川端紘一 展、オサムグッズストア(阪急)、ITF Class of 2024、ミス・インターナショナル日本代表 [美術画廊]
12月15日(日) 先日、阪急百貨店の美術画廊に立ち寄りましたので紹介します。
◎第35回 川端紘一 展
期間:2024年12月11日(水)~12月17日(火)
会場:阪急うめだ本店7階 美術画廊
https://abc0120.net/2024/11/10/166743/
阪急うめだ本店での個展は、1990年の第1回展から、今回で35回目となります。その間たくさんの方々のご支援をいただき成長させていただきましたことに深い感謝の念をいだきつつ、より新鮮な1ページへと歩みを進めたいと考えております。本展では久しぶりにギリシャやマルタへ取材に出かけて制作した作品を含め、国内外の風景や静物を描いた新作50点以上をご覧いただきます。(川端紘一)(美術散歩より)

【略歴】かわばた こういち
1942年、京都府京都市に生まれる。
1967年、京都市立美術大学西洋画科 卒業、同卒業展にて受賞。
1968年、シェル美術賞 受賞(白木屋・東京)。
1969年、京都市立美術大学西洋画科専攻科 修了。
1975年、第1回フランス美術賞パリ展 受賞(フランス・ポンピドゥセンター)。
1983年、第2回吉原治良賞美術コンクール 受賞(大阪現代美術センター)。
1991年、現代美術’91 素材はいろいろ 出展(徳島県立近代美術館)。
1992年、JAPAN牛窓国際芸術祭 第5回美術の実験展 出展(岡山)。
1999年、弁天海港佐久島 ART&FISHERMAN RELATION 出展(’00、愛知)。
2000年、美工のあゆ創立120周年記念展 出展(京都市美術館)。
2017年、阪急うめだ本店9階うめだギャラリーにて画業55年記念展 開催。
以下の画像は、上記サイト及びパンフレットより借用。
↓「デルヒーの遺跡」ギリシャ

↓パンフレット表紙

↓「ターコイズブルー」 サントリーニ島

↓「ガロンヌ川」

↓「奥入瀬」

↓「老梅」

↓「遠い旋律」

【過去の川端紘一展のブログ記事】
・2015年10月30日掲載
・2016年11月6日掲載
・2017年12月19日掲載
・2018年11月19日掲載
・2019年11月17日掲載
・2020年12月22日掲載
・2021年12月21日掲載
・2022年12月12日掲載
・2023年12月19日掲載
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◎オサムグッズストア
期間:2024年12月4日(水)~12月16日(月)
会場:阪急うめだ本店9階 アートステージ
https://website.hankyu-dept.co.jp/honten/h/artstage_osamugoods/
https://www.instagram.com/p/DDJPohfSYvU/?img_index=1
1970年代後半から90年代、一大ブームを起こしたイラストレーター原田治のオサムグッズを特集。ポップでかわいいバッグやランチボックス、ステーショナリーなどをラインアップ。
【原田治の略歴】Wikiより
原田 治(はらだ おさむ、1946年4月27日[ - 2016年11月24日)は、日本のイラストレーター。東京都中央区築地出身。サイレント期の映画監督・二川文太郎は母方の祖父。
幼少の頃から絵画に興味を示し、洋画家で川端玉章の孫にあたる川端実に師事していた。青山学院中等部・高等部を経て多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後渡米し、ここでイラストレーションを学ぶ。ここでの生活が後の作品に「アメリカナイズされたテイスト」として影響を与えることとなる。
帰国後の1970年、創刊したばかりの雑誌「an・an」(マガジンハウス)にイラストを掲載し、イラストレーターとして本格的に始動。1975年、マザー・グースを題材にしたポップで可愛らしいテイストのキャラクターグッズ「OSAMU GOODS」の発売を開始。
雑誌「ビックリハウス」(パルコ出版)では、「明石町先生」というペンネームでイラストページを連載。編集スタッフの似顔絵イラストで構成された連載は人気を博した。また1979年、「ビックリハウス」の執筆陣であった安西水丸・ペーター佐藤・アートディレクターの新谷雅弘らとともにユニット「パレットクラブ」を結成。これは後に生地・築地に設置されたイラストレーター養成学校「パレットクラブスクール」の母体となっている。
その後はイラストレーターも加え、前述の「パレットクラブスクール」講師なども務めていた。また著作ではイラスト集の他、児童向け絵本の挿絵も行なっていた。
2016年7月〜9月にオサムグッズ誕生40周年を記念し『オサムグッズの原田治展』が弥生美術館で開催された。
2017年2月10日付の毎日新聞で死去が報じられた。70歳だった。
2019年7月13日から世田谷文学館にて「原田治展「かわいい」の発見」が始まった。以後全国巡回中。
↓会場風景


