京都の若冲とゆかりの寺(大阪髙島屋)、Jリーグ公式戦中断 [美術画廊]
2月26日(水) 全国巡回展中の「伊藤若冲展」を見てきました。
◎没後220年 京都の若冲とゆかりの寺~いのちの輝き~
期間:2020年2月21日(金)~3月8日(日)
会場:大阪髙島屋7階 グランドホール
入場料:一般1,000円
https://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/jakuchu.html
日本美術ブームを牽引する奇想の画家・伊藤若冲の没後220年を記念した展覧会「京都の若冲とゆかりの寺-いのちの輝き-」が、京都・大阪・日本橋・横浜の髙島屋にて順次開催中です。
生命力に溢れる選りすぐりの若冲作品約50点が一堂に
この展覧会では、若冲とゆかりの深い、京都の8ヶ寺(横浜会場のみ7ヶ寺)に伝わる名品や若冲蒐集で国内外に知られる京都の細見美術館の所蔵品のほか、若冲派と呼ばれる弟子たちの作品が集結。
緻密に描きこまれたディテール、微笑ましいユーモラスな表情など、仏教信仰に裏付けられた優しくも生命力にあふれる選りすぐりの若冲作品約50件が堪能できます。
【若冲の略歴】
正徳6年(1716)京都錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれる。名は汝鈞、字(あざな)
は景和。
■青物問屋とは、野菜を買い取り仲買人に売り渡す商売。長男である若冲は、実家の
屋号を継ぐ運命にあった。
■同年、尾形光琳没。同時代には、柳沢淇園(1704~1758)、与謝蕪村(1716~
1783)、池大雅(1723~1776)、曾我蕭白(1730~1781)、円山応挙(1733~
1795)などがいた。
元文3年(1738)父・宗清没。23歳で「桝屋」の当主となり、四代目伊藤源左衛門を名乗る。
■若冲は、学問が嫌いで字も下手。芸事も出来ず、娯楽も一切受け付けなかった。
そんな若冲にとって、当主の務めである商売上の付き合いや会合は、苦痛そのもの
だった。
■絵を描き始めたのは、当主となってしばらく経った20代終わり頃から。
宝暦2年(1752)頃梅荘顕常(大典)と知り合う。この頃から若冲居士と号する。
■「居士」とは、在家の禅の帰依者という意味。
宝暦5年(1755)次弟・宗厳(白歳)に家督を譲る。茂右衛門と改名。
■40歳で隠居。以後、画業に専念する。
宝暦8年(1758)頃「動植綵絵」制作に着手。
■花鳥画三十幅を作り、後世に遺そうと描き始めた。
宝暦9年(1759)鹿苑寺大書院障壁画に着賛。
■画家となってから、わずか4年目にまかされる。起用の背景には、大典の後押しが
あったと思われる。
明和2年(1765)「釈迦三尊像」三幅と「動植綵絵」二十四幅を相国寺に寄進。相国寺と永代供養
の契約を結ぶ。
■二十四幅の時点で寄進したのは、直前に末弟・宗寂を亡くしたためと推測される。
安永5年(1776)頃石峰寺「五百羅漢石像」の制作に着手。
■若冲が下図を描き、石工職人に彫らせた。
天明8年(1788)天明の大火により、若冲の住まい、相国寺焼亡。
■若冲の人生を一変させた事件。これまで何不自由なく画業を営んでいたが、大火後
は絵を売って糧とするようになった。
寛政2年(1790)大阪・西福寺「仙人掌群鶏図」制作(※)。大病を患う。
■大火後、最も重要な作品。西幅寺に6ヶ月ほど滞在して描いた。
※従来はこの年とされているが、京都国立博物館の狩野博幸氏は1788年制作説を
提唱している。
寛政3年(1791)相国寺との永代供養の契約を解除。
■大火類焼後の困窮が理由。この頃から、妹と共に石峰寺に隠棲か。
寛政12年(1800)9月8日、あるいは10日没。85歳。
■石峰寺に土葬。10月27日、相国寺で法要が営まれる。
↓パンフレット(表)
↓出品目録
魅せられて愛でる
世に先駆けて蒐集された細見美術館の若冲コレクション。30代から80代までを網羅する作品で作家の画業を追います。
↓「鼠婚礼図」細見美術館蔵
↓「鶏図押絵貼屏風」細見美術館蔵
守り伝える
その生涯に大きな影響を与えた大典和尚と相国寺など、お寺の存在は若冲を語るうえで欠くことはできません。京都の8ヶ寺が所蔵する貴重な若冲作品を一堂に。
↓「牡丹百合図」慈照寺蔵
↓「竹虎図(左幅)鹿苑寺蔵 ↓「芦花翡翠図」大光明寺蔵
↓久保田米僊 筆「伊藤若冲蔵」相国寺蔵
↓「轆轤図」宝蔵寺蔵
↓「竹に雄鶏図」(部分)宝蔵寺蔵
憧れ挑む
