SSブログ

真宗大谷派難波別院(南御堂)、芥川賞・直木賞、沖縄キャンプも無観客 [寺院]

1月21日(木)   1月6日に、難波神社へ初詣した時、近くに位置する「南御堂」へ立ち寄りましたので紹介します。

◎真宗大谷派難波別院
住所:大阪市中央区久太郎町4-1-11
電話:06-6251-5820
https://minamimido.jp/?page_id=9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E5%88%A5%E9%99%A2
宗旨:浄土真宗。 宗派:真宗大谷派。 寺格:別院。 本尊:阿弥陀如来
創建:1595年(文禄4年)。 開基:教如。 別称:南御堂、難波御堂

別院名の難波とは摂津国西成郡上難波村の旧地であったことに由来する。船場が市街化されたのちも、1872年(明治5年)まで当院南に位置する難波神社にかけて上難波町という町名となり、以降、1914年(大正3年)まで当院南西部を含む北部が上難波北之町となっていた。また、当院東側の御堂筋は、北御堂(本願寺津村別院)と南御堂の門前を通る道であることに由来する。

【歴史】(Wikiより)
1595年(文禄4年) - 豊臣秀吉より寺地を寄進され、教如が大坂渡辺の地に大谷本願寺を開創する。
 渡辺の地とあるが、大川南岸の渡辺津付近ではなく道修谷(現・大阪市中央区道修町1丁目付近)。
1596年(文禄5年) - 「大谷本願寺 文禄丙申五暦」銘の梵鐘を鋳造(現存)。
1598年(慶長3年) - 大坂城三の丸造営に伴う船場の街区拡充のため、大谷本願寺が現在地へ移転。
1602年(慶長7年) - 徳川家康より寺地を寄進され、大谷本願寺が京都烏丸六条へ移転。大谷本願寺
 跡に難波御堂を造営。
1714年(正徳4年) - 二重屋根の壮大な本堂となる。
 現在の東本願寺御影堂は、この難波御堂本堂を参考にしたとされている。
1945年(昭和20年) - 大阪大空襲により焼失する。
1961年(昭和36年) - 本堂および山門を兼ねた御堂会館が完成する。
 本堂は鉄筋コンクリート製で規模も縮小されたが、二重屋根の様式を留めている。
1964年(昭和39年) - 本堂地下に御堂会館・研修ホールが完成する。
1969年(昭和44年) - 御堂会館・南館を増築する。
1971年(昭和46年) - 堺南御坊を支院とする。
2016年(平成26年) - 御堂会館における収益事業の使用を休止する(閉館)。
 施設の老朽化に加え、耐震性が十分とはいえず震度5強以上の地震で被害が想定されることが理由。
 既存の御堂会館・教化センター会館を解体し、エクセルホテル東急を主たる用途とする、山門一体型
 複合施設ビル(南御堂ビル)への建て替えが決定。
2019年(令和元年) - 南御堂ビル竣工。大阪エクセルホテル東急開業(5 - 17階)。御堂会館再稼働
 (北側3 - 4階)。

↓山門の外観
南御堂1.jpg
南御堂2.jpg
↑寺院の山門とは思えませんね。山門の役割を果たしていた「御堂会館」が新耐震基準で大きな問題が発生する恐れがあったので、2016年1月に御堂会館を休館し、定期借地権を活用した御堂会館建替工事をしました。2019年11月建替工事が完成。17階建ての建物(中心部分に通路があり、門としての役割を果たす)の5~17階が、「東急ホテルズ」(本社:東京都渋谷区)による同ホテル。これは日本初の試みとなり、バーや客室の一部からは「南御堂」を上から眺めることができる。

↓南入口
南御堂3・南口.jpg

↓本堂
南御堂4・本堂.jpg
南御堂5.jpg
南御堂6・本堂等耐震工事.jpg
↑本堂も耐震工事中。

↓鐘楼
南御堂8・鐘楼堂.jpg

↓文禄5年(1596)「大谷本願寺 文禄丙申五暦」銘の梵鐘がある鐘楼
南御堂9.jpg
↑2014年6月、この梵鐘が大阪市指定有形文化財に指定。

獅子吼園
戦後再建された境内にある枯山水と池泉式の庭園。松尾芭蕉の終焉の地であり、庭園内には芭蕉の辞世の句碑もあり、芭蕉の聖地とされています。山口誓子らホトトギス同人由来の句碑がそれを取り囲みます。

↓芭蕉の句碑「旅に病で夢は枯野をかけまはる」
南御堂10・芭蕉句碑.jpg
南御堂11.jpg

↓獅子吼園の風景
南御堂12・獅子吼園.jpg
南御堂13.jpg
南御堂14.jpg

↓手水舎
南御堂15・手水舎.jpg

↓同朋会館(仮本堂)
南御堂16・同朋会館(仮本堂).jpg

南御堂7・境内図.jpg

※本堂は現在、耐震工事中です。工事予定は次の通り。
第1期2020年11月1日~2021年5月31日
第2期2021年11月1日~2022年5月31日
第3期2022年11月1日~2023年5月31日

※私は、2006年~2011年にかけて、映画の試写会に凝っていました。その試写会の会場であった「御堂会館」には、40回以上も通っていたので、感慨深いですね。

=======================================


◎芥川賞に宇佐見りん「推し、燃ゆ」 直木賞は西條奈加
https://www.asahi.com/articles/ASP1N5R36P1FUCVL01L.html?iref=comtop_7_03
 第164回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が20日、東京都内で開かれ、芥川賞は宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」(文芸秋季号)、直木賞は西條奈加さんの「心淋(うらさび)し川」(集英社)に決まった。副賞は各100万円。贈呈式は2月中旬、都内で開かれる。
 宇佐見さんは21歳。2004年に同時受賞した綿矢りささん(当時19歳11カ月)と金原ひとみさん(同20歳5カ月)に次いで、芥川賞で史上3番目に若い受賞者となった。
 現在大学2年生。19年、母娘の愛憎を方言に似た言葉遣いで描く「かか」で文芸賞を受賞しデビュー。同作で20年、三島由紀夫賞を最年少の21歳で受賞した。
 西條さんは05年、「金春屋ゴメス」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビューした。15年、「まるまるの毬(いが)」で吉川英治文学新人賞を受賞している。

★宇佐見りんの関連記事は、こちら。

★西條奈加の関連記事は、こちら。

====================================


◎沖縄キャンプも無観客 県緊急宣言でプロ野球8球団
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/695217
 沖縄県の玉城デニー知事は19日、県内で実施するプロ野球とサッカーJリーグキャンプ、その他スポーツ団体の合宿について、2月7日までの県独自の緊急事態宣言中は無観客で実施するよう要請する方針を明らかにした。プロ野球もJリーグも知事の求めに従う方針で、プロ野球は宮崎県に続き沖縄でも無観客でキャンプを迎えることになった。
 玉城知事は各球団の選手、スタッフら関係者、マスコミに対しても来県前にPCR検査を受診し、陰性判定を受けるよう求める。
 また、キャンプ期間中の定期的なPCR検査や抗原検査の実施、受け入れ市町村や事業者にも会場での感染防止対策の徹底も要請する。無観客での実施と合わせ、マスコミの取材活動も必要最小限とするよう求める。
 プロ野球は阪神、中日、DeNA、広島、ヤクルト、ロッテ、楽天、日本ハムの8球団が沖縄で2月1日にキャンプインし、6日には巨人の一部選手も那覇市でキャンプに入る。既に無観客を決めている石垣島のロッテと宮崎組も含め、1軍は全12球団が観客なしでスタートすることになった。
 2月23日には沖縄でオープン戦が開幕し、浦添市でヤクルト-巨人、名護市で日本ハム-楽天が組まれている。北谷町で予定されていた中日-広島は練習試合に変更された。
 Jリーグは2月中旬までにJ1の10チーム、J2の9チーム、J3の1チームの計20チームがキャンプを実施する予定。18日から金武町で1次キャンプを開始したJ1札幌は、当初から練習を一般公開していない。新型コロナの感染拡大防止のため、昨季中からファンの練習見学は不可としており、その方針を踏襲している。
 県によると昨春のプロ野球キャンプの経済効果は約121億円、Jリーグは約33億円。

######################################
nice!(21)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

松操寺・下村平次郎碑(池田市)、豊中彫刻(16) [寺院]

10月1日(木)   池田市木部町を「はな」と散策した記事の続きです。
(9月24日に、紀部神宮を掲載しています)

◎松操寺
住所:大阪府池田市木部町272
電話:072-751-1427
山号:竹林山。宗派:曹洞宗
由来:不詳
https://rikachanhouse.com/%E6%9D%BE%E6%93%8D%E5%AF%BA%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B8%82%E6%9C%A8%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%B0%BC%E5%AF%BA%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%8B%E3%82%89%EF%BC%93%EF%BC%95%EF%BC%90%E5%B9%B4%E3%81%AE/
↓入口
木部5・松操寺.jpg

