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犬山4(庚申堂、常満寺、犬山神社)、大山プロ初安打初本塁打 [岐阜旅行]

7月2日(日)   現在、岐阜・犬山・下呂・高山旅行記を連載中です。
今回も、犬山城下町の散策記事の続きです。

犬山城下町1・地図.jpg

↓犬山城下町を歩いていると、このようなマンホール蓋が目につきます
犬山49・マンホール蓋.JPG

◎三叉路北向庚申堂
↓宝形造桟瓦葺向拝付
犬山50・庚申堂.JPG
犬山52・庚申堂.JPG

↓庚申堂前の駒札
犬山51・庚申堂.JPG

↓町名説明板
犬山53・町名説明板.JPG


◎常満寺(じょうまんじ)
住所:犬山市犬山西古券281
電話:0568-61-1127
山号:日輪山。宗派:浄土宗西山禅林寺派。本尊:阿弥陀如来
創建:正応4年(1291)。開基:定照東安上人
境内全体が国の登録文化財に指定されている。
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1283-1289.html
定照東安上人が信州善光寺に参篭し、有緑の地を求めて祈念したところ、夢中に「尾張国犬山郷有緑の衆生あり、結縁すべし」「汝が住する処日輪影響あるべし」との教示を受け、正応4年(1291)に一宇を建立。「日輪常に満てよ」が寺名の由来である。その後、江戸初期慶長元年(1596)犬山郷士神戸長蔵の一寄進により再建され、濃尾大地震では大災害を被ったが漸次修復、今日に至る。
境内の縮小により「定照院」「桃林院」の支院はなくなった。山門は犬山城松の丸裏門を移築したもの。境内には中部椿の代表・関戸太郎庵、常満寺椿の原木がある。

↓入口
犬山54・常満寺、入口.JPG

↓山門(国の登録有形文化財)
犬山55・常満寺、山門.JPG
↑山門は、棟札によると明治10年(1877)に犬山城松の丸裏門を移築したものである。
簡素な造りであるが、木太い柱、扉の金物等に城門としての風格が感じられる。『松之丸裏門十分之一図』(天保13年頃)にある城門と形式がほぼ一致する。天保13年(1842)の火災後に建築されたと思われる。

↓鐘楼(国の登録有形文化財)
犬山56・常満寺、鐘楼.JPG
↑鐘楼は、鬼瓦の瓦銘から寛政8年(1796)の建築である。『尾張名所図絵』によると鐘楼には袴腰が描かれていない。

↓玄関と庫裏(共に国の登録有形文化財)
犬山57・常満寺、玄関と庫裏.JPG
↑玄関は、本堂と庫裏の間に位置し、式台を上がると内部は本堂・庫裏に接続する板敷の廊下とその北側にトコと違棚の付く主室、さらにと次の間に続く。
庫裏は本堂の東に位置し、縦に2分し、本堂側を表向きの間、その反対側を内向きの間としている。本堂側は、内玄関、板敷の取り次ぎ、8畳間3室が並ぶ。内向き側は、旧来は土間であった部分が板敷の台所、続いて6畳間、8畳間、6畳間が並ぶ。座敷周囲の西、北及び東側には半間の廊下が廻る。外観は正面に唐破風屋根が残り、全体として保存状態は良い。

↓椿の木、観音堂、観音堂の右隣は大師堂(共に国の登録有形文化財)
犬山58・常満寺、椿、観音堂、大師堂.JPG
↑大師堂が所在する地には、天保年間の様子がわかる『尾張名所図絵』によると渡廊が所在する。明治期に本堂の広縁西側に接し、観音堂北面と接して建てられたと思われる。

↓観音堂
犬山59・常満寺、観音堂.JPG
↑観音堂は寺伝によると、犬山城下の魚屋町にあったものを寛永年間に名栗町に移築し、元禄3年(1690)に現在地に移ったという。2間四方規模の仏堂で、正面1間、縁が廻る。正面半間を吹き放し、内部は背面に張り出した仏壇を置き、両側に脇仏壇を置く。天井は内外共に格縁を黒漆塗りとした格天井、天井板には彩色を施している。なお、取り外された鬼瓦などに犬山の御瓦師高山一郎兵衛、享保弐拾年の銘が残る。

↓本堂(国の登録有形文化財)
犬山60・常満寺、本堂.JPG
↑本堂は寺伝によると、近世初頭に当地の富豪神戸長蔵が寄進して建てたといわれ、規模は桁行5間、梁間6間で、背面に半間の下屋がつく。正面に奥行1間の広縁をとり、外陣は正面3間、奥行1間、内陣は正面1間、奥行3間半、脇間は間口2間、奥行2間としている。脇間後部には奥行1間の位牌の間がある。内陣背面の下屋両脇には脇仏壇を置き、中央に後門を開く。来迎柱は脇仏壇前柱筋より半間前方に立ち、その前に禅宗様須弥壇を置く。来迎柱には彩色が施されている。また、来迎柱以外の柱は全て面取角柱である。なお、享保14年(1729)に屋根葺替、文化13年(1816)に修理をしているが、屋根には柿板(こけらいた)の軒付が残っており、当初は柿葺であったと考えられる。江戸初期までの形式を残す住宅風な姿を保っており、全国においても数少ない近世初頭に遡る貴重な浄土宗本堂の遺構である。


◎犬山神社
住所:犬山市犬山北古券12
電話:0568-61-5556
祭神:成瀬正成など犬山城歴代城主(成瀬氏)。
創建:享保2年(1717)。社格:村社

元々は犬山城内で、祖先の霊を祀るものであった。成瀬正成は1617年(元和3年)に犬山城城主となっている。成瀬正成は1625年(寛永2年)に死去したことから、祀られたのはそれ以降と推測される。
1717年(享保2年)、成瀬正幸が犬山城内から相生山(現在の日本モンキーパーク付近)に移転し、相生の宮(相生社)として創建される。
1883年(明治16年)6月、現在地に移転。犬山神社に改称する。
1891年(明治24年)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などがこわれたため、1895年(明治28年)に、城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡されている。
1948年(昭和23年)、戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者を合祀する。

↓鳥居と社標
犬山神社1・鳥居、社標.JPG

↓説明板
犬山神社2・説明板.JPG

↓手水舎と社殿
犬山神社3・手水所、社殿.JPG

↓社殿
犬山神社4・社殿.JPG

↓忠魂碑、平和塔
犬山神社5・忠魂碑、平和塔.JPG
↑戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者の英霊を祀っている。

↓ここから眺める犬山城
犬山神社6・犬山城遠景.JPG

※境内に観光案内所があり、城下町の散策マップをもらいました。
※次回は、妻が撮影した写真を借りて、犬山城見学の様子をアップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、14:00、44,420人
ヤクルト:000・100・000・・・・1・・・・(5)
阪神:003・000・00×・・・・3・・・・(7)

【本塁打】大山1号3ラン(3回、原)、山田11号ソロ(4回、能見)
【マルチ安打】鳥谷2、糸井2
【打点】大山3
【盗塁】糸井(3回)、高山(3回)
【失策】糸井(2回)
【投手】
○能見   6回、21人:3安打、5三振、無四球、1失点(3勝3敗)
H桑原   1回、3人:1安打、無三振、無四球、無失点
Hマテオ  1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
Sドリス  1回、5人:1安打、1三振、1四球、無失点
●原    4回、21人:6安打、4三振、3四球、3失点(2勝5敗)

※5番一塁手としてスタメン起用されたルーキーの大山がプロ初安打を本塁打で飾りました。
プロ初安打初本塁打は、代打の神様こと八木が江川から放った代打本塁打以来30年ぶりの偉業。
※大山の3ランだけで、追加点がとれず、相変わらずのタイムリー不足です。特に福留の不振が深刻ですね。とりあえず連敗がストップして良かったです。

