太田神社・継体天皇稜(大阪府茨木市)、 奈良くるみツアー初優勝 [西国街道]
2月25日(火) 茨木市の西国街道を散策した記事の最終回です。(2月5日撮影)
太田東芝町交差点を渡って東進すると、直ぐに左手に「太田神社」への看板があります。左折して真っ直ぐ上り坂を行くと、「太田神社」の入口に突き当たります。
◎太田神社(おおた)
住所:大阪府茨木市太田3-15-1
主祭神:天照皇大神、素盞鳴尊、豊受皇大神。
創建:不詳。社格等:式内社、旧村社
当社の創建は明らかでない。当社は太田茶臼山古墳(継体天皇三島藍野陵)に隣接して鎮座しており、当社の創建以前から古墳は存在したと見られている。現在の考古学では真の継体天皇陵は北東の今城塚古墳とされており、太田茶臼山古墳の真の被葬者が誰かという問題も含め当社との関係が指摘される。
また、『新撰姓氏録』に記載される「中臣大田連」の本貫地と見られ、当氏族による創祀も指摘される。『新撰姓氏録』では中臣大田連について「天児屋根命の十三世孫・御身宿禰の後」と記載するが、これを『松尾社家系図』の「御身足尼命」(ただし十四世孫と記載)に比定し、その子の「太田彦命」が中臣大田連につながるという説もある。
そのほか、『播磨国風土記』揖保郡大田里条には「呉の勝(くれのすぐり)が韓国より紀伊国名草郡大田村に移り、分かれて摂津国三島賀美郡大田村に移った」という記述がある。当地は通説では島下郡の所属と見られ、三島賀美郡(島上郡)の記述には反するが、「勝(すぐり)」のカバネを有することから百済からの移住と考えられている。これより、三島に中臣氏が進出するにあたり、これらの「呉の勝」末裔と融合して中臣大田連が形成され、氏神として当社が創祀されたという説が提唱されている。
↓太田神社の入口
↓鳥居
↓参道
↓手水舎
↓拝殿
↓狛犬
↓稲荷神社の鳥居(境内社)
↓稲荷神社(祭神:宇賀御魂神)
↓本殿
↓太田3丁目付近の西国街道(左端に見えるのが継体天皇陵の駐車場入口)
◎継体天皇三島藍野陵(太田茶臼山古墳)
住所:大阪府茨木市太田3丁目
紀元後5世紀頃に造られた前方後円墳で、第26代継体天皇陵であるともいわれているが、高槻市郡家新町の今城塚古墳が本当の継体天皇陵というのが有力である。しかし、宮内庁はこれを正式には認めていない。
↓継体天皇陵入口
↓宮内庁の看板
↓松林の参道
↓継体天皇三島藍野陵
↑後方に見えるのが「太田茶臼山古墳」。
『太田茶臼山古墳』は、全長226m、前方部幅147m、後円部直径135m、後円部高19mの前方後円墳で、古事記に“三島之藍御陵”・日本書紀に“藍野陵”・延喜式に“三島藍野陵 在摂津国嶋上郡”とある継体天皇の陵とされてきた。
しかし、当地の所在地が嶋下郡であり延喜式にいう島上郡ではないこと、その型式や陪塚出土の埴輪の編年などから5世紀中葉から後葉の造成とみなされること、史書にある継体の没年(古事記:527年、書紀:531)と食い違うことから、当古墳を継体陵とするのは間違いで、本来の継体の陵は東方1.5kmの今城塚古墳(高槻市郡家、全長190m)というのが学会の定説となっている。
※継体天皇については、こちらのWikiサイトをご覧ください。
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◎奈良くるみ(22歳)がツアー初優勝
リオ・オープンで、第5シードの奈良くるみ(世界ランク48位)が、「6-1、4-6、6-1」で第1シードのクララ・ザコパロバ(チェコ、世界ランク32位)に勝利し、ツアー初勝利を飾りました。
女子シングルスで日本勢が優勝したのは、2009年9月に韓国オープンを制したクルム伊達公子以来で、5年ぶり8人目。
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太田東芝町交差点を渡って東進すると、直ぐに左手に「太田神社」への看板があります。左折して真っ直ぐ上り坂を行くと、「太田神社」の入口に突き当たります。
◎太田神社(おおた)
住所:大阪府茨木市太田3-15-1
主祭神:天照皇大神、素盞鳴尊、豊受皇大神。
創建:不詳。社格等:式内社、旧村社
当社の創建は明らかでない。当社は太田茶臼山古墳(継体天皇三島藍野陵)に隣接して鎮座しており、当社の創建以前から古墳は存在したと見られている。現在の考古学では真の継体天皇陵は北東の今城塚古墳とされており、太田茶臼山古墳の真の被葬者が誰かという問題も含め当社との関係が指摘される。
