阿為神社御旅所・善永寺(大阪府茨木市)、真央SP16位でメダル絶望 [西国街道]
2月21日(金) 茨木市内の「西国街道」散策記事の続きです。
↓西国街道の現在の街並み(耳原3丁目)
◎阿為神社御旅所(あいじんじゃおたびしょ)
住所:大阪府茨木市耳原3-1-5
↓鳥居
↑鳥居の扁額には「阿為神社」と書かれています。
↓説明板(マウスを置くと拡大します)
↓拝殿
↓狛犬
↓先代の狛犬の墓石
◎善永寺(ぜんえいじ)
住所:大阪府茨木市十日市町4-6
電話:072-641-1366
山号:真光山。宗派:浄土真宗本願寺派
創建:文明7年(1475)。開基:教忍(佐藤安良)。本尊:阿弥陀如来立像。
『願はくは 花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃』
この歌は、こよなく桜を愛した西行法師が亡くなる十数年前に願いを込めて詠んだ。その願いがかない、春爛漫花の頃、大阪府南河内郡の山里にある弘川寺の裏山に西行が結んだ庵で、春を満悦しながらこの世を去った。
西行法師は元永元年(1118 年)、現在和歌山県那賀郡において、武家の家に生まれた。幼い頃に父が亡くなり、十七歳で父の後を継ぎ皇室の警備兵である兵衛尉(ひょうえのじょう)に就任した。そのとき、西行は佐藤清(さとう のりきよ)と名乗り、御所の北側を警護する院直属の名誉ある精鋭部隊である官位の【北面の武士】に選ばれて、平清盛と共に鳥羽天皇(第74代天皇 在位1107 年~1123 年)をお守りしていた。
その当時、武士社会では頻繁に歌会が行われ、この歌会で西行の歌は常に高い評価を得ていた。また、武士として備えなければならない術も一流で、特に、疾走する馬から矢で的を射る流鏑馬(やぶさめ)は達人であった。それに加え、上層階級で行われていた【蹴鞠(けまり)】は名人と称され、今でいうスポーツ万能選手であった。
この佐藤義清の祖先は藤原鎌足であり裕福な家系で、素晴らしい妻子ある家庭のもと、文武両道に秀で、北面の武士という要職に就き前途洋々であった。しかし、22 歳のとき、その武士世界を捨て、妻子と別れ全てを捨てて、保延6 年(1140 年)、人生に無常を感じ出家をした。そして、阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから法名を『西行』と名乗った。
西行はどの宗派にも属さず、ただ思い至った山里で僧庵を結び、自分の心と向き合い自然世界に悟りを求め、和歌にその心を委ねた。それは、名声も地位も求めない隠棲の日々であった。そして、藤原鎌足を先祖とする西行は、鎌足が葬られているという茨木の安威村にある『大織冠山(たいしょくかんやま)』の麓に僧庵を結んだ。
時代は過ぎ、安威の住人であった、佐藤安良(あんりょう)が本願寺第八世蓮如上人を拝し感銘を受け剃髪のうえ帰依し、法名を教忍(きょうにん)と名乗り直弟子となった。文明7 年(1475年)3 月、教忍は安威村の大織冠山の麓にある西行法師の僧庵跡と伝わる場所に善永寺を創建した。教忍の俗名は佐藤安良で、西行法師の俗名も佐藤義清である事から、教忍は西行法師の子孫と考えられている。
享保19 年(1734 年)8 月、善永寺第五世住職祐信(ゆうしん)が、大織冠山にあった善永寺を、現在の敷地に移築再建し現在に至っている。しかし、その移築した理由原因は定かでない。
藤原鎌足が葬られているという大織冠山を、住人は『鎌足塚』と呼び鳥居を建て『大織冠神社』として拝し信仰してきた。現在は周辺が宅地造成され住宅が建ち並び、善永寺の井戸跡地と伝えられた場所も住宅地となり、往年の形状が一切見当たらない程に変貌している。
(以上は、茨木市観光協会のサイトより)
↓善永寺の山門
↑間口一間半、奥行一間。天和3年(1683)4月建立。寺伝によれば、この山門は太田城の山門を移築したと伝わる。太田城の廃城の年月は不明であるが、戦国時代の高槻芥川城と歴史を重ね合わせは、永禄11年(1568)頃まで、太田城は存在したことになる。太田城は廃城になったが山門だけが約百年存在し、それを移築したと考えられる。
↓寺標
↓境内の立派な松の木
↓本堂