阪神1・大山.JPG
阪神2.JPG
↑本塁打後の2三振は、いただけませんね。

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犬山3(祥雲寺、先聖寺、徳授寺)、阪神8連敗 [岐阜旅行]

7月1日(土)   現在、岐阜・犬山・下呂・高山旅行記を連載中です。
今回は、犬山城下町の散策記事のうち、寺院を中心にアップします。(6月5日撮影)

犬山城下町3・地図.jpg

◎祥雲寺 (しょううんじ)
住所:愛知県犬山市犬山南古券5-1
電話:0568-61-0738
山号:金剛山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:聖観世音菩薩
開創:大永6年(1526)。開基:朴翁和尚
https://plaza.rakuten.co.jp/h1623m/diary/201210150000/

大永6(1526)年、朴翁和尚によって、徳授寺=南古券=境内に建立された塔頭、祥雲庵が始まりである。天正12年の小牧・長久手戦では、犬山市羽黒旭に陣営として建てられたが、戦いが終わった後、祥雲庵の住職が住んだ。承応2(1653)年、悦堂和尚が、羽黒から現在地に移して、徳授寺の末寺としたので、当山ではこの悦堂和尚を開基として仰いでいる。寛政7(1795)年10月に祥雲庵を祥雲寺と改めた。 文化8(1811)年、7世頭宗和尚が南向きであった本堂を東向きに建て直し総門も東に再建した。この建物の配置が現在も続いている。
本堂は昭和12年建立。庫裡は昭和27年に完成した。弘法堂、四国八十八ヶ所築山があり、毎年12月22日冬至の日に、冬至弘法の行事を修行している。

↓寺標
犬山21・祥雲寺、寺標.JPG

↓四国八十八箇所の石柱
犬山22・祥雲寺、霊場石碑.JPG

↓鐘楼
犬山23・祥雲寺、鐘楼.JPG
↑国の登録文化財。明治時代後期に建築された袴腰付鐘楼。

↓弘法堂
犬山24・祥雲寺.JPG

↓本堂
犬山25・祥雲寺、本堂.JPG
↑国の登録有形文化財。入母屋造り桟瓦葺。

↓本堂前の鬼瓦
犬山26・祥雲寺、完成記念.JPG
↑平成13年11月、本堂・弘法堂屋根葺替工事完成記念。

↓四国八十八箇所霊場の築山
犬山27・祥雲寺、四国八十八.JPG

↓厳骨庵
http://genkotuan.blog12.fc2.com/
犬山29・厳骨庵.JPG
↑元祖犬山げんこつ
創業170余年、現在は六代目が継承する「犬山げんこつ」は厳選された素材を使い、受け継がれた製法でひとつひとつ丹念に手作りにこだわって製造しております。また、愛知県犬山市の北部にある桃太郎神社にちなんで考案された犬山銘菓「きびだんご」は自家製きな粉の風味が活きるやわらかな食感が持ち味です。

↓厳骨庵の前に掲示されている古い寺院説明板
犬山28・古い案内板.JPG


◎先聖寺(せんしょうじ)
住所:犬山市犬山南古券47
電話:0568-61-1289
山号:神護山。通称:犬山の唐寺。宗派:黄檗宗。宇治の満福寺の末寺
開創:延宝4年(1676)。開基:玉堂和尚
http://garakuta.main.jp/image/monogatari/tera/sensyouji/sensyou.html

延宝四丙辰年(1676年)名古屋竹屋町より浄土真宗・泉正寺という潰寺の号譲り受け、開山上州黒龍山不動寺・潮音道海大和尚とし、開基はその弟子玉堂大和尚を請け熊野山先聖寺と称した。
正徳五乙未年(1715年)来鳳和尚が現在の外町天神庵に移転し、神護山先聖寺に改め、諸堂を西向きに建立した。 享保十三戊申年(1728年)より密傳和尚が大施餓鬼を始め、仏殿東向きにし、大門口を町並へ替え現在の門是なり。昭和三十四年(1959年)の伊勢湾台風にて仏殿、鐘楼、門等を倒壊した。
 平成十六年二月、儒教、道教、仏教の三教一致の根拠地となるべく、黄檗風二層平屋建の本堂の建設に至った。「三級浪高魚化龍」より登り口、柱、天井(黄光琳画)と三段の龍を配し、屋根には摩伽羅をのせているのが特徴である。

↓寺標
犬山30・先聖寺、寺標.JPG

↓山門
犬山31・先聖寺、山門.JPG

↓説明板
犬山32・先聖寺、説明板.JPG

↓本堂
犬山33・先聖寺、本堂.JPG
犬山34・先聖寺、本堂.JPG
犬山35・先聖寺.JPG
↑本堂は平成16年再建。

↓庫裏
犬山36・先聖寺.JPG

↓先聖寺の境内奥にある「天満宮」
犬山37・先聖寺、天満宮.JPG

※境内には、当地出身の芭蕉門下・内藤丈草の句碑がある。「ながれ木や 篝火の空の 不如帰」


◎徳授寺(とくじゅじ)
住所:犬山市南古券232
電話:0568-61-1077
山号:了義山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:聖観世音菩薩
開創:文明8年(1476)柏庭和尚。通称:赤門寺
https://plaza.rakuten.co.jp/h1623m/diary/201210150001/

初め室町時代中期に桃隠玄朔が草庵を結んだ所といわれる。文明8(1476)年、妙心寺紫衣再興を果たした柏庭宗松が、一寺を建立して了義山徳授院と名付けたのが始まりである。以後、柏庭門派の中心寺院として栄え、塔頭8ケ庵(乾徳・玉清・泰月・臨清・自済・龍雲・祥雲・慶雲)があった。小牧・長久手の戦いの時、楽田青塚の陣営に寺の建物が運ばれて一時荒廃したが、まもなく可児市の常楽寺を移して伽藍が復興された。
本尊は東美濃の大円寺山門の聖観世音菩薩(湛慶作)を移して安置(秘仏)した。境内には文人村瀬太乙、犬山焼の兼松所助、犬山視聞図会の著者・長足庵甫磨の墓がある。

↓寺標
犬山38・徳授寺、寺標.JPG

↓陶工・兼松所助の墓
犬山39・徳授寺、兼松所助の墓.JPG

↓山門(国の登録有形文化財)
犬山40・徳授寺、山門.JPG

↓説明板
犬山41・徳授寺、説明板.JPG

↓山門(国の登録有形文化財)
犬山43・徳授寺、山門.JPG
犬山42・徳授寺、山門扁額.JPG

↓境内
犬山44・徳授寺、境内.JPG

↓本堂(国の登録有形文化財)
犬山45・徳授寺、本堂.JPG
↑桁行一五・一メートル梁間一四・二メートル、入母屋造桟瓦葺である。内部は方丈型六間取形式で正面に広縁を配し、内陣は来迎壁を設けて須弥壇をおき、小組格天井を張る。外陣は室境の柱を省き、欄間は竹の節欄間として広闊な外陣空間を創る。国の登録有形文化財。

↓玄関
犬山46・徳授寺、玄関.JPG

↓鐘楼
犬山47・徳授寺、鐘楼.JPG

↓徳授寺会館
犬山48・徳授寺会館.JPG

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、44,519人
ヤクルト:000・040・000・・・・4・・・・(3)
阪神:010・010・100・・・・3・・・・(7)

【マルチ安打】上本2
【打点】福留1
【投手】
●青柳   5回、22人:3安打、5三振、5四死球、4失点(3勝3敗)
・岩崎   1回、4人:無安打、無三振、1四球、無失点
・高橋   1回、4人:無安打、無三振、2四球、無失点
・マテオ  1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
桑原   1回、3人:無安打、無三振、無四球、無失点
○ブキャナン  5回、24人:4安打、4三振、4四球、2失点(5勝4敗)
S近藤  3分の1、1人:無安打、1三振、無四球、無失点(1勝1S)

