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伊丹南部の文学碑(頼山陽、梶曲阜、井原西鶴、与謝野蕪村) [雑記]

10月14日(木)   伊丹郷町の散策記事を連載中です。今回は南部にある文学碑を中心にアップします。

◎伊丹郷町(ごうちょう)~江戸時代に酒づくりで栄えた旧市街地
http://www13.plala.or.jp/adachiitami/newpage5.html
 JR伊丹駅と阪急伊丹駅との間を南北に走る産業道路の界隈は、江戸時代、日本一の“酒造産業都市”として栄えた。“総構え”だった有岡城の廃絶後、その城下町がそっくりそのまま、江戸積酒造業の町として、華麗なる変身を遂げたのだ。そこが、「伊丹郷町」である。郷町とは、地方の商工業都市という意味であった。伊丹郷町は、寛文元年(1661)、五摂家筆頭・近衛家の領有地となった。領主の庇護のもと、酒づくりに拍車がかかり、かつての城下町にズラリと酒蔵が建ち並ぶ。当時、伊丹で醸造される清酒は「剣菱」「白雪」「老松」などが有名ブランドで、合わせて20万樽(72㍑入り)が毎年、伊丹郷から江戸へ出荷されたという。産業道路は古くから「本町通り」、猪名野神社の門前は「宮ノ前通り」と呼ばれた。付近一帯は現在の伊丹市の中心市街地であるが、昭和50年(1975)ごろまでは、その界隈に古き佳き時代の面影が色濃く残されていたのだった。 

↓伊丹郷町地区
伊丹郷町.jpg
↑伊丹郷町地区の住所:北本町1、2丁目・宮ノ前1~3丁目・中央2、3、6丁目・伊丹1~7丁目・南本町1丁目の全部又は一部

★頼山陽の文学碑(伊丹郵便局近くの産業道路沿い)
http://bunkazai.hustle.ne.jp/bungakuhi/31-40/bungaku39.html
文学碑1・頼山陽.jpg
↑紅楓相暎酔慈顔 待得帰輿未遽環 今歳此遊堪圧尾 携将佳酒看佳山 送母西下過伊丹遂遊箕尾
     山陽外史
文政十二年十月二十二日、京都に住む頼山陽は、母梅颸が広島へ帰るのを送る際伊丹、剣菱に一泊。
翌日箕面に紅葉狩りをし、美酒佳肴を携行、散りゆく楓葉の下で酒宴を開いた。
山陽は大満足の母のほころぶ慈顔を見て、紅く色づいた楓が、ほんのりと酔われた母上のやさしいお顔と映じあっている。安芸の国へ西下、帰郷される母上のお側近くにお仕えできた嬉しさに、まだ帰りのかごに急いで京の家に戻る気にはなれない。今年の母上の今回の旅は、恐らく母上との最後の遊びになるであろうが、その思いに堪えながら、うまい酒を携えて、この紅葉の美しい箕面の山を見にやって来たのである。

頼山陽(1780~1832):江戸時代後期の高名な漢学者、漢詩人。伊丹の酒に魅せられてたびたび伊丹を訪れた。大坂に生まれ、広島で育ち、江戸に遊学し、晩年は京に居を構えた。文政10年(1827)著作『日本外史』を老中松平定信に献じ、広く世に認められた。この書物は後に勤王志士に多大な影響を与えた。

↓有岡公園
文学碑2・有岡公園.jpg

★梶曲阜の文学碑(有岡公園内)
http://bunkazai.hustle.ne.jp/bungakuhi/41-50/bungaku42.html
文学碑3・梶曲阜.jpg
文学碑4.jpg
↑天は月に遊び地は花に遊ぶをもて風雅の元とす祖翁ハ奥の細道をも尋て五七五の作意をいつ迄もつきせぬ余情定め置かれける己も此道をしたはんとて嘉永元申年弥生の空を待兼道祖神のまねきにあひ三りの灸をすゆるより白川の関を越へ松嶋の月を見んと心そゝろに茂助というふ供をつれ杖をとりて道ミみや尋る人も千松嶋と一句を言ふて三月四日早朝より浪花表へ発足す其頃天遊渓斉糸海に逗留 又糸海の衆中送別の句々左に

はたこ町通り過して花すミれ      天遊

あかね日のあかぬ道なりきしの声    渓斉

風流の賈家(こか)君に似たるは稀なり。遠く
名迹(めいせき)を指して旅衣を試む。奇貨居くべ
し松嶋の翠、毫底に収め尽して嚢を括
りて帰ることを試む。            静庵

