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第2回 近代巨匠陶芸展(阪神)、芥川賞・直木賞、大坂なおみ3回戦途中棄権、 [美術画廊]

1月18日(土)   先日、阪神百貨店の美術画廊に立ち寄りましたので紹介します。

◎第2回 近代巨匠陶芸展
期間:2025年1月15日(水)~1月21日(火)
会場:阪神梅田本店8階 ハローカルチャー2・3・4
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002215.000014431.html
https://abc0120.net/2024/12/21/170880/
https://web.hh-online.jp/hanshin/contents/hlc/hlc01/detail/2024/12/2_3.html?_bdsid=2J~-8Z.oAJXhi0.1735523026947.1735523257&_bd_prev_page=https%3A%2F%2Fwww.hanshin-dept.jp%2Fhshonten%2Fevent%2F%23week04&_bdrpf=1
 1955年に始まった重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定制度により、陶芸の分野における人間国宝は現在までに38名の作家が認定されており、9名が文化勲章を受章しています。本展では、近代日本の陶芸界におけるそれら巨匠陶芸家の作品約100点を、一堂に展覧いたします。 (美術散歩より)

■出品予定作家(五十音順・敬称略)
荒川豊蔵、伊勢﨑淳、板谷波山、井上萬二、十三代 今泉今右衛門、加藤孝造、加藤卓男、加藤唐九郎、金重陶陽、河井寛次郎、北大路魯山人、金城次郎、近藤悠三、十四代酒井田柿右衛門、島岡達三、清水卯一、鈴木藏、田村耕一、三代徳田八十吉、富本憲吉、濱田庄司、福島善三、藤本能道、藤原啓、藤原雄、三輪休雪、山本陶秀、吉田美統 ほか

↓案内状
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↓会場風景
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以下の画像は、上記サイト及びパンフレットより借用。

十四代 酒井田柿右衛門「濁手三方割花文花瓶」
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↑十四代 酒井田柿右衛門 1934(昭和9)年~2013(平成25)年
 十四代酒井田柿右衛門は昭和9年、日本の色絵磁器発祥の地・佐賀県有田町で十三代柿右衛門の長男として生まれる。350年余り続く柿右衛門窯の当主になることを生まれながらにして運命づけられた柿右衛門は、野の草花などを徹底したスケッチを基に華やかに描く独特の作風で、平成13年色絵磁器の分野で国の無形文化財いわゆる人間国宝に認定される。
【略歴】
1934(昭和9)年 佐賀県有田町に生れる
1958(昭和33)年 多摩美術大学日本画科卒業。父・十三代柿右衛門に師事
1971(昭和46)年 日本工芸会正会員になる
1982(昭和57)年 十四代柿右衛門を襲名
1984(昭和59)年 日本陶磁協会賞受賞
2001(平成13)年 国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
2005(平成17)年 旭日中綬章受賞
2013(平成25)年 逝去


十三代 今泉今右衛門「色絵薄墨草花文花瓶」
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↑十三代 今泉今右衛門 1926(大正15)年~ 2001(平成13)年
 十三代今泉今右衛門は、若い頃から創作的な色鍋島の制作に取り組み、現代の角度からの色鍋島に意欲を燃やす。昭和50年、十三代を襲名し、改めて「色鍋島今右衛門技術保存会」をつくり、重要無形文化財の総合指定を受ける。また、十三代らしい作品をと研鑽に努め、染付吹墨・薄墨吹墨の技法を確立し、その作品は伝統工芸展での優秀賞、日本陶芸展での秩父宮賜杯、毎日芸術賞、日本陶磁協会金賞を受賞するなど高い評価を得、平成元年には重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)の認定を受ける。
【略歴】
1926(大正15)年 佐賀県西松浦郡有田町に12 代今泉今右衛門の長男として生まれる
1949(昭和24)年 東京美術学校工芸科卒業。
1962(昭和37)年 日本伝統工芸展初入選
1965(昭和40)年 日本伝統工芸展 日本工芸会会長賞、日本工芸会正会員推挙
1975(昭和50)年 十三代 今右衛門を襲名
1976(昭和51)年 日本陶磁協会賞、色鍋島今右衛門技術保存会代表就任
1981(昭和56)年 日本陶芸展最優秀賞(秩父宮賜杯)
1986(昭和61)年 紫綬褒章を受章
1988(昭和63)年 毎日芸術賞、第1回MOA岡田茂吉賞
1989(昭和64)年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定、日本陶磁協会金賞
1999(平成11)年 勲四等旭日小綬章を受章
2000(平成12)年 日本工芸会副理事長に就任
2001(平成13)年 逝去