※青柳投手は、4回までほぼ完璧な投球内容でしたが、5回に突如、豹変しました。4四死球を与えて押出2点を含め4失点。1イニング3死球はプロ野球タイ記録という汚名である。
※ヤクルトは3安打、3失策でありながら、青柳の背信投球で勝ってしまいました。
阪神は、これで8連敗。首位とは7.5ゲーム差。3位のDeNAは2ゲーム差まで迫ってきました。阪神の貯金は4まで激減しました。借金生活も近いですね。
※今、好調な鳥谷を今季はじめて1番に起用しました。しかし、クリーンアップがそろって不振なので、連敗脱出が出来ませんでした。

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犬山2(からくり展示館、城とまちミュージアム、どんでん館)、阪神泥沼の7連敗 [岐阜旅行]

6月30日(金)   現在、岐阜・犬山・下呂・高山旅行記を連載中です。
犬山城の入口で、皆と分かれて、私は「はな」を連れて犬山城下町を散策しました。犬連れですので、建物の中には入れませんでした。

犬山城下町2・地図.jpg

◎からくり展示館
住所:愛知県犬山市犬山北古券8
電話:0568-62-4802
入館料:大人100円
https://inuyama.gr.jp/karakuri.html
犬山祭の「山車からくり」や「座敷からくり」を展示。からくり人形制作の様子や茶運び人形の操作も実演。
犬山城下町4・からくり展示館.JPG


◎城とまちミュージアム
住所:愛知県犬山市犬山北古券8
電話:0568-62-4802
入館料:大人100円
https://inuyama.gr.jp/karakuri.html
犬山市文化史料館が、平成24年「城とまちミュージアム」の愛称でリニューアルオープン。江戸時代の城下町を再現したジオラマや、魅力を伝える映像で城下町散策がいっそう楽しくなります。
犬山城下町5・城とまちミュージアム.JPG

↓町並み
犬山城下町6・町並み.JPG
犬山城下町は江戸時代の風情が残るのんびりとした町並みです。2009年には城下町のメインストリート「本町通り」の電線地中化工事が完了するなど、現在でも古い町並みを守る努力が行われています。

↓山田五平餅店
犬山城下町7・山田五平餅店.JPG
http://jfsoft.web.fc2.com/yamada-gohei/
城下町名物手作り五平餅の山田五平餅店です。 食べ歩きの定番、手作りのタレが絶品の五平餅です。
食べログ評点は、3.5点と高得点です。

↓なつかしや
https://loco.yahoo.co.jp/place/g-rkYz1mm7OjU/
犬山城下町8・なつかしや.JPG
昭和レトロを感じさせる『なつかしや(なつかしや おもいやらりぃ まみずの里)』です。
昔なつかしの手作り小物、駄菓子、美濃和紙のはがきや雑貨など売っています。

↓犬山特産品館
犬山城下町9・犬山特産品館.JPG
http://www.inuyama-tmo.com/pr10/index.html
犬山の特産品を一堂に取り揃えています。

↓茶亭 椿
http://satei-tsubaki.main.jp/annai/annai.html
犬山城下町10・茶亭椿.JPG
犬山城下町11・灯篭の由緒.JPG

↓松栄本店
https://tabelog.com/aichi/A2303/A230301/23054536/
犬山城下町12・松栄本店.JPG
↑「わらび餅」「尾張犬山城で餅」が有名な老舗。

↓高木邸
犬山城下町13・高木邸.JPG
犬山城下町14・高木邸説明板.JPG
http://www.aichitabi.com/inuyama/takagi.html

↓旧磯部邸
https://inuyama.gr.jp/isobe.html
犬山城下町15・旧磯部邸.JPG
↑よみがえった江戸期の町家、江戸期の建築様式を持つ木造家屋。主屋は幕末に建てられたと伝わっており、緩やかなふくらみのある起り屋根は市内の町家で唯一現存。(登録有形文化財)


◎どんでん館
住所:愛知県犬山市犬山東古券62
電話:0568-65-1728
入館料:大人100円
https://inuyama.gr.jp/donden.html
犬山祭で曳かれている13輌の車山のうち4輌が展示されています。
犬山城下町16・どんでん館.JPG
犬山城下町17・どんでん館.JPG

★犬山祭 (ユネスコ無形文化遺産)Wikiより
犬山祭(いぬやままつり)とは、愛知県犬山市にて、毎年4月の第1週の土曜日、日曜日に行われる、針綱神社の春季祭礼である。祭礼は国の重要無形民俗文化財に指定されている。犬山祭保存会によって組織化して運営されている。
1日目を「試楽(しんがく)」、2日目を「本楽(ほんがく)」と呼ぶ。城下町であった13の(縦横の通りの1ブロック毎に下本町、中本町、魚屋町、寺内町などの名称がある)各町より、犬山では「車山」と書いて「やま」と呼ばれる13輌の山車が曳き回される。「試楽」では、車山が針綱神社へ向かい、からくりを奉納する。その後1年分を表す365個の提灯に載せ変え、早い町内では18時30分から21時30分ごろまで提灯に火を点して町内を巡る。夜の部については「夜車山(よやま)」と呼び分けている。「本楽」は針綱神社で神事が行われ、13町の車山と共に3町(内田、坂下大本町、鵜飼町)の練り物も同神社へ集結する。また、曳き手(手古衆)達が力を合わせ車山の一方を持ち上げ一気に半回転することは「どんでん」と呼ばれる。
「車山」とは他地域の祭における山車や曳山のことで、他では2層が多いが、犬山では3層の構造となっている。これは「犬山型」とも呼ばれ、下層がお囃子所、最上層にはからくりが置かれ、中層は「中山」と呼ばれて最上層のからくりを動かす層となっている。
犬山祭1.jpg   犬山祭2.jpg

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)ナゴヤドーム、18:00、23,965人
阪神:000・000・000・・・・0・・・・(4)
中日:100・000・10×・・・・2・・・・(9)

【失策】梅野(4回)
【投手】
●メッセンジャー 7回、31人:9安打、2三振、1四球、2失点(7勝4敗)
藤川   1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
○大野   6回、23人:2安打、7三振、3四球、無失点(2勝5敗)
S田島   1回、4人:1安打、無三振、無四球、無失点(1勝4敗21S)

★2試合連続完封負けで7連敗 42イニング連続タイムリーなし

↓(デイリースポーツより)
「中日2-0阪神」(29日、ナゴヤドーム) 阪神が2試合連続の完封負けで、泥沼の7連敗を喫した。
 6連敗中、完封負けは3度。総得点もわずかに「6」と貧打にあえぐ阪神はこの日、大幅に打線を変更。1番に今季初めて俊介を、ドラフト1位の大山(白鴎大)を6番でプロ初めてスタメンに起用するなど、左の大野に対して、右打者を6人ズラリと並べた。
 しかし、そんな打線の組み替えも実らなかった。2回1死二塁のチャンスを逃すと、3回も1死から俊介が二塁打を放ったものの、後続が倒れた。八回、先頭の代打・大和が二塁打で出塁するも、続く1番・俊介からの打順で3人続けて凡退。結局、わずか4安打で、今季7度目の完封負け。9安打を浴びながらも、7回2失点のメッセンジャーに報いることはできなかった。
 これで今季初の同一カード3連敗。20イニング連続無得点、42イニング連続タイムリーなしと、不名誉な記録ばかりが残った。

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犬山1(三光稲荷神社、針綱神社)、阪神6連敗 [岐阜旅行]

6月29日(木)   只今、岐阜・犬山・下呂・高山旅行記を連載中です。
今回から第2日目の記事です。
【6月5日(月)】
7時45分に、岐阜のビジネスホテルプラザを4人(義弟夫婦、私達夫婦と柴犬)で出発し、犬山城へ向かいました。犬山城第1駐車場には、8時35分に到着しました。犬山城の入場開始時間は、9時からですので、隣接している神社を参拝しながら向かいました。