松嶋や雄しまによするしらなみの
立ちかへる日をいつをまたまし     良臣

松の香をしほりに出よ花の中      太乙

むつのくのつとの花見や嵐山      ぬか人

梶曲阜(1799~1874):幕末での伊丹俳壇の第一人者。伊丹で生まれ、生涯伊丹で暮らした。郷土の俳人上島鬼貫を慕い、岡田糠人、山口太乙とともに、鬼貫の句碑を8基建てた。また、」郷土に関する事柄や伝来の書物を後世に伝えるべく『有岡古続語』を遺している。

★井原西鶴の文学碑(有岡公園内)
http://bunkazai.hustle.ne.jp/bungakuhi/11-20/bungaku19.html
文学碑5・井原西鶴.jpg
文学碑6・井原西鶴.jpg
↑富貴の家にうまれ出るは、前世の種成。兎角人は善根をして、家業大事にかくべし。池田・伊丹の売酒、水より改め、米の吟味、麹を惜まず、さはりある女は蔵に入ず、男も替草履履はきて出し入れすれば、軒をならべて、今のはんじゃう、舛屋・丸屋・油屋・山本屋・酢屋・大部屋・大和屋・満願寺や・加茂屋・清水屋・此外次第に栄て、上ゝ吉諸白松尾大明神のまもり給へば、千本の椙葉枝をならさぬ、時津の国乃隠里かくれなし。
                  『西鶴織留世乃人心』 一、津の国のかくれ里より

金があって地位も高い家に生まれるのは、前世に善い行いをしたからである。とにかく人間は善根を積んで、家業は大切にしなければならない。池田や伊丹で売り出す上酒は、まず水から吟味し、良質の米を選び、麹を惜まず使う。月の障りのある女は蔵に入れず、男でも草履を履き替えて酒の出し入れをするほど念を入れるので、軒を並べて今の酒屋の繁盛がある。舛屋・丸屋・油屋・山本屋・酢屋・大部屋・大和屋・満願寺や・加茂屋・清水屋など、この他の酒屋も次第に栄えている。酒の神業の松尾大明神が守って下さるので、酒屋の看板に掲げた千本の椙の葉が吹く風に枝も鳴らさないほどの恵みを受けて、津の国の隠れ里であるここは、酒の名所として世に隠れもないのである。 かくれ里とは、人目に触れないところにあるという裕福な村落。多く理想境、仙境の意味に使う。伊丹は摂津の奥まった所にあり、酒造業で裕福な商人が多かったのでこう呼ばれた。
                      出典:『西鶴織留』より

井原西鶴(1642~1693):江戸時代前期の代表的な浮世草子作家。「日本永代蔵」や「好色一代男」など、数々の名作を残している。伊丹には頻繁に立ち寄り、その作品で当時の伊丹を紹介している。

★与謝蕪村の文学碑(有岡センター横)
http://bunkazai.hustle.ne.jp/bungakuhi/51-60/bungaku51.html
文学碑7・与謝蕪村.jpg
文学碑8・与謝蕪村.jpg
↑追伸
酒一樽、猪名川の小魚、右二つの品物はどちらも六月六日の夕方、京都に到着し神事の間に合い、かたじけなく存じます。しかし猪名川の魚は腐爛して臭気甚だしく、全然使いものにならず、四ツ辻へ捨てさせました。捨てに行く者は鼻をふさぎ、顔をそむけて、小魚を外へ持ち出し、飛脚屋より小魚を持参いたしました男も、途中臭いのに困りました旨、文句を申しておりました。本当にどう見ても暑い最中ですから京都までは持ち難うございます。今後は暑中に川魚など、お送りくださいますことはご無用でございます。せっかくご親切にお心くばりなされましても役にたちませんし、その上運賃費の無駄遣い、あれこれ考えると、無益のことでございます。お気持ちはとても有難うございます。このことを申し上げますことは、どうしたものかとは存じましたが、今後のご参考のためでございますから、遠慮なく申し上げました。       以上
                     蕪村   六月十九日
山本 東瓦様
丹精こめた牡丹を、よんどころない人の所望で夕方ようやく思い切って一花切ったが、その後はぐったり気抜けして、ただぼんやり花を眺めているばかり。

与謝蕪村(1716~1784): 江戸時代中期の俳人、画家。摂津の生まれ。20歳ごろ江戸にでて俳諧を学んだ後、関東・奥州を遊歴し、宝暦元年京都にうつる。写実性、浪漫性、叙情性に富んだ俳風で、中興期俳壇の中心的存在となる。晩年は蕉風復興を提唱。画家としては文人画を大成した。