↑間口八間、奥行六間半。入母屋造、本瓦葺。棟札によれば「元文4年(1739)4月再建、上田吉右衛門(大工)」。享保19年(1734)現在の場所に移築後、5年後に再建されている。これは安威川の氾濫により損傷し、再建されたものと考えられる。
↓本堂の扁額
↓親鸞聖人像
↓本堂屋根下にある「消防ポンプ」
↓鐘楼
↑間口二間、奥行二間。安永8年(1779)4月建立。
↓庫裡
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◎ソチ五輪
●浅田真央・SPまさかの16位でメダル絶望的
1位:キム・ヨナ(23) 74.92点
2位:アデリナ・ソトニコワ(17) 74.64点
3位:カロリナ・コストナー(27) 74.12点
5位:ユリア・リプニツカヤ(15) 65.23点
8位:鈴木 明子(28) 60.97点
15位:村上 佳菜子(19) 55.60点
16位:浅田 真央(23) 55.51点
日本人3選手のSPは、三人ともミスが出た演技でした。特に酷かったのは、3つあるジャンプの全てにミスした真央ちゃんです。こんな悪い演技を見たのは久しぶりですね。彼女は今大会を集大成と言っていたので、自分自身にプレッシャーをかけ過ぎたのでしょうね。
3位との差は、18.61点あり、これをひっくり返すのは絶望的な得点差です。せめて、フリーでは、参加選手中の最高得点を出して、素敵な「真央スマイル」を見たいですね。
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↓西国街道の現在の街並み(耳原3丁目)
◎阿為神社御旅所(あいじんじゃおたびしょ)
住所:大阪府茨木市耳原3-1-5
↓鳥居
↑鳥居の扁額には「阿為神社」と書かれています。
↓説明板(マウスを置くと拡大します)
↓拝殿
↓狛犬
↓先代の狛犬の墓石
◎善永寺(ぜんえいじ)
住所:大阪府茨木市十日市町4-6
電話:072-641-1366
山号:真光山。宗派:浄土真宗本願寺派
創建:文明7年(1475)。開基:教忍(佐藤安良)。本尊:阿弥陀如来立像。
『願はくは 花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃』
この歌は、こよなく桜を愛した西行法師が亡くなる十数年前に願いを込めて詠んだ。その願いがかない、春爛漫花の頃、大阪府南河内郡の山里にある弘川寺の裏山に西行が結んだ庵で、春を満悦しながらこの世を去った。
西行法師は元永元年(1118 年)、現在和歌山県那賀郡において、武家の家に生まれた。幼い頃に父が亡くなり、十七歳で父の後を継ぎ皇室の警備兵である兵衛尉(ひょうえのじょう)に就任した。そのとき、西行は佐藤清(さとう のりきよ)と名乗り、御所の北側を警護する院直属の名誉ある精鋭部隊である官位の【北面の武士】に選ばれて、平清盛と共に鳥羽天皇(第74代天皇 在位1107 年~1123 年)をお守りしていた。
その当時、武士社会では頻繁に歌会が行われ、この歌会で西行の歌は常に高い評価を得ていた。また、武士として備えなければならない術も一流で、特に、疾走する馬から矢で的を射る流鏑馬(やぶさめ)は達人であった。それに加え、上層階級で行われていた【蹴鞠(けまり)】は名人と称され、今でいうスポーツ万能選手であった。
この佐藤義清の祖先は藤原鎌足であり裕福な家系で、素晴らしい妻子ある家庭のもと、文武両道に秀で、北面の武士という要職に就き前途洋々であった。しかし、22 歳のとき、その武士世界を捨て、妻子と別れ全てを捨てて、保延6 年(1140 年)、人生に無常を感じ出家をした。そして、阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから法名を『西行』と名乗った。
西行はどの宗派にも属さず、ただ思い至った山里で僧庵を結び、自分の心と向き合い自然世界に悟りを求め、和歌にその心を委ねた。それは、名声も地位も求めない隠棲の日々であった。そして、藤原鎌足を先祖とする西行は、鎌足が葬られているという茨木の安威村にある『大織冠山(たいしょくかんやま)』の麓に僧庵を結んだ。
時代は過ぎ、安威の住人であった、佐藤安良(あんりょう)が本願寺第八世蓮如上人を拝し感銘を受け剃髪のうえ帰依し、法名を教忍(きょうにん)と名乗り直弟子となった。文明7 年(1475年)3 月、教忍は安威村の大織冠山の麓にある西行法師の僧庵跡と伝わる場所に善永寺を創建した。教忍の俗名は佐藤安良で、西行法師の俗名も佐藤義清である事から、教忍は西行法師の子孫と考えられている。