犬山1・地図.jpg

↓犬山城前の広場
犬山2・犬山城前.JPG
犬山3・三光神社前.JPG
↑三光稲荷神社コースで、犬山城へ向かいました。

◎三光稲荷神社 (さんこういなり)
住所:愛知県犬山市犬山北古券41-1
電話:0568-61-0702
祭神:宇迦御魂大神、猿田彦大神、大宮女大神
社格:旧村社。創建:不詳(伝・天正14年(1586))
https://inuyama.gr.jp/facility-42357.html
犬山城の南の登城入口近くに位置する。かつては三狐山(三光山)に鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていたという。江戸時代以降、犬山城主成瀬氏の守護神とされる。神仏習合で三光寺とも称していたが、明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社となる。1964年(昭和39年)、現在地(針綱神社西)に移転する。猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社ともいい、三光稲荷神社の境内社であるが、独立した存在である。社務所でも三光稲荷神社と猿田彦神社を併記している。
ピンクのハート型の絵馬が女性に人気を集めています。
境内社:猿田彦神社、姫亀神社、三狐地稲荷社、銭洗稲荷神社

↓三光稲荷神社の大鳥居
犬山4・三光神社鳥居.JPG

↓手水舎
犬山5・三光手水舎.JPG

↓社殿前の鳥居
犬山6・三光本殿へ.JPG

↓三光稲荷神社の社殿
犬山7・三光本殿.JPG

↓猿田彦神社
犬山8・三光、猿田彦.JPG
犬山9・三光、猿田彦.JPG
↑祭神:みちひらきの大神、猿田彦大神。神徳:建築、方位除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣、大漁満足、家内安全、交通安全、海上安全など、古来多くの御神徳で知られる。

↓銭洗稲荷神社
犬山11・三光、銭洗.JPG
犬山10・三光、銭洗稲荷.JPG
↑御神水でお金を洗うと何倍にもなって帰ってくると信じられていると同時に清浄の福銭を持っていると一家繁栄、子孫長久になると伝えられている。

↓三狐地稲荷社
犬山12・三光、三狐地稲荷.JPG

↓姫亀社
犬山13・三光姫亀.JPG
↑祭神:大宮女大神。神徳:男女良縁、家内円満、夫婦和合。

↓犬山城への近道「三光稲荷神社コース」
犬山14・三光スタンダード.JPG

↓三光稲荷神社の北側鳥居(スタンダードコースとの交叉点)
犬山15・三光.JPG

↓犬山城の入口付近までで、これから先はペット侵入禁止
犬山16・三光、城入口.JPG
犬山城はペット入場禁止ということを事前に知っていたので、妻と義弟夫婦の3人で城内見学に行きました。この間、私と柴犬「はな」は城下町を散策することにしました。


◎針綱神社 (はりつな)
住所:愛知県犬山市犬山北古券65-1
電話:0568-61-0180
主祭神:尾治針名根連命。創建:不明。社格:式内社、県社
例祭:4月第1土・日曜日(犬山祭)、尾張五社の一つ
https://inuyama.gr.jp/facility-42341.html
HP:https://www.haritsunajinja.com/
【由緒】
針綱神社は延喜式神名帳所載の式内社です。太古より犬山の峰(現在の犬山城天守閣付近)に鎮座され、濃尾の総鎮守でありました。
 創建年は不明ですが、延喜式に記載されていることから1000年以上この犬山の地に鎮座しています。
 先述の通り、古くは現在の犬山城天守閣付近に鎮座していましたが、天文6年(1537年)犬山城築城に際し、白山平(現在地より東方にある山)に遷座、その後の慶長11年(1606年)市内名栗町に遷座されています。そして明治維新の後の明治15年(1882年)、現在の場所に再び遷座されました。過去鎮座された白山平(小島町)と名栗町には犬山祭の際、御神輿が渡御されます。

↓針綱神社の鳥居
犬山17・針綱鳥居.JPG

↓拝殿
犬山18・針綱.jpg
↑拝殿まで行きませんでしたので、拝殿の写真はHPより借用。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)ナゴヤドーム、18:00、24,415人
阪神:000・000・000・・・・0・・・・(2)
中日:000・001・00×・・・・1・・・・(3)

【盗塁】上本(1回)
【失策】梅野(6回)
【投手】
●小野   6回、22人:2安打、1三振、2四球、1失点(4敗)
岩崎   2回、7人:1安打、3三振、1四球、無失点
○ジョーダン6回3分の2、26人:2安打、8三振、5四球、無失点(5勝2敗)
S田島   1回、3人:無安打、無三振、無四球、無失点(1勝4敗20S)

※阪神は泥沼の6連敗。33イニング連続適時打なし。貯金も6にまで減少。
首位広島には6ゲームも離され、反対に3位DeNAには3.5ゲームに迫られた。
※福留を初めて5番に降格させる等、策を講じているが、貧打の状態は改善出来ない。救世主が現れるか???

★阪神の新助っ人、ロジャース交渉中
↓(サンスポより)
阪神・金本知憲監督(49)が27日、新外国人として、米大リーグ、パイレーツ3Aのジェイソン・ロジャース内野手(29)の獲得に乗り出していることを明らかにした。7月上旬の来日を目指して球団が交渉中。指揮官は「デスパイネみたい」とパ・リーグのキング争い2位(18本塁打)のソフトバンクの優良助っ人にイメージをダブらせた。
ロジャースは1メートル85、117キロの大型内野手。今季3Aでは67試合で、打率・283、8本塁打(マイナー通算83発)、32打点の成績を残している。パワフルな体形から放たれる打球は飛距離十分で、広角に打つこともできる柔らかさも兼ね備えている。守備位置は主に一塁。

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岐阜6(含政寺、極楽寺、誓願寺、善澄寺)、男子100M決勝、サニブラウンが制す [岐阜旅行]

6月25日(日)   只今、「岐阜・犬山・下呂・高山」旅行記を連載中です。
今回は、岐阜市の最後の記事です。
伊奈波神社を参拝後、妻と柴犬「はな」の待つ岐阜公園総合案内所へ戻る途中、伊奈波神社の近辺にある寺院に数軒立ち寄りました。

◎含政寺
住所:岐阜市伊奈波通1-68
電話:058-262-2535
宗派:浄土宗西山禅林寺派。本尊:阿弥陀如来

浄土宗1・含政寺.JPG


◎善澄寺
住所:岐阜市伊奈波通1-65
電話:058-263-3558
宗派:浄土宗西山禅林寺派。本尊:阿弥陀如来。札所:美濃新四国八十八個所第5番
http://nekomimi-nenbutsu.seesaa.net/article/238226595.html

↓こちらの寺院は見逃しましたので、写真は上記サイトより借用
浄土宗8・誓澄寺入口.jpg
浄土宗9・誓澄寺本堂.jpg


◎極楽寺
住所:岐阜市伊奈波通1-34
電話:058-264-2560
山号:法東山。宗派:浄土宗西山禅林寺派。本尊:阿弥陀如来
http://gokurakuji-japan.com/
斎藤道三の前の稲葉山城主であった二階堂行家は、天正12年(1584年)、当寺を岐阜県厚見郡今泉村に建立しました(田中角栄内閣の官房長官二階堂進氏は同家の子孫)。
その後、織田信長やその子孫秀信が岐阜城総構えの鎮護として各地の仏像を招致し、伊奈波神社門前に浄土宗西山派の寺院である伊奈波八ヶ寺(現在は五ヶ寺)を招致しました。
文禄・慶長年間(1592~1600年)に、当寺も、伊奈波八ヶ寺のひとつとして現在地へ移転しました。

