
宝積寺11・手水舎.jpg

↓本堂
宝積寺10・本堂.jpg
宝積寺15・本堂.jpg
宝積寺16・本堂.jpg
↑京都府登録文化財。入母屋造、本瓦葺。慶長11年(1605年)改築。内陣の厨子に本尊十一面観音立像(重文)を安置する。

↓駒札
宝積寺17・駒札.jpg

↓焔魔堂
宝積寺12・焔魔堂.jpg
↑閻魔王及び眷属像(重要文化財) - 閻魔堂は鎌倉時代作の閻魔王坐像(像高160.9cm)、および閻魔の法廷で書記を務める冥界の役人の司録坐像(像高143.6cm)、司命坐像(像高122.4cm)、倶生神坐像(像高114.5cm)、闇黒童子(暗黒童子)坐像(像高110.5cm)の5躯の木像を並べて安置し、地獄の法廷を再現する。これらの像はもとは天王山西麓にあった西観音寺(大阪府島本町山崎5丁目にあった)に安置されていたもので、明治の廃仏毀釈で西観音寺が廃寺となった後、宝積寺に移された。※焔魔堂のみ有料拝観。

↓小槌宮
宝積寺13・小槌宮.jpg
宝積寺14・小槌宮.jpg
↑昔話の「一寸法師」に登場する「打出の小槌(うちでのこづち)」。振ると、大判小判や宝物がザクザクと現れるというあの「打出の小槌」のモデルになったとされる。

↓九重石塔
宝積寺18・九重石塔.jpg

↓社務所
宝積寺19・社務所.jpg

↓御朱印
宝積寺20・御朱印.jpg

↓本堂より真っすぐに仁王門へ伸びる参道
宝積寺21・本堂より仁王門方面.jpg

↓境内社
宝積寺22・境内社.jpg
宝積寺23・境内社.jpg
宝積寺24・境内社.jpg

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◎錦織圭、2年ぶり3回戦進出
↓(朝日新聞デジタルより)
テニスのマドリード・オープンは8日、マドリードで行われ、男子シングルスで第6シードの錦織圭(日清食品)は初戦の2回戦で世界ランキング109位のウーゴ・デリエン(ボリビア)に7―5、7―5で勝って2年ぶりに3回戦に進出した。


◎大坂なおみ、準々決勝進出!世界33位にストレート勝ち マドリードOP/テニス
https://www.sanspo.com/sports/news/20190508/ten19050820220003-n1.html
↓(サンスポ)
テニス・マドリード・オープン(8日、マドリード)女子シングルス3回戦で第1シードの大坂なおみ(21)=日清食品=は、世界33位のアリャクサンドラ・サスノビッチ(25)=ベラルーシ=を6-2、6-3で下し、準々決勝に進出した。
 大坂は第1セット、第2ゲームをブレークするなど3ゲームを連取。その後もサスノビッチを寄せつけず、第8ゲームで再びブレークを奪い、このセットを先取した。
 第2セットはブレーク合戦となった。第2ゲームで大坂がブレークに成功し2-0としたが、続く第3ゲームをサスノビッチがブレークバック。それでも第4ゲームでは大坂が再び相手のサービスを破り、第5ゲームをキープして4ー1とし、試合の主導権を握った。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・10・11・12・・・・計・・・・(安打)神宮、18:00
阪神:300・000・020・0・0・2・・・・7・・・・(11)
ヤクルト:000・000・050・0・0・2・・・・7・・・・(12)

【本塁打】山田8号ソロ(12回、島本)
【打点】糸井1、大山1、梅野1、糸原2、中谷2
【マルチ安打】糸井3、大山2、梅野2
【マルチ四球】木浪2
【盗塁】上本(1回)(5回)
【マルチ三振】近本2、植田2、糸井3、岩田2
【投手】
・岩田 5回3分の2、21人:4安打、4三振、1死球、無失点
H 守屋  3分の1、1人:無安打、無三振、無四球、無失点
H 能見   1回、5人:1安打、無三振、1四球、無失点
・福永  3分の0、4人:4安打、無三振、無四球、4失点
・ジョンソン  1回、5人:1安打、1三振、1四球、1失点
H 藤川   1回、5人:無安打、2三振、1四球、無失点
H ドリス  2回、7人:無安打、2三振、1四球、無失点
島本   1回、6人:2安打、無三振、1死球、2失点
・高橋   5回、23人:5安打、7三振、3四球、3失点

