熊野古道を歩く旅(10)中川王子・小広王子 [熊野古道]
7月19日(金) 第3回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の最後です。
(地図にマウスを置くと拡大します)
【5月12日(日)】
↓38番道標 ↓安部晴明の腰かけ石
↑【安部晴明の腰かけ石】ここにある上部の平たい石は、安部晴明の腰かけ石といわれるものである。平安時代の陰陽道の大家・安部晴明が熊野をめぐる途中でこの石に腰をおろして休んでいた。その時、上方の山が急に崩れそうになったが、晴明は得意の呪術によって、崩壊を未然に防いだと伝えられている。(以上は説明板より)
↓◎中川王子跡(なかのがわおうじ)
【中川王子跡】天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、10月25日に「仲野川王子」に奉幣し、建仁元年(1201)に後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家は、10月14日に「中の河」の王子に参拝しています。承元4年(1210)に参詣した修明門院に随行した藤原頼資の日記以降は、「中川」と書くようになります。この王子社は早く荒廃したようで、江戸時代の享保7年(1722)の「熊野道中記」には「社なし」と書かれていて、紀州藩がその翌年、緑泥片岩の碑を建てました。明治末期にはこの碑だけの中川王子神社として、金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。(以上は説明板より)
↓36番道標。 ↓この辺りには、山藤が沢山群生していました。
↓37番道標 ↓日比野友子の歌碑 38番道標↓
↑「遠つ世の 蟻の詣でをしのびゆく 熊野古道は 若葉の盛り」日比野友子は、昭和50年、和歌山県文化功労賞受賞の歌人。
↓39番道標 ↓◎小広王子跡(こびろおうじ)に16時到着。
【小広王子跡】天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、10月25日に「仲野川王子」に奉幣した後、「小平緒」「大平緒」を経て、岩神峠にむかっています。また、建保5年(1217)に後鳥羽上皇と修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記には、「大平尾」「小平尾」と書かれています。この王子社は「小平緒」「小平尾」に由来すると考えられますが、江戸時代以前の記録に、王子としては登場しません。土地の人々が小広峠の上に祀った小祠がいつの頃か小広王子といわれるようになったと推測されます。その跡地に紀州藩が享保8年(1723)に緑泥片岩の碑を建て、明治末期には、この碑だけの小広王子神社として、金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。もとの小広峠が道路建設で崩された為、王子碑はここに移されていますが、石碑の上部が欠けて、「王子」の文字のみとなっています。(以上は説明板より)
↓小広王子跡の近くで、バスに乗り込み、「古道歩きの里・ちかつゆ」に立ち寄りました。
http://www.chikatsuyu.jp/
ここで、トイレ休憩や、土産等の買物をしました。私はソフトクリームを食べました。
ここを16時40分出発し、梅田に帰着したのは、19時45分でした。
その後、3人で「亀多寿司」へ行きました。この記事は次回アップします。
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【5月12日(日)】
↓38番道標 ↓安部晴明の腰かけ石
↑【安部晴明の腰かけ石】ここにある上部の平たい石は、安部晴明の腰かけ石といわれるものである。平安時代の陰陽道の大家・安部晴明が熊野をめぐる途中でこの石に腰をおろして休んでいた。その時、上方の山が急に崩れそうになったが、晴明は得意の呪術によって、崩壊を未然に防いだと伝えられている。(以上は説明板より)
↓◎中川王子跡(なかのがわおうじ)
【中川王子跡】天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、10月25日に「仲野川王子」に奉幣し、建仁元年(1201)に後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家は、10月14日に「中の河」の王子に参拝しています。承元4年(1210)に参詣した修明門院に随行した藤原頼資の日記以降は、「中川」と書くようになります。この王子社は早く荒廃したようで、江戸時代の享保7年(1722)の「熊野道中記」には「社なし」と書かれていて、紀州藩がその翌年、緑泥片岩の碑を建てました。明治末期にはこの碑だけの中川王子神社として、金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。(以上は説明板より)
↓36番道標。 ↓この辺りには、山藤が沢山群生していました。
↓37番道標 ↓日比野友子の歌碑 38番道標↓
↑「遠つ世の 蟻の詣でをしのびゆく 熊野古道は 若葉の盛り」日比野友子は、昭和50年、和歌山県文化功労賞受賞の歌人。
↓39番道標 ↓◎小広王子跡(こびろおうじ)に16時到着。
【小広王子跡】天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、10月25日に「仲野川王子」に奉幣した後、「小平緒」「大平緒」を経て、岩神峠にむかっています。また、建保5年(1217)に後鳥羽上皇と修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記には、「大平尾」「小平尾」と書かれています。この王子社は「小平緒」「小平尾」に由来すると考えられますが、江戸時代以前の記録に、王子としては登場しません。土地の人々が小広峠の上に祀った小祠がいつの頃か小広王子といわれるようになったと推測されます。その跡地に紀州藩が享保8年(1723)に緑泥片岩の碑を建て、明治末期には、この碑だけの小広王子神社として、金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。もとの小広峠が道路建設で崩された為、王子碑はここに移されていますが、石碑の上部が欠けて、「王子」の文字のみとなっています。(以上は説明板より)
↓小広王子跡の近くで、バスに乗り込み、「古道歩きの里・ちかつゆ」に立ち寄りました。
http://www.chikatsuyu.jp/
ここで、トイレ休憩や、土産等の買物をしました。私はソフトクリームを食べました。
ここを16時40分出発し、梅田に帰着したのは、19時45分でした。
その後、3人で「亀多寿司」へ行きました。この記事は次回アップします。
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★世界のアイドルさん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-19 10:36)
凄い神通力ですね。
同じアベでは、どこかのぬらりひょん首相とはえらい違いです。
by 降龍十八章 (2013-07-19 12:06)
熊野古道、自然だけじゃなく古代史もたっぷり知れて有意義ですね♪
by 路渡カッパ (2013-07-19 15:22)
うちのご近所の方も熊野古道を全制覇なさったのですが、
やはり数カ月に渡り出掛けたそうです。
それにしても、語り部同伴というのはイイですよね。
古代史にも興味が湧くでしょうしね~(*^^)v
by collet (2013-07-19 16:48)
降龍十八章さん、niceとコメント有難うございます。
安倍晋三と安部晴明では、「ベ」の字も違いますね。
by たいちさん (2013-07-19 19:27)
路渡カッパさん、niceとコメント有難うございます。
世界遺産だけあり、説明板が沢山あり、歴史の勉強になりました。
by たいちさん (2013-07-19 19:29)
colletさん、niceとコメント有難うございます。
「語り部」という組織が充実していますので、「語り部」=「ガイド」付きをお勧め致します。
by たいちさん (2013-07-19 19:32)
★alba0101さん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-19 19:33)
Newsをみるとさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-19 23:40)
non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-21 16:33)
かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2013-07-22 10:25)