木部6.jpg

木部7.jpg

木部8.jpg
※不在のようで、雨戸が閉まっていました。
阿波野青畝の句碑があるそうです。「手すさびに 尼のつくろふ 垣根哉」
阿波野青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日 - 1992年(平成4年)12月22日)は奈良県出身の俳人。本名は敏雄。旧姓・橋本。原田浜人、高浜虚子に師事。昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子ととも「ホトトギスの四S」と称された。「かつらぎ」主宰。(Wikiより)


◎下村平次郎 顕彰碑
場所:大阪府池田市木部町235

木部1.jpg

木部2・碑.jpg

木部3.jpg

木部4.jpg
※木部町には、下村の姓が多いそうですね。

=======================================


◎柴犬「はな」と豊中彫刻(16)

「小鳥と少女」 作者不明
設置場所:大阪府豊中市曽根東町 阪急曽根駅東
曽根14・小鳥と少女.jpg

曽根15.jpg

曽根16.jpg


この彫刻の近くにある「三義塚」
★三義塚
場所:豊中市曽根東町3丁目6付近
https://4travel.jp/domestic/area/kinki/osaka/toyonaka/itamiairport/tips/10113721/
阪急曽根駅から東に徒歩5分の豊中中央公民館前には三義塚がある。三義塚の由来説明によると1932年、北海道大学教授や豊中市議会議長などを務めた西村真琴(にしむら まこと1883―1956年)は中国上海・三義里街で戦災者救援活動中、弱った鳩を見つけ日本に持ち帰り鳩に「三義」と名付け自宅で育て小鳩が生まれたら日中友好の証しとして上海市に贈ろうと考えていた。だが「三義」はイタチに殺されてしまい、悲しんだ西村真琴は「三義」の絵に『西東国こそ異へ子鳩等は親善あへり一つ巣箱に』の歌を添えて、中国の文学者・魯迅(ろじん、1881?1936年)に届けた。感激した魯迅から1933年6月に七言律詩『三義塔に題す』が西村真琴に贈られ、西村真琴は記念に三義塚を自宅に建てた。三義塚は1986年に中央公民館に贈られたそうだ。
西村 真琴はを1928年の昭和天皇即位記念京都博覧会に大阪毎日新聞が出品した東洋最初のロボット・學天則(がくてんそく)の制作者であることでも知られている。2008年12月には學天則を復元した実物大の模型が大阪市立科学館の1階に展示されていた。

曽根1・三義塚.jpg

曽根2.jpg

========================================


◎昨日の阪神タイガース

タイガース1.jpg
【失策】小幡(1回)、サンズ(3回) 【マルチ三振】原口2、中谷2 【併殺】サンズ(7回)
タイガース2.jpg

★阪神、両リーグ最多の10度目完封負け 青柳誤算 守備乱れ両リーグワースト62失策
https://www.daily.co.jp/tigers/2020/09/30/0013744676.shtml
 阪神が大敗した。完封負けは両リーグ最多10度目。甲子園での中日戦は7戦7勝だったが大野雄に止められた。
 先発・青柳が誤算だった。初回、高橋の中犠飛で先制点を献上すると、三回も2失点。五回は打者9人の猛攻に遭い、5失点。結局5回9安打、自己ワースト8失点(自責7)で7敗目を喫した。
 守備も乱れた。初回無死一塁では京田のゴロを遊撃・小幡がトンネル。捕球していれば併殺の可能性もあっただけに痛恨だった。
 三回無死一塁ではアルモンテの左前打をサンズがファンブル。グラブの前で跳ねた打球を取り損ねた。いずれも失点に結びつき、青柳の足を引っ張った。これで今季のチーム失策数は両リーグワーストの「62」となった。
 打線も元気がなかった。前夜のヒーロー糸井に代えて、右翼に中谷を抜てき。大山を3番に上げたが、大野に封じ込まれた。

※投手も打線も守備も、全部ボロボロの試合でしたね。私は途中から全仏オープンテニスを見ていましたね。

=====================================


◎全仏オープンテニス(速報)

【1回戦】
⑬P.マルティッチ   7-6、7-5   ●土居 美咲

※土居選手は、惜敗ですね。

○A.バラージュ  2-6、3-6、5-7  ●内山 靖崇

【2回戦】
○ウーゴ・ガストン 6-4、7-6、3-6、6-2  ●西岡 良仁

※西岡は勝てた試合でしたね。第1セットの第8ゲームは「0-40」のブレイクチャンスを逃す。
第2セットは、2度のセットポイントを逃す。詰めが甘かったですね。

#######################################
nice!(23)  コメント(4) 
共通テーマ:地域

大広寺(大阪府池田市) [寺院]

8月13日(木)   柴犬「はな」との散歩記事の続きです。「陽春寺」を見学後、坂を上って行くと「大広寺」の山門にたどり着きました。

◎大広寺
住所:大阪府池田市綾羽2-5-16
電話:072-751-3433
山号:塩増山。 宗派:曹洞宗。 本尊:釈迦如来
創建:応永2年(1395)池田充正。 開基:天巖禅師。 中興:慶長年間、池田知正
北摂観音霊場15番札所
http://shochan152.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-4ead.html
https://rikachanhouse.com/post-3813/
【歴史】Wikiより
寺伝によれば、応永2年(1395年)に池田城主の池田充正が創建し、後に天巌禅師が開基したと伝わる。文明年間(1469年 - 1487年)には池田允正が本堂を修築した。摂津名所図会には山号に触れた記述があり、「山内に池があり満ち引きの際埋めた」という伝説が書かれている。永正10年(1513年)頃に連歌師の肖柏が応仁の乱で戦乱の最中であった堺から移り住み草庵を結んだ。
 その後は荒廃を繰り返し、荒木村重によって伊丹に移築されるが、慶長の頃に現地・池田に池田知正によって中興された。
 元禄7年(1694年)に当時の住職が本堂などを再建、子院も招致し江戸時代中期には繁栄を誇り、傘下の子院を40余り設けたといわれる。境内には3つの子院があったが今は子院の1つであった陽春寺のみ残っている。
 また、池田氏の菩提寺となり、代々池田城主の墓や池田氏が寄進したと伝わる梵鐘も現存している。玄関の天井は「血天井」と呼ばれ、永正4年(1507年)の細川高国と細川澄元らの室町幕府管領家の家督相続争いで(両細川の乱)、澄元に味方した6代城主の池田貞正が細川高国に攻められ、池田城は落城し、貞正が切腹したときの板が張られている。

本堂の左手奥、さらに裏山にかけて広大な墓地があります。ここには池田城主であった池田知正と三九郎の墓の他に、阪急電鉄の創始者である小林一三、儒学者の田中桐江など池田で名を馳せた多くの著名人の墓があります。

↓山門
大広寺1・山門.jpg
↑山門近くに「はな」を係留して、急いで境内を撮影して回りました。

↓山門の扁額
大広寺2・扁額.jpg
↑山号「塩増山」の由来:昔この山中に池があって海のように満ち引きがあった。その水は塩川と名付けられ「からき水」で塩泉が湧き出ていたそうです。創建時、この池を埋めたが、その旧跡を残して山号にしたと伝わる。

↓境内側から見た山門
大広寺3・山門.jpg

↓白龍の彫刻
大広寺4・白龍.jpg
↑【白龍伝説】山門に住んでいた龍が毎晩、弁天池に水を飲みに行き、バシャバシャと音をたてるので住職は眠れず、これを何とか辞めさせようと考え、「眼を塗りつぶして見えなくしてしまえば降りて来れないだろ」と住職は昼間に龍の眼と全身を白く塗りつぶしたところ、龍は降りてこれなくなり、ずっと山門に留まり守り続けている。

↓本堂
大広寺5・本堂.jpg
↑元禄7年に当時の住職が再建した。天井は「血天井」と呼ばれ、永正4年(1507年)の細川高国と細川澄元らの室町幕府管領家の家督相続争いで(両細川の乱)、澄元に味方した6代城主の池田貞正が細川高国に攻められ、池田城は落城し、貞正が切腹したときの板が張られている。