★延長十二回死闘もドロー 中谷勝ち越し打も島本がリード守れず
↓(デイリースポーツ)
阪神が12連戦の最終戦を延長12回の死闘で引き分けた。
 5-5の延長十二回、先頭の大山が投手強襲安打で出塁。犠打と敬遠で1死一、二塁から代打中谷が左中間へ2点を勝ち越す二塁打を放った。
 しかしその裏、島本が先頭の山田哲にソロを浴び、なおも2死から村上に死球。盗塁があり2死二塁から代打中村の右越え二塁打で同点に追いつかれた。
 八回に2点を加え5点リードのその裏、4番手の福永が乱調で無死満塁とし山田哲に右越えの2点二塁打を許した。5番手・ジョンソンも流れを止めることができず、続く雄平に左翼フェンス直撃の2点適時二塁打。1死三塁から村上に左犠飛を許し、同点とされた。
 阪神は初回に4連打などで3点を先制。八回には今季初めてスタメンから外れた糸原が代打で2点三塁打を放ちリードを広げたが、救援陣が捕まった。先発の岩田は六回2死まで無失点と安定した投球を披露していたが、青木に頭部死球で危険球退場も継投に影響。ドリスが十回からイニングまたぎで2回無失点。十二回に登板した島本がリードを守れなかった。
 改元で世間は10連休。阪神にとっては異例の12連戦となったが、12試合で8勝3敗1分けと好調を続けた。12連戦スタート前の5位から3位まで浮上した。

※矢野監督の采配ミス(継投ミス)により勝利を逃しました。7回終了時点で「3-0」で勝っていたので、8回はセットアッパーのジョンソンが準備していた。8回表に阪神が2点追加して、「5-0」と点差が開いたので、ジョンソンを休ませるつもりで、今季2試合目の福永に継投した。これがテレビ解説の田淵幸一氏の予言通り、裏目に出て勝利を逃しました。

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観音寺(山崎聖天) [寺社]

5月4日(土)    5月2日・3日に、近江八幡・安土地区に小旅行してきました。これらの記事は後日整理してアップします。   

 さて、背割堤の花見の後、桜も境内に咲いている、通称「山崎の聖天さん」と呼ばれる観音寺を訪れました。(撮影は、4月6日)

◎観音寺(山崎聖天)
住所:京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才62
電話:075-956-0016
山号:妙音山。院号:大悲院。宗派:真言宗系単立。本尊:十一面千手観音
創建:昌泰2年(899)。開基:寛平法皇(宇多上皇)。中興:木食以空
正式名:妙音山観音寺。別称:山崎聖天、山崎の聖天さん
http://kyotomoyou.jp/yamazakishoten
http://oyamazaki.info/archives/1405

【由緒・歴史】
寺伝によると、観音寺は、平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられます。その後、衰退しますが、江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を本尊とし、中興開山します。それ以後、歓喜天(かんぎてん)を祀り、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展します。こうしたことで、本尊の十一面千手観音菩薩よりも 歓喜天への信仰によって、「山崎の聖天さん」として知られるようになり、江戸時代の観音寺は大いに賑わいます。山に向かって本堂の左側に、その歓喜天が祀られています。
 しかし、江戸幕府末の禁門の変の際、元治元年(1864)、長州の尊皇攘夷派の部隊が山崎の地に陣を取ったことにより、戦火に巻き込まれることになります。(十七烈士の墓参照)山崎は幕府軍と長州派の戦いにより、天王山一帯は壊滅的な被害を受けます。観音寺もこの時の火によって、事前に避難させた本尊の十一面千手観世音菩薩と歓喜天像以外を残して焼失してしまいました。
 明治時代に入り観音寺は順次復興され、現在ある建物は西観音寺の本堂や、聖天堂や鐘楼などを移して再建されたものです。
また、観音寺は桜と紅葉の名所としても有名で、春と秋のシーズンには多くの行楽客が訪れます。

