「はな」と行く四国遍路20(75番・善通寺3)、日本シリーズ2勝2敗の五分 [四国八十八]
10月27日(木) 第75番札所「善通寺」の西院(誕生院)を参拝後、東院(伽藍)に向かいました。
◎第75番・善通寺 (東院)
↓(Wikiより)
善通寺は、真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。
平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。
【歴史】
空海(弘法大師)は讃岐国、現在の善通寺市の出身である。『多度郡屏風浦善通寺之記』によれば、善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)・我拝師山(がはいしざん)・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)の5つの山の麓(ふもと)にあることから命名された。
善通寺の文献上の初見は、『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』に収められた寛仁2年(1018年)の「讃岐国善通寺司解」(さぬきのくにぜんつうじしげ)という文書である。ここで善通寺は、東寺の末寺として登場し、「弘法大師御御建立」「大師御霊所」とされ、空海の先祖による創建だとする伝えが古くから存在したことがわかる。境内からは白鳳から奈良時代にさかのぼる古瓦が出土しており、善通寺は実際には佐伯一族の氏寺として創建されたのではないかと推定されている。
本格的に興隆をむかえるのは鎌倉時代に入って、天皇や上皇からの庇護や荘園の寄進を受けてからである。この保護の背景には、平安後期に広まった弘法大師信仰があり、誕生の地に伝わり大師自筆とされる「瞬目(めひき)大師像」への崇敬がある。建長元年(1249年)には誕生院が建立され、東の伽藍、西の誕生院という現在の形式が出来上がった。鎌倉時代の善通寺の本寺は、東寺、随心院、大覚寺、再び随心院と変転しつつも、室町時代以降は足利氏の庇護を受けつつ自律的経営を目指した。
永禄元年(1558年)三好実休の兵火に遭い伽藍を焼失するが、天正16年(1588年)に生駒親正から28石、生駒一正から35石の寄進を受けたことなどで立ち直る。近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。近世の善通寺の史料は少ないが残された絵図類などから、金堂や五重塔などの再建に奔走する傍ら、西院の御影堂を中心に参詣空間を充実させ、19世紀前半には完成したのが見て取れる。また、明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展した。現在も陸上自衛隊善通寺駐屯地がある。
↓中門
↑江戸時代末期再建。木造2階建、入母屋造、本瓦葺。
↓五百羅漢
↓佐伯祖廟
↑大師さまの父・善通公「佐伯明神」と母・玉寄御前「玉寄明神」を祀る。
↓五重塔
↑1884年再建。高さ43m、総欅造、三間五重塔婆、本瓦葺。江戸時代末期の安政年(1854年)に着工し、3代の棟梁が携わって、明治35年(1902年)に竣工した。二重〜五重の内部にも床板を張り、人が登れる構造になっている。
↓五社明神
↑雲気大明神、大歳大明神、大麻大明神、広浜大明神、蕪津大明神の五社明神を二宇相殿で祀っている。この五社は、元の善通寺領の氏神で、寺領安穏を祈るため勧請された。
↓三帝御廟
↑「三帝」とは、後嵯峨天皇、亀山天皇、後宇多天皇。しばしば善通寺に綸旨院宣を賜い、御叡信殊に深い方々です。御廟は、遺勅により爪髪を収め宝塔を建立。
↓大楠
↓善通寺の境内は、犬の散歩禁止ですので、ずーっと「はな」を背負って参拝しました。
↓金堂(本堂)と子授修行大師
↓金堂(本堂)
↑元禄12年(1699年)上棟。入母屋造、本瓦葺き。外観は二層に見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、方三間の身舎(もや)の周囲に一間の裳階をめぐらす(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。粽(ちまき)付の円柱を用い、貫を多用し、組物を詰組とし、桟唐戸、花頭窓、波連子の欄間、海老虹梁を用いるなど、禅宗様の構造や意匠を多用するが、天井を鏡天井でなく小組格天井とするのは和風の要素である。柱には粽を設けるが礎盤は省略している。垂木は身舎を禅宗様の扇垂木、裳階は平行垂木とする。内部は敷瓦を四半敷きとし、仏師・北川運長により造られたと云われる本尊薬師如来坐像(寄木造り、漆箔、像高約3mの丈六仏、江戸中期作)を安置する。
※東院の記事は、次回にも続きます。
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◎日本シリーズ 第4戦
回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打) 札幌ドーム、18:30
広島:000・100・000・・・・1・・・・(6)
日ハム:000・001・02×・・・・3・・・・(5)
【本塁打】中田ソロ、レアード2号2ラン
勝利投手:谷元、 セーブ:宮西、 敗戦投手:ジョンソン
※9回表、広島は2死満塁、打者丸で、3-2フルカウントと詰め寄ったが、三振でゲームセット。
これで、日本ハムは、2勝2敗の五分に戻しました。
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◎第75番・善通寺 (東院)
↓(Wikiより)
善通寺は、真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。
平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。
【歴史】
空海(弘法大師)は讃岐国、現在の善通寺市の出身である。『多度郡屏風浦善通寺之記』によれば、善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)・我拝師山(がはいしざん)・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)の5つの山の麓(ふもと)にあることから命名された。