近年研究が進み注目されている弟子たち、若冲派の作品。若冲の絵に憧れ若冲を慕って試行錯誤した画家たちの思いを紹介します。
↓処冲 筆「蟹図」(部分)宝蔵寺蔵
↓白歳 筆「南瓜雄鶏図」(部分)宝蔵寺蔵
【細見美術館での「伊藤若冲展」のブログ記事】
・2016年7月6日掲載(クリックして下さい)
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◎Jリーグ、来月15日までの公式戦を延期 代替日は未定
https://www.asahi.com/articles/ASN2T5VF8N2TUTQP041.html
↓(朝日新聞デジタル)
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、サッカーJリーグは25日、26日から3月15日までの公式戦の開催を延期すると発表した。対象はJ1、J2、J3の各リーグ戦78試合とルヴァン杯16試合。この日の理事会などを経て決めた。代替日は未定。3月18日に予定されているリーグ戦からの再開に向けて準備するという。
今季のJ1は21日に開幕し、23日までに開幕節の9試合を行った。J2は23日に開幕し、J3は3月7日に開幕する予定だった。
この日の理事会に先立ち、26日に予定されていたルヴァン杯1次リーグ第2節7試合の開催を延期すると発表していた。ルヴァン杯は今月16日に開幕し、すでに8試合が行われた。
★プロ野球、新型肺炎であす協議 「まずオープン戦」
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◎没後220年 京都の若冲とゆかりの寺~いのちの輝き~
期間:2020年2月21日(金)~3月8日(日)
会場:大阪髙島屋7階 グランドホール
入場料:一般1,000円
https://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/jakuchu.html
日本美術ブームを牽引する奇想の画家・伊藤若冲の没後220年を記念した展覧会「京都の若冲とゆかりの寺-いのちの輝き-」が、京都・大阪・日本橋・横浜の髙島屋にて順次開催中です。
生命力に溢れる選りすぐりの若冲作品約50点が一堂に
この展覧会では、若冲とゆかりの深い、京都の8ヶ寺(横浜会場のみ7ヶ寺)に伝わる名品や若冲蒐集で国内外に知られる京都の細見美術館の所蔵品のほか、若冲派と呼ばれる弟子たちの作品が集結。
緻密に描きこまれたディテール、微笑ましいユーモラスな表情など、仏教信仰に裏付けられた優しくも生命力にあふれる選りすぐりの若冲作品約50件が堪能できます。
【若冲の略歴】
正徳6年(1716)京都錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれる。名は汝鈞、字(あざな)
は景和。
■青物問屋とは、野菜を買い取り仲買人に売り渡す商売。長男である若冲は、実家の
屋号を継ぐ運命にあった。
■同年、尾形光琳没。同時代には、柳沢淇園(1704~1758)、与謝蕪村(1716~
1783)、池大雅(1723~1776)、曾我蕭白(1730~1781)、円山応挙(1733~
1795)などがいた。
元文3年(1738)父・宗清没。23歳で「桝屋」の当主となり、四代目伊藤源左衛門を名乗る。
■若冲は、学問が嫌いで字も下手。芸事も出来ず、娯楽も一切受け付けなかった。
そんな若冲にとって、当主の務めである商売上の付き合いや会合は、苦痛そのもの
だった。
■絵を描き始めたのは、当主となってしばらく経った20代終わり頃から。
宝暦2年(1752)頃梅荘顕常(大典)と知り合う。この頃から若冲居士と号する。
■「居士」とは、在家の禅の帰依者という意味。
宝暦5年(1755)次弟・宗厳(白歳)に家督を譲る。茂右衛門と改名。
■40歳で隠居。以後、画業に専念する。
宝暦8年(1758)頃「動植綵絵」制作に着手。
■花鳥画三十幅を作り、後世に遺そうと描き始めた。
宝暦9年(1759)鹿苑寺大書院障壁画に着賛。
■画家となってから、わずか4年目にまかされる。起用の背景には、大典の後押しが
あったと思われる。
明和2年(1765)「釈迦三尊像」三幅と「動植綵絵」二十四幅を相国寺に寄進。相国寺と永代供養
の契約を結ぶ。
■二十四幅の時点で寄進したのは、直前に末弟・宗寂を亡くしたためと推測される。
安永5年(1776)頃石峰寺「五百羅漢石像」の制作に着手。
■若冲が下図を描き、石工職人に彫らせた。