↓3台位の駐車スペースに止めました。(観音寺に最も近い)
山崎聖天.jpg

↓ここからは、背割堤の展望塔が見えます
山崎聖天22・展望塔が見えます.jpg

↓寺標と鳥居
山崎聖天1・寺標と鳥居.jpg

↓鳥居の扁額は「聖天宮」
山崎聖天2・聖天宮.jpg

↓ペット禁止の看板
山崎聖天3・ペット禁止.jpg

↓仁王門
山崎聖天4・仁王門.jpg

↓金剛力士像
山崎聖天5・金剛力士像.jpg

↓庫裏
山崎聖天6・庫裏.jpg

↓客殿?
山崎聖天7・客殿.jpg

↓寺務所、休憩所
山崎聖天8・事務所、休憩所.jpg

↓境内
山崎聖天9・境内.jpg

↓手水舎
山崎聖天10・手水舎.jpg

↓地蔵
山崎聖天11・地蔵.jpg

↓本堂
山崎聖天12・本堂.jpg

↓枝垂れ桜
山崎聖天13・枝垂れ桜.jpg

↓住友吉左衛門友信が寄進した大灯籠
山崎聖天14・大灯籠.jpg

↓本堂の扁額
山崎聖天15・本堂扁額.jpg

↓鐘楼
山崎聖天16・鐘楼.jpg

↓歓喜天の扁額のついた鳥居
山崎聖天17・歓喜天.jpg

↓聖天堂
山崎聖天18・聖天堂.jpg

↓光明殿
山崎聖天19・光明殿.jpg

↓末社の稲荷神社
山崎聖天20・稲荷大明神.jpg
山崎聖天21.jpg
↑稲荷神社の横から最短で聖天堂へ上れる急な石段もあります。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・10・・・・計・・・(安打)甲子園、14:00、46,552人
DeNA:010・000・000・0・・・・1・・・(5)
阪 神:000・001・000・1×・・・2・・・(6)

【本塁打】上本1号ソロ(6回、国吉)
【打点】上本1、大山1
【マルチ安打】大山2
【マルチ四球】高山2
【マルチ三振】上本2
【併殺打】梅野1
【投手】
・ 西   8回、29人:3安打、7三振、2四球、1失点
H 藤川   1回、6人:2安打、無三振、2四球、無失点
H 能見  3分の2、3人:無安打、1三振、1四球、無失点
ジョンソン 3分の1、1人:無安打、無三振、無四球、無失点(2勝
・阪口   5回、19人:2安打、2三振、2四球、無失点
● 三嶋 1回3分の2、10人:2安打、1三振、3四球、1失点(1敗)

阪神3・大山.jpg

★大山、球団生え抜き4番17年ぶりのサヨナラ打!令和初のサヨナラ勝ち
↓(デイリースポーツ)
阪神が延長の末、大山のタイムリーで今季2度目のサヨナラ勝ちを果たした。
 1-1で迎えた延長十回。2死から糸原が四球で歩くと、4番の大山が中堅フェンスを直撃する二塁打を放ち、試合を決めた。
 阪神の生え抜きの4番打者のサヨナラ打は2002年の浜中以来、17年ぶりとなった。
 この3連戦は「こどもまつり」と銘打たれ、試合後のインタビューでは阪神ファンクラブの「キッズ会員」の中から選ばれた子供たちがインタビュアーを務めた。自身初のサヨナラ打となった大山は打った瞬間の気持ちを問われ、「うれしいです」と答えていた。また目標とする選手を問われて、「鳥谷さんのように長く試合に出続けられるように頑張りたいと思います」と明かしていた。
 0-1と1点を追う六回。上本博紀内野手が先頭で打席に入ると、2番手・国吉が投じた初球、内角低めへの147キロ直球を完璧に捉えた。高々と舞い上がった打球は左翼席ポール際の中段に着弾する今季1号アーチで追いついた。
 投げては西、藤川、能見、ジョンソンの4人の継投でDeNAを1点に抑えて、サヨナラ勝ちを呼び込んだ。ジョンソンが今季2勝目を挙げた。

※近本の連続安打は止まりましたが、再挑戦して欲しいですね。

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山陰旅行10(玉作湯神社) [寺社]

4月25日(木)  3月18日(月)山陰旅行記の続きです。佳翠苑 皆美で朝食後、車を旅館の駐車場へ止めたまま、玉造温泉街を散策しました。

◎玉作湯神社
住所:島根県松江市玉湯町玉造508
電話:0852-62-0006
https://ameblo.jp/tomo-chupi/entry-12230427080.html
http://www.genbu.net/data/izumo/tamatukuriyu_title.htm
主祭神:櫛明玉神、大名持神、少彦名神、五十猛神
社格等:式内社(小)、旧県社
創建:不詳(奈良時代の「出雲国風土記」に記された古い神社)
本殿様式:大社造。例祭:10月10日
神紋:二重亀甲に丸玉管玉勾玉
国の史跡:玉作湯神社境内は、国の史跡「出雲玉作跡」の一角として史跡に指定されている。