以下の画像は、上記サイトより借用。










【過去のオサムグッズストアのブログ記事】
・2023年8月28日掲載
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◎国際テニス連盟が日本の齋藤咲良を“有望選手”の1人に選出!「輝かしい未来を予感させている」と高評価<SMASH>
https://news.yahoo.co.jp/articles/51d179ff4bd34fe277684a92047d76ad67702e25
ITF(国際テニス連盟)は12月13日に「ITF Class of 2024」に選出した6選手を発表。その1人として日本女子のホープ、18歳の齋藤咲良が選ばれた。
ITFはATP・WTAツアーの下部カテゴリーであるITFツアーを管轄している。この「Class of ...」は、その年にITFツアーで活躍し、最も有望でブレークした才能のある選手、そして来年さらに大きな活躍が期待される選手を表彰するというもの。過去にはヤクブ・メンシク(チェコ/2022年)やミラ・アンドレーワ(ロシア/2023年)などが選ばれており、いわば世界上位への“通過証”のような賞と言えるだろう。
今年の選考はATP、WTAの代表者と、ITFからはマーク・ウッドフォード氏(元ダブルス世界1位)、メアリー・ピアース氏(元全豪・全仏女王)、日本の川廷尚弘氏らがパネラーとして加わり、14人の最終候補選手の中から決定された。その1人に選ばれた齋藤。ITFは受賞者発表のリリースの中で、齋藤のことを以下のように紹介している。
「サイトウは2025年にトップ100入りを果たすのに十分な位置にいる。今季は200位近く順位を上げ、キャリアハイの156位でシーズンを終えた。W50ノンタブリー、W75バーニーで決勝に進出し、6月にはW100ビアリッツでタイトルを獲得した。さらに10月には、ツアーデビュー戦となった大阪大会(ジャパンオープン女子)で準々決勝に進出し、日本で最も才能ある若手プレーヤーの1人として、輝かしい未来を予感させている」
ITFの公式サイトでは齋藤の詳しいストーリーも掲載。その中で齋藤は受賞の感想をこう述べている。
「ITFの2024年メンバーに選出されてうれしいです。今年はITFの最高レベルの大会であるビアリッツのW100で優勝し、ランキングを上げることができました。ローランギャロス(全仏)と全米オープンでは(予選に出場し)自分の力を試すことができました」
なお、齋藤以外に選出されたのは以下の5人。
・ニコライ・ブドコフ・ケア(ノルウェー/18歳/男子ジュニアランク1位)
・イバ・ヨビッチ(アメリカ/17歳/WTA194位/全米オープン2回戦)
・ソラナ・シエラ(アルゼンチン/20歳/WTA最高145位/ITF6大会で優勝)
・ラーナー・ティエン(アメリカ/19歳/ATP最高114位/ネクストジェン最終戦出場)
・テレサ・バレントバ(チェコ/17歳/WTA最高240位/ITF5大会で優勝)
次代のテニス界を担うITF“公認”のメンバーに名を連ねた齋藤。来年のさらなる活躍が今から待ち遠しい。
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◎『2025ミス・インターナショナル』日本代表はアナウンサー志望の女子大生 美しい肌とピラティスで培った締まった体幹を披露
https://www.miss-international.org/jp/
https://news.yahoo.co.jp/articles/52104ce7aedcb6d689fc00809dfd68f3558ff461
12月10日、東京・ニッショーホールで『2025ミス・インターナショナル世界大会』の日本代表を選出する『ミス・インターナショナル日本代表選抜大会』が開催され、共立女子大学3年生の能﨑愛(のざき・あい/22)さんがグランプリとビューティスキン賞に輝いた。
着物による一次審査では青と白を基調とした着物姿で登場し、凛とした美しさで会場を魅了。ドレスによる二次審査では透き通る白肌が映えるフレッシュなビビットピンクのタイトドレスで登場し、ヒールでの美しいウォーキングを披露した。
スピーチ審査では英語と日本語で「『愛』とは、大きな愛情を持って小さなことをすること」だと主張。「世界のミスの皆様の、眩しい笑顔に心救われたように、今度は私が、世界のどこかにいる女の子に優しい光を灯せる日本代表になりたいです」と締めた。
表彰後の取材でボディメイクについて聞くと、ピラティスと簡単な筋トレに力を入れているという能﨑愛さん。
「先生に教えていただいたトレーニングを、東京都から山梨県の遠方通学で夜遅く帰った後も、簡単なトレーニングだけでもしています。本当にお恥ずかしい話なのですが、腹筋5回から始めて10回、20回と積み重ねてきました。また、ウォーキングとピラティスは私の身体づくりに必須かもしれないです」
日本代表に選出された能﨑さんは来年の世界大会に向けて、国際活動を含めたミス・インターナショナル日本代表としての活動をしていく。
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◎第35回 川端紘一 展
期間:2024年12月11日(水)~12月17日(火)
会場:阪急うめだ本店7階 美術画廊
https://abc0120.net/2024/11/10/166743/
阪急うめだ本店での個展は、1990年の第1回展から、今回で35回目となります。その間たくさんの方々のご支援をいただき成長させていただきましたことに深い感謝の念をいだきつつ、より新鮮な1ページへと歩みを進めたいと考えております。本展では久しぶりにギリシャやマルタへ取材に出かけて制作した作品を含め、国内外の風景や静物を描いた新作50点以上をご覧いただきます。(川端紘一)(美術散歩より)

