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迎春、丑年(運勢、切手、格言、熟語) [雑記]

1月1日(金)    謹んで新年のご挨拶を申し上げます。昨年は新型コロナウイルスの影響で我慢の一年でした。今年は感染拡大が沈静することを願ってやみません。「もぉ~っといい年になりますように」。
 今年もブログ毎日更新を目標に頑張ろうと思いますので、宜しくお願い致します。
 
↓近所の猪名津彦神社の「牛」の絵馬の前の「はな」です
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↓昨日、北摂霊園へ墓参りしました。雪が積もっていて運転は徐行でした。
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 さて、新年最初の記事は、例年通りの迎春・辛丑の関連です。

◎運勢
2021年の干支は「辛丑(かのと・うし)」。どうやら痛みを伴う衰退と、新たな息吹が互いに増強し合う年になりそうです。

「辛」は季節でいえば秋の終わり頃、植物なら枯れた状態にあり、実は腐って地面に落ち、次世代のタネを大地に還す途中といったところだろうか。
 陰陽五行思想では、「辛」は「金の弟」と表され、「金の陰」に分類される。「金」は冷徹、堅固、確実、秋の象徴である。陰とは大人しいとか小さいといったイメージでいいだろう。つまり「金の陰」とは、黙考する、黙想するといった意味になる。
 また「辛」という漢字は、刺青をする針を表した象形文字である。針で刺すことから身体的な苦痛を表す言葉に当てられ、ツライ、カライ、ヒドイなどの意味を持つ。
 これらのことを考え合わせると、「辛」は思い悩みながら、ゆっくりと衰退していくことや、痛みを伴う幕引きを意味する。

「丑」は、発芽直前の曲がった芽が種子の硬い殻を破ろうとしている状態で、命の息吹を表している。種の中に今にもはち切れそうなくらい生命エネルギーが充満している状況といえば分かりやすいだろうか。陰陽五行思想においては、「丑」は「土」に分類される。
 「丑」という漢字は、手の指に力を込めて曲げた形を表した象形文字である。元々は、ひねるや曲げるといった意味で使われていたが、作業の準備段階も表していることから、「はじめ」といった意味が派生した。

では「辛」と「丑」はどのような関係にあるのか。この2つは「土生金」と呼ばれる「相生」の関係にある。
 相生とは相手の力を生かし強め合う関係をいい、緩やかな衰退、痛みを伴う幕引きと、新たな命の息吹が互いを生かし合い、強め合うことを意味する。
 つまり、衰退や痛みが大きければ命の初動が大きくなり、芽吹きが大きければその分、激烈に枯れる。辛いことが多いだけ、大きな希望が芽生える年になることを指し示しているのである。
(以上は、homes 村上瑞祥氏のサイトより抜粋)