【由緒】Wikiより
神名の「玉作湯神」に関しては、「玉作神」と「湯神」の二元的性格が指摘される。前者の「玉作」とは玉類(勾玉・管玉・丸玉など)の製作を意味する。鎮座地の花仙山一帯は出雲地方における玉作の中心地とされ、弥生時代末期に始まる玉作遺跡(国の史跡「出雲玉作跡」)が濃密に分布するほか、遺跡からの出土品の一部は玉作湯神社に所蔵され国の重要文化財に指定されている。また当地一帯は『出雲国風土記』に見える「忌部神戸」に比定されることから、玉作湯神社は忌部氏(斎部氏)の管掌下で玉類製造にあたった玉作部により奉斎されたものと推測されている。『古語拾遺』では櫛明玉命が出雲国玉作の祖である旨が記されており、現在の玉作湯神社ではこの櫛明玉命を祭神の1柱に祀っている。また同書では、天富命が斎部諸氏を率いて各種神宝を作らせたうち、櫛明玉命の子孫には「御祈玉(みほきたま)」を作らせ、その櫛明玉命の後裔は出雲国にあって毎年調物と併せて玉を貢進する旨が記されているが、実際に『延喜式』臨時祭では毎年10月に出雲国意宇郡の神戸玉作氏が玉を進上する旨が規定されている。

↓一の鳥居
玉作神社1.jpg

↓説明板
玉作神社2.jpg

↓社務所
玉作神社3・社務所.jpg

↓二の鳥居
玉作神社4・二の鳥居.jpg

↓出雲玉造跡出土品収蔵庫
玉作神社5・収蔵庫.jpg

↓親子の狛犬
玉作神社6・狛犬.jpg

↓手水舎
玉作神社7・手水舎.jpg

↓拝殿
玉作神社8・拝殿.jpg
玉作神社9・拝殿.jpg
↓拝殿内部
玉作神社10・拝殿内部.jpg

↓本殿
玉作神社11・本殿.jpg
玉作神社12・本殿.jpg
↑本殿は、安政4年(1857)の再建。

↓玉造要害山城
玉作神社13.jpg

↓御納社
玉作神社14・御納社.jpg

↓玉宮神社
玉作神社15・玉宮神社.jpg

↓湯山遥拝殿
玉作神社16・湯山遙拝殿.jpg

↓稲荷神社
玉作神社17・稲荷神社.jpg

↓左から、素鵞神社・福徳神社・澤玉神社
玉作神社18・素鵞・福徳・澤玉神社.jpg

↓仮殿建立之御座
玉作神社19・仮殿建立之御座.jpg

↓土俵
玉作神社20・土俵.jpg

↓金比羅神社
玉作神社21・金刀比羅神社.jpg

↓蔵?
玉作神社22・蔵.jpg

玉作神社23.jpg

↓湯姫大明神社
玉作神社24・湯姫大明神社.jpg

写真を撮るのを忘れましたが、恋愛成就で有名なパワースポットの「願い石」もあります。

※玉造温泉街を散策した後、旅館の駐車場を10時37分出発し、足立美術館に向かいました。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)横浜、18:00、30,367人
阪 神:001・001・001・・・・3・・・・(8)
DeNA:000・001・000・・・・1・・・・(6)

【本塁打】陽川1号ソロ(9回、三嶋)
【打点】糸井1、梅野1、陽川1
【マルチ安打】福留2
【マルチ三振】梅野3、才木3
【投手】
○ 才木 5回3分の1、21人:5安打、5三振、1四球、1失点(1勝)
H 島本  3分の2、2人:無安打、無三振、無四球、無失点
H 能見   1回、3人:無安打、無三振、無四球、無失点
H ジョンソン  1回、3人:無安打、2三振、無四球、無失点
S ドリス  1回、4人:1安打、2三振、無四球、無失点(4S
● 大貫   6回、27人:7安打、9三振、1四球、2失点(1勝1敗)

阪神2・ドリス.jpg

★“お得意様”DeNAに連勝で5カードぶり勝ち越し 才木が今季初勝利
↓(デイリースポーツ)
阪神が得意の横浜スタジアムで連勝し、5カードぶりの勝ち越しを決めた。今季初登板初先発の才木が5回1/3、1失点で今季初勝利。才木は昨年9月20日の広島戦(マツダ)以来の勝利。
 昨年10月8日ヤクルト戦以来の1軍登板となった3年目、20歳の右腕は、二、四、五回を三者凡退に打ち取る好投。六回に、神里に二塁打を浴びると、続くソトには左前にぽとりと落ちる適時打を許して失点。さらにロペスに左前打を打たれたところで降板。96球、5安打1失点で島本にマウンド託した。
 島本は1死一、二塁から筒香を中飛、宮崎を二ゴロに仕留める好投。七回には能見が三者凡退に仕留め、八回は防御率いまだ0・00のジョンソンがこの日も3人で抑えた。最後はドリスが締めて、阪神の外国人最多記録となる通算81セーブ。完璧なリレーで勝利につなげた。
 打線は前回対戦でプロ初勝利を献上したDeNA先発の大貫に黒星をつけた。三回2死から近本がセーフティーバントを決めて出塁。糸原が続き、糸井がボール球のフォークを捉えて中前へ先制打を運んだ。
 六回には1死一、三塁から梅野の二ゴロの間に1点をもぎ取った。九回には代打の陽川が左翼へ貴重な追加点となる今季1号ソロを放った。
 チームの借金は4に。昨季は10勝3敗と高勝率を残した横浜スタジアムで、今年もタイガースが貯金を稼いでいく。