【略歴】かわばた こういち
1942年、京都府京都市に生まれる。
1967年、京都市立美術大学西洋画科 卒業、同卒業展にて受賞。
1968年、シェル美術賞 受賞(白木屋・東京)。
1969年、京都市立美術大学西洋画科専攻科 修了。
1975年、第1回フランス美術賞パリ展 受賞(フランス・ポンピドゥセンター)。
1983年、第2回吉原治良賞美術コンクール 受賞(大阪現代美術センター)。
1991年、現代美術’91 素材はいろいろ 出展(徳島県立近代美術館)。
1992年、JAPAN牛窓国際芸術祭 第5回美術の実験展 出展(岡山)。
1999年、弁天海港佐久島 ART&FISHERMAN RELATION 出展(’00、愛知)。
2000年、美工のあゆ創立120周年記念展 出展(京都市美術館)。
2017年、阪急うめだ本店9階うめだギャラリーにて画業55年記念展 開催。
以下の画像は、上記サイト及びパンフレットより借用。
↓「デルヒーの遺跡」ギリシャ

↓パンフレット表紙

↓「ターコイズブルー」 サントリーニ島

↓「ガロンヌ川」

↓「奥入瀬」

↓「老梅」

↓「遠い旋律」

【過去の川端紘一展のブログ記事】
・2015年10月30日掲載
・2016年11月6日掲載
・2017年12月19日掲載
・2018年11月19日掲載
・2019年11月17日掲載
・2020年12月22日掲載
・2021年12月21日掲載
・2022年12月12日掲載
・2023年12月19日掲載
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◎オサムグッズストア
期間:2024年12月4日(水)~12月16日(月)
会場:阪急うめだ本店9階 アートステージ
https://website.hankyu-dept.co.jp/honten/h/artstage_osamugoods/
https://www.instagram.com/p/DDJPohfSYvU/?img_index=1
1970年代後半から90年代、一大ブームを起こしたイラストレーター原田治のオサムグッズを特集。ポップでかわいいバッグやランチボックス、ステーショナリーなどをラインアップ。
【原田治の略歴】Wikiより
原田 治(はらだ おさむ、1946年4月27日[ - 2016年11月24日)は、日本のイラストレーター。東京都中央区築地出身。サイレント期の映画監督・二川文太郎は母方の祖父。
幼少の頃から絵画に興味を示し、洋画家で川端玉章の孫にあたる川端実に師事していた。青山学院中等部・高等部を経て多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後渡米し、ここでイラストレーションを学ぶ。ここでの生活が後の作品に「アメリカナイズされたテイスト」として影響を与えることとなる。
帰国後の1970年、創刊したばかりの雑誌「an・an」(マガジンハウス)にイラストを掲載し、イラストレーターとして本格的に始動。1975年、マザー・グースを題材にしたポップで可愛らしいテイストのキャラクターグッズ「OSAMU GOODS」の発売を開始。
雑誌「ビックリハウス」(パルコ出版)では、「明石町先生」というペンネームでイラストページを連載。編集スタッフの似顔絵イラストで構成された連載は人気を博した。また1979年、「ビックリハウス」の執筆陣であった安西水丸・ペーター佐藤・アートディレクターの新谷雅弘らとともにユニット「パレットクラブ」を結成。これは後に生地・築地に設置されたイラストレーター養成学校「パレットクラブスクール」の母体となっている。
その後はイラストレーターも加え、前述の「パレットクラブスクール」講師なども務めていた。また著作ではイラスト集の他、児童向け絵本の挿絵も行なっていた。
2016年7月〜9月にオサムグッズ誕生40周年を記念し『オサムグッズの原田治展』が弥生美術館で開催された。
2017年2月10日付の毎日新聞で死去が報じられた。70歳だった。
2019年7月13日から世田谷文学館にて「原田治展「かわいい」の発見」が始まった。以後全国巡回中。
↓会場風景