↓鐘楼
大広寺6・鐘楼.jpg
↑梵鐘は、池田知正の弟・池田光重が兄の養子となった長男・三九郎を弔うため慶長14年(1609年)に寄進したと伝わる物。

↓庫裏
大広寺7・庫裏.jpg

↓地蔵
大広寺8・地蔵.jpg

↓牡丹花隠君遺愛碑
大広寺9・牡丹花隠君遺愛碑.jpg

↓寺宝の説明板
大広寺10・寺宝説明.jpg
大広寺11・寺宝.jpg

↓竹中碧水の句碑
大広寺12・竹中碧水の句碑.jpg

↓牡丹花隠の歌碑
大広寺13・牡丹花隠の歌碑.jpg
↑牡丹花肖柏生誕550年記念として平成5年4月建立。

↓納骨堂
大広寺14・納骨堂.jpg

↓選佛場(座禅堂)
大広寺15・選佛場.jpg

牡丹花肖柏(1443~1527)-室町後期の連歌師・歌人
http://osaka-ikeda.blogspot.com/2015/03/blog-post.html
池田の中世室町時代に欠かすことの出来ない人物が牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)です。しかし、その割に知られていなくて日本史の教科書にも出てこない存在が残念です。五月山山麓池田氏の菩提寺「大広寺」の山門をくぐって本堂前右手に「牡丹花肖柏の碑」があります。この碑文は牡丹花肖柏を敬慕した漢学者「田中桐江」(たなかとうこう)が73歳のとき作文しました。その後文化元年(1804)荒木梅閭(あらきばいろ)がこれを書き石に刻み建立されたものです。牡丹花肖柏は京都の人で、嘉吉(かきつ)3年(1443)村上天皇の皇子具平親王(ともひらしんのう)の遠祖、準大臣「中院通淳」(なかのいんみちあつ)の次男として生まれ、幼少より臨済宗五山の僧となり三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の講義を受け、和歌を飛鳥井雅親(あすかいまさちか)⇒宗雅(そうが)に、連歌を飯尾宗祇(いいおそうぎ)に学びました。古今・漢籍にも通じる連歌師として朝廷の連歌会にも侍り、後柏原天皇の杯を受ける程の宗匠として名声がありました。牡丹花肖柏が池田に来たのは池田城主第6代池田貞正の頃で池田氏菩提寺大広寺第6世「雪岫和尚」(せっしゅうおしょう)に誘われたこともあるが、池田の芳醸な酒・山紫水明の風景に魅せられた事、応仁の乱後の都の騒乱を避ける思いもあったのでしょう。晩年の65歳1507年から77歳1519年までの12年間を池田で過ごしました。その間大広寺境内の草庵に隠棲し「夢庵」(むあん)「弄花軒」(ろうかけん)などと称して池田氏の庇護のもとに風雅三昧の生活を楽しみつつ池田氏一門(正盛・正棟・正種・正能)や近隣の国人にまでも連歌を流行らせました。そして以後の池田の文化興隆に大きな影響を与えました。草庵を出るときは牛に跨り角に金箔を貼り「高風隠士」(気高い風采の隠者)の面影で悠々と池田村で遊んだと伝えられています。このさまは阪上稲丸の「俳諧呉服絹」の呉服八景の一つに「牡丹花の庵月」として描かれています。牡丹花肖柏は永正16年(1519)池田を後にして大坂堺に居を移し大永7年(1527)85歳の高齢で没しました。牡丹花肖柏・宗祇らと共に同時代に活躍した連歌師に山崎宗鑑がいます。

【過去の大広寺のブログ記事】
2011年7月6日掲載

=======================================


◎昨日の阪神タイガース

タイガース26.jpg
【打点】木浪1、近本1、中谷3、サンズ1、陽川1【マルチ安打】近本2、サンズ2、大山2、梅野2
【失策】中谷(1回) 【マルチ三振】ボーア2、梅野2
タイガース27.jpg

★阪神 魔の水曜日に逆転勝ちで3位浮上 初の2番中谷が逆転3ラン 青柳5勝目
https://www.daily.co.jp/tigers/2020/08/12/0013598425.shtml
阪神が連勝で5カードぶりの勝ち越しに成功した。ここまで6戦未勝利(5敗、1分け)だった水曜日の勝利。ようやく“鬼門”を突破し、ヤクルトを抜いて3位に浮上した。
 試合は初回、中4日で先発した青柳が2失点。いきなり劣勢の戦いを強いられたが、続く二回に木浪の中前適時打で1点を返す。さらに1点を失った後の四回だった。
 この回が始まる前には、井上打撃コーチを中心に、ベンチ前で円陣が組まれた。先頭の梅野が右前打で出塁すると、木浪も四球を選んで一、二塁。だが、ここで植田がバスター失敗。捕邪飛に倒れると、続く青柳もバント失敗。拙攻でチャンスをつぶしたかに見えた。
 だが、続く近本が一、二塁間を破る11試合連続安打で1点を返すと、さらに中谷だ。フルスイングした打球が左翼スタンド一直線。起死回生の2号逆転3ランで試合を引っ繰り返した。
 「打ったのはチェンジアップ。初回に自分のミスで、ヤギ(青柳)にもチームにも迷惑を掛けていたので、絶対に取り返すという気持ちで打席に入りました。最高の結果になって良かったです」
 中谷は左腕・浜口対策として、プロ10年目で初めて2番で出場。矢野監督の采配も的中した。初回のミスも挽回する一打。代打で結果を残し“神様”と呼ばれ始めた中、スタメン起用に結果で答えた。さらにサンズが特大の8号ソロで続き、2者連続アーチで一挙5点を奪った。2者連続弾は今季初。
 大量の援護を受けた青柳が5回0/3を7安打4失点。苦しみながらもリードを守って降板し、チーム単独トップの5勝目を手にした。青柳以降は能見、ガンケル、馬場、スアレスとつなぎ、スアレスが1点を失ったが、最後は締めてリーグ単独トップの7セーブ目を挙げた。
 七回には無死満塁のチャンスを作ったが、梅野、木浪と倒れて2死。ここで代打・陽川がエスコバーに死球を受け、貴重な1点を奪った。
 「幸せの黄色いマスク」を付けて2連勝。また、8月12日は35年前の1985年、日航ジャンボ機123便が墜落し、当時の中埜肇球団社長が死去した。阪神にとっては節目の一日を勝利で飾り、苦しんだ9連戦を大勝で締めくくった。
 球児に甲子園球場を明け渡している阪神は、13日の休みを挟んで14日からは京セラドームで広島との3連戦。初戦の先発は藤浪の予定。西勇、秋山の3人が先発する。借金を再び1まで戻した。連勝街道を走り、上位進出を狙っていきたい。
タイガース25・中谷.jpg

※中谷を2番に起用したのが的中した采配でしたが、7回無死満塁で、押出死球の1点止まりの采配には疑問を持ちましたね。最後は、冷や冷やの勝利でした。

#######################################
nice!(20)  コメント(8) 
共通テーマ:地域

陽春寺(大阪府池田市)、箕面彫刻 [寺院]

8月12日(水)   柴犬「はな」と五月山周辺を散歩した時、高台にある寺院に立ち寄りましたので紹介します。

◎陽春寺(ようしゅんじ)
住所:大阪府池田市綾羽2-5-17
電話:072-751-8545
山号:白雪山。 宗派:曹洞宗。 大広寺の塔頭寺院
室町時代末期創建、第2次世界大戦で焼失したが、その後再建
寺院の由来等不詳。摂北観音霊場第16番札所
https://omairi.club/spots/99411

↓陽春寺の六地蔵
陽春寺1・六地蔵.jpg

↓駐車場より本堂を望む
陽春寺2・駐車場から見た本堂.jpg

↓山門
陽春寺3・山門.jpg
↑「はな」をここに留め置いて、急いて境内を撮影しました。

↓本堂
陽春寺4・本堂.jpg

↓庭園
陽春寺5・庭.jpg
↑小さな庭ですが、よく手入れされていました。高台にあるので素晴らしい眺望です。

↓境内の様子
陽春寺6・.jpg

↓三光神社(出世稲荷・三光福寿尊天)
陽春寺7・三光神社.jpg
陽春寺8.jpg

↓聖観世音菩薩と龍天護法善神
陽春寺9.jpg
陽春寺10.jpg
↑逆光のため、醜い写真です。

【過去の陽春寺のブログ記事】
2011年7月6日掲載

======================================


◎柴犬「はな」と箕面彫刻

「滝ノ道ゆずるベンチ」 平成24年に阪急箕面駅前に設置、作者不詳
https://www.city.minoh.lg.jp/eigyou/houdou/1204123eigyou_ekirinyu-aru.html
箕面彫刻1・滝ノ道ゆずるベンチ.jpg

箕面彫刻2.jpg

箕面彫刻3.jpg

※「滝ノ道ゆずる」は、箕面市のPRキャラクター。ゆるキャラGP2016で全国5位。
https://www.d-star.co.jp/pdf/backnumber_m/backnumber1704_kantou.pdf

=====================================


◎昨日の阪神タイガース

タイガース23.jpg
【打点】サンズ2、梅野2、木浪2、福留1、熊谷1 【マルチ安打】近本3、木浪2
【マルチ四球】植田2 【盗塁】木浪(3回) 【マルチ三振】梅野2、植田2
タイガース24.jpg

★阪神快勝 ガルシアが8度目登板で初勝利!サンズは脅威の得点圏打率・520
https://www.daily.co.jp/tigers/2020/08/11/0013595138.shtml
 阪神が助っ人2人の活躍で大勝した。借金2となり、試合がなかった3位ヤクルトに1ゲーム差に接近した。
 初回、近本が10試合連続安打となる二塁打で出塁。1死三塁から3番サンズの中犠飛で先制すると、1-1の六回も1死三塁のチャンスでサンズが左中間へ勝ち越し二塁打を放った。得点圏打率は・520と脅威の勝負強さ。さらに梅野の三塁線を破る適時二塁打で1点を追加した。
 3-1の七回は1死から近本が一塁線を破る三塁打でチャンスメーク。また好機でサンズに打席が巡ると、途中出場の高城が捕逸し、4点目を奪った。
 先発ガルシアは今季8戦目で今季初勝利を挙げた。初回、楠本のソロで同点とされたが、その後はスコアボードにゼロを並べた。7回4安打1失点と好投し先発白星は昨年9月16日・巨人戦(東京ドーム)以来となった。
 九回は打者一巡の攻撃でダメ押し。木浪の右翼フェンス直撃2点二塁打、福留の押し出し四球、梅野の右犠飛、熊谷の適時打で5点を追加した。

※相手のミスに付け込んで、快勝しました。熱帯夜もこれで緩和されるでしょう?

