呉服神社(大阪府池田市) [寺社]
1月22日(木) 今年の十日戎に訪れ、大変な人出であった地元の「呉服神社」へ昨年末に行って、ゆっくり参拝、撮影してきました。この近くの「呉服小学校」は私の母校です。
◎呉服神社 (くれはじんじゃ)
住所:大阪府池田市室町7-4
電話:072-753-2243
主祭神:呉服大明神(呉綾織大神)、仁徳天皇
創建:仁徳天皇77年(386)
西国七福神、毎年十日戎で賑わっている。
http://kamnavi.jp/ym/osaka/kureha.htm
【由緒】
大阪府呉服里池田市にかしこくも鎮座まします。日本最初『繊維』の祖神・呉服大神の御由緒を左に申述べます。
人皇第十五代応神天皇の御代に、猪名津彦命(阿知使主)を中国の呉の国に遣わし機織裁縫の工匠をお需めになりました。その時、久礼波・久礼志の二人を案内役として呉の国に赴き呉王に乞うて呉服(くれはとり)・綾織(あやはとり)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の四人を伴い渡来する事となりました。帰路九州の筑紫潟に着きましたが兄媛・弟媛は胸形明神の御望みによりこの地にお留りになり他の媛は摂津の国武庫の浦にお着きになりましたので猪名の港(今の唐船ケ渕)に機殿を建て呉服媛をお迎えいたしました。呉服の神女は昼夜怠りなく布帛を織り少しも倦み給う事がなかったと申します。この時より、機織裁縫染色の技術が我国に伝わり、男女寒暑の服装の別が定まりました。尚、四季には上妙の衣服を天子に献じ、下は万民に施されました。
仁徳天皇の七十六(385)年九月十八日、呉服の大神は御歳百三十九才という人生に倍する御長寿を以て、お隠れになり、その御遺体は今にその跡を残す梅室、御形見なる三面の御神鏡は姫室にお納め申し上げました。その翌年、仁徳天皇が勅令を以て御神祠をお建てになりました。この大神が糸を様々にお染め分けになった所を染殿井と称し、その糸を掛け晒しになりました数本の老松を衣懸松と名付けその跡は今も残って居ます。
大神の御託宣に『我は衣服の神となり人をして寒暑の憂なく、養蚕機織絹布裁縫の道を守護し、且つ船路遥かにこの日本に帰化せし故海上の難をも無からしめん』とあります。代々の帝、殊にご崇敬篤く、円融天皇の御代には鎮守府将軍源満仲公が社祠を修復、下って後陽成天皇の御宇には豊臣秀頼公が片桐且元を奉行に命じて再建の事があり、文政二年には有栖川宮殿下の御勅祈願所となりました。
因みに呉服大明神の御名は後醍醐天皇より賜りました。御宸翰より起こり、又これにより我国にて絹布の類をすべて『呉服』と称することになりました。省みますに五穀を作るすべを授け万民に飢餓の憂いの無い事は天照大神の御神徳であると等しく、繊維裁縫の道を教えて寒暑の憂いのなきはこの大神の御遺徳に他ならずと信じます。この故を以って衣服の業に従い、並びにその産物を商うものはおしなべてその祖神たる呉服大神を崇敬すべき事は論を俟たぬ事であり、古来より健康長寿家業繁栄文化経済手芸上達の神徳があるといわれています。」
↓鳥居
↓参道
↓社標
↓縁起板
↓神門
↓拝殿と手水舎
↓板絵説明板
↓恵美須神社
↓社務所
↓天満宮
↓本殿側面
↓伊勢神宮
↓稲荷社
↓六神社
↓謡曲呉服説明板
↓境内の様子
↓香川進歌碑
↓祓戸社
↓叩き板
↑恵美須神社の側面。戎様は耳が遠いので、3回板を叩いて、願い事を伝える。
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◎スノーボード鬼塚、世界選手権優勝
女子スロープスタイルで16歳の鬼塚雅が世界選手権で最年少優勝。
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◎呉服神社 (くれはじんじゃ)
住所:大阪府池田市室町7-4
電話:072-753-2243
主祭神:呉服大明神(呉綾織大神)、仁徳天皇
創建:仁徳天皇77年(386)
西国七福神、毎年十日戎で賑わっている。
http://kamnavi.jp/ym/osaka/kureha.htm