天明8年(1788)天明の大火により、若冲の住まい、相国寺焼亡。
■若冲の人生を一変させた事件。これまで何不自由なく画業を営んでいたが、大火後
は絵を売って糧とするようになった。
寛政2年(1790)大阪・西福寺「仙人掌群鶏図」制作(※)。大病を患う。
■大火後、最も重要な作品。西幅寺に6ヶ月ほど滞在して描いた。
※従来はこの年とされているが、京都国立博物館の狩野博幸氏は1788年制作説を
提唱している。
寛政3年(1791)相国寺との永代供養の契約を解除。
■大火類焼後の困窮が理由。この頃から、妹と共に石峰寺に隠棲か。
寛政12年(1800)9月8日、あるいは10日没。85歳。
■石峰寺に土葬。10月27日、相国寺で法要が営まれる。
↓パンフレット(表)
↓出品目録
魅せられて愛でる
世に先駆けて蒐集された細見美術館の若冲コレクション。30代から80代までを網羅する作品で作家の画業を追います。
↓「鼠婚礼図」細見美術館蔵
↓「鶏図押絵貼屏風」細見美術館蔵
守り伝える
その生涯に大きな影響を与えた大典和尚と相国寺など、お寺の存在は若冲を語るうえで欠くことはできません。京都の8ヶ寺が所蔵する貴重な若冲作品を一堂に。
↓「牡丹百合図」慈照寺蔵
↓「竹虎図(左幅)鹿苑寺蔵 ↓「芦花翡翠図」大光明寺蔵
↓久保田米僊 筆「伊藤若冲蔵」相国寺蔵
↓「轆轤図」宝蔵寺蔵
↓「竹に雄鶏図」(部分)宝蔵寺蔵
憧れ挑む
近年研究が進み注目されている弟子たち、若冲派の作品。若冲の絵に憧れ若冲を慕って試行錯誤した画家たちの思いを紹介します。
↓処冲 筆「蟹図」(部分)宝蔵寺蔵
↓白歳 筆「南瓜雄鶏図」(部分)宝蔵寺蔵
【細見美術館での「伊藤若冲展」のブログ記事】
・2016年7月6日掲載(クリックして下さい)
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◎Jリーグ、来月15日までの公式戦を延期 代替日は未定
https://www.asahi.com/articles/ASN2T5VF8N2TUTQP041.html
↓(朝日新聞デジタル)
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、サッカーJリーグは25日、26日から3月15日までの公式戦の開催を延期すると発表した。対象はJ1、J2、J3の各リーグ戦78試合とルヴァン杯16試合。この日の理事会などを経て決めた。代替日は未定。3月18日に予定されているリーグ戦からの再開に向けて準備するという。
今季のJ1は21日に開幕し、23日までに開幕節の9試合を行った。J2は23日に開幕し、J3は3月7日に開幕する予定だった。
この日の理事会に先立ち、26日に予定されていたルヴァン杯1次リーグ第2節7試合の開催を延期すると発表していた。ルヴァン杯は今月16日に開幕し、すでに8試合が行われた。
★プロ野球、新型肺炎であす協議 「まずオープン戦」
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★@ミックさん、nice有難うございます。
★鉄腕原子さん、nice有難うございます。
★ryo1216さん、nice有難うございます。
★ストックンさん、nice有難うございます。
★タンタンさん、nice有難うございます。
★kiyokiyoさん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
★xml_xslさん、nice有難うございます。
★トレンダー櫻井さん、nice有難うございます。
★middrinnさん、nice有難うございます。
★ありささん、nice有難うございます。
by たいちさん (2020-02-26 12:55)
★足立sunnyさん、nice有難うございます。
★いっぷくさん、nice有難うございます。
★かずのこさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2020-02-26 23:09)
★ネオ・アッキーさん、nice有難うございます。
★ritton2さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2020-02-27 16:01)
non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2020-03-01 22:42)