#####################################
nice!(21)  コメント(9) 
共通テーマ:地域

仏日寺(大阪府池田市)、甲子園開幕戦勝利で阪神3連勝 [寺院]

7月10日(金)   先日、柴犬「はな」と散歩中に、立ち寄った寺院を紹介します。

◎仏日寺(佛日禅寺)
住所:大阪府池田市畑1-18-17
電話:072-753-2567
http://butsunitiji.com/
山号:摩耶山。 宗派:黄檗宗(臨済正宗)。 本尊:薬師如来
創建:1654年。 開山:1659年。 開基:2代麻田藩主青木重兼
北摂三十三か所観音霊場27番札所。 麻田藩菩提所
境内には信長公記の作者・太田牛一の墓所あり
俗称:梅の寺

麻田藩主の菩提寺で、第2代麻田藩主の青木重兼(端山)が開基した。『端山紀年録』によれば、寛永7年(1630年)に麻田村東方の天王山山麓に前身となる松隣寺が建立された。承応3年(1654年)現在の我孫子に移転して仏殿、禅堂、方丈、山門、鐘楼等が建立された。万治2年(1659年)黄檗宗開祖の隠元隆琦を招来して開山、摩耶山佛日寺に寺号を改名した。当初は本堂の他に29宇を存する大伽藍の巨刹で、左右対称を特徴とする明朝様式の黄檗寺院としては、本山萬福寺より先に創建されたことになる。萬福寺造営奉行の拝命を受けた青木重兼が領内に黄檗寺院の建立を試みたためである。寛文元年(1661年)隠元の弟子である慧林性機(萬福寺3代・龍興派祖)が初代住職に任命される。延宝8年(1680年)高泉性潡(萬福寺5代・佛国寺開山)、続いて元禄10(1697年)慧極道明(聖林派祖・法雲寺開山)等の名僧が入寺する。続いて慧林の弟子別傳道経、黙堂道轟と続き、一部の例外を除き龍興派の和尚が代々住職がを務める一流相承の寺院となる。
阪神淡路大震災では山門にひびが入り倒壊の危険性から翌年再建された。 (Wikiより)

↓山門(鐘楼門)
仏日寺1.jpg
↑「はな」を山門に置いて、急いで撮影しました。

↓山門の前にある「寺標」
仏日寺12.jpg

↓境内配置図
仏日寺2.jpg

↓地蔵尊(水子・子安)
仏日寺3.jpg
仏日寺4.jpg

↓正面は「厄除聖観音」、その後に「枯山水庭」と「方丈」
仏日寺5.jpg

↓布袋尊
仏日寺6.jpg

↓本堂(瑞光殿)
仏日寺7.jpg
仏日寺8.jpg

↓開山堂(禅堂)
仏日寺14.jpg

↓直方堂
仏日寺10.jpg

↓本堂前から見た「山門」と境内
仏日寺9.jpg

↓「佛日寺会館」
仏日寺11.jpg

↓「麻田藩主歴代墓所」
仏日寺13.jpg

↓俗称「梅の寺」・・・清文堂出版・三善貞司著「大阪伝承地誌集成」より
仏日寺15.jpg

詳細な記述は、過去に2回に分けてアップしています。
【過去の仏日寺のブログ記事】
2014年2月28日掲載
2014年3月1日掲載

===================================


◎昨日の阪神タイガース
タイガース11.jpg
【打点】ボーア2 【マルチ安打】糸原2、大山2 【マルチ四死球】糸井2
【マルチ三振】ボーア2、サンズ2 【失策】ボーア(1回)、ボーア(2回)
タイガース12.jpg

阪神3連勝 ボーアの値千金弾で今季初のG倒!九回は冷や冷や
https://www.daily.co.jp/tigers/2020/07/09/0013495401.shtml
阪神が3連勝。2020年の甲子園開幕戦を勝利で飾った。
 5番・ボーアの3号2ランで天敵を攻略し、開幕3連戦3連敗を喫した巨人に一矢報いた。また、チームの聖地1号となった。
 投手戦となった試合は七回に動いた。ここまで、散発の2安打に抑えられていたメルセデスに対し、2戦連続で4番に入った大山が右前打で出塁。チャンスメークすると、ボーアが一振りで試合を決めた。
 ここまで見逃し三振、二飛に抑えられていたが、3打席目。1ボールから2球目、127キロのスライダーをフルスイングした。打球は右中間スタンド一直線。右翼パーラは一歩も動かず、中堅・丸も早々と諦めた。
 「ガルシアや岩崎がゼロで抑えてくれていたので、なんとか援護したい気持ちでいっぱいだった。コンパクトにスイングした結果、ホームランになってくれてすごく興奮したし、ピッチャーに恩返しができて良かったね」
 メルセデスには過去、6度の対戦で4敗。チームとして7度目の対戦で、ようやく天敵に土を付けた。7月に入って助っ人は打率・300、3本塁打、8打点と好調。1日の中日戦で岡田から放った一発に続き、開幕から苦手にしてきた左投手相手の一本にも価値がある。
 一方、先発のガルシアは6回1安打無失点と、ほぼ完璧な投球内容。それでも矢野監督は早めの継投で七回を岩崎、八回をスアレスと無失点リレーでつないだ。岩崎が今季初勝利。
 九回は6月27日のDeNA戦以来の登板となった守護神、藤川が1点差に迫られ、なお2死一、二塁。それでも石川を右飛に抑え、今季2セーブ目。日米通算245セーブで、250セーブの大台にあと「5」とした。
 10日のDeNA戦からは、5000人を上限として有観客試合がスタートする。チケットは既に完売。先発は青柳が務める。
タイガース10・ボーア.jpg

※守護神・藤川は先頭打者にストレートの四球を出すなど、不安定でした。

######################################
nice!(18)  コメント(6) 
共通テーマ:地域

法園寺・あわん堂(大阪府池田市)、上半期CMランキング [寺院]

7月4日(土)   先日、柴犬「はな」と朝の散歩中に立ち寄った寺院を紹介します。

◎法園寺
住所:大阪府池田市建石町3-1
電話:072-751-3623
宗派:浄土宗。 山号:竹原山。 院号:玉蓮院。 本尊:阿弥陀如来
開創:1400年代前半。 再建:天文7年(1538)勝誉上人
摂北観音霊場第20番札所
http://ikedashi-bukkyo.org/ichiran/法園寺/
https://rikachanhouse.com/post-3695/
浄土宗知恩院の末寺にして本尊は阿弥陀如来である。
開創は1400年代前半と考えられるが詳らかではない。室町時代に池田城主筑後守が、その後室阿波の三好意三公の娘の冥福を祈るため極楽寺を建立したが、後に現在の上池田に移築して「阿波堂」(あわん堂)と称した。
その極楽寺址に、1538年山城国洛陽法園第四世勝誉上人が檀徒と協力して再建したものと言われている。

↓山門(はなをここに置いて、急いで撮影)
法園寺1.jpg

法園寺2.jpg
↑山門は池田城西門を移築したと伝わる。

↓本堂
法園寺3.jpg
法園寺4.jpg

↓鐘楼
法園寺5.jpg
↑梵鐘には1649年11世心誉上人の銘あり。


【過去の法園寺のブログ記事】
2011年6月17日掲載
2015年7月20日掲載

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎あわん堂(阿波堂)
住所:大阪府池田市上池田1-9
薬師如来は市の重要文化財に指定
https://rikachanhouse.com/あわん堂の薬師如来像は平安時代後期の作%EF%BC%81能勢/
池田城主池田氏の奥方が、阿波の三好一族から嫁いできたことから阿波の人々がこのあたりに多く住みつき御堂を「あわん堂」と呼ぶようになった。「上池田薬師堂」もしくは「極楽寺阿波堂」とも呼ばれ、桜の一木造りで高さ145cmの薬師如来像が小さい穴から拝観できる。