※才木が今季初登板で初勝利は、良かったですが、攻撃面では12三振と粘りに欠けた。

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山陰旅行4(松江神社、興雲閣)、東邦30年ぶり優勝 [寺社]

4月4日(木)   3月17日(日)山陰旅行記の続きです。松江城内の松江護国神社を参拝後、天守閣方面に向かいました。

松江14.jpg

↓馬洗池
松江1・馬洗池.jpg

↓本丸北門
松江2・本丸北門.jpg
↑現在修復中で、通行禁止です。

↓二の門跡
松江3・二ノ門跡.jpg

二の門跡の左側に「松江神社」が位置しています。

◎松江神社
住所:島根県松江市殿町1
主祭神:松平直政(松江松平家初代藩主)、合祀神:徳川家康(東照宮)
    配祀神:松平治郷(松平家七代藩主)、配祀神:堀尾吉晴(松江開府の祖)
社格等:県社
創建:明治10年(1877年)
https://shimane-tabi.com/matuejinnjya/
【由緒】(Wikiより)
松江神社は、1877年(明治10年)に、旧松江藩の有志により、西川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政を御祭神とする楽山神社として創建された。1628年(寛永5年)、堀尾忠晴が朝酌村(現・松江市西尾町)に創建した東照宮の御神霊を1898年(明治31年)、合祀し、翌年の1899年(明治32年)に、現在地の松江城山二之丸に遷座して、神社を松江神社と改めた。1931年(昭和6年)に、松江藩中興の明主として仰がれた七代藩主松平治郷と、松江開府の祖堀尾吉晴の遺徳を称えて御神霊を配祀し、今日に至っている。

↓二ノ門跡から見た松江神社
松江4・左に松江神社.jpg

↓正面鳥居と拝殿
松江5・正面鳥居と拝殿.jpg

↓拝殿
松江6・拝殿.jpg
↑寛文元年(1661)建造の権現造

↓手水舎
松江7・手水舎.jpg
↑寛永16年(1639)建造

↓駒札と狛犬
松江8・駒札と狛犬.jpg

↓社務所
松江9・社務所.jpg

↓境内社(福徳稲荷)
松江10・福徳稲荷.jpg

↓本殿
松江11・本殿.jpg
↑寛永5年(1628)建造

↓葵の建造物と、奥に白い蔵
松江12・葵の建物と白い蔵.jpg
↑この白い蔵から、築城年代が確認できる「祈祷札」が発見され、松江城が国宝の指定を受けることができた。

松江神社に隣接して「興雲閣」が位置しています。

◎興雲閣(松江郷土館)
用途:迎賓館。旧用途:明治天皇行幸御宿所、旧名称:松江歴史館
施工:和泉利三郎。構造:木造、地上二階建、入母屋瓦屋根
竣工:明治36年(1903)。県指定文化財
https://www.matsue-castle.jp/kounkaku/
【概要】(Wikiより)
藩政時代には御書院や御風呂屋などがあった松江城山二の丸の上の壇、松江神社の隣地に1903年(明治36年)、松江市が松江工芸陳列所の名目で建設した明治天皇行幸の際の御宿所である。擬洋風建築最後の例とされる壮麗な館の建設費用は、当時の金額で1万3489円。 日露戦争勃発により明治天皇の行幸は実現しなかったが、1907年(明治40年)5月に当時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓し、当館を宿泊施設として使用した。
戦後は松江市教育委員会庁舎などに転用され、1973年(昭和48年)からは松江郷土館として、松江に関する歴史民俗資料や工芸品などを展示していたが、2011年(平成23年)3月に開館した「松江歴史館」にその機能を移転したあと、2013年から2年間の保存修理工事を経て、2015年10月から一般公開を開始。
松江13・興雲閣.jpg