↓極楽寺の遠景
浄土宗2・極楽寺遠景.JPG

↓本堂
浄土宗3・極楽寺本堂.JPG


◎誓願寺
住所:岐阜市伊奈波通1-43
電話:058-264-4834
宗派:浄土宗西山禅林寺派。

↓寺標
浄土宗4・誓願寺寺標.JPG


★浄土宗西山禅林寺派 (Wikiより)
浄土宗西山禅林寺派(じょうどしゅう せいざん ぜんりんじは)は、京都市左京区の禅林寺(永観堂)を総本山とする広義の浄土宗の一派。
そもそもは浄土宗の開祖法然上人の高弟である西山上人証空が、自らが唱える西山義の教えを広めたことに始まる。こうして証空によって唱えられた西山義はやがて浄土宗西山派として知恩院の浄土宗鎮西派に次ぐ浄土宗内での大きな派となっていく。
禅林寺派はその浄土宗西山派の流れをくむ一派である。証空の弟子である西谷(せいこく)流の浄音が、証空の教えの上に更に自らの考えをも交えて西谷流を唱えだし光明寺(粟生光明寺)や禅林寺を中心に西山義、西谷流の教えを広めたのが直接の始まりである。
明治3年(1870年)に浄土宗鎮西派(現在の宗教法人浄土宗)と浄土宗西山派が統一された。が、明治9年(1876年)9月25日に再び分裂する。この時に浄土宗西山派は西谷流・光明寺が西本山、西谷流・禅林寺が東本山、深草流・誓願寺が北本山、深草流・円福寺が南本山となり、四本山制となる。
大正8年(1919年)4月30日、浄土宗西山派がそれぞれの考えの違いから光明寺を総本山とする浄土宗西山光明寺派、禅林寺を総本山とする浄土宗西山禅林寺派、誓願寺を総本山とする浄土宗西山深草派の三つに分裂する。この三つを総称して西山三派という。
昭和16年(1941年)3月31日、西山三派が国策により再び浄土宗西山派として統合されるが、太平洋戦争終結後の昭和23年(1948年)に再び三つに分裂する。その際、浄土宗西山光明寺派は名称を西山浄土宗に改めた。

※16時40分に、妻と「はな」が待つ岐阜公園の総合案内所前に戻って来ました。ここからの金華山の眺めは印象的でした。昼間なのに「月」が鮮やかに見えました。
浄土宗5・岐阜城に月.JPG
↑左から、岐阜城、展望レストラン、ロープウェー山頂駅、そしてお月様。

岐阜駅より徒歩10分位の「ビジネスホテル プラザ」にチェックインしました。
★ビジネスホテル プラザ
住所:岐阜市西駒爪町14-2
電話:058-266-1230

浄土宗6・ビジネスホテルプラザ.JPG
浄土宗7・ホテル.JPG

このホテルを選んだ理由は、ペット(犬)も一緒に泊まれるからです。4階建の4階が部屋です。エレベーターで入室しました。部屋の写真を撮るのを忘れましたが、犬も一緒なので、ペット用の食器やトイレも準備されており、想像したより整理整頓されていました。
ダブルベットで、素泊まり料金は、犬も含めて、8,400円と駐車代800円でした。

夕食は、ホテルの向かいにあるスーパーで弁当を購入し、部屋で食べました。明日は朝早いので、この日は早く就寝しました。

【6月5日(月)】
5時15分に起床し、私は犬の散歩に出かけました。それから、まだチェックアウトせずに、車で名鉄岐阜バスターミナルへ向かいました。義弟夫婦が新宿からの夜行バスで、6時30分に到着するので迎えに行きました。定刻より6分早くバスは到着。無事、義弟夫婦と合流してホテルへ戻りました。
まだ時間が早くどこも飲食店が開いていないので、コンビニでサンドイッチと飲物を購入して、ホテルの部屋で、皆と朝食しました。
7時45分、ホテルを出発し犬山(城)へ向かいました。犬山の記事は次回に続きます。

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◎昨日の阪神タイガース(降雨ノーゲーム)

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打) マツダスタジアム、14:00
阪神:020・1          3     (6)
広島:021・2×          5     (7)

能見 3回3分の2、21人:7安打、3三振、2四球、5失点
薮田    4回、19人:6安打、3三振、1四球、3失点

↓(デイリースポーツより)
阪神には恵みの雨となった。試合は四回裏に降雨ノーゲーム。2点を勝ち越された直後に決定した。
 先発・能見が広島打線につかまり2点を勝ち越され、なおも続いた2死一、二塁のピンチで(藤川球児のリリーフが告げられた時)約1時間の中断に。その後、審判団がグラウンドに出てノーゲームを告げた。
 劣勢な展開となっていたが、打線に光明も見えた。二回には6番・鳥谷から7番・糸原、8番・梅野の3連打で2点の先制に成功。下位打線で相手先発・藪田から得点を挙げた。さらに1点ビハインドで迎えた四回は中谷、鳥谷の連打から糸原の四球で無死満塁の好機を演出。ここから梅野が右翼への同点犠飛を放ち、試合を振り出しに戻していた。

※このまま試合が続けられていたら、阪神の敗戦濃厚でしたので、ラッキーでした。

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◎陸上日本選手権、男子100M決勝、サニブラウンが制す
http://www.asahi.com/articles/ASK6S71KGK6STIPE01F.html?iref=comtop_8_06
↓(朝日新聞デジタルより)
陸上の第101回日本選手権は24日、注目の男子100メートルが大阪・ヤンマースタジアム長居であり、サニブラウン・ハキーム(東京陸協)が10秒05(追い風0・6メートル)の大会タイ記録で初優勝。多田修平(関学大)が10秒16で2位、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)が10秒18で3位だった。桐生祥秀(東洋大)は10秒26で4位、山県亮太(セイコー)は10秒39で6位に終わった。
日本陸上1.JPG
日本陸上2.JPG
※母校の多田君が2位に入ったのが嬉しいですね。

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岐阜5(伊奈波神社)、リーグ戦再開初戦は大敗 [岐阜旅行]

6月24日(土)   只今、岐阜・犬山・下呂・高山の旅行記を連載中です。
今回は、岐阜の伊奈波神社の記事です。(6月4日撮影)

◎伊奈波神社 (いなばじんじゃ)
住所:岐阜市伊奈波通り1-1
電話:058-262-5151
http://www.inabasan.com/
主祭神:五十瓊敷入彦命。社格:式内社(小)、国幣小社、別表神社
創建:(伝)景行天皇14年(西暦84年)、例祭:4月5日「岐阜まつり
【祭神】(Wikiより)
垂仁天皇の第一皇子で、この地の開拓神である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を主祭神とし、妃の淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)、母の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)、外祖父の彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)、臣下の物部十千根命(もののべのとちねのみこと)を配祀する。これらの神を伊奈波大神と総称する。
社伝によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、五十瓊敷入彦命の成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて現在の伊奈波神社の地で討たれたという。
【歴史】(Wikiより)
社伝によれば、景行天皇14年、武内宿禰が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に五十瓊敷入彦命を祀ったのに始まるとされる。壬申の乱の際に天武天皇が当社に戦勝を祈願したという。
天文8年(1539年)、斎藤道三が稲葉山に稲葉山城を築城するにあたり、現在地に遷座した。この際、その地にあった物部十千根命を祀る物部神社を合祀し、稲葉山城の鎮守とした。以降も、岐阜の総産土神として篤い崇敬を受けた。明治6年に県社に列格し、昭和14年に国幣小社に昇格した。
『延喜式神名帳』では、美濃国厚見郡の神社として「伊奈波神社」の社名は記されていないが小社として「物部神社」の社名があり、これが当社に合祀された物部神社であるとされる。あるいは、当社自体が式内・物部神社であるとする説もある。『美濃国神名帳』には「正一位 伊奈波大神」「従五位下 物部明神」と記載されている。