↓お堂
あわん堂1.jpg

↓駒札(説明板)
あわん堂2.jpg

↓解説資料
あわん堂5.jpg

↓地蔵等
あわん堂4.jpg
あわん堂6.jpg

===================================


◎【上半期CM出演ランキング】男性1位は櫻井翔 女性1位は3年ぶり広瀬すず、今田美桜が躍進
https://www.oricon.co.jp/news/2165766/full/
テレビ放送の調査・測定を行うニホンモニターは1日、『2020上半期タレントCM起用社数ランキング』を発表。男性部門は人気グループ・嵐の櫻井翔(11社)、女性部門は女優の広瀬すず(13社)が1位に輝いた。
男性部門では、昨年の年間CM起用社数ランキングで5年ぶりに1位になった櫻井が、2020年も安定した強さを見せた。
女性部門では、2017年の上半期女王だった広瀬が3年ぶりに女王に返り咲き。18年、19年ともに同期ランキングで2位と常に高い人気を維持していただけに、納得の結果となった。

■2020上半期タレントCM起用社数ランキング(同順位は50音順)
◇男性部門
1位 11社 櫻井翔(嵐)
2位 10社 相葉雅紀(嵐)
3位 9社 香取慎吾、松岡修造氏
4位 8社 賀来賢人、斎藤工、竹内涼真、錦織圭、二宮和也、(嵐)、松本潤(嵐)
5位 7社 伊藤健太郎、大泉洋、岡田准一(V6)、岡田将生、田中圭、長谷川博己、松坂桃李、吉田鋼太郎

◇女性部門
1位 13社 広瀬すず
2位 12社 今田美桜
3位 10社 渡辺直美
4位 9社 新垣結衣、有村架純、指原莉乃、清野菜名、橋本環奈、深田恭子、吉岡里帆
5位 8社 綾瀬はるか、北川景子、中村アン、菜々緒
6位 7社 芦田愛菜、池田エライザ、上戸彩、川口春奈、小池栄子、白石麻衣(乃木坂46)、高畑充希、土屋太鳳、浜辺美波、マツコ・デラックス

###################################
nice!(18)  コメント(6) 
共通テーマ:地域

はなと高法寺(大阪府池田市)、はなと彫刻 [寺院]

6月27日(土)   先日、はなと散歩の途中に立ち寄った寺院を紹介します。

◎高法寺
住所:大阪府池田市綾羽1-1-9
電話:072-751-4240
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-2/newpage550.htm
http://ikedashi-bukkyo.org/ichiran/高法寺/
山号:待兼山  宗派:高野山真言宗  本尊:十一面観世音菩薩
創建:天平年間(729-49)  開基:行基   中興:静弁(1598)
摂津国八十八か所霊場第66番札所

当山の開基は天平年間(729~49年)行基菩薩と伝わり、元は池田と豊中の境にある待兼山山頂(現大阪大学豊中校舎)にあり、永禄年中(1558~70年)までは池田城主池田筑前守の祈願所であった。山号の待兼山はそれに因んだものと思われる。
 その後、寺院は兵火のため全焼し、1556年(弘治2年)当時の住職が本尊のみを背負い、当地まで逃れ、ここに小堂を建て安置したという。
 この寺は旧池田城のすぐ近くにあり、1578年(天正6年)、荒木村重が織田信長から離反した際、伊丹城の支城であった池田城も攻められ、落城後は信長軍の陣地となるなど、戦国末期のたび重なる兵火により、池田の町屋も焼かれた。当山は1598年(慶長3年)僧静弁が中興した。
【歴史】
天正7年(1579年)荒木村重攻めの兵火を罹り、当所に移転。
慶長3年(1598年)静弁が中興。

↓山門
高法寺1.jpg
高法寺2.jpg

↓山門から見た境内
高法寺3.jpg

↓金毘羅社(鎮守)
高法寺4.jpg

↓豊川稲荷社
高法寺5.jpg

↓八大龍王堂
高法寺6.jpg

↓本堂
高法寺7.jpg
高法寺8.jpg

↓本尊が市指定の重文
高法寺9.jpg

↓門前にある道標
高法寺10.jpg

【過去の高法寺のブログ記事】
2015年7月26日掲載

====================================


◎柴犬「はな」と彫刻
https://researchmap.jp/read0194738

↓石の道・いけだ 彫刻シンポジウム’98 「大地の詩」浅野卓司
設置場所:池田市渋谷3-14 渋谷公園
彫刻13・浅野.jpg

彫刻14.jpg

彫刻15.jpg
妻・難波皆子の彫刻のブログは、こちらをご覧ください。
【略歴】
1993年、 愛知教育大学 教育学部 小学校教員養成課程
1995年、 愛知教育大学 教育学研究科 芸術教育(美術分野)修士課程
1998年、池田彫刻シンポジウム
現在、全美協副会長、桜花学園大学教授

↓「同名の彫刻」
http://www.o-bje.net/museums/asia/asia02/poemoftheearth_zoom.html

==================================


◎昨日の阪神タイガース

タイガース8.jpg
【マルチ安打】マルテ2、 【マルチ三振】福留2、上本2

阪神、今季初完封負けでドロ沼3連敗 91年中村政権以来の屈辱…開幕7戦1勝6敗
https://www.daily.co.jp/tigers/2020/06/26/0013458937.shtml
阪神が今季初の完封負けで3連敗。開幕から1勝6敗で早くも借金5と、泥沼から抜け出せないでいる。7試合消化時点で1勝6敗は、1991年の中村政権以来、実に29年ぶりの屈辱となった。
 この日はDeNAの先発・今永の対左投手対策として、ボーアや糸井がスタメンから外れた。代わって2番に北條、3番に大山、6番に上本、7番に陽川と右打者を中心に、大幅4人を入れ替えて臨んだ。
 だが、三回までパーフェクトに抑えられると、四回。先頭の近本が右前打を放ち、初めての走者を出したが、続く北條がバスターエンドランを失敗。遊飛でチャンスをつぶすと、大山も空振り三振に倒れた。4番・マルテが内野安打で何とかつないだが、続く福留は三邪飛に。チャンスをものにできなかった。
 一方、先発の西勇は序盤から好投を続けたが、五回。先頭の宮崎にソロ本塁打を浴びた。それでも7回1失点の粘投。打線の反撃を待ったが、悪夢の今季初黒星となった。2番手の小川が八回、無死一塁からオースティンに2ランを浴び、大和と梶谷にも適時打を打たれ、勝負は決した。
 終わってみれば5安打無得点。開幕7試合でわずか10得点。1試合平均1・4点と苦しい状況は続く。
 なお、1991年を含めて開幕1勝6敗は過去4度。最終順位1968年の2位が最高で、78年が6位、86年が3位、91年が6位と、これまで優勝したケースはない。

※このまま、今季は借金生活が続くのか??? 新人小川投手の起用方法に疑問?

#####################################
nice!(21)  コメント(10) 
共通テーマ:地域

初詣(豊中市・椋橋総社)、箱根駅伝往路 [寺院]

1月3日(金)   1月1日元旦の朝は、まず柴犬「はな」と散歩。その後、受け取った年賀状のチェック、そして雑煮とおせち料理を食べてから、豊中市の椋橋(クラハシ)総社へ初詣しました。初詣後は今年初のドッグランとして、ふれあいドッグランで走りました。
 今回は、初詣の様子をアップします。

◎椋橋総社(クラハシ ソウシャ)
住所:大阪府豊中市庄本町1-2-4
電話:06-6332-3110
主祭神:素盞嗚尊、神功皇后
創建:不詳。別名:鯉の宮
例祭:10月14日。主な神事:十日戎、秋季大祭
http://www.eonet.ne.jp/~keizohome/machi/kurahashi_shrine01.html
http://kamnavi.jp/en/settu/kurahasi.htm
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/5552a462cec1c548690c2c1d326f24f0