↓二ノ門跡から右側に上って行くと、本丸入口(一ノ門)があります
松江13・右へ本丸入口.jpg

※次回に続きます。

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◎第91回選抜高校野球・決勝戦

高校野球.jpg

平成最後のセンバツ決勝戦。平成最初の優勝校・東邦(愛知)が平成最後も優勝した。エース石川が打っては2本塁打、投げては完封し習志野(千葉)に6-0で快勝した。

★東邦、平成最後のセンバツ王者 習志野破り30年ぶりV

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)東京ドーム、18:00、44,228人
阪神:000・000・030・・・・3・・・・(9)
巨人:004・000・20× ・・・・6・・・・(8)

【本塁打】丸2号3ラン(3回、青柳)、岡本1号ソロ(3回、青柳)
【打点】近本2、糸井1
【マルチ安打】近本2、糸井2、福留2
【失策】坂本
【マルチ三振】北條2
【投手】
●青柳   5回、20人:5安打、1三振、1四球、4失点(1敗)
・飯田   2回、12人:3安打、4三振、3四球、2失点
藤川   1回:3人:無安打、3三振、無四球、無失点
○メルセデス  8回、31人:8安打、7三振、無四球、3失点(1勝)
Sクック  1回、4人:1安打、1三振、1四球、無失点(3S)

★阪神3連敗…10年ぶりの巨人戦連敗スタート 開幕5試合連続3点以下は24年ぶり

【敗因は若いバッテリーの経験不足ですね】3回裏失点場面
8番田中:初球をセンターへ安打(初球の入り方が甘い)
9番メルセデス:3バントを決められ1死ランナー2塁(投手に3バントを決められるとは?)
1番吉川:セカンドゴロで2死3塁
2番坂本:(1-2)と追い込みながら四球(逃げの投球で、勝負していない)
3番丸:(1-2)と追い込みながら3ランホームラン(気持ちで負けている、坂本に四球の為)
4番岡本:初球をソロホームラン(初球の入り方が単調・注意力散漫)

※木浪(4試合無安打)に代えて北條を、梅野(負傷)に代えて坂本をスタメン起用したが、機能しなかった。

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山陰旅行3(松江護国神社)、センバツ高校野球の決勝戦は東邦・習志野の対戦 [寺社]

4月3日(水)    3月17日(日)山陰旅行記の続きです。城山稲荷神社を参拝後、同じく松江城内にある松江護国神社を参拝しました。

◎松江護国神社
住所:島根県松江市殿町1-15(松江城内)
主祭神:明治維新後に殉じた旧出雲国・隠岐国出身の戦没者2万2千余柱
社格等:内務大臣指定護国神社・別表神社
創建:昭和14年(1939)
本殿様式:神明造
https://blogs.yahoo.co.jp/fudasyosanpai/36862438.html

【由緒】Wikiより
昭和10年に島根県招魂社建設奉賛会が組織された。昭和14年3月に松江招魂社として創建・鎮座したが、同年4月、招魂社の制度改革により松江護國神社となった。第二次大戦後は島根神社と称していたが、日本の主権回復後の昭和28年に元の社名に復した。

↓社標
護国1社標.jpg

↓一の鳥居
護国2・一の鳥居.jpg

↓由緒板
護国3・由緒板.jpg

↓石碑
護国4・石碑.jpg
↑満蒙開拓少年義勇軍の生き残りの方々が建立された招魂碑。

↓二の鳥居
護国5・二の鳥居.jpg

↓母の像
護国6・母の像.jpg

↓拝殿
護国7・拝殿.jpg

↓拝殿内部
護国8・拝殿内部.jpg

↓社務所と参集殿
護国9・社務所、参集殿.jpg

↓本殿
護国10・本殿.jpg
↑神明造で総檜銅板葺。

↓絵馬掛け
護国11・絵馬掛.jpg

↓拝殿から境内を振り返ると、「大勝利祈願」の旗が目立ちます
護国12・拝殿から見る参道、大勝利祈願.jpg

※松江護国神社を参拝後は、天守閣方向に進みました。

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◎第91回選抜高校野球(昨日の結果)

高校野球1.jpg

決勝戦は、東邦(愛知)と習志野(千葉)の対戦となりました。平成最初の大会を制した東邦が、平成最後の大会でも決勝進出を決めました。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)東京ドーム、18:00、
阪神:000・003・000・・・・3・・・・(6)
巨人:205・011・00× ・・・・9・・・・(12)

【本塁打】ゲレーロ2号3ラン(3回、ガルシア)、丸1号ソロ(5回、馬場)
【打点】福留1、糸原2
【マルチ安打】福留2
【マルチ四球】糸井2
【盗塁】近本1
【失策】大山
【マルチ三振】梅野2

※巨人の破壊力は流石ですね。阪神は拙い守備が目立ちました。矢野監督がどこまで辛抱できるかですね。結果が出ないからといって選手交代を繰り返せば、昨年までと変わらないですものね。