十一代 三輪休雪「鬼萩茶碗」
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↑十一代 三輪休雪(壽雪) 1910(明治43)年~2012(平成24)年
 十一代 三輪休雪は九代 三輪雪堂の三男として山口県萩市に生まれ、兄・十代 三輪休雪(休和)に師事して家業に従事する。1941(昭和16)年に三重県津市の千歳山窯で川喜田半泥子に師事し、短期間でしたが精神的な面で大きな影響を受けたとされる。1983(昭和58)年重要無形文化財「萩焼」の保持者(人間国宝)に認定され、史上初の兄弟人間国宝となる快挙を成し遂げる。休雪碗ともいうべき「鬼萩」、「割高台」は茶陶という概念を超え、オブジェといえる極致にある。
【略歴】
1910(明治43)年 山口県萩市に旧萩藩御用窯三輪家九代雪堂の三男として生まれる
1927(昭和2)年 萩中学校卒業後、兄の十代休雪に師事する
1955(昭和30)年 休と号し、作家としての活動を始める
1957(昭和32)年 第4回日本伝統工芸展初入選。
        日本橋三越で「三輪休雪・休茶陶展」を開催、以後各地で二人展を開催
1967(昭和42)年 十代休雪隠居し休和と号するに伴い、十一代休雪を襲名する
1968(昭和43)年 中国文化賞(中国新聞社)を受賞
1969(昭和44)年 大阪大丸で個展を開催
1970(昭和45)年 山口県選奨(文化功労)を受ける
1972(昭和47)年 ㈳日本工芸会理事となる、山口県指定無形文化財「萩焼」保持者に認定
1976(昭和51)年 紫綬褒章を受章
1982(昭和57)年 勲四等瑞宝章を受章
1990(平成2)年 日本橋三越で「傘寿記念 人間国宝三輪休雪展」を開催
2003(平成15)年 三輪壽雪と号する
2012(平成24年) 逝去


河井寛次郎「鐵藥赤青碗」
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↑河井寛次郎 1890(明治23)年~1966(昭和41)年
 柳宗悦や濱田庄司らとともに民藝運動の中心人物として知られる陶芸家・河井寛次郎。「用の美」を意識した暮らしにとけこむ作品を多く制作しました。陶芸のほかにも彫刻、デザイン、書、詩、随筆などのジャンルでも幅広く創作活動を行い海外からも高い評価を得ています。名誉や称号には目もくれず、一切を辞退し、あくまでも一陶工として清廉に生き、無銘陶に徹し、実用本位の器形による剛健な陶芸世界を確立しました。
【略歴】
1890(明治23)年 8月24日島根県安来に生まれる。松江中学校卒業後、東京高等工業学校窯業科に入学
1914(大正3)年 京都陶磁器試験所に入所。
1920(大正9)年 現在の記念館の地、五条坂に住居と窯を持ち独立、つねと結婚
1924(大正13)年 娘・須也子をもうける。
1921(大正10)年 「第一回創作陶磁展」を開催、以降生涯にわたり、作品を発表
中国古陶磁を範とした初期、「用の美」の中期、「造形」の後期
1937(昭和12)年 自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)。
1966(昭和41)年 逝去


吉田美統「釉裏金彩牡丹文花瓶」
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↑吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本の陶芸家。2001年に人間国宝に認定された。本名は吉田 稔。
【略歴】
石川県小松市出身。生家は作陶を生業としており、九谷焼独特の赤絵金襴手(きんらんで)を継承していた。美統も高校在学中から陶芸技法を学び始め、卒業後1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得。1962年には武蔵野美術短期大学の特修生として工芸デザインを学んでいる。釉裏金彩技法を用いた加藤土師萌の作品に出会ったことをきっかけに、自らの作陶にもその技術を取り入れる事を決意する。
九谷伝統の色絵具をかけた素地を本焼きして地色とし、その上に二種類の金箔を文様に切り取ったものを載せて焼き付け、更に仕上げとして全面に透明な釉薬をかけて焼き仕上げる。その1つ1つの工程に於いて独自の研究を為し技術の洗練度を高めた。
1970年、日本万国博覧会に石川県の代表として「百人一首大花瓶」を出品。1974年に日本伝統工芸展に入選後、同展では高松宮記念賞(1992年)、日本陶磁協会賞(1995年)、日本工芸会保持者賞(2000年)を受賞。1979年には釉裏金彩鉢が外務省買上作品に選ばれるなど評価が高まってゆく。釉裏金彩の第一人者として2001年7月12日に重要無形文化財保持者に認定され、同年紫綬褒章を受章。 2006年業界に対する功績により旭日小綬章を受章。財団法人石川県美術文化協会理事を務める。