【由緒】(Wikiより)
当神社は古来より東西椋橋荘(くらはしのしょう; 12世紀半ばに、摂関家領椋橋荘が椋橋東荘と椋橋西荘に分立してできた荘園で、猪名川と神崎川の合流点、現在の大阪府豊中市南西部と兵庫県尼崎市戸ノ内町付近に位置した)の中央である荘本(庄本)に鎮座し、同荘の総産土神で、椋橋総社又は椋橋荘神前松原の社とも称する。遠き神代の御時、素盞嗚之尊が高天原より鯉に乗り、神前(神崎)の水門を経て当荘に御降臨なされたことにより、崇神天皇7年(紀元前91年)11月、椋橋部連(むらじ)の祖、伊香我色乎命(いかがしこをのみこと)が斎い定め祀ったと伝えられている。椋橋荘(くらはしのしょう)は正史にも明らかな地で、椋橋部連(むらじ)とその部曲民の住む土地であった[2]。この荘の区域は猪名川を境にして東西に別れ、東椋橋荘が石蓮寺、寺内、浜、長嶋、三津屋、野田、牛立、菰江、上津島、嶋田、今在家、洲到止、荘本(庄本)、島江、以上14ヶ村と、西椋橋荘が高田、神崎、戸の内、推堂、穴太、富田、額田、高畑、善法寺、法界寺、以上10ヶ村と、東西合せて24ヶ村からなっていた。
また、当社は昔、神功皇后が新羅へご出発の時、神々をこの神庭に集め幸をお祈りになったという霊験著しい古社である。かくして朝廷の御崇敬も一方ならず、天文8年(1539年)4月、後奈良天皇の勅願所と定められ、東椋橋荘を社領として加えられた。
又、武門の崇敬もとり分けて深く、明徳2年(1391年)7月、藤原秀安は金鼓を寄進し、天正年間、池田筑後守は嫡子多聞丸誕生のため、武運長久を祈り獅子頭を寄進した。獅子頭は社宝となっている。尚、その他の社宝には元和6年(1620年)9月天下一長久作の神鏡がある。
往時には社家が多く社家町をなし、今も付近にその遺跡を存する。世の推移に従い氏地の中には別の祠を建て産土神として祀るところも出て来て、加えて戦国時代には付近一帯に兵乱が続き、社前も次第に衰退し、天正7年(1579年)の織田信長による荒木村重討伐(有岡城の戦い)の兵火により、社殿、宝物、古文書等、ほとんどを焼失した。
天正9年(1581年)、仮殿にて神霊を鎮座し、慶長4年(1599年)6月14日、社殿を再建したが、旧時の如くに復することが出来ず、天正の頃まで氏地であった東長嶋も別に祠を建て、氏地は庄本、戸の内、高田、神崎の4ヶ村となり、その後、又、高田、神崎、戸の内も一村限りの祠を建て氏地は今の如くになった。
1916年(大正5年)8月、常夜灯の倒壊によって火災を起こし、本殿、拝殿が焼失した。現在の社殿は、その後1917年(大正6年)4月に再建されたものである。
かつては、牛頭天王社とも呼ばれ、神田八坂神社(大阪府池田市神田)、利倉春日神社(大阪府豊中市利倉)とともに豊島三大牛頭天王と呼ばれていた。
又、鎌倉時代、当地椋橋荘は後鳥羽上皇の寵姫亀菊(後の伊賀局)の所領地で、幕府地領との間で紛争を生じ、承久3年(1221年)に起こった承久の乱の発端の場所として知られている。
近年では、当神社の神使(神の使い)が鯉である事から、広島東洋カープのファンが必勝祈願に訪れる事がある。

【伝説・伝承】(Wikiより)
椋橋総社と鯉
その他、当神社には鯉伝説がある[7]。当社伝記に「遠き神代の昔、素戔嗚之尊が高天原から鯉に乗り神崎の水門を経て当地に来られた」とあり又、里人伝説に昔行基菩薩がこの地に留まりし折、猪名川(現在は旧猪名川)に板橋をかけて村人の便に供しようとしたが、流れが速くなかなか成功しなかった。そこで当社の神に祈ったところどこからともなく数多くの鯉が集まり、並んで魚橋を作ってくれたので無事、架橋工事を終えることができた、以後行基は村人に鯉をとったり、食べることを禁じた」とあり村人は昔から鯉を氏神のお使いであるといって食べず、得た鯉はこの鯉池に放し死んだ鯉は拝殿前の鯉塚に埋めた。

又、旧猪名川を挟み向かい側にある治田寺(兵庫県尼崎市戸ノ内町)も伝承があり戸ノ内の鯉伝説が伝わる。「天平年間(約1250年前)、僧行基さまが諸国を巡錫され、治田寺(じでんじ)に参籠するため対岸の庄本まで来られた時、折悪しく洪水のため旧猪名川にかけられていた橋が流されました。すると川の向こうから鯉が群れをなして集まり、その銀鱗で川の色が変わるほどでした。行基さまは鯉の背に乗って川を渡り(鯉が橋となったため)、無事、治田寺に参籠することができました。村人たちはこの光景に驚き、鯉を崇め、それ以降、川の上下18丁(約2000m)では鯉を食べたり、殺したりしなくなったと言うことです。」(治田寺文書、要旨)

又、当神社で行われる秋の例大祭では、氏子中の法被に鯉が描かれたものが見られる。

元々、氏子地区であった現在の尼崎市東部(西椋橋荘)には、素盞嗚尊(スサノオ)を主祭神とする素盞嗚神社、須佐男神社が数社あり、各社で太鼓台の彫物や社殿内に奉納されている絵馬などに鯉が幾つか見られ、かつて氏子離れした西椋橋荘、現在の尼崎市東部でも各地区で鯉伝説は継承されている。

椋橋城の推定地説
椋橋城の推定地は「日本城郭大系」によると、旧猪名川を東西に分立して、東椋橋庄、椋橋総社(大阪府豊中市庄本町)付近とする説と、西椋橋庄、治田寺(兵庫県尼崎市戸ノ内町)付近とする説がある。
椋橋城の文献上の初見は、文明2年(1470年)であるが、椋橋城は応仁年間以前に既に存在していたらしく、平安時代、多田源氏四十八砦の一つと言われている。応仁の乱の応仁2年(1468年)に西軍、山名宗全方の大内政弘が東軍、細川勝元側を椋橋に攻めている。次いで椋橋城の名は「細川両家記」などに見られ、さらに「信長公記」でも天正6年(1578年)、織田信長による荒木村重討伐の折に織田軍の池田勝三郎(恒興)、勝九郎(元助)、幸新(輝政)父子が築かれた砦の一つに入ったとされる記録があり、椋橋城の名が確認されているが、椋橋総社、治田寺ともに椋橋城があったとされる遺構は無く、推定地が、城跡として確定に繋がる資料も極めて曖昧で少ない。

↓神社の入口
椋橋2.jpg

↓「はな」はここで待機
椋橋3.jpg

↓鯉池
椋橋4・鯉池.jpg

↓手水舎
椋橋5.jpg

↓拝殿
椋橋6.jpg

↓狛犬の後ろに「狛鯉」が1体
椋橋7.jpg
↑広島カープの帽子をのせています。

↓拝殿
椋橋8.jpg
椋橋9.jpg

↓出世亀菊天満宮と恵比須神社
椋橋10・天満宮、恵比須神社.jpg
椋橋11.jpg

↓三社神社
椋橋12・住吉、春日、愛宕山.jpg
↑祭神:住吉大神、春日大神、愛宕山大権現

↓鯉塚
椋橋13・鯉塚.jpg

↓神崎松原由来記
椋橋14・神崎松原由来記.jpg

↓稲荷社
椋橋15・稲荷社.jpg
↑祭神:倉稲魂命

↓ここで、破魔矢を買いました
椋橋16.jpg
↑破魔矢の小は1,000円、大は2,000円。

↓柴犬「はな」と椋橋総社の破魔矢(小)
椋橋1.jpg

【過去の椋橋総社ブログ記事】
2013年11月5日掲載

=====================================


◎箱根駅伝 青学大が3年ぶり4度目の往路V
https://www.asahi.com/articles/ASN122FCBN12UTQP001.html
↓(朝日新聞デジタル)
第96回箱根駅伝は2日、往路が行われ、青学大が3年ぶり4度目の往路優勝を果たした。5時間21分16秒の往路新記録での優勝だった。
 青学大はトップでたすきを受けた5区(20・8キロ)の飯田貴之(2年、千葉・八千代松陰)が序盤から飛ばした。1分28秒差の3位でたすきを受けた国学院大の浦野雄平(4年、富山商)は区間賞を獲得した昨年以上のペースで追い上げて3キロ付近で2位に浮上するも、先頭とはなかなか差が縮まらない。
 宮ノ下の9・3キロ地点で青学大と国学院大は1分22秒差。3位は東海大で先頭と2分16秒差。
後続では、18位でたすきを受けた法大の青木涼真(4年、埼玉・春日部)が力走。一昨年に区間賞を獲得したエースが意地を見せた。
 最後は青学大の飯田が突き放し、トップでフィニッシュ。3大会ぶりの往路優勝を果たした。2位は国学院大で1分33秒差。東京国際大は東海大を抜き返して3位。総合2連覇を狙う東海大は4位だった。5位以下は明大、帝京大、創価大、駒大、早大、拓大と続き、前回大会まで往路2連覇中だった東洋大は11位と出遅れた。

【関連ニュース】
超速の箱根駅伝…吹き荒れた厚底旋風 区間新4連発に指導者は「物差しを変える必要が」
https://www.daily.co.jp/general/2020/01/02/0013004979.shtml

#####################################
nice!(14)  コメント(8) 
共通テーマ:日記・雑感

清荒神清澄寺(宝塚市)、呉服神社の神矢、箱根駅伝往路は東洋大が2年連続優勝、ブリスベン国際 [寺院]

1月3日(木)   1月1日の元旦に、「清荒神」へ初詣してきました。

◎清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)
住所:兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地
電話:0797-86-6641
http://www.kiyoshikojin.or.jp/
歴史は古く、なんと平安時代初期までさかのぼります。宇多天皇の命によって創建され、火の神様、台所の神様として有名で、神仏混合のお寺で、「清荒神清澄寺(清荒神)」と呼ばれています。