↓大鳥居
伊奈波1・大鳥居.JPG

↓茶室・水月亭
伊奈波2・水月亭.JPG
伊奈波3・水月亭.jpg

↓参集殿
伊奈波4・参集殿.JPG

↓社務所・授与所
伊奈波5・社務所、授与所.JPG

↓神橋・楼門を望む
伊奈波6・神橋、楼門を望む.JPG

↓神馬、吉備神社鳥居、楓稲荷神社鳥居
伊奈波7・神馬、吉備神社鳥居、楓稲荷神社鳥居.JPG

↓吉備神社(写真はHPより借用)御祭神 吉備津彦命
伊奈波8・吉備神社.jpg
↑服飾繊維、和洋裁、手芸の守護神として名高く、毎年2月8日の針祭には其の道の業者、組合員等が参列しお祭りを行う。針の御霊を慰める為、使い古した針を納める針塚もある。

↓楓稲荷神社(写真はHPより借用)御祭神 宇迦之御魂神
伊奈波9・楓稲荷.jpg

↓手水舎
伊奈波10・手水舎.JPG

↓伊奈波大黒社 御祭神 大己貴命(別名大国主命)
伊奈波11・伊奈波大黒社.JPG
↑宝永6年(1709)に御鎮座され、御神像は、沢田十蔵の作と伝えられており、年に一度の例祭の時のみそのお姿を拝し奉ることができ、このご神像のお腹に触れるとご神徳に恵まれると言い伝えられている。

↓楼門
伊奈波12・楼門.JPG

↓黒龍社入口、祓所
伊奈波13・黒龍社入口、祓所.JPG

↓黒龍社(写真はHPより借用)祭神 高竉神
伊奈波14・黒龍社.jpg
↑伊奈波大神を現在の井之口谷へ御奉遷以前から、黒龍社は祭祀されていたと口碑されている。黒龍大神の御神光を以って厄災を免れたり、病気が回復されたという霊験あらたかな御神威により、ひろく人々の信仰を集めています。

↓龍頭岩(写真はHPより借用)
伊奈波15・龍頭岩.jpg

↓祓所
伊奈波16・祓所.JPG

↓神門
伊奈波17・神門.JPG

↓拝殿
伊奈波18・拝殿.JPG

↓幣殿、本殿(写真はHPより借用)
伊奈波19・幣殿、本殿.jpg

↓楼門より神橋を見下ろす
伊奈波20・楼門より神橋を見下ろす.JPG

↓忠魂碑、峯本宮参詣道碑
伊奈波21・忠魂碑、峯本宮参詣道碑.JPG

↓満願寺跡の説明板
伊奈波22・満願寺跡駒形.JPG

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◎麻央さん死去、英BBCも記事

↓(朝日新聞デジタルより)
イギリスの公共放送BBCも23日、ホームページに「小林麻央さん死去 がん闘病つづるブログに多くが共感」とする記事を掲載し、小林さんの死を悼んだ。
続きは:http://www.asahi.com/articles/ASK6R6F33K6RPTFC01K.html?iref=comtop_list_nat_n01

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◎昨日の阪神タイガース(リーグ戦再開初戦)

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)マツダスタジアム、18:00、31,526人
阪神:001・000・020・・・・3・・・・(11)
広島:302・080・00× ・・・・13・・・(17)

【本塁打】丸13号2ラン(5回、柳瀬)、エルドレッド17号2ラン(5回、柳瀬)、菊池4号満塁(5回、柳瀬)
【マルチ安打】上本2、糸井2、福留2、梅野2
【打点】糸井1、原口1、鳥谷1
【失策】上本(7回)
【投手】
●メッセンジャー 4回、19人:8安打、3三振、無四球、5失点(7勝3敗)
・柳瀬   1回、11人:6安打、無三振、2四球、8失点
・山本   2回、8人:2安打、1三振、無四球、無失点
岩崎   1回、4人:1安打、2三振、無四球、無失点
○ジョンソン  7回、25人:9安打、4三振、1四球、1失点(2勝2敗)

※派手な負けっぷりでしたね。それにしても広島打線は強力ですね。(二桁失点は今季初)
赤ヘル黄金時代の再来を思わせる打線ですね。これで首位・広島に4ゲーム差と広げられました。
※ドラ1の大山選手がプロ初打席につきました。粘りましたが三振でした。今後に期待しましょう。
※糸井選手がスタメンに戻ってきました。やはり存在感ありますね。
※今日は勝って、広島の独走を阻止しましょう。

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岐阜4(善光寺)、藤井四段が歴代1位の28連勝に並ぶ [岐阜旅行]

6月22日(木)   現在、6月4日~6日の旅行記を連載中です。今回は6月4日の岐阜市内散策記事の続きです。

◎善光寺(ぜんこうじ)
住所:岐阜市伊奈波通1-8
電話:058-263-8320
http://gifu-zenkoji.jp/
山号:愛護山。宗派:真言宗醍醐派。本尊:善光寺如来
創建:1592年~1600年頃。開基:織田秀信。正式名:愛護山 善光寺 安乗院
別称:岐阜善光寺、伊奈波善光寺。札所:美濃四国第1番

善光寺の本尊は甲州征伐後、織田信長の手で天正10年(1582年)3月に、岐阜城下の伊奈波神社の近くに移された。
しかし、同年6月2日の本能寺の変により織田信長が亡くなると、織田信雄により尾張国甚目寺(現・愛知県あま市)へ移される。善光寺如来は後に徳川家康の手に渡り遠江国の鴨長寺へ、さらに慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の手に渡り、方広寺の本尊にされる。翌慶長3年(1598年)、信濃国に戻る。
信長の孫・織田秀信が、かつて善光寺如来が祀られていた地に伊奈波善光寺堂を建立し、善光寺如来の分身を祀ったのが始まりという。建立時期は不明だが、織田秀信が岐阜城主であった文禄元年(1592年)から慶長5年(1600年)頃と推測される。江戸時代初期、善光寺安乗院に改称する。
善光寺如来の分身は、安乗院と満願寺(伊奈波神社の境内の寺院)で交代で守られていたが、明治元年(1868年)に廃仏毀釈、神仏分離のため満願寺は廃寺となる。本尊は安乗院単独で所有することとなる。(Wikiより)