◎格言・ことわざことわざの部屋サイトより)
1. 商いは牛の涎 ( あきないはうしのよだれ )
 商売をするには牛の涎のようでなければならない。 一時に大もうけしようとせず、細く長く、わずかな利益を積み重ねて財をなすべきだ、という意味。
2. 黄牛に突かれる ( あめうしにつかれる )
 温順な牛に突かれる。油断して失敗することをいう。
3. 牛売って牛にならず ( うしうってうしにならず )
 牛を売った代金で、代わりの牛を買おうとしても金が足らない。 だれでも自分の物は高く評価しがちで、売りは安く買いは高く、人にもうけられるだけだ。
4. 牛と呼び馬と呼ぶ ( うしとよびうまとよぶ )
 牛と呼ばれれば牛と思い、馬と呼ばれれば馬と思うように、是非善悪は人にまかせて、自分は一切かかわらないこと。
5. 牛に馬を乗り換える ( うしにうまをのりかえる )
 速い馬をやめて遅い牛に乗り換える。優れているものを捨てて、それよりも劣っているものをとること。 その反対を「牛を馬に乗り換える」という。
6. 牛に対して琴を弾ず ( うしにたいしてことをだんず )
 いくら説ききかせてもだめなこと。 愚かなものに立派なよい道理を説いたところでわからない、無益であること。 魯の賢者、公明儀は牛に対して清角の操という琴の名曲を弾いて聞かせたが、牛は草を食って知らぬ顔。 聞かないのではない耳に合わないのである、という故事から出た語。
7. 牛に引かれて善光寺詣り ( うしにひかれてぜんこうじまいり )
 善光寺(長野市にある寺)の近くに住んでいた老婆が、さらしていた布を、隣家の牛が角に引っかけて走っていくのを追って行くうちに、 善光寺に達し、日頃は不信心であったが、それが縁で信仰するようになったという話から、 本心からではなく、他のものに誘われてたまたま善いことをする、という意味。
8. 牛の歩み ( うしのあゆみ )
 牛ののろのろした歩きぶりから、進歩・進展のおそいことのたとえ。牛歩。
9. 牛の一散 ( うしのいっさん )
 歩みの遅い牛でも、いっさん(一目散)に走り出すことがあるように、常に鈍い愚人が考えもせずにはやり進むこと。 先のことも考えずに、むやみにはやりたつこと。
10. 牛の小便と親の意見 ( うしのしょうべんとおやのいけん )
 牛の小便はだらだらと長い。そのくせ肥料としては効き目がない。親の小言も同じで、長いだけで効果はないという意味。
11. 牛の角を蜂がさす ( うしのつのをはちがさす )
 蜂が牛の角を刺しても、牛は痛くもなんともない、ということから、なんとも感じないことのたとえ。
 【参考】 「鹿の角を蜂がさす」ともいう。
12. 牛は牛づれ馬は馬づれ ( うしはうしづれうまはうまづれ )
 それ相応の似合わしい相手どうしが一緒になるのが一番よい、という意。
 【類句】 似た者夫婦 / 破鍋に綴蓋
13. 牛も千里馬も千里 ( うしもせんりうまもせんり )
 巧いかまずいか、遅いか早いかの違いはあっても、行きつくところは結局同じである。 あわてることはないというたとえ。
14. 牛を馬に乗り換える ( うしをうまにのりかえる )
 遅い牛をやめて速い馬に乗り換える。都合のよい、すぐれたほうに換える意。
 【参考】 「馬を牛に乗り換える」の対。
15. 牛を食らうの気 ( うしをくらうのき )
 幼い時からすぐれた気性があること。 虎や豹の子は、小さいうちから大きな牛を食おうとするほどの気概がある。
 【参考】 「食牛(しょくぎゅう)の気」ともいう。
16. 馬を牛に乗り換える ( うまをうしにのりかえる )
 速い馬を遅い牛に乗り換える。すぐれたほうを捨てて劣ったほうを採る意。
 【参考】 「牛を馬に乗り換える」の対。
17. 遅牛も淀早牛も淀 ( おそうしもよどはやうしもよど )
 遅い早いの違いはあっても、行き着くところは同じである。 行く先が同じなら結果も同じであるというたとえ。
 【参考】 「早牛も淀遅牛も淀」ともいう。
18. 女賢しくして牛売りそこなう ( おんなさかしくしてうしうりそこなう )
 売り手の女がなまじ利口だと、かえって牛を売りそこなう、女は賢くても、 広い視野や大局的な判断に欠けることが多いから、とかく失敗しやすい、という意味。
 【類句】 女の知恵は後ろへまわる
19. 火牛の計 ( かぎゅうのけい )
 牛の角に刃物をつけ、牛の尾に油をそそいだ葦の束を結び、火をつけて敵陣に放つ戦術。 戦国時代に斉の田単(でんたん)が用いて燕軍(えんぐん)に大勝し、わが木曾義仲(きそよしなか)もこれによって、平家の大群を破った。
20. 画工闘牛の尾を誤って牧童に笑われる
  ( がこうとうぎゅうのおをあやまってぼくどうにわらわれる )
 実物のよく観察した上で描かないと、とんだ失敗をするということで、 無学な者でも専門の事には詳しい知識を持っているから、教えを受けるがよい、という意味。 牧童が闘牛の絵を見て大笑いした。牛が戦うときには力が角に入っていて、尾は股の間に曲げているものなのに、 この牛は尾を上げている、こんなばかげた闘牛はないといった故事による。
21. 汗牛充棟 ( かんぎゅうじゅうとう )
 蔵書が非常に多いたとえ。車に積めば、それを引く牛が汗を出すほどであり、 家の中に積み上げれば、棟木につかえるほどである、という意味。
22. 牛驥同早 ( ぎゅうきどうそう )
 足の遅い牛と千里を走る駿馬とを同じ飼い葉桶で飼うことで、人間を牛馬なみにそまつに扱うこと。 また、才能のある者を愚かな者と同じに扱うことのたとえ。「早」は飼い葉桶。
23. 九牛が一毛 ( きゅうぎゅうがいちもう )
 九頭の牛の毛の中の一本ということから、きわめて多くの中のごく小さい一部分をいうたとえ。 取るに足らぬ小さなこと。ものの数ではないこと。