金重陶陽「備前耳付花入」
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↑金重 陶陽(かねしげ とうよう、1896年(明治29年)1月3日 - 1967年(昭和42年)11月6日)は、岡山県出身の陶芸家。備前焼の名門である金重家に生まれ、備前の陶工として初めて人間国宝となった。本名は金重 勇(かねしげ いさむ)。
江戸時代中期以降伊万里焼や九谷焼などに押されて人気を失っていた備前焼を再興させることに成功し「備前焼中興の祖」と称される。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から次々と人間国宝を輩出するなど備前焼の歴史上果たした功績は計り知れない。陶陽の弟の金重素山、長男の金重道明、三男の金重晃介もそれぞれ陶芸家である。また、漂泊の日本画家の杉本白象は、自らを「金重陶陽の従兄にあたる」と、昭和42年にパトロンに送った作品に付けた手紙に記している。
北大路魯山人やイサム・ノグチらとも親交があり、彼らの芸術性に影響を受けた一方、彼らが備前焼を世に知らしめる役割を果たしている。
【略歴】
1896年 - 父金重慎三郎(号媒陽)、母竹能の元に長男として和気郡伊部町(現備前市伊部)に生まれる。金重家は備前六姓のひとつ。
1910年(14歳) - 伊部尋常小学校高等科を卒業。父について作陶をはじめる。
1916年(20歳) - 耐火度の高い棚板を考案し、窯詰めの形式を改良をする。父媒陽死去。
1918年(22歳) - 大本教に入信。彩色備前を作り始める。「陶陽」の号を用いる。
1927年(31歳) - ドイツ式の窯と備前式の窯を折衷し窯を改良、木炭をくべて棧切の焼成に成功。
952年(56歳) - 備前焼無形文化財記録保持者に認定される。
1955年(59歳) - 日本工芸会結成
1956年(60歳) - 備前焼の重要無形文化財保持者に認定
1966年(70歳) - 「人間国宝五人展」出品。紫綬褒章受章
1967年(71歳)-岡山病院にて死去。勲四等旭日小綬章受章。


三代 徳田八十吉「碧明釉壷」
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↑三代目徳田八十吉(1933年9月14日 - 2009年8月26日)
 初代の孫として生まれる。初名は正彦。金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻中退後に、初代、二代目等に師事。1988年に三代目を襲名。1991年には第11回日本陶芸展で、大賞・秩父宮賜杯を受賞した。1997年6月6日、重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者(人間国宝)に認定される。釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色に強い個性がある。海外にも多くの作品を発表して高い評価を得た。また、古九谷の学術研究にも尽力した。日本伝統工芸展、審・監査員・特待。国指定重要無形文化財彩釉磁器保持者。日本工芸会常任理事 , 一水会陶芸部運営委員
【略歴】
昭和8年 石川県に生まれる
     金沢美術工芸大学中退後、初代祖父・父二代に師事
昭和53年 日本伝統工芸展特待・鑑査員に推挙
昭和63年 三代八十吉を襲名
平成2年 ’90国際陶芸展グランプリ受賞
平成5年 紫綬褒章授章
平成9年 第10回MOA岡田茂吉賞大賞受賞 重要無形文化財 採釉磁器保持者(人間国宝)に認定
平成21年 各地で喜寿記念個展開催 8月26日逝去