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山陰旅行2(松江城山稲荷神社)、尼崎城天守再建一般公開 [寺社]

3月29日(金)   山陰旅行記の続きです。
3月17日(日)15時1分に松江市営城山西駐車場に到着しました。この日は。第40回まつえレディースハーフマラソンが開催され、便利な大手前駐車場は閉鎖されていたので、こちらに回りました。
雨はスッカリ止み、時々日差しも出てきました。

↓城山西駐車場
松江1.jpg
松江2.jpg

↓松江城の案内図
松江3.jpg

↓堀川めぐりの遊覧船も出ています。
松江4・お濠と遊覧船.jpg

松江城の北西に位置する「稲荷橋」から城内に入りました。城内はペットOKです。
左側に小泉八雲もよく通ったという「松江城山稲荷神社」がありますので、参拝しました。

◎松江城山稲荷神社(じょうざんいなり)
住所:島根県松江市殿町477
https://blogs.yahoo.co.jp/fudasyosanpai/36863173.html
松江藩の基礎を築いた、松平直政が勧請した神社で、名工・小林如泥作の木狐等を社蔵としています。小泉八雲は境内を囲む石の狐を大変好み、よく訪れていたといいます。日本三大船神事・ホーランエンヤでも有名です。

↓一の鳥居
松江5・城山稲荷神社.jpg

↓駒札(説明板)
松江6・駒札.jpg

↓老朽化した出雲構え獅子が迎えてくれます
松江7.jpg

↓由緒書
松江8・由緒書.jpg

↓城山稲荷神社の境内図
松江9.jpg

↓参道、右側は社務所
松江10・右社務所.jpg

↓手水舎
松江11・手水舎.jpg

↓随神門
松江12・隋神門.jpg
↑入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚単層門。

↓拝殿
松江13・拝殿.jpg
↑入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、梁間3間、正面1間向拝付。

↓拝殿の扁額
松江20・拝殿扁額.jpg
↑徳川家康の孫にあたる松平直政公は、堀尾三代、京極一代のあと、寛永15年(1638)に松江藩主を封ぜられた。このとき既に城内には八幡社が祀られていたが、直政公はこれのみでは安心が得られず、入府の翌年に藩内の平穏を祈って稲荷神社を創建し、後に築城時からあった若富八幡宮と合祀し、現在に到っています。よって、扁額は並記されている。

↓本殿
松江19・本殿.jpg
↑三間社、入母屋造、銅板葺、平入。祭神:宇迦之御魂神、譽田別尊。

↓御供竃。
松江14・釜.jpg
↑ 藩主が祭りで奉納する御飯を、この竃で炊いたそうです。

↓境内社
松江15・境内社.jpg
↑左に金刀比羅神社。右に熊野神社・稲荷神社・推恵神社の合祀社。

↓ご神木
松江16・神木.jpg

↓右側は、小泉八雲が愛したという石狐
松江17・石狐.jpg
↑境内には、千体以上の大小の石狐が配置されています。

↓境内社
松江18.jpg
↑参拝者がお供えした陶器の白い狐が沢山配置されています。

※次回に続きます。

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◎第91回選抜高校野球(昨日の結果)

高校野球6.jpg

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◎尼崎城天守、145年ぶりに再建 あすから一般公開
https://digital.asahi.com/articles/ASM3W53CWM3WPIHB01D.html?rm=321
↓(朝日新聞デジタル)
兵庫県尼崎市の阪神尼崎駅近くに、尼崎城天守が約145年ぶりに再建された。29日から一般公開される。
天守は鉄筋コンクリート造り5階建てで、石垣部分を含め高さ約24メートル。旧ミドリ電化(現エディオン)創業者の安保詮(あぼあきら)氏(85)が「創業の地・尼崎に恩返ししたい」と約12億円で建設し、市に寄贈した。市は、市内外からの寄付金約1億円と国の補助金約1億円で内部展示を整えた。
バーチャルリアリティー(仮想現実)技術で江戸時代の尼崎城や城下町の再現映像を流すシアターや、市出身の城郭画家の荻原一青(おぎはらいっせい)氏(1908~75)がデザインした「名城手拭百城(めいじょうてぬぐいひゃくじょう)」を展示したギャラリーなどがある。
 28日にあった記念式典には市関係者ら約350人が参加。稲村和美市長が「尼崎の歴史や文化を楽しく学べる拠点としていかしていきたい」とあいさつ。尼崎育ちの落語家、桂米団治さんらが鏡開きをした。
 尼崎城は、江戸幕府が大坂の西の守りとするため、譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)に1617年に築城を命じた。翌年から数年かけて平城が完成。明治に入り、1873年の廃城令後に取り壊された。

