丹波亀山城跡(京都府亀岡市)、レコード大賞候補決定 [お城]
11月17日(木) 明智光秀が築城した丹波亀山城址へ行ってきましたので紹介します。
◎亀山城跡
所在地:京都府亀岡市荒塚町 宗教法人大本神苑内
拝観料:300円
https://www.kameoka.info/mitsuhide/kameyama-castle.php
https://kojodan.jp/castle/193/
別称 : 亀宝城、霞城、亀岡城
縄張形態: 平山城
標高:(比高) 117 m( -- )
天守縄張、天守形式: 複合式層塔型
天守の階数: 5重5階
天守の種類: 非現存天守
天守の高さ: 25 m
天守台石垣の高さ: 6 m
天守の広さ(延床面積): 886.21 m2
天守メモ: 明智光秀によって3重3階の天守があげられたが、1593年(文禄2年)に小早川秀秋によって5重5階に改築された。この天守のその後については不明であるが、明治5年(1872年)に撮影された天守は慶長14年(1609年)以降に建てられたものと思われる。なお、今治城天守を移築したという説もあるが詳細は不明。天守は1877年(明治10年)に解体された。
築城主: 明智光秀
築城開始・完了年: 着工 1577年(天正5年) 〜 竣工 1578年(天正6年)
廃城年: 1877年(明治10年)
主な改修者: 岡部長盛
主な城主: 明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
遺構: 石垣、堀
明智光秀は、天正5 年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8 年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2 年後に「本能寺の変」が起こります。
亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、慶長15 年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。
亀山城は、明治維新以降廃城処分となり、所有者が転々とします。紆余曲折の末、荒れ果てた城跡を宗教法人大本が入手し現在に至ります。石垣は大本によって修復されており、総合受付で見学を申し込むと内堀跡や本丸付近の石垣を見学することが可能(拝観料300円)です。
【宗教法人大本については、次のサイトをご覧ください】
https://oomoto.or.jp/wp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC
【歴史】Wikiより
戦国時代
織田信長の命を受けて丹波攻略に従事中であった明智光秀が、口丹波にある亀岡盆地の中心であった亀山に天正6年(1578年)に築城し、天正6年中に完成したと考えられる。ただし、天正5年(1577年)の1月晦日付の光秀の書状に亀山に惣堀の普請を国衆の長沢又五郎らに命じたことが記されていることから、天正4年(1576年)には築城計画が存在していたとする見方もある。丹波の他の城と異なり、総構えが掘られており、このことから一国の拠点となる城として、それにふさわしい威容を誇っていたといえる。丹波平定後はそのまま丹波経営の拠点となったが、光秀は天正10年(1582年)に本能寺の変を起こし、まもなく羽柴秀吉に敗れて、逃走中に討死。その後は天下を統一した秀吉の重要拠点として一門の羽柴秀勝(信長の子)・豊臣秀勝(秀吉の甥・江の夫 )・豊臣秀俊(小早川秀秋)や豊臣政権で五奉行の一人となった前田玄以などが入った。
江戸時代
秀吉の死後に天下を手中にした徳川家康もこの城を重要視し、慶長14年(1609年)に譜代大名である岡部長盛(在任1609年 - 1621年)を入封させ、丹波亀山藩主に任じた。さらに「天下普請」により幕府が西国大名に命じ近世城郭として亀山城を大修築した。藤堂高虎が縄張りを勤め、慶長15年(1610年)夏ごろに完成し、本丸には5重の層塔型天守が上がった。
寛延元年(1748年)以降は、形原松平氏が居城し、明治2年(1869年)に亀岡藩へ改称。同4年(1871年)に亀岡県が置県され、廃藩となった。
明治維新以降
1873年(明治6年) - 陸軍省が城の存廃を決定し建物の一部を払い下げる。
1877年(明治10年) - 政府が廃城処分を決定する。
1889年(明治22年) - 市町村に払い下げされ転売される。