善通寺の文献上の初見は、『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』に収められた寛仁2年(1018年)の「讃岐国善通寺司解」(さぬきのくにぜんつうじしげ)という文書である。ここで善通寺は、東寺の末寺として登場し、「弘法大師御御建立」「大師御霊所」とされ、空海の先祖による創建だとする伝えが古くから存在したことがわかる。境内からは白鳳から奈良時代にさかのぼる古瓦が出土しており、善通寺は実際には佐伯一族の氏寺として創建されたのではないかと推定されている。
本格的に興隆をむかえるのは鎌倉時代に入って、天皇や上皇からの庇護や荘園の寄進を受けてからである。この保護の背景には、平安後期に広まった弘法大師信仰があり、誕生の地に伝わり大師自筆とされる「瞬目(めひき)大師像」への崇敬がある。建長元年(1249年)には誕生院が建立され、東の伽藍、西の誕生院という現在の形式が出来上がった。鎌倉時代の善通寺の本寺は、東寺、随心院、大覚寺、再び随心院と変転しつつも、室町時代以降は足利氏の庇護を受けつつ自律的経営を目指した。
永禄元年(1558年)三好実休の兵火に遭い伽藍を焼失するが、天正16年(1588年)に生駒親正から28石、生駒一正から35石の寄進を受けたことなどで立ち直る。近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。近世の善通寺の史料は少ないが残された絵図類などから、金堂や五重塔などの再建に奔走する傍ら、西院の御影堂を中心に参詣空間を充実させ、19世紀前半には完成したのが見て取れる。また、明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展した。現在も陸上自衛隊善通寺駐屯地がある。
↓中門
↑江戸時代末期再建。木造2階建、入母屋造、本瓦葺。
↓五百羅漢
↓佐伯祖廟
↑大師さまの父・善通公「佐伯明神」と母・玉寄御前「玉寄明神」を祀る。
↓五重塔
↑1884年再建。高さ43m、総欅造、三間五重塔婆、本瓦葺。江戸時代末期の安政年(1854年)に着工し、3代の棟梁が携わって、明治35年(1902年)に竣工した。二重〜五重の内部にも床板を張り、人が登れる構造になっている。
↓五社明神
↑雲気大明神、大歳大明神、大麻大明神、広浜大明神、蕪津大明神の五社明神を二宇相殿で祀っている。この五社は、元の善通寺領の氏神で、寺領安穏を祈るため勧請された。
↓三帝御廟
↑「三帝」とは、後嵯峨天皇、亀山天皇、後宇多天皇。しばしば善通寺に綸旨院宣を賜い、御叡信殊に深い方々です。御廟は、遺勅により爪髪を収め宝塔を建立。
↓大楠
↓善通寺の境内は、犬の散歩禁止ですので、ずーっと「はな」を背負って参拝しました。
↓金堂(本堂)と子授修行大師
↓金堂(本堂)
↑元禄12年(1699年)上棟。入母屋造、本瓦葺き。外観は二層に見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、方三間の身舎(もや)の周囲に一間の裳階をめぐらす(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。粽(ちまき)付の円柱を用い、貫を多用し、組物を詰組とし、桟唐戸、花頭窓、波連子の欄間、海老虹梁を用いるなど、禅宗様の構造や意匠を多用するが、天井を鏡天井でなく小組格天井とするのは和風の要素である。柱には粽を設けるが礎盤は省略している。垂木は身舎を禅宗様の扇垂木、裳階は平行垂木とする。内部は敷瓦を四半敷きとし、仏師・北川運長により造られたと云われる本尊薬師如来坐像(寄木造り、漆箔、像高約3mの丈六仏、江戸中期作)を安置する。
※東院の記事は、次回にも続きます。
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◎日本シリーズ 第4戦
回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打) 札幌ドーム、18:30
広島:000・100・000・・・・1・・・・(6)
日ハム:000・001・02×・・・・3・・・・(5)
【本塁打】中田ソロ、レアード2号2ラン
勝利投手:谷元、 セーブ:宮西、 敗戦投手:ジョンソン
※9回表、広島は2死満塁、打者丸で、3-2フルカウントと詰め寄ったが、三振でゲームセット。
これで、日本ハムは、2勝2敗の五分に戻しました。
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おはようございます。
ワンちゃんを入れれるバックパックがあるんですね~。
大人しく納まってる姿が微笑ましいです^^
by タンタン (2016-10-27 05:41)
立派な五重塔が有るんですね、格式あるお寺のようですね。
by 馬爺 (2016-10-27 11:26)
タンタンさん、niceとコメント有難うございます。
ペット専用商品のネットサイトより購入したリュックです。
両手が使えるので便利です。「はな」も頭が出ているので、安心していました。
by たいちさん (2016-10-27 19:19)
馬爺 さん、niceとコメント有難うございます。
弘法大師三大霊場の一つですので、格式がある寺院ですね。何よりも弘法大師の生誕地ですものね。
by たいちさん (2016-10-27 19:22)
★みなさん、nice有難うございます。
★simousayama-unami さん、nice有難うございます。
★ryo1216さん、nice有難うございます。
★いっぷくさん、nice有難うございます。
★ネオ・アッキーさん、nice有難うございます。
★tochiさん、nice有難うございます。
★やってみよう♪さん、nice有難うございます。
★シルフさん、nice有難うございます。
★かずのこさん、nice有難うございます。
★濱の寅次郎さん、nice有難うございます。
★AKIさん、nice有難うございます。
★匁さん、nice有難うございます。
★sugoimonoさん、nice有難うございます。
★チャーさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2016-10-27 19:28)
tarouさん、nice有難うございます。
by たいちさん (2016-10-28 13:34)
non_0101さん、nice有難うございます。
by たいちさん (2016-10-31 22:50)