※早い機会に訪れようと思います。

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池田えびす(呉服神社)、徳治昭童画展(ギャルリVEGA) [寺社]

1月12日(土)   1月10日の十日戎の日に、地元の池田えびすを参拝しました。

◎池田えびす
場所:呉服神社(くれはじんじゃ)の境内にある「恵比須神社」
住所:大阪府池田市室町7-4
電話:072-753-2243
https://kureha-shrine.com/about/

【呉服神社の縁起】
応神天皇の御代に呉の国よりこの地に渡来し、織物、染色の技術を我が国に伝えたとされている呉服(くれはとり)をお祀りしております。
応神天皇の御代に阿知使主(あちのおみ)都加使主(つかのおみ)親子を中国の呉国に遣わし機織裁縫の工女を求められました。長い旅の末、呉の国に趣き呉王に乞うて呉服(くれはとり)綾羽(あやはとり)の姉妹を伴い渡来することとなりました。姉妹はこの地に渡来した後、昼夜怠ることなく布帛(ふはく)を織り続け(暗夜には星が降りてきては白昼のように手元をてらしたと伝承があります)我が国に機織裁縫の技術が伝わり男女季節階級に応じた衣服が広まったと言われております。
呉服(くれはとり)は仁徳天皇の76年9月18日に御隠れになり御身体を姫室に、翌年仁徳天皇がその功績を称え御神祠(当神社)を建てられ御霊をお祀りすることとなりました。
呉服神社 天正6年(1579) 伊丹城主 荒木村重の乱により焼亡
慶長9年(1604) 再興(現在の本殿)
豊臣 秀頼公が片桐 且元に奉行を命じ再建。現在の拝殿は1969年(昭和44)建立。

主祭神:呉服大明神、仁徳天皇
創建:仁徳天皇77年
札所等:西国七福神
例祭:1月9日~1月11日

↓車両を通行止めし、露店が並ぶ参道
池田えびす1.jpg

↓社標と由緒板
池田えびす2.jpg

↓神門
池田えびす3.jpg

↓呉服神社の拝殿
池田えびす4・呉服神社拝殿.jpg

↓恵比須神社の拝殿
池田えびす5・恵比須神社拝殿.jpg

↓恵比須神社の本殿と叩き板
池田えびす6・恵比須本殿と叩き板.jpg
↑事代主命を祀る。

↓手水舎
池田えびす7・手水舎.jpg

↓手水舎から見る福娘
池田えびす8・手水舎から福娘.jpg

↓福娘
池田えびす9・福娘.jpg

↓竹の筒に入れた熱いお茶の接待
池田えびす10・接待.jpg

↓記念写真を撮ってもらいました
池田えびす11・記念撮影.jpg


以下は、境内の様子を紹介します。
↓天満宮
池田えびす12・天満宮.jpg
↑菅原道真公を祀る。

↓伊勢社
池田えびす14.jpg
↑天照皇太神・豊受大神を祀る。

↓稲荷社
池田えびす13・稲荷社.jpg
↑瓢箪山稻荷大明神・初瀬稻荷大明神を祀る。

↓香川進歌碑
池田えびす15・句碑.jpg

↓六神社
池田えびす16.jpg
↑市杵嶋姫命・大物主命・大國主命・素盞嗚命・國常立命・猿田彦命を祀る。

↓札掛け
池田えびす17.jpg

【過去の池田えびすブログ記事】
2012年1月10日掲載:境内社も詳述
2014年1月10日掲載
2015年1月12日掲載
2015年1月22日掲載:呉服神社詳述
2017年1月11日掲載

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池田えびすの帰りに、池田駅構内にあるギャラリーの個展を覘きました。

◎徳 治昭 童画展ほっこりワールド、コラボレーション6
期間:2019年1月9日~1月14日
会場:ギャルリ VEGA(阪急池田駅構内2F)
https://dougakan.net/

【略歴】
徳 治昭(とく はるあき、1968年9月16日 - )は、日本のイラストレーター、童画家。大阪府出身。 徳治昭童画館 代表。日本児童出版美術家連盟会員。奈良芸術短期大学洋画科卒 アクリル画の濃厚なタッチを主体に童画を発表。代表作におもちゃのチャチャチャ「らいおんサン」がある。 また、2009年年末ジャンボ宝くじ、2010年サマージャンボのイラストも手がける。

↓ギャルリの入口
徳治1.jpg

↓パンフレット(表)
徳治2.jpg

↓パンフレット(裏)
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