1919年(大正8年) - 11月18日、新宗教「大本」の指導者出口王仁三郎(亀岡出身)が管理されず荒廃していた本城を購入、従来の根拠地綾部に並ぶ拠点にすべく整備を開始した。大日本帝国政府は拡大を続ける大本に警戒を強め、1935年(昭和10年)12月8日に第二次大本事件で徹底的な弾圧を加えた。そして拘束されていた王仁三郎から所有権を格安値で亀岡町に譲渡させる。裁判結審前にもかかわらず大本施設の破却が進められ、本城の破壊は清水組により1936年(昭和11年)5月11日から6月12日まで続いた。神殿は1500発のダイナマイトで爆破され、象徴的な石は再利用できぬよう日本海に捨てられた。1937年(昭和12年)に訪れた坂口安吾は『日本文化私観』で鉄条網で囲まれた城の様子を描いている。戦後本城の所有権は再び大本に渡った。そのまま大本の聖地として現在に至る。
↓亀山城跡・大本神苑の案内図
↑https://kojodan.jp/castle/193/photo/247916.html
↓御城印と拝観券
↓みろく会館(1階に総合受付あり)
↓ペット禁止の看板
↓神教殿
↓万祥池はかっての内堀跡。石垣は復元されたもの。
↓教歌碑・懐古歌碑。この周辺は二の丸跡。
↓手水舎
↓春陽閣(花明山植物園内に所在)
↑花明山植物園は、昭和26年(1951)に開園。日本の野生植物を主に約1000種が植えられている。万葉集に詠まれた植物も多く、万葉植物園とも呼ばれている。
↓万祥殿
↓二つ目の門、本丸入口に当たる。
↓復元された天守石垣
↑下から約3分の1は、光秀築城当時の穴太(あのう)積みが奇跡的に残っている。
↓大イチョウ
↑光秀の手植えと伝えられるが、江戸中期に台風で倒れ、後継ぎに若木を植えたとの記録あり。
↓井戸跡(江戸時代以前からあった井戸跡とされる石組み)
↓四大主義碑
↓教学碑
↓四大綱領碑
↓月宮宝座
↓伊都能売観音坐像
↓朝陽館
↓瑞祥館
↓宣霊社
==========================================
◎乃木坂46のレコード大賞落選にSNS悲しみ「やばいやろ」「紅白は出るよね??」
https://news.yahoo.co.jp/articles/614197f199ec709364a7edd54c8c81436d799216
年末恒例のTBS系「第64回 輝く!日本レコード大賞」が12月30日午後5時30分から4時間半にわたり生放送される。2022年の「日本レコード大賞」候補となる「優秀作品賞」、「最優秀新人賞」候補となる「新人賞」など、各賞の受賞者・受賞曲が決定した。アイドルグループ「乃木坂46」の名前がなくSNS上には悲しみの声が上がっている。
「乃木坂46」は2017年の第59回日本レコード大賞で楽曲「インフルエンサー」が初受賞、大賞に輝いていた。つづく18年には「シンクロニシティ」で大賞、優秀作品賞を獲得した。19年から21年までは優秀作品賞を毎年受賞していた。
各賞受賞者&曲は下記の通り。
【優秀作品賞】
君を奪い去りたい(純烈)
CLAP CLAP(NiziU)
恋だろ(wacci)
甲州路(氷川きよし)
新時代(Ado)
スターマイン(Da-iCE)
ダンスホール(Mrs. GREEN APPLE)
なんでもないよ、(マカロニえんぴつ)
Bye-Good-Bye(BE:FIRST)
Habit(SEKAI NO OWARI)
(※曲名は50音順)
【新人賞】
石川 花
OCHA NORMA
田中あいみ
Tani Yuuki
(※50音順)
【最優秀歌唱賞】
三浦大知
【特別賞】
Ado
Aimer
男闘呼組
King Gnu
Kep1er
DA PUMP
ゆず
(※50音順)
【特別顕彰】
石川さゆり
天童よしみ
松任谷由実
【特別国際音楽賞】
SEVENTEEN
【特別功労賞】
新井 満
彩木雅夫
西郷輝彦
佐々木新一
新川二朗
松平直樹
(※50音順)
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◎亀山城跡
所在地:京都府亀岡市荒塚町 宗教法人大本神苑内
拝観料:300円
https://www.kameoka.info/mitsuhide/kameyama-castle.php
https://kojodan.jp/castle/193/
別称 : 亀宝城、霞城、亀岡城
縄張形態: 平山城
標高:(比高) 117 m( -- )
天守縄張、天守形式: 複合式層塔型
天守の階数: 5重5階
天守の種類: 非現存天守
天守の高さ: 25 m
天守台石垣の高さ: 6 m
天守の広さ(延床面積): 886.21 m2
