熊野古道を歩く旅(9)野中の清水・継桜王子 [熊野古道]
7月18日(木) 第3回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の続きです。
【5月12日(日)】
↓本日のコースの半分を過ぎ、手持ちの飲料が少なくなってきた時に、少し古道から外れて「野中の清水」に寄り道しました。
↑【名水・野中の清水】ここは奥の方から清らかな水がわき出ていて、「野中の清水」として古くから知られた名水である。真上に継桜王子社や一方杉があり、熊野路を歩く旅人がわざわざ道から降りてきて、よくここでのどをうるおした。またこの付近一帯の住民の大事な用水にもなっていた。昭和60年(1985)に環境庁の名水百選に選ばれた。
句碑の「すみかねて 道まで出るか 山しみづ」は、俳人服部嵐雪が宝永2年(1705)5月仲間7人と共に伊勢と熊野に参り、田辺の方へ歩いて行く途中ここで詠んだ句である。
歌碑の「いにしへの すめらみかども 中辺路を 越えたまひたり のこる真清水」は、歌人斉藤茂吉が昭和9年(1934)7月、土屋文明と共に熊野に来て、自動車で白浜に向かう途中で詠んだ短歌である。(以上は説明板より)
◎継桜王子(つぎざくらおうじ)
藤原宗忠は天仁2年(1109)10月に熊野に参詣した際、「道の左辺に続桜の樹あり、本は檜で、誠に希有なこと」と日記に記しています。檜を台木とした桜が成長していたものとみられます。建仁元年(1201)10月に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記、あるいは承元4年(1210)4月、修明門院に随行した藤原頼資の日記には、「続桜」王子とありますので、鎌倉時代にはこの珍しい木の傍らに王子が出現したようです。ただし、藤原宗忠の参詣記では、仲野川(現、野中川か)を何度か渡るように記していますので、この王子社はその後現在地に移されたことも考えられます。江戸時代には若一王子権現とも呼ばれ、また社前の桜樹は「接桜」、更には「秀衡桜」ともいわれて名木となっていました。
王子社から約100m東にある現在の秀衡桜は、何代目かにあたり、明治中期に植えられたものです。明治時代には王子神社となり、末期には近露の金比羅神社(現、近野神社)に合祀されましたが、社殿は残り、後に神体も戻されました。
境内にある9本ほどの杉の大木は、枝がすべて南向きに伸びているため「一方杉」と呼ばれています。神社合祀の際に、南方熊楠らの保存運動によって残され、現在はこの神社に奉納される「野中の獅子舞」とともに県の文化財に指定されています。(以上は説明板より)
↓一方杉の大きさを体験。 ↓紀州藩が建てた石碑
↓鳥居をくぐって、社殿へ。
↓社殿に参拝
↓スタンプ
↓とがの木茶屋
↓秀衡桜と34番道標
↑【秀衡桜】(ひでひらざくら)
奥州の藤原秀衡夫婦が熊野参りをした際、滝尻の岩屋で出産し、その子を残して、ここ野中まで来て、杖にしていた桜の木を地につきさし、子の無事を願ったとされ、その木が成長したものが秀衡桜だといわれています。
=======================
◎昨日の阪神タイガース
回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 43,290人
巨人:000・001・500・・・・・・・6・・・・・・・(12)
阪神:131・011・11×・・・・・・・9・・・・・・・(16)
【本塁打】浅井1号ソロ(8回、マシソン)、長野11号3ラン(7回、メッセンジャー)
【マルチ安打】俊介3、鳥谷3、新井貴3、浅井2、藤井2
【打点】俊介2、鳥谷1、マートン1、新井貴1、今成1、浅井1、坂1
【投手】
○榎田 6回:5安打、3三振、3四球、1失点(12試合4勝5敗)
・メッセンジャ-3分の2:5安打、2三振、無四球、5失点
H加藤 3分の1:無安打、1三振、無四球、無失点
H安藤 1回:1安打、無三振、1四球、無失点
S福原 1回:1安打、1三振、無四球、無失点(31試合3勝4S)
●宮国 3回:7安打、2三振、1四球、5失点(10試合4勝4敗)
※前半戦の最終戦は、阪神の素晴らしい攻撃で、勝利で締めくくりました。阪神は、4回を除いて毎回得点という効率の良さです。しかし、巨人も7回悪夢の再現のような攻撃で1点差まで詰め寄り、巨人の強さを痛感させられました。
↓この日のヒーローのお立ち台は、俊介選手と榎田投手です。
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【5月12日(日)】
↓本日のコースの半分を過ぎ、手持ちの飲料が少なくなってきた時に、少し古道から外れて「野中の清水」に寄り道しました。
↑【名水・野中の清水】ここは奥の方から清らかな水がわき出ていて、「野中の清水」として古くから知られた名水である。真上に継桜王子社や一方杉があり、熊野路を歩く旅人がわざわざ道から降りてきて、よくここでのどをうるおした。またこの付近一帯の住民の大事な用水にもなっていた。昭和60年(1985)に環境庁の名水百選に選ばれた。
句碑の「すみかねて 道まで出るか 山しみづ」は、俳人服部嵐雪が宝永2年(1705)5月仲間7人と共に伊勢と熊野に参り、田辺の方へ歩いて行く途中ここで詠んだ句である。
歌碑の「いにしへの すめらみかども 中辺路を 越えたまひたり のこる真清水」は、歌人斉藤茂吉が昭和9年(1934)7月、土屋文明と共に熊野に来て、自動車で白浜に向かう途中で詠んだ短歌である。(以上は説明板より)