また、『新撰姓氏録』に記載される「中臣大田連」の本貫地と見られ、当氏族による創祀も指摘される。『新撰姓氏録』では中臣大田連について「天児屋根命の十三世孫・御身宿禰の後」と記載するが、これを『松尾社家系図』の「御身足尼命」(ただし十四世孫と記載)に比定し、その子の「太田彦命」が中臣大田連につながるという説もある。
そのほか、『播磨国風土記』揖保郡大田里条には「呉の勝(くれのすぐり)が韓国より紀伊国名草郡大田村に移り、分かれて摂津国三島賀美郡大田村に移った」という記述がある。当地は通説では島下郡の所属と見られ、三島賀美郡(島上郡)の記述には反するが、「勝(すぐり)」のカバネを有することから百済からの移住と考えられている。これより、三島に中臣氏が進出するにあたり、これらの「呉の勝」末裔と融合して中臣大田連が形成され、氏神として当社が創祀されたという説が提唱されている。
↓太田神社の入口
↓鳥居
↓参道
↓手水舎
↓拝殿
↓狛犬
↓稲荷神社の鳥居(境内社)
↓稲荷神社(祭神:宇賀御魂神)
↓本殿
↓太田3丁目付近の西国街道(左端に見えるのが継体天皇陵の駐車場入口)
◎継体天皇三島藍野陵(太田茶臼山古墳)
住所:大阪府茨木市太田3丁目
紀元後5世紀頃に造られた前方後円墳で、第26代継体天皇陵であるともいわれているが、高槻市郡家新町の今城塚古墳が本当の継体天皇陵というのが有力である。しかし、宮内庁はこれを正式には認めていない。
↓継体天皇陵入口
↓宮内庁の看板
↓松林の参道
↓継体天皇三島藍野陵
↑後方に見えるのが「太田茶臼山古墳」。
『太田茶臼山古墳』は、全長226m、前方部幅147m、後円部直径135m、後円部高19mの前方後円墳で、古事記に“三島之藍御陵”・日本書紀に“藍野陵”・延喜式に“三島藍野陵 在摂津国嶋上郡”とある継体天皇の陵とされてきた。
しかし、当地の所在地が嶋下郡であり延喜式にいう島上郡ではないこと、その型式や陪塚出土の埴輪の編年などから5世紀中葉から後葉の造成とみなされること、史書にある継体の没年(古事記:527年、書紀:531)と食い違うことから、当古墳を継体陵とするのは間違いで、本来の継体の陵は東方1.5kmの今城塚古墳(高槻市郡家、全長190m)というのが学会の定説となっている。
※継体天皇については、こちらのWikiサイトをご覧ください。
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◎奈良くるみ(22歳)がツアー初優勝
リオ・オープンで、第5シードの奈良くるみ(世界ランク48位)が、「6-1、4-6、6-1」で第1シードのクララ・ザコパロバ(チェコ、世界ランク32位)に勝利し、ツアー初勝利を飾りました。
女子シングルスで日本勢が優勝したのは、2009年9月に韓国オープンを制したクルム伊達公子以来で、5年ぶり8人目。
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風邪ひいて体調不良です。
毎日ブログ更新ってホント大変ですね。
健康管理から考えないと…。
by シルフ (2014-02-25 09:19)
シルフさん、niceとコメント有難うございます。
無理しないで下さいね。
by たいちさん (2014-02-25 21:43)
★いっぷくさん、nice有難うございます。
★げいなうさん、nice有難うございます。
★世界のアイドルさん、nice有難うございます。
★やってみよう♪さん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
★nanpoua19さん、訪れいただき、nice有難うございます。
★すーやんさん、nice有難うございます。
★カメラde防犯さん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
★かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2014-02-25 21:49)
★non_0101さん、nice有難うございます。
★makimakiさん、nice有難うございます。
★路渡カッパさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2014-02-26 12:51)
つむじかぜさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2014-03-02 23:14)