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男子フルーレ団体と内村床で銀、  原爆の日 [ロンドン五輪]

8月7日(火)        日本のメダル累計:金=2、銀=12、銅=13 (6日午前6時)
写真と記事は、NHKサイトより借用。

【銀メダル】
男子フルーレ団体
男子フルーレ団体.jpg
フェンシング 男子フルーレ団体
8月5日
太田雄貴選手は滋賀県出身の26歳。3大会連続のオリンピック代表です。男子フルーレ個人でアテネ大会で9位、北京大会ではフェンシングでは日本人選手初めてのメダルとなる銀メダルを獲得しています。太田選手は鋭いアタックが持ち味で剣をしならせて相手選手の背中側を突く、「振り込み」という技を得意としています。去年は左のろっ骨を折るけがもあって成績が振るいませんでしたが、オリンピックに照準を合わせて練習を積んできました。太田選手は「この4人で組めたことを幸せに思います。きょうはこの3人のために試合をしたつもりで、自分のためにというのはあんまりなかったです」と話していました。
千田健太選手は東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼市出身の27歳。2大会連続のオリンピック代表です。北京大会では男子フルーレ個人で11位、去年のアジア選手権では2位に入っています。高校時代から父親で元日本代表選手の健一さんの指導を受けて頭角を現し、同学年の太田雄貴選手とはライバルとして実力を競い合って来ました。千田選手は「地元のみんなも喜んでくれていると思います。最後は本当は勝ちたかったけど、今の自分のすべてを発揮できたので悔いはないです」と話していました。
三宅諒選手は千葉県出身の21歳。初めてのオリンピック代表です。三宅選手は2007年に17歳以下の世界選手権、男子フルーレ個人で日本選手として初めて優勝し、頭角を現しました。2010年から、日本代表のメンバーに選ばれ、ことし4月のアジア選手権では3位に入っています。三宅選手は「メダルの重さを感じて、すごくうれしいです。
団体戦は、ふだん、世界選手権やアジア選手権で先輩に尻ぬぐいをしてもらう立場だったが、今回は先輩に恩返しができました」と話していました。
淡路卓選手は宮城県出身の23歳。初めてのオリンピック代表です。淡路選手は男子フルーレ団体のメンバーとしての出場で、2008年の20歳以下の世界選手権で優勝しています。決勝で途中から起用された淡路選手は「どこかで絶対出番がくると思っていたので、いつ試合に出てもいいように準備して、できることをしただけです。13年間、ロンドンだけをみてきたのでその思いをぶつけることができて、今は最高の気持ちです」と初めてのオリンピックを振り返っていました。
日本がフェンシングの団体でメダルを獲得したのは初めてです。
※準決勝戦が面白かったですね。日本が楽勝のペースだったのが、太田が9ポイント連続失点というブレーキがあり、最後は残り1秒で追いつき、延長戦になりました。そしてビデオ判定で決勝戦進出を決めました。太田選手の自作自演の試合でしたね。

内村 航平
内村・個人床.jpg
体操 男子ゆか
8月5日
内村選手は長崎県出身の23歳。2大会連続のオリンピック出場です。大学2年生の時に出場した2008年の北京オリンピックでは、男子団体で銀メダル、男子個人総合でも銀メダルを獲得しました。空中で自分がいる位置を把握する「空中感覚」に優れ、ひねりと速さとぴたりと止める着地の正確さが持ち味です。去年10月の世界選手権では、男子個人総合で史上初の3連覇を果たしたほか、種目別のゆかで金メダル、鉄棒で銅メダルを獲得しています。今大会の個人総合では1984年のロサンゼルス大会の具志堅幸司さん以来、日本選手として28年ぶりですの金メダルを獲得しています。種目別の「ゆか」で日本選手の銀メダルは1992年のバルセロナ大会の池谷幸雄さん以来20年ぶりです。内村選手は「満足のいく演技で銀メダルなので、とてもうれしいです。日本のみなさんに頑張っている姿を見せられて勇気を与えられたと思うので、よかったです」と話していました。

【銅メダル】
室伏 広治
室伏広治.jpg
陸上 男子ハンマー投げ
8月5日
室伏広治選手は、静岡県出身の37歳。男子ハンマー投げの日本記録保持者で、アテネオリンピックの金メダリストです。オリンピックは4大会連続の出場で、37歳で迎えるロンドン大会に向けては、理学療法士の指導を受けながら体の正しい動かし方や回復を重視するなど年齢に向き合ったトレーニングを積んできました。シーズン初戦となった日本選手権は、雨が降る厳しいコンディションの中、18連覇を達成しました。
アテネ大会以来、2大会ぶりにメダルを獲得した室伏選手は「安定した投てきが、できたと思います。80メートルには届きませんでしたが、ここに立つまでに多くの声援と支えがあり、目標としてきたメダルがとれて、うれしかったです」と話していました。

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◎67回目の広島原爆の日

ロンドン五輪で浮かれている昨今ですが、昨日は「広島原爆の日」という厳粛な日でした。原爆と福島原発で2度の被曝を負った日本は、人類を破滅に追い込む「核」の廃絶に、先頭に立たなければなりません。

以下に、今年の「平和宣言」の全文を掲載します。

1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。――「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の母親など、正に生き地獄だったのです。

当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。

深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和について考えるため、是非とも広島を訪れてください。

平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5,300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国を始め10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。

2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。

あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

平成24年(2012年)8月6日

広島市長 松 井 一 實


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降龍十八掌

フェンシングに団体戦とは。いったい、いつから始まったんでしょう?
by 降龍十八掌 (2012-08-07 09:59) 

たいちさん

★k_igaさん、nice有難うございます。

★nikiさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2012-08-07 12:15) 

たいちさん

降龍十八掌さん、niceとコメント有難うございます。
男子フルーレ団体は、1904年からほぼ毎大会ありましたが、前回の北京五輪ではなかったですね。
by たいちさん (2012-08-07 12:19) 

たいちさん

★miopapaさん、nice有難うございます。

★araratさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2012-08-07 21:17) 

たいちさん

★おぉ!次郎さん、nice有難うございます。

★かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2012-08-07 22:58) 

mykaira

今年の夏は忙しいですね。それにしても、フェンシングカッコ良かったです。
by mykaira (2012-08-07 23:34) 

たいちさん

mykairaさん、niceとコメント有難うございます。
五輪中継で寝不足の私です。フェンシングの試合をだいぶ今回観ましたが、勝負が分かり難いですね。これからフェンシングも人気が出るでしょうね。
by たいちさん (2012-08-08 10:15) 

たいちさん

non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2012-08-08 10:16) 

collet

フェンシングって、本当にカッコいいスポーツですよね!
あの姿を見たらみんなカッコ良く見えそうですもん~(~o~)
あっ、スキー場で誰しもカッコ良く見えたのと同じ!?
by collet (2012-08-08 16:21) 

たいちさん

colletさん、niceとコメント有難うございます。
カッコいいですが、ルールが分かりずらいですね。
by たいちさん (2012-08-08 22:12) 

たいちさん

naonaoさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2012-08-09 22:05) 

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