十四代 沈壽官「薩摩吹墨地牡丹文花瓶」
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↑優美で気品に満ちた白薩摩、素朴で力強い黒薩摩、辰砂や鉄絵等も幅広く手掛け、薩摩焼宗家としての名に相応しい創作活動を広く展開しています。又、日韓の親善交流に果たした努力の数々は枚挙に
遑がありません。
【略歴】
1926年 13代沈壽官の長男として鹿児島県に生まれる。本名:大迫恵吉
     早稲田大学政経学部を卒業後、代議士秘書を務める。
1964年 14代沈壽官を襲名。
1984年 文部大臣表彰を受ける
1989年 大韓民国名誉総領事に任命される。
1993年 鹿児島県民表彰を受ける。
1996年 南日本文化賞を受賞。
1999年 大韓民国銀冠文化勲章を受章。名誉博士号を受ける。
2019年6月 逝去


加藤卓男「正倉院復元三彩貼花文花入」
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↑加藤 卓男(かとう たくお、1917年(大正6年)9月12日 - 2005年(平成17年)1月11日)は、陶芸家。ラスター彩、青釉、奈良三彩、ペルシア色絵、正倉院三彩などを再現。岐阜県名誉市民、多治見市名誉市民。
【略歴】
1917年(大正6年)岐阜県多治見市に生まれる。父加藤幸兵衛に師事
1935年(昭和10年)岐阜県多治見工業学校(岐阜県立多治見工業高等学校)卒業
1961年(昭和36年)フィンランド政府の招聘により、意匠と技術の交換のため留学。フィンランド工芸美術学校修了
1973年(昭和48年)ペルシャ陶芸研究のため、イラン国立パーラヴィ大学付属アジア研究所留学およびペルシャ古陶発掘に参加。以後十数回にわたり中東を訪れる。
1983年(昭和58年)多治見市 および岐阜県 重要無形文化財に認定される。
1988年(昭和63年)紫綬褒章を受章。
1995年(平成7年)5月31日、国指定重要無形文化財「三彩」保持者(人間国宝)認定。
2005年(平成17年)1月11日、87歳没。故人として第五回織部賞特別賞を受賞。

【過去の近代巨匠陶芸展のブログ記事】
・第1回:2024年1月22日掲載

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◎第172回 芥川賞 安堂さん 鈴木結生さん 直木賞 伊与原さん
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250115/k10014693991000.html
 第172回芥川賞と直木賞の選考会が15日に東京で開かれ、芥川賞に安堂ホセさんの「DTOPIA」と鈴木結生さんの「ゲーテはすべてを言った」の2作が、直木賞には伊与原新さんの「藍を継ぐ海」が選ばれました。

★芥川賞 安堂ホセさん「DTOPIA」とは
 安堂ホセさんは東京都出身の30歳。
2022年に『ジャクソンひとり』で文藝賞を受賞して小説家デビュー。今回、3回目の候補で受賞が決まりました。
 受賞作の『DTOPIA』は、フランス領ポリネシアのリゾート地で、世界各地から集められた10人の男性がミスユニバースの白人女性を射止めようと競い合う、世界配信の「恋愛リアリティー番組」が舞台です。
 物語は、10人の男性のうちの1人、「キース」と呼ばれる日本人の男性を、幼なじみで、自分の性を男女のどちらにも位置づけない「ノンバイナリー」の「モモ」の視点で描いています。
 モモは父親が日本人、母親がポリネシア出身というルーツをもっていて、番組で繰り広げられる出来事やキースとの回想シーンを通じて、人種やジェンダー、それに戦争、虐殺といったテーマについて鋭く問う作品となっています。
安堂さん「書きたいように書いてみるのが今回の挑戦」
 安堂ホセさんは記者会見で受賞について「うれしいです」と短く述べた上で、「完成度を一回無視して書きたいように書いてみるのが今回の挑戦でした。リアルタイムで起こったことや感じたことを初めて小説に取り入れてみましたが、意外と何を取り入れても小説は壊れないと思い、自分の中で可能性が広がりました」と話していました。
 その上で、デビューから一貫してマイノリティーの立場の人たちを描いてきたことについて、「マイノリティーを書こうというよりも小説の中でどのような人を出すか考えた際に、自分にとってデフォルトとしてあるものが、書きたいテーマに一番近いものとなっていた感じがしています」と語っていました。