↓岐阜善光寺の遠景
善光寺1.JPG

↓本堂
善光寺2・本堂.JPG
↑本堂は1891年の濃尾地震により全焼、1912年再建された。

↓本堂向拝の彫刻
善光寺3・本堂.JPG

↓本堂の扁額
善光寺4・本堂扁額.JPG

↓弘法堂の遠景
善光寺12・弘法堂.JPG

↓弘法堂
善光寺5・弘法堂.JPG

↓弘法堂の扁額
善光寺6・弘法堂.JPG

↓大黒天
善光寺7・大黒天.JPG

↓末光稲荷大神
善光寺8・末光稲荷大神.JPG

↓大日大聖不動明王
善光寺13・大日大聖不動明王.JPG

↓手水舎と北向水掛不動尊
善光寺9・手水舎、北向水掛不動尊.JPG

↓水子地蔵尊
善光寺10・水子地蔵尊.JPG

↓木造釈迦如来坐像の説明板
善光寺11・釈迦如来坐像.JPG

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◎将棋の藤井四段、公式戦28連勝 歴代1位の記録に並ぶ

↓(朝日新聞デジタルより)
将棋の中学生棋士、藤井聡太四段(14)が21日、大阪市福島区の関西将棋会館であった王将戦1次予選4回戦で澤田真吾六段(25)に勝ち、デビュー戦から負けなしの公式戦28連勝を達成した。神谷広志八段(56)が五段時代の1987年につくった歴代最多の連勝記録に並んだ。
 藤井四段は、愛知県瀬戸市出身の中学3年生。昨年10月、史上最年少の14歳2カ月でプロ入りし、12月24日のデビュー戦で元名人の加藤一二三(ひふみ)九段(77)に勝った。以来、一度も負けることなく白星を積み重ね、4月4日に連勝を「11」としてデビュー戦からの連勝記録を21年ぶりに更新。その後も勝ち続け、デビューから半年足らずで新人に限らない全体の歴代1位記録に並ぶ偉業を成し遂げた。
 藤井四段の次の対局は、26日の竜王戦決勝トーナメント1回戦。「29連勝」という30年ぶりの記録更新をかけ、増田康宏四段(19)と戦う。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%80%90%E8%97%A4%E4%BA%95%E8%81%A1%E5%A4%AA%E5%9B%9B%E6%AE%B5%EF%BC%92%EF%BC%98%E9%80%A3%E5%8B%9D%E3%83%BB%E4%BC%9A%E8%A6%8B%E8%A9%B3%E5%A0%B1%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89%E3%80%91%E3%80%8C%E9%81%8B%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82%E9%80%94%E4%B8%AD%E3%81%A7%E8%8B%A6%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%AE%E3%81%AF%E6%95%B0%E5%A4%9A%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8D/ar-BBCYNOZ?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp
藤井1.png 藤井2.png 藤井四段.jpg

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岐阜3(法円寺、栽松寺、安楽寺)、松山世界ランク2位へ [岐阜旅行]

6月21日(水)   只今、岐阜・犬山・下呂・高山旅行記を連載中です。
今回は、岐阜市伊奈波通りの寺院を中心に紹介します。

↓散策コース図
岐阜37・散策コース.jpg

↓梶川堀・梶川橋
岐阜38・梶川堀.JPG
岐阜39・梶川堀.JPG

↓街並み
岐阜40・町並み.JPG

美峰稲荷神社(宇迦之御魂神)、秋葉神社
岐阜41・秋葉神社.JPG
↑【美峰稲荷神社】貞享三年三月岐阜町大災害ありし後市中鎮護の為奉祀する処にして爾後名古屋藩出張岐阜役所より旧修験安乗院をして奉祀せしめしに維新の際神佛区別判然すべきを所轄定まらず、祭祀廃絶して社頭頽廃に及ぶを以て明治八年二月許可を得て再興す。末社秋葉神社。明和年中旧名古屋藩出張、岐阜局長大道寺孫作其の岐阜局所在地鎮護の為勧請せし処なるも廃局後其の地町家となり、末広町と称し、爾後該町人民崇敬の神社となる。(岐阜神社帳より)


◎法圓寺 (ほうえんじ)
住所:岐阜市伊奈波通1-20
電話:058-262-8416
宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。美濃新四国八十八個所第3番札所

↓山門
岐阜42・法円寺、山門.JPG

↓本堂
岐阜43・法円寺、本堂.JPG
↓扁額
岐阜44・法円寺、扁額.JPG

↓庫裏
岐阜45・法円寺、庫裏.JPG


◎栽松寺 (さいしょうじ)
住所:岐阜市伊奈波通1-27
電話:058-262-4227
宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:阿弥陀如来。美濃新四国八十八個所第4番札所
栽松完道住職は2008年第32回正力松太郎賞(仏教)受賞。坐禅が体験出来る

↓正面
岐阜46・栽松寺.JPG

↓本堂?
岐阜47・栽松寺.JPG

伊奈波神社前の大きな広場(駐車場)に出てきました。
岐阜48・安楽寺、伊奈波神社駐車場.JPG


◎安楽寺 (あんらくじ)豊川閣
住所:岐阜市伊奈波通1-16
電話:058-262-7732
宗派:浄土宗西山禅林寺派。本尊:弥陀如来。美濃新四国八十八個所第2番札所

↓豊川叱枳尼真天、子安地蔵尊
岐阜49・安楽寺、豊川叱尼真天、子安地蔵尊.JPG

↓本堂?
岐阜50・安楽寺.JPG

★美濃新四国八十八個所
http://nekomimi-nenbutsu.seesaa.net/article/236866264.html
美濃新四国は、岐阜市とその周辺一帯に広がる巡礼地。空海ゆかりの寺院で構成される。
美濃四国、美濃四国八十八個所とも呼ばれている。
江戸時代後期(1800年代)に開かれた巡礼地で、太平洋戦争の影響などで戦後荒廃したが、1975年(昭和50年)に復興する。この際、巡礼し易いように、一部の寺院が変更される。(Wikiより)

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◎松山英樹、世界ランク2位 自らの日本勢過去最高を更新

↓(朝日新聞デジタルより)
米ウィスコンシン州のエリンヒルズ(パー72)で18日まで開かれた男子ゴルフの今季メジャー第2戦、全米オープン選手権で、松山英樹(25)がメジャー大会の日本勢過去最高に並ぶ2位に入った。14位から出て、8バーディー、2ボギーで猛追、最終ラウンドのベストスコア66を出し、通算12アンダーまで伸ばした。ブライアン・ハーマン(米)と並ぶ2位で、賞金105万12ドル(約1億1700万円)を獲得。この活躍で、4位だった世界ランキングは自身が持つ日本勢最高(3位)を更新する2位へ上がった。

※錦織より早く、メジャー大会を制覇するでしょうね。

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岐阜2(妙照寺、常在寺)、阪神は10勝8敗で交流戦終了 [岐阜旅行]

6月19日(月)   岐阜・犬山・下呂・高山旅行記を連載中です。
岐阜大仏を見学後、寺院が集中している岐阜城下町を散策しました。

◎妙照寺 (みょうしょうじ)
住所:岐阜県岐阜市梶川町14
電話:058-264-7793
http://temple.nichiren.or.jp/3021005-myoshoji/
山号:三光山。宗派:日蓮宗。開創:天文3年(1534)。開山:五千院日舜聖人
芭蕉滞在の癒しの寺。本堂・庫裡は岐阜市の重要文化財

開創天文3年(1534)、京都・大本山妙顕寺第8世日広聖人の弟子である、五千院日舜聖人の開山である。
当初は厚見群今泉村(現在の岐阜市柳町辺り)に創建された。慶長5年に岐阜中納言織田秀信公より現在地を寄進され移転した。
此処は、旧竹中半兵衛屋敷蹟で、当時既に空き屋敷であったと推量される。

↓妙照寺の遠景
岐阜16・妙照寺.JPG

↓鐘楼
岐阜17・妙照寺、鐘楼.JPG

↓三光稲荷社
岐阜18・妙照寺、三光稲荷.JPG
岐阜19・妙照寺、三光.JPG
岐阜20・三光.JPG
↑竹中半兵衛が守護神として祀り信仰したと伝えられている。

↓妙見宮
岐阜21・妙照寺、妙見宮.JPG

↓古木と仏像の祠
岐阜22・妙照寺.JPG

↓本堂
岐阜23・妙照寺、本堂.JPG

↓東之鬼
岐阜24・妙照寺、東之鬼.JPG
↑本堂前に東西一対の鬼が配置されている。

↓芭蕉の句碑「やどりせむ あかざの杖に なる日まで」
岐阜25・妙照寺、芭蕉句碑.JPG
↑松尾芭蕉は貞享5年(1688)6月に来訪し、約1ヶ月滞在した。実際使用された庫裏奥の十二畳座敷「芭蕉の間」が現存しています。

↓庫裡
岐阜26・妙照寺、庫裡.JPG

↓山門
岐阜27・妙照寺、山門.JPG

↓寺標
岐阜28妙照寺、寺標.JPG
↓説明板
岐阜29・妙照寺、説明板.JPG

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常在寺 (じょうざいじ)
住所:岐阜市梶川町9
電話:058-263-6632
http://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/detail_kankou.php?eid=00008
山号:鷲林山(じゅりんざん)。宗派:日蓮宗。本尊:文殊菩薩
創建:宝徳2年(1450)。開基:斎藤妙椿、世尊院日範
斎藤道三以後の斎藤氏三代の菩提寺。京都の妙覚寺の末寺。