◎旧大坂道
https://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/TOSHIKATSURYOKU/TOSHIKEIKAKU/toshikeikan/toshikeikan/kuikitokijun/keikannkeiseikijun/1461136384098.html
 江戸時代からの町家や蔵が残る旧大坂道のまちなみは、伊丹郷町の中心軸をなすものです。まちなみを構成する歴史的建築物を保全するとともに、建物の更新にあたっては、創意と工夫を重ねることによって、歴史的なまちなみの良さをいかした魅力的な景観を形成することを目指します。

↓旧大坂道沿いのまちなみ
文学碑10・町並.jpg

↓旧大坂道都市景観形成道路地区
旧大坂道.jpg
↑住所:伊丹3~7丁目の一部

↓旧大坂道の石碑(有岡センター横)
文学碑9・旧大坂道.jpg

↓南端の石碑
文学碑11.jpg

鵯塚砦跡(ひよどりつか)伊丹市伊丹7-3
http://bunkazai.hustle.ne.jp/bunkazaiitiran/hiyodoriduka.html
文学碑13.jpg
↓ひよどり広場
文学碑12・ひよどり広場.jpg
↑有岡城惣構の南端に位置し、鵯塚古墳を利用して築かれた鵯塚砦跡です。頂上には薬師堂と梶曲阜の建てた鬼貫の句碑があります。私有地であるので、近くには入れません。マンションの敷地内のこんもりした林が鵯塚砦跡のようです。場所は伊丹郷町の最南端です。

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◎阪神、ヒヤヒヤドロー 先発の西勇にアクシデント発生、九回はスアレスがピンチしのぐ
https://www.daily.co.jp/tigers/2021/10/13/0014758401.shtml
 前夜、14年ぶりの巨人戦勝ち越しを決めた阪神だが、この日は痛恨のドローに終わった。
 先発・西勇にアクシデントが起こった。巨人二回の攻撃、1死二、三塁で、松原の二塁ゴロの間に2点目が入った場面だ。阪神先発の西勇が自らマウンドからベンチへと下がった。場内には「ただいま西投手が手当てを行っております」とアナウンスが流れたが、直後に矢野監督が球審に馬場への交代を告げた。
 それでも馬場以降の投手が粘りを見せる。1点リードの二回2死三塁から登板した馬場がまず1回1/3を無失点に抑えると、3番手にはプロ初の中継ぎとなる伊藤将がマウンドへ。こちらも3回1安打無失点と安定感は抜群で、役目を果たした。
 同点の七回から登板したアルカンタラも2回無安打無失点。回またぎでも威力十分の直球を武器に相手打線をなぎ倒した。
 打線では、坂本が菅野撃ちだ。1点を追う二回1死一、三塁では右腕から同点とする左前打を放つと、またも1点を追う展開となった四回2死では左中間席にぶち込む今季第1号ソロでまたも試合を振り出しに戻した。守備では投手陣を懸命にリードし、少ない失点にとどめた。
 2-2で迎えた九回は一死二、三塁のピンチを迎え、守護神スアレスが何とか抑え、ドロー。首位・ヤクルトが勝利したため、マジック8に減らされてしまった。

タイガース30.jpg
【打点】坂本2 【マルチ安打】近本3,坂本2 【盗塁】近本(3)
【失策】中野(1) 【マルチ三振】中野2 【併殺】マルテ(8)
タイガース31.jpg

※痛恨の引分。中野・マルテがブレーキでしたね。

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たいちさん

★@ミックさん、nice有難うございます。

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by たいちさん (2021-10-14 16:31) 

ぼんぼちぼちぼち

旧大坂道のサカが、阪ではなく坂なのが歴史を感じさせやすね。
確か、最初は坂で、坂はコロコロ転がり落ちて縁起が悪いから、大阪にしたんでやすよね。
違ってたらすみやせん。
by ぼんぼちぼちぼち (2021-10-14 19:08) 

たいちさん

ぼんぼちぼちぼちさん、niceとコメント有難うございます。
「坂」が「阪」に変わった理由は諸説あるそうですね。明治時代に徐々に変わっていったそうです。
by たいちさん (2021-10-14 21:51) 

たいちさん

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by たいちさん (2021-10-14 21:57) 

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by たいちさん (2021-10-15 13:26) 

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by たいちさん (2021-10-15 21:20) 

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