【由緒】
大阪府呉服里池田市にかしこくも鎮座まします。日本最初『繊維』の祖神・呉服大神の御由緒を左に申述べます。
人皇第十五代応神天皇の御代に、猪名津彦命(阿知使主)を中国の呉の国に遣わし機織裁縫の工匠をお需めになりました。その時、久礼波・久礼志の二人を案内役として呉の国に赴き呉王に乞うて呉服(くれはとり)・綾織(あやはとり)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の四人を伴い渡来する事となりました。帰路九州の筑紫潟に着きましたが兄媛・弟媛は胸形明神の御望みによりこの地にお留りになり他の媛は摂津の国武庫の浦にお着きになりましたので猪名の港(今の唐船ケ渕)に機殿を建て呉服媛をお迎えいたしました。呉服の神女は昼夜怠りなく布帛を織り少しも倦み給う事がなかったと申します。この時より、機織裁縫染色の技術が我国に伝わり、男女寒暑の服装の別が定まりました。尚、四季には上妙の衣服を天子に献じ、下は万民に施されました。
仁徳天皇の七十六(385)年九月十八日、呉服の大神は御歳百三十九才という人生に倍する御長寿を以て、お隠れになり、その御遺体は今にその跡を残す梅室、御形見なる三面の御神鏡は姫室にお納め申し上げました。その翌年、仁徳天皇が勅令を以て御神祠をお建てになりました。この大神が糸を様々にお染め分けになった所を染殿井と称し、その糸を掛け晒しになりました数本の老松を衣懸松と名付けその跡は今も残って居ます。
大神の御託宣に『我は衣服の神となり人をして寒暑の憂なく、養蚕機織絹布裁縫の道を守護し、且つ船路遥かにこの日本に帰化せし故海上の難をも無からしめん』とあります。代々の帝、殊にご崇敬篤く、円融天皇の御代には鎮守府将軍源満仲公が社祠を修復、下って後陽成天皇の御宇には豊臣秀頼公が片桐且元を奉行に命じて再建の事があり、文政二年には有栖川宮殿下の御勅祈願所となりました。
因みに呉服大明神の御名は後醍醐天皇より賜りました。御宸翰より起こり、又これにより我国にて絹布の類をすべて『呉服』と称することになりました。省みますに五穀を作るすべを授け万民に飢餓の憂いの無い事は天照大神の御神徳であると等しく、繊維裁縫の道を教えて寒暑の憂いのなきはこの大神の御遺徳に他ならずと信じます。この故を以って衣服の業に従い、並びにその産物を商うものはおしなべてその祖神たる呉服大神を崇敬すべき事は論を俟たぬ事であり、古来より健康長寿家業繁栄文化経済手芸上達の神徳があるといわれています。」
↓鳥居
↓参道
↓社標
↓縁起板
↓神門
↓拝殿と手水舎
↓板絵説明板
↓恵美須神社
↓社務所
↓天満宮
↓本殿側面
↓伊勢神宮
↓稲荷社
↓六神社
↓謡曲呉服説明板
↓境内の様子
↓香川進歌碑
↓祓戸社
↓叩き板
↑恵美須神社の側面。戎様は耳が遠いので、3回板を叩いて、願い事を伝える。
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◎スノーボード鬼塚、世界選手権優勝
女子スロープスタイルで16歳の鬼塚雅が世界選手権で最年少優勝。
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★simousayama-unamiさん、nice有難うございます。
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by たいちさん (2015-01-22 17:13)
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by たいちさん (2015-01-22 22:28)
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by たいちさん (2015-01-23 16:03)
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by たいちさん (2015-01-23 22:05)