斎藤家の菩提寺。斎藤道三とその父・長井新左衛門尉が二代にわたり美濃国を制する拠点とした寺です。長井新左衛門尉は、京都から美濃へやって来た商人出身と言われています。長井新左衛門尉は京都・妙覚寺の僧でもあった。
正式名は、鷲林山常在寺(じゅりんざん じょうざいじ)。日蓮宗、京都妙覚寺の末寺です。
室町時代の宝徳2年(1450年)土岐家守護代として権力を持ち、当時事実上美濃を支配していた斎藤妙椿(みょうちん)が建立しました。後に道三が菩提寺とし、道三以後三代の菩提寺となっています。
毎年4月の第一土曜日には道三まつりにあわせて「斎藤道三公追悼式」が営まれ、まつりの2日間は無料開放されます。

↓常在寺の遠景
岐阜30・常在寺.JPG

↓説明板
岐阜31・常在寺、説明板.JPG

↓本堂
岐阜32・常在寺、本堂.JPG

↓開運殿
岐阜33・常在寺、開運殿.JPG

↓庫裡
岐阜34・常在寺、庫裡.JPG

↓国の重要文化財指定(左)絹本著色斎藤道三像、(右)斎藤義龍像(Wikiより)
岐阜35・常在寺.jpg     岐阜36・常在寺.jpg

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◎昨日の阪神タイガース(交流戦の最終戦)

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、14:00、46,749人
楽天:000・001・000・・・・1・・・・(5)
阪神:000・000・000・・・・0・・・・(10)

【マルチ安打】高山2、上本2
【盗塁】鳥谷(4回)、荒木(9回)
【投手】
●小野   7回、25人:5安打、3三振、1四球、1失点(3敗)
・高橋   1回、3人:無安打、2三振、無四球、無失点
・ドリス  1回、3人:無安打、無三振、無四球、無失点
○ 岸   8回、31人:8安打、8三振、1四球、無失点(5勝2敗)
S松井   1回、5人:2安打、2三振、無四球、無失点(2勝1敗21S)

※阪神は得点圏のチャンスが9回あったが、タイムリーが出ず、完封負け。
【得点圏の打席結果】
中谷:三振、三振。 福留:三邪飛、三振、二併殺。 原口:三ゴロ、(左の3人がクリーンアップ)
糸原:二ゴロ、 小野:三ゴロ、 俊介:三振
※阪神は交流戦を10勝8敗の2つの勝ち越しで終えました。まずは良かったと思っています。
4日間の休養日を挟んで、23日からリーグ戦が再開されます。最初のカードは、3ゲーム差ある広島と対戦します。3連勝するくらいの気持ちで、マツダスタジアムに乗り込んで下さい。

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岐阜1(正法寺「岐阜大仏」)、阪神交流戦の勝越し決める [岐阜旅行]

6月17日(土)   只今、岐阜・犬山・下呂・高山旅行記を連載中です。
妻と「はな」を総合案内所前に置いて、私だけ駆け足で市内散策しました。

岐阜1・地図.jpg

◎正法寺 (しょうほうじ)
住所:岐阜県岐阜市大仏町8
電話:058-264-2760
入館料:200円
宗派:黄檗宗。山号:金鳳山。本尊:釈迦如来。宇治の万福寺の末寺
http://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/detail_kankou.php?eid=00007
http://guide.travel.co.jp/article/5094/
釈迦如来の坐像の岐阜大仏は、日本三大大仏の一つで、岐阜県指定重要文化財です。
像高13.63m、顔の長さ3.63m、目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36m。
周囲1.8mのイチョウを真柱として、木材で骨格を組み、竹材を編んで仏像の形を形成する。この竹材の上に粘土をぬり、一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた美濃和紙を張り付けて漆を塗り、金箔を張っている。経典は当時の住職が読み一枚一枚貼られている。このことから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」という。

【建立の経緯】
江戸時代の寛政の頃、金鳳山正法寺の第11代惟中和尚は、相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、これらの災害で亡くなった人々の菩提のために、大釈迦如来像の建立をはかる。1791年(寛政3年)頃から、大仏に使用する経本を集めだすが、思うように集められず、各地を托鉢してひたすら集める。1800年には堂が完成。その時には大仏の頭部のみが完成していた。1815年(文化12年)、惟中は志の半ばで亡くなる。暫く中断したが、第12代肯宗和尚はその後を継ぎ、引き継いで13年後の1832年(天保3年)、遂に大釈迦如来像は完成する。つまり建立に38年かかったことになる。胎内仏として、薬師如来像が安置されている。この薬師如来像は、室町時代、美濃国厚見郡革手(現在の岐阜市正法寺町)の革手城の城下にあった、土岐氏氏寺の霊正山正法寺(現在は廃寺)の本尊である。平安時代の円仁(慈覚大師)作との伝承がある。
開眼供養の際には、織田信長居住以来の盛儀だったと伝えられている。(以上はWikiより)

↓正法寺の外観
岐阜2・正法寺.JPG

↓地蔵菩薩
岐阜3・正法寺、地蔵菩薩.JPG
岐阜4・正法寺、地蔵菩薩.JPG

↓多宝塔
岐阜5・多宝塔.JPG

↓香芳苑
岐阜6・香芳苑.JPG

↓稲荷社?
岐阜14・正法寺、稲荷社.JPG

↓大仏殿
岐阜7・正法寺、大仏殿.JPG

↓大仏殿の扁額
岐阜8・正法寺、扁額.JPG

大仏殿の内部は、ノンフラッシュで撮影がOKなのは嬉しいですね。
岐阜大仏
岐阜9・大仏.JPG
岐阜10・大仏.JPG
岐阜11・正法寺、大仏.JPG

↓大仏殿の内部
岐阜12・正法寺.JPG
岐阜13・正法寺.JPG

↓正法寺のご朱印
岐阜15・正法寺、朱印.JPG

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◎昨日の阪神タイガース(交流戦)

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打)甲子園、18:00、44,516人
楽天:001・000・001・・・・2・・・・(2)
阪神:020・000・02× ・・・・4・・・・(8)

【本塁打】原口5号2ラン(2回、藤平)、三好1号ソロ(3回、岩貞)
【マルチ安打】北條2、高山2、鳥谷2
【打点】原口2、鳥谷2
【投手】
○岩貞   7回、23人:1安打、6三振、1四球、1失点(3勝4敗)
Hマテオ  1回、3人:無安打、1三振、無四球、無失点
Sドリス  1回、5人:1安打、3三振、無四球、1失点(3敗20S)
●藤平   5回、21人:5安打、無三振、2四球、2失点(1敗)

※交流戦を10勝6敗とし、勝ち越しを決め、広島に2ゲーム差に迫りました。
※福留の好守、鳥谷の貴重な追加点と、ベテランも活躍しました。
※ヒーローは連日の決勝点をあげた原口と、1安打ピッチィングの岩貞です。
阪神1・岩貞、原口.JPG

★藤浪情報(デイリースポーツより)
「ウエスタン、オリックス-阪神」(16日、舞洲サブ球場)
 阪神・藤浪晋太郎投手(23)が、ウエスタン・オリックス戦に先発。6回を投げて2安打無失点、10三振を奪う内容だった。最速は157キロを記録するなどしたが、一方で5四死球を与え、2つの暴投を許すなど、制球面の課題は残った。
 「いい球もありましたし、悪い球もありました。指にかかっている球も多かったんですが、自分の中でもう少しできるかな…というのもありました。でも、(状態が)悪くはないかなと思います」

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