★芥川賞 鈴木結生さん「ゲーテはすべてを言った」とは
 芥川賞に選ばれた鈴木結生さんは、福島県出身で現在は福岡市に住む23歳。
福岡市にある西南学院大学に在学中の2024年、短編小説「人にはどれほどの本がいるか」で林芙美子文学賞の佳作を受賞し、小説家としてデビューしました。
 現在は大学院で英文学の研究をするかたわら創作活動を行っています。芥川賞は初めての候補での受賞となりました。
 受賞作の「ゲーテはすべてを言った」は、ドイツの文豪・ゲーテの研究者である男性教授が主人公の物語です。
 主人公が偶然目にしたゲーテのものとされる名言が、本当にゲーテのことばなのかを探し求める中で起きるさまざまな出来事を通じて、「ことば」とは何か、思索を深めていく過程が緻密な表現で描かれています。
鈴木さん「今回の芥川賞は大きなステップ」
 鈴木結生さんは「会見は想像をはるかに超えて華々しい場所で当惑しています。これがまだ2作目なのでこれから先どうなるのか分かりませんが、『今のところ君は魅力的な険しい道を歩んでいるよ』と言ってもらった気がしています」と話しました。
 その上で「今の文学を見ると地獄的な何か変な現象とかへんてこな設定をやることがはやっていると思うし、それが私も好きで都市的なハイセンスなことや旬なことを考えたこともあるが、自分は『古くて新しい愛の物語』を書く者でありたいと思っています。絶えず勉強して考えながら書いていきたいが、今回の芥川賞は大きなステップで自分の文学にさらに真摯(しんし)に向き合っていける、素敵なことをしてくださったと感謝してます」と述べました。
 また、出身地の福島県については「福島という場所はいろいろなことを考える上で自分の原風景になっていることは確かで、これから先、そういうものを文学の場に残せるような仕事をしていけたらと思っています」と話していました。
 そして最後に「ゲーテは亡くなる際に『もっと光を』と言いましたが、今はもう光はいらないなという感じです」と話し、会場からは笑い声が上がっていました。

芥川賞選考委員「勢いのある2人が受賞した」
 芥川賞の今回の選考について、選考委員の1人、島田雅彦さんは「もっとも過剰な2作品の受賞という形になった。勢いのある2人が受賞したことを選考委員一同喜んでいる。1回目の投票は『ゲーテはすべてを言った』が一番の高得点だったが、2回目の投票で『DTOPIA』にポジティブな評価に変わった人がいて、過半数を予想外に超えた。そこで、もう一度、意見を出し合って、2作受賞に至った次第です」と説明しました。
 安堂ホセさんの作品「DTOPIA」については、「非常にテーマがてんこ盛りで、その過剰さが目立ち、選考委員によってはネガティブな受け止めとポジティブな受け止めの両方がいたが、過去の作品から通底するセクシャルマイノリティへの差別とか偏見といったテーマが逐一、エピソードに落とし込まれているかと思う。全体としては一種の暴力性も含めて、随所に出てくるディテールが非常に魅力的だ」と評価しました。
 また鈴木結生さんの作品「ゲーテはすべてを言った」については、「ある選考委員は『雑学小説』と評していたが、全体的にはゲーテにまつわる知識や教養をたたみかけていて、ここまで過剰だとなかなか大したものだ。年齢が非常に若いということもあり新たな書き手の登場で多くの選考委員が注目した。エンターテインメントとして完成度が高く、謎解きミステリー的なタッチもあり、登場人物たちの一連の動きが立体化しているところが魅力だ」と話しました。