天守メモ: 明智光秀によって3重3階の天守があげられたが、1593年(文禄2年)に小早川秀秋によって5重5階に改築された。この天守のその後については不明であるが、明治5年(1872年)に撮影された天守は慶長14年(1609年)以降に建てられたものと思われる。なお、今治城天守を移築したという説もあるが詳細は不明。天守は1877年(明治10年)に解体された。
築城主: 明智光秀
築城開始・完了年: 着工 1577年(天正5年) 〜 竣工 1578年(天正6年)
廃城年: 1877年(明治10年)
主な改修者: 岡部長盛
主な城主: 明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
遺構: 石垣、堀
明智光秀は、天正5 年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8 年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2 年後に「本能寺の変」が起こります。
亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、慶長15 年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。
亀山城は、明治維新以降廃城処分となり、所有者が転々とします。紆余曲折の末、荒れ果てた城跡を宗教法人大本が入手し現在に至ります。石垣は大本によって修復されており、総合受付で見学を申し込むと内堀跡や本丸付近の石垣を見学することが可能(拝観料300円)です。
【宗教法人大本については、次のサイトをご覧ください】
https://oomoto.or.jp/wp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC
【歴史】Wikiより
戦国時代
織田信長の命を受けて丹波攻略に従事中であった明智光秀が、口丹波にある亀岡盆地の中心であった亀山に天正6年(1578年)に築城し、天正6年中に完成したと考えられる。ただし、天正5年(1577年)の1月晦日付の光秀の書状に亀山に惣堀の普請を国衆の長沢又五郎らに命じたことが記されていることから、天正4年(1576年)には築城計画が存在していたとする見方もある。丹波の他の城と異なり、総構えが掘られており、このことから一国の拠点となる城として、それにふさわしい威容を誇っていたといえる。丹波平定後はそのまま丹波経営の拠点となったが、光秀は天正10年(1582年)に本能寺の変を起こし、まもなく羽柴秀吉に敗れて、逃走中に討死。その後は天下を統一した秀吉の重要拠点として一門の羽柴秀勝(信長の子)・豊臣秀勝(秀吉の甥・江の夫 )・豊臣秀俊(小早川秀秋)や豊臣政権で五奉行の一人となった前田玄以などが入った。
江戸時代
秀吉の死後に天下を手中にした徳川家康もこの城を重要視し、慶長14年(1609年)に譜代大名である岡部長盛(在任1609年 - 1621年)を入封させ、丹波亀山藩主に任じた。さらに「天下普請」により幕府が西国大名に命じ近世城郭として亀山城を大修築した。藤堂高虎が縄張りを勤め、慶長15年(1610年)夏ごろに完成し、本丸には5重の層塔型天守が上がった。
寛延元年(1748年)以降は、形原松平氏が居城し、明治2年(1869年)に亀岡藩へ改称。同4年(1871年)に亀岡県が置県され、廃藩となった。
明治維新以降
1873年(明治6年) - 陸軍省が城の存廃を決定し建物の一部を払い下げる。
1877年(明治10年) - 政府が廃城処分を決定する。
1889年(明治22年) - 市町村に払い下げされ転売される。
1919年(大正8年) - 11月18日、新宗教「大本」の指導者出口王仁三郎(亀岡出身)が管理されず荒廃していた本城を購入、従来の根拠地綾部に並ぶ拠点にすべく整備を開始した。大日本帝国政府は拡大を続ける大本に警戒を強め、1935年(昭和10年)12月8日に第二次大本事件で徹底的な弾圧を加えた。そして拘束されていた王仁三郎から所有権を格安値で亀岡町に譲渡させる。裁判結審前にもかかわらず大本施設の破却が進められ、本城の破壊は清水組により1936年(昭和11年)5月11日から6月12日まで続いた。神殿は1500発のダイナマイトで爆破され、象徴的な石は再利用できぬよう日本海に捨てられた。1937年(昭和12年)に訪れた坂口安吾は『日本文化私観』で鉄条網で囲まれた城の様子を描いている。戦後本城の所有権は再び大本に渡った。そのまま大本の聖地として現在に至る。
↓亀山城跡・大本神苑の案内図
↑https://kojodan.jp/castle/193/photo/247916.html
↓御城印と拝観券
↓みろく会館(1階に総合受付あり)
↓ペット禁止の看板
↓神教殿