24. 牛首を懸けて馬肉を売る ( ぎゅうしゅをかけてばにくをうる )
 牛の頭を店先にかけて実際は馬肉を売ることで、名と実が伴わないこと。 言うことと行なうことが違うこと。命令と実行とが一致しないことのたとえ。
 【類句】 羊頭を懸けて狗肉を売る
25. 牛耳を執る ( ぎゅうじをとる )
 団体や党派などの頭となる。仲間の上に立って思うままに指図する。昔、中国の諸侯が集まって同盟を結んだとき、 その同盟の中心となるものが、刀で牛の耳を切り、皆でその血をすすって誓った、という故事による。
 【参考】 「牛耳る」とも使う。
 【例】 「彼は新しいクラブを作り、そこを牛耳っている」
26. 暗闇から牛を牽き出す ( くらやみからうしをひきだす )
 暗くて何が何だかよくわからないことをいう。 また、鈍重ではっきりしない人のたとえ。
 【参考】 「暗がりの牛」「暗がりから牛」「暗闇から牛を引き出す」ともいう。
27. 鶏口となる牛後となる勿れ ( けいこうとなるぎゅうごとなるなかれ )
 大きな団体で、しりに付いているよりも、小さな団体でもその長となれという意味で、人に従属するよりも独立した方がよいというたとえ。
28. 剣を売りて牛を買う ( けんをうりてうしをかう )
 武事をやめて農業に力を尽くすこと。 キョウ隊が渤海の太守になって赴任して行ってみると、土地の人はぜいたくで農業をきらっていたので、 自分から田畑を作ってみせて農業をすすめた。刀剣を持っている者が多かったので剣を売って牛を買い、 刀を売って犢(こうし・子牛)を買わせたので、みな富貴となった故事。
29. 呉牛月に喘ぐ ( ごぎゅうつきにあえぐ )
 過度に恐れること。極端な恐怖症。「呉牛」は水牛のこと。 南方は暑さがひどいので、そこにいる水牛は暑さを非常に恐れ、月を見ても太陽かと思ってあえぐという。
30. ずるい事は牛でもする ( ずるいことはうしでもする )
 ものぐさな人を叱ることばで、せっせと仕事をしなさいということ。
31. 角を矯めて牛を殺す ( つのをためてうしをころす )
 角の曲りを直そうとして、牛を殺してしまうようなことから、少しの欠点を直そうとして、かえってそのものをダメにしてしまうことのたとえ。 つまらぬ末端の事柄にこだわって肝心な根本をそこなうこと。
32. 年寄りの言う事と牛の尻繋は外れない
  ( としよりのいうこととうしのしりがいははずれない )
 経験を多く積んだ人の知識やその考え方は尊いもので、正しいといわねばならない。 しりがいは牛馬の車との固定具で、なかなか外れないようになっている。
33. 鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん
  ( にわとりをさくにいずくんぞぎゅうとうをもちいん )
 鶏を料理するのに、どうして牛を料理する大きな包丁などを用いる必要があろうか。 小さなことを処理するには大がかりな方法を用いる必要はない、という意味。
34. 寝た牛に芥かくる ( ねたうしにあくたかくる )
 なんの関係もなく、なんにも知らない他人に罪をなすりつけること。
35. 羊を以て牛に易う ( ひつじをもってうしにかう )
 小さな物を大きな物のかわりにすること。 またいくらかは違うが本質には変わりがなく、大体において同じだということ。
36. 風馬牛 ( ふうばぎゅう )
 互いに無関係なこと。「風」はさかりがつく、という意。「風する馬牛も相及ばず」で、さかりがついた雌雄の牛馬は、 遠く離れていても誘い合うが、それも出来ないほど、土地が遠く離れていること。
37. 伏せる牛に芥 ( ふせるうしにあくた )
 ねている牛にごみをかけるように、弱い者や死んでしまった者に、これ幸いと罪をなすりつけること。
38. 蚊虻牛羊を走らす ( ぶんぼうぎゅうようをはしらす )
 蚊やあぶのような小さな虫が、牛や羊のような大きな動物にたかって、牛や羊がかゆくて走る出すように、弱小のものが強大なものを動かすたとえをいう。 小さな物でも油断をしていると、それが禍となり大害を引き起こすことがあるというたとえ。
39. 弱牛の尻押し ( よわうしのしりおし )
 つまらぬ者に力をかしてもむだだということ。


◎「牛」を含む四字熟語四字熟語事典サイトより)
https://yoji.jitenon.jp/kanji/108.html
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◎「牛」の切手

↓昭和36年用年賀切手
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↓昭和60年用年賀切手
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↓平成9年用年賀切手
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年賀切手4.jpg年賀切手5.jpg

↓平成21年用年賀切手
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↓平成20年11月21日発行の「干支文字切手」
牛切手1.gif

※昭和12年用・昭和24年用・昭和48年用年賀切手の図柄は「牛」ではない。
※令和3年用の年賀切手は、こちらをご覧ください。
※切手に見る牛 http://taketori-omi.jugem.jp/?eid=391 年賀切手以外の「牛」切手が掲載。

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