以下の画像は、上記サイトより借用。










【過去のオサムグッズストアのブログ記事】
・2023年8月28日掲載
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◎国際テニス連盟が日本の齋藤咲良を“有望選手”の1人に選出!「輝かしい未来を予感させている」と高評価<SMASH>
https://news.yahoo.co.jp/articles/51d179ff4bd34fe277684a92047d76ad67702e25

ITFはATP・WTAツアーの下部カテゴリーであるITFツアーを管轄している。この「Class of ...」は、その年にITFツアーで活躍し、最も有望でブレークした才能のある選手、そして来年さらに大きな活躍が期待される選手を表彰するというもの。過去にはヤクブ・メンシク(チェコ/2022年)やミラ・アンドレーワ(ロシア/2023年)などが選ばれており、いわば世界上位への“通過証”のような賞と言えるだろう。
今年の選考はATP、WTAの代表者と、ITFからはマーク・ウッドフォード氏(元ダブルス世界1位)、メアリー・ピアース氏(元全豪・全仏女王)、日本の川廷尚弘氏らがパネラーとして加わり、14人の最終候補選手の中から決定された。その1人に選ばれた齋藤。ITFは受賞者発表のリリースの中で、齋藤のことを以下のように紹介している。
「サイトウは2025年にトップ100入りを果たすのに十分な位置にいる。今季は200位近く順位を上げ、キャリアハイの156位でシーズンを終えた。W50ノンタブリー、W75バーニーで決勝に進出し、6月にはW100ビアリッツでタイトルを獲得した。さらに10月には、ツアーデビュー戦となった大阪大会(ジャパンオープン女子)で準々決勝に進出し、日本で最も才能ある若手プレーヤーの1人として、輝かしい未来を予感させている」
ITFの公式サイトでは齋藤の詳しいストーリーも掲載。その中で齋藤は受賞の感想をこう述べている。
「ITFの2024年メンバーに選出されてうれしいです。今年はITFの最高レベルの大会であるビアリッツのW100で優勝し、ランキングを上げることができました。ローランギャロス(全仏)と全米オープンでは(予選に出場し)自分の力を試すことができました」
なお、齋藤以外に選出されたのは以下の5人。
・ニコライ・ブドコフ・ケア(ノルウェー/18歳/男子ジュニアランク1位)
・イバ・ヨビッチ(アメリカ/17歳/WTA194位/全米オープン2回戦)
・ソラナ・シエラ(アルゼンチン/20歳/WTA最高145位/ITF6大会で優勝)
・ラーナー・ティエン(アメリカ/19歳/ATP最高114位/ネクストジェン最終戦出場)
・テレサ・バレントバ(チェコ/17歳/WTA最高240位/ITF5大会で優勝)
次代のテニス界を担うITF“公認”のメンバーに名を連ねた齋藤。来年のさらなる活躍が今から待ち遠しい。
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◎『2025ミス・インターナショナル』日本代表はアナウンサー志望の女子大生 美しい肌とピラティスで培った締まった体幹を披露
https://www.miss-international.org/jp/
https://news.yahoo.co.jp/articles/52104ce7aedcb6d689fc00809dfd68f3558ff461

着物による一次審査では青と白を基調とした着物姿で登場し、凛とした美しさで会場を魅了。ドレスによる二次審査では透き通る白肌が映えるフレッシュなビビットピンクのタイトドレスで登場し、ヒールでの美しいウォーキングを披露した。
スピーチ審査では英語と日本語で「『愛』とは、大きな愛情を持って小さなことをすること」だと主張。「世界のミスの皆様の、眩しい笑顔に心救われたように、今度は私が、世界のどこかにいる女の子に優しい光を灯せる日本代表になりたいです」と締めた。
表彰後の取材でボディメイクについて聞くと、ピラティスと簡単な筋トレに力を入れているという能﨑愛さん。
「先生に教えていただいたトレーニングを、東京都から山梨県の遠方通学で夜遅く帰った後も、簡単なトレーニングだけでもしています。本当にお恥ずかしい話なのですが、腹筋5回から始めて10回、20回と積み重ねてきました。また、ウォーキングとピラティスは私の身体づくりに必須かもしれないです」
日本代表に選出された能﨑さんは来年の世界大会に向けて、国際活動を含めたミス・インターナショナル日本代表としての活動をしていく。
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