↓万祥池はかっての内堀跡。石垣は復元されたもの。
↓教歌碑・懐古歌碑。この周辺は二の丸跡。
↓手水舎
↓春陽閣(花明山植物園内に所在)
↑花明山植物園は、昭和26年(1951)に開園。日本の野生植物を主に約1000種が植えられている。万葉集に詠まれた植物も多く、万葉植物園とも呼ばれている。
↓万祥殿
↓二つ目の門、本丸入口に当たる。
↓復元された天守石垣
↑下から約3分の1は、光秀築城当時の穴太(あのう)積みが奇跡的に残っている。
↓大イチョウ
↑光秀の手植えと伝えられるが、江戸中期に台風で倒れ、後継ぎに若木を植えたとの記録あり。
↓井戸跡(江戸時代以前からあった井戸跡とされる石組み)
↓四大主義碑
↓教学碑
↓四大綱領碑
↓月宮宝座
↓伊都能売観音坐像
↓朝陽館
↓瑞祥館
↓宣霊社
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◎乃木坂46のレコード大賞落選にSNS悲しみ「やばいやろ」「紅白は出るよね??」
https://news.yahoo.co.jp/articles/614197f199ec709364a7edd54c8c81436d799216
年末恒例のTBS系「第64回 輝く!日本レコード大賞」が12月30日午後5時30分から4時間半にわたり生放送される。2022年の「日本レコード大賞」候補となる「優秀作品賞」、「最優秀新人賞」候補となる「新人賞」など、各賞の受賞者・受賞曲が決定した。アイドルグループ「乃木坂46」の名前がなくSNS上には悲しみの声が上がっている。
「乃木坂46」は2017年の第59回日本レコード大賞で楽曲「インフルエンサー」が初受賞、大賞に輝いていた。つづく18年には「シンクロニシティ」で大賞、優秀作品賞を獲得した。19年から21年までは優秀作品賞を毎年受賞していた。
各賞受賞者&曲は下記の通り。
【優秀作品賞】
君を奪い去りたい(純烈)
CLAP CLAP(NiziU)
恋だろ(wacci)
甲州路(氷川きよし)
新時代(Ado)
スターマイン(Da-iCE)
ダンスホール(Mrs. GREEN APPLE)
なんでもないよ、(マカロニえんぴつ)
Bye-Good-Bye(BE:FIRST)
Habit(SEKAI NO OWARI)
(※曲名は50音順)
【新人賞】
石川 花
OCHA NORMA
田中あいみ
Tani Yuuki
(※50音順)
【最優秀歌唱賞】
三浦大知
【特別賞】
Ado
Aimer
男闘呼組
King Gnu
Kep1er
DA PUMP
ゆず
(※50音順)
【特別顕彰】
石川さゆり
天童よしみ
松任谷由実
【特別国際音楽賞】
SEVENTEEN
【特別功労賞】
新井 満
彩木雅夫
西郷輝彦
佐々木新一
新川二朗
松平直樹
(※50音順)
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★kameさん、nice有難うございます。
★@ミックさん、nice有難うございます。
★鉄腕原子さん、nice有難うございます。
★ふるたによしひささん、nice有難うございます。
★かずのこさん、nice有難うございます。
★ritton2さん、nice有難うございます。
★tarouさん、nice有難うございます。
★じーバトさん、nice有難うございます。
★xml_xslさん、nice有難うございます。
★tomi_tomiさん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2022-11-17 10:05)
亀山城には大きな銀杏の木が有るんですね、光秀が手植えの樹と云う事でしたね。
胴回り三・一二メートル高さが二十メートルとは大風の時などは大変でしょうね。
by kousaku (2022-11-17 14:34)
kousakuさん、niceとコメント有難うございます。
説明板はあるが、古くて読みにくい状態です。拝観料をとるなら、全体的にもっと見学者にやさしいようにしてほしいですね。
by たいちさん (2022-11-17 23:03)
★naonaoさん、nice有難うございます。
★ryo1216さん、nice有難うございます。
★ぼんぼちぼちぼちさん、nice有難うございます。
★kenさん、nice有難うございます。
★kouさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2022-11-17 23:05)
ライスさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2022-11-18 23:27)