★直木賞 伊与原新さん「藍を継ぐ海」とは
 一方、直木賞の受賞が決まった伊与原新さんは、大阪 吹田市生まれの52歳。
東京大学大学院で地球惑星科学を専攻し、その後、富山大学で助教を務めていたときに小説を書き始めました。
 2010年に「お台場アイランドベイビー」で横溝正史ミステリ大賞を受賞して作家デビューすると、NHKでドラマ化された「宙わたる教室」など科学をテーマにしたミステリーや青春小説を次々と発表し、直木賞は2回目の候補での受賞となりました。
 受賞作の「藍を継ぐ海」は、日本各地を舞台にその土地特有の歴史や自然などをモチーフとした短編集です。
 徳島県の海辺の町でこっそりとウミガメを育てようとする女子中学生が主人公の表題作や、山口県の離島で地質調査を行う女性と焼き物に使う土を探し求める男性との交流を描いた物語などが、自然科学に関する専門的な描写とともにミステリー仕立てで描かれています。
伊与原さん「気がつけばこんなところまで来てしまった」
 伊与原新さんは記者会見の冒頭で、「どちらかというとくすぶっていた地球科学研究者だった自分がひょんなことから小説を書き始めて、気がつけばこんなところまで来てしまったという不思議な気持ちです」と語りました。
 そして、科学をテーマに小説を書いていることについて聞かれると「普通のミステリー作家になりたくて小説を書き始めたのですが、せっかく研究の世界にいたので科学研究を舞台にしたものが強みではないかと編集者に言われることが多くなりました。
自分でもインスピレーションの源が科学研究の世界にあるということに気づいてその世界を描くばかりになっていますが、科学の伝道師みたいなものを引き受けているつもりはなくて、自分がおもしろいと思うものを書いているとどうしても科学に傾いているという方が正しいかもしれません」と話していました。
 また、作家デビューからおよそ15年たっての今回の受賞について「なかなか注目されることもなく、何度ももう無理かなと思ったこともありましたが、なんとか次の1作、次の1作と書いていたらこういう結果をいただけて、本当に諦めずに書いていてよかったなと思います。心配してもらった研究者時代の同僚もたくさんいるので『直木賞いただいたよ』と笑顔で言えるなと思います」と思いを語っていました。

直木賞選考委員「短編集とは思えないほど丁寧」
 直木賞の選考委員の角田光代さんは、受賞作について「1作1作、テーマや土地が異なるのに非常によく取材して、その土地で暮らす人たちの生きる姿やそこを訪れる人の姿を短編集とは思えないほど丁寧に書いている」と評しました。
 その上で「科学的な要素が入ってくるところが伊与原さんの作品の特色だが、単なるネタになっていないところが評価され『日常の科学が人間にどんな新しい世界を見せるかが書かれている』とか『科学的事象に意思を見いだし私たちを取り巻く事象として共存しようとする人間のありようが書いてある』といった意見が出た。
人知の及ばない非常に大きなものと人間の小ささを対比させるのではなく、人間の小さな悩みを自然と同じくらい大きなものとし、共存して書かれている点がすばらしいと思った」と賞賛しました。
 また、選考の経緯については「1回目の投票では3作が残ったが、伊与原さんの作品がずばぬけて高得点だった。2作受賞にするか1作受賞にするかを話し合った結果、2回目の投票をせずに1作受賞とすることにした」と話していました。

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◎【全豪オープン】大坂なおみが腹筋の負傷で棄権「競技者としては最後まで戦いたかった」
https://www.nikkansports.com/sports/news/202501170001220.html
 <テニス:全豪オープン>◇女子シングルス3回戦◇17日◇メルボルン
女子で世界ランキング51位の大坂なおみ(27=フリー)は21年東京五輪金メダルのベンチッチ(スイス)に敗れた。第1セットを6-7で落とした後、腹筋の負傷で棄権した。シングルスの日本勢は全て敗退となった。
 懸念されていた故障を再発させた。女子シングルスの大坂は第1セットで5-2と優位に立ちながらも失速し、タイブレークでセットを落とすと、棄権を申し出た。「競技者としては最後まで戦いたかった」と無念そうに話した。
 過去2度優勝の大会で、今回も1、2回戦共にフルセットの末に実力者を破った。しかし痛みと闘いながらで、中1日では状態が戻らなかった。サーブは躍動感が失われ、2回戦で平均168キロを記録した第1サーブは159キロまで落ちていた。
 直前のツアー大会でも腹部のけがのため、決勝を途中棄権した。精密検査の結果に「良くも悪くもない」と不安をのぞかせていたが、この日も「具合はあまり良くない」と表情を曇らせた。
 会見で外国人の女性記者が質問した出産と故障との因果関係については「原因は爆発的なサーブのせいだと思う。10代の頃から年に1度は痛めていた」と否定。「米国での連戦に間に合うように回復できたら」と3月からのツアー復帰を視野に入れた。

※この結果、男女のシングルスで日本勢は全員が敗退しました。
 一方、女子ダブルスでは青山修子選手と穂積絵莉選手のペアと、二宮真琴選手とノルウェーの選手のペアが2回戦に挑みましたが、いずれも敗退しました。

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