享保19 年(1734 年)8 月、善永寺第五世住職祐信(ゆうしん)が、大織冠山にあった善永寺を、現在の敷地に移築再建し現在に至っている。しかし、その移築した理由原因は定かでない。
藤原鎌足が葬られているという大織冠山を、住人は『鎌足塚』と呼び鳥居を建て『大織冠神社』として拝し信仰してきた。現在は周辺が宅地造成され住宅が建ち並び、善永寺の井戸跡地と伝えられた場所も住宅地となり、往年の形状が一切見当たらない程に変貌している。
(以上は、茨木市観光協会のサイトより)
↓善永寺の山門
↑間口一間半、奥行一間。天和3年(1683)4月建立。寺伝によれば、この山門は太田城の山門を移築したと伝わる。太田城の廃城の年月は不明であるが、戦国時代の高槻芥川城と歴史を重ね合わせは、永禄11年(1568)頃まで、太田城は存在したことになる。太田城は廃城になったが山門だけが約百年存在し、それを移築したと考えられる。
↓寺標
↓境内の立派な松の木
↓本堂
↑間口八間、奥行六間半。入母屋造、本瓦葺。棟札によれば「元文4年(1739)4月再建、上田吉右衛門(大工)」。享保19年(1734)現在の場所に移築後、5年後に再建されている。これは安威川の氾濫により損傷し、再建されたものと考えられる。
↓本堂の扁額
↓親鸞聖人像
↓本堂屋根下にある「消防ポンプ」
↓鐘楼
↑間口二間、奥行二間。安永8年(1779)4月建立。
↓庫裡
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◎ソチ五輪
●浅田真央・SPまさかの16位でメダル絶望的
1位:キム・ヨナ(23) 74.92点
2位:アデリナ・ソトニコワ(17) 74.64点
3位:カロリナ・コストナー(27) 74.12点
5位:ユリア・リプニツカヤ(15) 65.23点
8位:鈴木 明子(28) 60.97点
15位:村上 佳菜子(19) 55.60点
16位:浅田 真央(23) 55.51点
日本人3選手のSPは、三人ともミスが出た演技でした。特に酷かったのは、3つあるジャンプの全てにミスした真央ちゃんです。こんな悪い演技を見たのは久しぶりですね。彼女は今大会を集大成と言っていたので、自分自身にプレッシャーをかけ過ぎたのでしょうね。
3位との差は、18.61点あり、これをひっくり返すのは絶望的な得点差です。せめて、フリーでは、参加選手中の最高得点を出して、素敵な「真央スマイル」を見たいですね。
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どん底から気分切り替え6位入賞は立派です。
よくポテンシャルが持ったなぁって。
素晴らしかった。
by シルフ (2014-02-21 08:36)
シルフさん、niceとコメント有難うございます。
自己ベストのフリーで、涙と笑顔を見られて、良かったですね。
by たいちさん (2014-02-21 09:42)
★いっぷくさん、nice有難うございます。
★世界のアイドルさん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
★やってみよう♪さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2014-02-21 09:45)
茨木市には2年ほど住んでいたので、
とても懐かしいです^^
by yu-papa (2014-02-21 20:02)
★シルフさん、nice有難うございます。
★ぼんぼちぼちぼちさん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2014-02-22 12:59)
yu-papaさん、niceとコメント有難うございます。
茨木市は見所が沢山ありますね。これからも時々散策しようと思っています。
by たいちさん (2014-02-22 13:01)
non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2014-02-22 23:22)