山号:蓬莱山。宗派:真言三宝宗(大本山)。本尊:大日如来(重文)
創建:寛平8年(896年)。開基:静観僧正、宇多天皇(勅願)、別称:清荒神
札所:真言宗十八本山第3番、摂津国八十八個所第72番、神仏霊場巡拝の道第79番、西国七福神

【縁起】
清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。
当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂七十二坊の荘厳な伽藍を造営し、宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺としておおよそ300年栄えました。
その後、平安時代末期の源平合戦や、天正年間の荒木村重の乱などの戦火により何度も焼失しましたが、荒神社のみはいずれも難を免れ、やがて清澄寺も西の谷である今の地に再建され、江戸時代末期、一代の名僧浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられ伽藍が発祥しました。
浄界和上の諸堂再興に続き、先々代 第37世法主 光浄和上に至り寺運ようやく開け、昭和22年「三宝三福」の教理に基づく真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として新しく法幢をかかげました。
また、光浄和上は画聖富岡鉄斎翁との機縁により、当時名物といえば歌劇しかなかった宝塚に、宗教と芸術文化を通じて多くの人々の心に平和と安らぎを与えたいという理念「宗美一体」に基づき、晩年の傑作を中心に鉄斎作品を収集し、これらを国の内外に紹介して、その人類愛と平和精神を世界に呼びかけました。
先代 第38世法主 光聰和上は当山にお詣りされる篤信深き皆様方にお立ち寄りいただくために「清邦文化会館」を昭和46年に建設いたしました。当山主催のもろもろの催し事の他、ひろく一般の方々による芸術文化・社会福祉等の集会に講堂や会議室を無料で開放しています。 また、昭和50年には鉄斎作品を永く後世に伝えるため、「鉄斎美術館」を建設して一般に公開し、その入館料は、宝塚市立中央図書館内に「聖光文庫」を設け、美術図書購入基金として宝塚市に全額寄付しています。
当代 第39世法主 光謙和上は先々代、先代両和上の理想と遺志を継承し、平成11年に鉄斎美術館に併設する「新収蔵庫」を、平成20年に長年の構想を経て「史料館」を建設いたしました。
「史料館」は清澄寺の歴史や行事をご紹介すると共に什物や所蔵品の企画展示も行い、歴史や文化に親しんでいただき、荒神信仰の布教の場として活用するものです。

清荒神駅(阪急宝塚線)から、約1.2kmのゆるやかな登りの参道があり、両側には店と露店を合わせて約200軒が並んでいます。

↓参道の様子をお伝えします。元旦の初詣の人で、混雑していました。
清荒神2.jpg

↓参道の途中にある「萬霊殿
清荒神3・萬霊殿.jpg

清荒神4.jpg

↓復路時、ここで「チーズハットグ」を初めて賞味しました。
清荒神5・チーズハットグ.jpg

清荒神6.jpg

↓境内図
清荒神1・境内図.jpg
境内は、一方通行になるような順路となっています。

↓山門
清荒神7・山門.jpg
↑小規模ながら三門形式に則った山門で、明治40年頃の建立と伝えられています。
山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しています。石碑の文字は第35世道樹和上の筆とされています。
右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標、山門正面に「蓬莱山」の扁額が掲げられています。山号の「蓬莱山」は古代中国から信じられてきた仙境の謂であり、山容が仙境にふさわしいところから、開創時よりこの名があります。扁額の文字は、随心院の門跡で名筆と謳われた智満上人晩年の筆です。

↓手水舎
清荒神8・手水舎.jpg

↓拝殿へ一方通行
清荒神9・拝殿へ.jpg

↓拝殿(天堂)
清荒神10・拝殿.jpg
↑天堂には、三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られています。聖天さまは仏教守護の神として、祈れば富貴を与え病を除き、夫婦和合・子を授けると言われています。また十一面観世音菩薩も除病・滅罪・求福を祈れば現世利益を得ることが出来るとされています。

↓鐘楼
清荒神11・鐘楼.jpg

↓眷属堂
清荒神12・眷属堂.jpg
↑拝殿に向かって左の眷属堂(けんぞくどう)には、三宝荒神王の眷属(従者)である「布袋尊」をお祀りしています。
布袋和尚は中国の高僧で、名は「契此(かいし)」「定応大師(じょうおうだいし)」と言い、大きな袋を杖にかけて担いで全国を行脚したと伝えられますが、わが国では「七福神」の一人として知られています。
眷属堂では、御祈祷の受付、三宝荒神王御尊影、御守、厄除開運火箸などを授与しています。

↓護法堂
清荒神13・護法堂.jpg
↑拝殿を左に迂回すると、小川を隔ててちょうど後ろに「ご本社」とよばれている神殿造りの「護法堂」があり、正面には大勝金剛転輪王(如来荒神)、右に歓喜童子、左に弁才天がお祀りされています。

↓眼神祠(がんじんし)
清荒神14・眼神祠.jpg
↑護法堂(ご本社)の裏から右回りに行くとはじめに「眼神祠」があります。もとは護法堂のちょうど裏にあり、当時は清水が湧き出していて、参詣の方々が柄杓でその水を汲み、眼を洗ったりしたようです。

↓龍王堂
清荒神15・龍王堂.jpg
↑眼神祠の隣には「龍王堂」があり、ご本尊は「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」という全ての生命を守る水神様であります。密教では雨を祈る神としています。

↓納札所
清荒神16・納札所.jpg
↑拝殿に向かって右側には、白壁の「納札所」があります。ここは、当山で授与した古い御札、吉兆、御守を、この1年の御礼を兼ねてお納めするところです。
私は昨年、別の神社で買った破魔矢を納めるため持参したのですが、中に入らないような作りになっています。また私達同様に、古い破魔矢を持った参拝者もちらほらいました。また、当山では破魔矢自体を販売していませんでした。

↓火箸納所
清荒神17・火箸納所.jpg
↑納札所の隣の「火箸納所」は、厄年にお祀りしていた厄除け火箸を、厄が明けた年の節分以降に納める所です。「かまどの神様」として信仰される三宝荒神王にあやかり、厄年の人が火箸で厄をつまみ出してもらうとされ、男性41~43歳、女性32~34歳の大厄には、各々前厄から3年間、小厄のときは1年間、厄が明けるまで自宅でお祀りします。

↓神変大菩薩
清荒神18・神変大菩薩.jpg
↑「火箸納所」の隣に岩壁をくりぬいた祠、「行者洞」があり、修験道の開祖、「役行者 えんのぎょうじゃ」(役小角 えんのおづぬ)をお祀りしています。修験によって得た加持力をもって病気、災難等を取り除くと言われています。

↓宝稲荷社
清荒神19・宝稲荷社.jpg
↑天堂から本堂へは山腹につけられた石段を上り下りしますが、その途中に一社があります。明治時代の或る夜、当山先師忍随和上と光浄和上とが、同時に稲荷明神の霊夢を見、ここに新しく祀ったものと言われています。

↓本堂
清荒神20・本堂.jpg
↑山門からの正面に南面して本堂・霊牌堂と練行堂の三棟からなっています。 本堂は、安政年間に旧清(もときよし)の寺域より移築上棟された建物でしたが、当山開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、面目が一新されて今日の姿となりました。正面には本尊大日如来、向かって左に不動明王、右に弘法大師が祀られています。内陣には、真言密教の象徴ともいうべき、六尺四方の大曼荼羅壇(だいまんだらだん)が置かれ、中央には舎利塔(しゃりとう)、四面には密具(みつぐ)が安置され、ここでは毎日、大聖不動明王の秘法が修行されています。

↓一願地蔵尊と本堂
清荒神21・一願地蔵尊と本堂.jpg
↑一願地蔵尊は金銅製の巨大な立像で、頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、ご利益があると言われています。 明治24年、多くの信者さんの寄進により建立されました。光背にはその方々の名前が刻まれております。

↓池苑と史料館
清荒神22・池苑と史料館.jpg
↑池泉回遊式庭園で、江戸時代初期~中期に作成されたと言われ、池泉を中心とした豪華な石組を配し、滝、亀島、船着石などを組み合せた観賞式庭園となっています。
史料館は、当山第37世光浄和上,第38世光聰和上の理想と遺志を継承し、現第39世法主光謙和上の長年の構想を経て、平成20年(2008)11月に開館いたしました。

↓護牛神堂
清荒神23・護牛神堂.jpg
↑本尊は「牛頭天王(ごずてんのう)」で、弘法大師、不動明王が合祀されています。牛頭天王は、もとはインドの祇園精舎の守護神で、「牛王神」「牛神様」ともいわれ、さらに護牛ということから、牛の護符を授かり牛を護る農家の方々の信仰を集めています。

↓修行大師像
清荒神24・修行大師像.jpg
↑山門を入ってすぐ、本堂と天堂とに参道が分かれる地点に、行脚姿の立像で現されています。錫杖と鉄鉢を手に諸国を巡歴された時のお姿です。