◎継桜王子(つぎざくらおうじ)
藤原宗忠は天仁2年(1109)10月に熊野に参詣した際、「道の左辺に続桜の樹あり、本は檜で、誠に希有なこと」と日記に記しています。檜を台木とした桜が成長していたものとみられます。建仁元年(1201)10月に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記、あるいは承元4年(1210)4月、修明門院に随行した藤原頼資の日記には、「続桜」王子とありますので、鎌倉時代にはこの珍しい木の傍らに王子が出現したようです。ただし、藤原宗忠の参詣記では、仲野川(現、野中川か)を何度か渡るように記していますので、この王子社はその後現在地に移されたことも考えられます。江戸時代には若一王子権現とも呼ばれ、また社前の桜樹は「接桜」、更には「秀衡桜」ともいわれて名木となっていました。
王子社から約100m東にある現在の秀衡桜は、何代目かにあたり、明治中期に植えられたものです。明治時代には王子神社となり、末期には近露の金比羅神社(現、近野神社)に合祀されましたが、社殿は残り、後に神体も戻されました。
境内にある9本ほどの杉の大木は、枝がすべて南向きに伸びているため「一方杉」と呼ばれています。神社合祀の際に、南方熊楠らの保存運動によって残され、現在はこの神社に奉納される「野中の獅子舞」とともに県の文化財に指定されています。(以上は説明板より)
↓一方杉の大きさを体験。 ↓紀州藩が建てた石碑
↓鳥居をくぐって、社殿へ。
↓社殿に参拝
↓スタンプ
↓とがの木茶屋
↓秀衡桜と34番道標
↑【秀衡桜】(ひでひらざくら)
奥州の藤原秀衡夫婦が熊野参りをした際、滝尻の岩屋で出産し、その子を残して、ここ野中まで来て、杖にしていた桜の木を地につきさし、子の無事を願ったとされ、その木が成長したものが秀衡桜だといわれています。
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◎昨日の阪神タイガース
回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 43,290人
巨人:000・001・500・・・・・・・6・・・・・・・(12)
阪神:131・011・11×・・・・・・・9・・・・・・・(16)
【本塁打】浅井1号ソロ(8回、マシソン)、長野11号3ラン(7回、メッセンジャー)
【マルチ安打】俊介3、鳥谷3、新井貴3、浅井2、藤井2
【打点】俊介2、鳥谷1、マートン1、新井貴1、今成1、浅井1、坂1
【投手】
○榎田 6回:5安打、3三振、3四球、1失点(12試合4勝5敗)
・メッセンジャ-3分の2:5安打、2三振、無四球、5失点
H加藤 3分の1:無安打、1三振、無四球、無失点
H安藤 1回:1安打、無三振、1四球、無失点
S福原 1回:1安打、1三振、無四球、無失点(31試合3勝4S)
●宮国 3回:7安打、2三振、1四球、5失点(10試合4勝4敗)
※前半戦の最終戦は、阪神の素晴らしい攻撃で、勝利で締めくくりました。阪神は、4回を除いて毎回得点という効率の良さです。しかし、巨人も7回悪夢の再現のような攻撃で1点差まで詰め寄り、巨人の強さを痛感させられました。
↓この日のヒーローのお立ち台は、俊介選手と榎田投手です。
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★ネオ・アッキーさん、nice有難うございます。
★世界のアイドルさん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
★有城佳音さん、nice有難うございます。
★さーやんさん、nice有難うございます。
★non_0101さん、nice有難うございます。
★alba0101さん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-18 19:40)
6-7になったときは期待しましたがうまくいきませんね!宮國では荷が重かった様です。
by 勘九郎 (2013-07-18 19:42)
勘九郎さん、niceとコメント有難うございます。
またも悪夢の再現かと一時覚悟しましたが、3タテでなく、前半戦を有終の美でよかったです。巨人の重圧を感じますね。
by たいちさん (2013-07-18 23:52)
チャンネルかえたら、このインタビューでしたね。
あいかわらず、この点数でホームランがほとんどないとは、つまらないでしょうね。
個人的には浅井のインタビューみたかった。
しばらく見ていないのでシュンスケの名字忘れましたね。藤川でしたっけ?
by 降龍十八章 (2013-07-19 12:08)
降龍十八章さん、niceとコメント有難うございます。
藤川俊介は近畿大卒で2009年にドラフト5位で入団しました。
確かにホームラン打者が少ないので、怖さがないですね。
by たいちさん (2013-07-19 19:16)
★路渡カッパさん、nice有難うございます。
★colletさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-19 19:18)
かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-22 10:26)