※兵庫県内の正月三が日の人出予想では、清荒神は6位で約36万人とのこと。

=========================================

昨年の破魔矢を納めて、新しい破魔矢を購入するため、清荒神からの帰途、地元の「呉服神社」に立ち寄りました。拝殿前には、初詣の長い行列が出来ていましたが、初詣は清荒神で済ませたので、行列には並ばずに、古札納所に昨年の破魔矢を納め、新しい破魔矢を買って帰りました。

★呉服神社(くれはじんじゃ)
住所:大阪府池田市室町7-4
https://kureha-shrine.com/
日本書紀にある「呉服・穴織伝承」を今に受け継ぐ神社です。応神天皇の時代、呉服(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)という姉妹がこの地に住みつき、機 織・栽縫の技術を伝えたとされています。絹布類を指す「呉服(ごふく)」はここから。現在も服飾関係者の信仰を集めています。毎年1月の十日戒には多くの 人が訪れ、賑わいを見せます。
呉服神社についての詳細は省略します。過去のブログ記事を参照してください。

↓呉服神社の拝殿
呉服神社1.jpg

↓呉服神社の破魔矢と柴犬「はな」
呉服神社2.jpg
↑破魔矢とは言わずに、「神矢」として売っています。(2,000円)

【過去の呉服神社のブログ記事】
2012年1月10日掲載:池田えびす
2014年1月10日掲載:池田えびす
2015年1月12日掲載:池田えびす
2015年1月22日掲載:縁起・由来、境内案内等詳述
2017年1月11日掲載:池田えびす

=====================================

◎錦織圭、19年初戦制し8強へ

↓(朝日新聞デジタル)
テニスのブリスベン国際は2日、オーストラリアのブリスベンで行われ、男子シングルスは世界ランキング9位で第2シードの錦織圭(日清食品)が初戦の2回戦で世界63位のデニス・クドラ(米国)を7―5、6―2で下し、2019年シーズン最初の試合を勝利で飾った。3日の準々決勝で第6シードのグリゴル・ディミトロフ(ブルガリア)と対戦する。
 予選勝ち上がりの内山靖崇(北日本物産)も世界14位で第3シードのカイル・エドムンド(英国)を7―6、6―4で破り、自身初のツアー大会8強入りを果たした。

=====================================

◎青学大往路6位“過去最高”軍団が…「監督の腕の見せ所」区間で痛恨ブレーキ

↓(デイリースポーツ)
「箱根駅伝 往路」(2日・大手町~神奈川県箱根町芦ノ湖駐車場)
 総合5連覇を目指す青学大は、トップと5分30秒差の5時間32分1秒で6位となり、復路での逆転が厳しい状況となった。東洋大が5時間26分31秒で2年連続の往路優勝を果たし、東海大学が2位につけた。
 史上初となる2度目の3冠達成へ、崖っぷちに追い込まれた。原晋監督(51)が胸を張っていた「過去最高」軍団が、往路でまさかの出遅れ。レース後、指揮官は「何が起こるか分からんね…この駅伝は」と、うなだれた。
 青写真通りに進んでいた展開は、突如として瓦解した。青学大は1、2区で首位東洋大に引き離されたが、3区で起用されたエース森田歩希(4年)が区間賞の走りで一気に首位を奪還。往路優勝はほぼ間違いないかと思われた。
 しかし、事態は暗転。4区に起用した箱根初出場の岩見秀哉(2年)が、低体温症を発症し、区間15位と失速し、3位に後退。実は箱根駅伝前、指揮官が頭を悩ませている区間について「4、8、9区」としていた。迷いの理由は「初めてなんですよ。補欠の子を含めて、エントリーの16人全員が本戦に入れる状態」というポジティブなものだったが、「監督の腕の見せどころ」と話していたキーポイントの区間で、思いきった箱根未経験者の起用が裏目に出た。
誤算は続き、「今年の山の神になる」と自信を持って送り出した5区の竹石尚人(3年)も苦戦し、本来の走りを発揮できずに区間13位に沈んだ。
 往路を終えて、トップとは5分30秒差。目標の3冠アンド5連覇には黄信号がともった。「5分30秒は簡単に返せるタイムじゃない。返せると言ったらほら吹きになる」と弱気モードで語りつつ、「逆転したらかっこいい。そこを目指す」と、前を向いた。
 今年のチームを「5000メートル、1万メートル、ハーフマラソンに夏合宿の消化率。そして箱根の経験値。トータルで考えれば、過去最高」と話してきた原監督。選手たちを信じ、平成最後の箱根駅伝で奇跡の大逆転を起こす。

######################################

nice!(23)  コメント(7) 
共通テーマ:日記・雑感

難波神社の初詣(大阪市中央区)、星野仙一死去 [寺院]

1月7日(日)   恒例の会社の初詣として、5日に難波神社へ行って来ました。

◎難波神社
住所:大阪府中央区博労町4-1-3
電話:06-6251-8000
www.nanba-jinja.or.jp/
主祭神:仁徳天皇(16代天皇)。配祀:素戔嗚尊。社格:府社
創建:(伝)反正天皇(18代天皇、西暦400年前後)
別称:摂津国総社として「難波大宮」や「平野神社」
ご利益:仁徳天皇=「平穏安寧」、素戔嗚尊=「厄災除け」「所願成就」、
    摂社の博労稲荷神社=「商売繁盛」
ご利益や立地環境から商売人や企業の参拝人が多い神社です。御堂筋に面した壁面に並ぶ「絵馬」にも、それに相応しくなっています。

【歴史】
創建は反正天皇と伝えられ、当初は現在の大阪府松原市に鎮座していた。
天慶6年(943年)に現在の天王寺区上本町に遷座。
慶長2年(1597年) 現在地に遷座。
昭和20年(1945年) 空襲により全焼、昭和49年(1974年)に再建され現在に至る。

↓難波神社の外観
難波神社1.JPG

↓境内の様子
難波神社2.JPG

↓初詣の参拝で長い行列
難波神社3.JPG

↓参拝後は、神酒授与所へ
難波神社4・神酒授与所.JPG

↓拝殿前の絵馬
難波神社5・絵馬.JPG

↓以下の絵馬は、御堂筋に面した壁面に掲げられています
難波神社6.JPG

難波神社7.JPG

難波神社8.JPG

難波神社9.JPG

難波神社10.JPG

難波神社11.JPG

難波神社12.JPG

【過去の難波神社初詣のブログ記事】
2009年1月5日掲載
2013年1月8日掲載
2014年1月7日掲載
2015年1月6日掲載
2016年1月6日掲載
2017年1月6日掲載
・2018年1月7日掲載

========================================

◎星野仙一さんが死去 プロ野球中日・阪神・楽天で監督
https://www.asahi.com/articles/AS99Y0DM099XUTQP03K.html?iref=com_rnavi_srank
↓(朝日新聞デジタルより)
プロ野球の中日、阪神、楽天の元監督で、楽天球団副会長の星野仙一(ほしの・せんいち)さんが4日、死去した。70歳だった。葬儀は近親者らによる密葬で執り行い、後日、お別れの会が開かれる予定。
楽天によると、星野さんは2016年7月に膵臓(すいぞう)がんが判明。その後も仕事を続け、昨年、野球殿堂入りを果たした。昨年11、12月に東京と大阪であった、殿堂入りを祝うパーティーには姿を見せていたが、年末になって病状が悪化したという。
 星野さんは岡山県出身。倉敷商高を卒業後、明大へ。1969年、中日にドラフト1位で入団した。投手として82年までの14年間で、通算146勝121敗34セーブ、防御率3・60の成績を残した。73年からは5年連続で2けた勝利を挙げるなど活躍し、74年には沢村賞を受賞した。
 87年から91年、96年から2001年までの2回、中日の監督を務め、1度ずつリーグ優勝を果たした。02年からは阪神の監督を2季務め、03年にチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。08年の北京五輪では、アジア地区予選から日本代表監督を務めたが、メダルを獲得できず、翌年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督は、次期候補と有力視されながら辞退した。
11年から楽天を率いた。13年には創設9年目の球団を初の日本一に導き、自身としても監督通算16年目で初の頂点に。三原脩、西本幸雄と並び、3球団でリーグ優勝を成し遂げた監督となった。計17年で通算1181勝。戦後生まれでは初の1000勝監督になった。15年からは楽天球団の副会長を務め、新人選手の獲得などに尽力した。

↓デイリースポーツの関連記事
阪神・金本監督、星野氏の訃報に戸惑い隠せず「いまだに受け入れられない」
阪神前オーナー、星野仙一氏を悼む「経営に対する造詣の深さに驚いた」
片岡篤史ヘッドが追悼「星野さんが監督になったから阪神に来た」
星野氏を招へいした元球団社長が悼む「関西を盛り上げてくれた功労者」

########################################
nice!(21)  コメント(10) 
共通テーマ:日記・雑感